第346話:嗚呼、秩序の守り手であった者たちよ
「……」
光射さぬ暗き牢獄の底、名も無き実験動物が鎖に繋がれていた。傷だらけ、白と黒、そして肌色の全身を覆う細かな鱗は堅牢であり、完全に修復すると実験で扱いづらいため、ティルとの戦闘で付けられた傷を何度も抉り、其処から実験サンプルの採取などが行われていた。
ゆえに傷だらけで、満身創痍でもあった。
「……」
それでもいつか、奴らの喉笛を噛み千切る隙があれば、その時のために力を蓄える。でも、だけど――ふと思う。
何のために、と。
「……」
もう、あの時自分を逃がしてくれた兄や姉はいない。恩返しし解放したかった全員がこの世にいないのだ。すべて処分された。
もしくはもう、あの頃の姿ではないだけなのか。
どちらにせよ、命を賭して戦い、勝利したとして、それで得られるものは何もなくなっていた。ただ実験動物が自発的に檻の中に戻ってきただけ。
「……ふふ」
笑えるほど滑稽である。
以前、職場の先輩と見に行った映画、全ての行動が滑稽で笑える傑作喜劇。自分も楽しんでいたが、思い返すと自分がその喜劇の登場人物となっていた。
滑稽で、笑われるような存在。
それが名も無き自分。
それが――
「さすが『トゥイーニー』さん。この状況でも笑えるとは剛毅ですね」
「……?」
名も無き自分に、自分を保護してくれた人が授けてくれた名前。当時は何も知らずに、いくつかの候補から響きだけで選んだ。選んだ時、その人は皮肉だねえと笑っていたし、後々自分も何て名前だ、候補が悪いと思ったけれど、
「……『ヘメロス』さん、ですか?」
彼同様、今はその名を気に入っている。
何者でもなかった自分たちに与えられた、何者かの証明であるから――
「しー。今はただの『暗部』Aです。体験入部中でして、正直長居は出来ません。何処に目があるかもわかりませんから」
「そうでしたか。失礼しました」
「でも、ご無事でよかった。これで皆にいい報告が出来ます」
「……皆? まさか、だって私は勝手に――」
自分勝手に抜け出し、撃退されて捕まった間抜け。しかも目的のみんなはすでに存在せず、何の意味もなかったことがわかっている。
そんな自分のために、
「あなたが勝手に抜けたように、私たちも勝手に動いているだけです。我らが『創者』様は大笑いしていましたよ。予想外の行動をしてこそ自立した生物だ、と」
「……」
救出する価値などないのに。
「それに私たちは悪の秘密結社ですから、簡単に足抜け出来ると思わぬことです。情報漏洩の可能性もありますからね」
「……しませんよ」
「まあ、私たちはやりたいようにやるだけです。ただ、どうにも存外この国の闇は根深いようで、簡単な救出にはなりそうにありませんが」
基本、どんなことでも易々とこなす男が簡単ではないと言う。この鉄格子を断ち切り、脱出する。それでは抜けられぬのだろう。
この闇から。
「あなたが起こした波が、一つの時代を動かしたのかもしれませんね。そんなつもりなどなくとも歴史は動く。実に面白い」
「……」
結局この男の尺度は面白いかどうか。その代わり映えの無さに『トゥイーニー』はかすかに微笑む。自分勝手で享楽的、刹那的で無頓着。
何もかもが違うのに何処か似ているところもある。
それがきっと混沌の主が集めた、類は友を呼ぶようなものなのだろうか。
「しばしお待ちを」
「……期待せず待っています」
「はは、伝えておきますね」
闇の底で混沌は這いずり回る。何が出来るのかはわからないけれど、少しばかり自暴自棄にはならず、足掻いてみるのもいいのかもしれない。
気分屋で面倒な、でも面倒見のいい先輩も言っていた。
『嫌いな奴がいたら殴る。ムカつく奴がいたら殴る。腹立たしくなったら殴る。調子に乗っている芋野郎はとりあえず殴る。それが人生大事よ』
『……?』
当時は意味がわからなかった。今も意味はわからない。
でも、殴りたい相手はいる。だから、手前勝手で恐縮であるが、まだ死ねない。あの顔面をへこませるまでは――彼女はそう思い直す。
○
「元気そうでしたよ」
「うっうっー!」
「あはは」
隠れ家にようやくつかんだ彼女の様子を伝えに行くと、喜んだ『墓守』が『ヘメロス』の頭にしがみつき勝手に揺れ出す。
常人の首ならもげそうな行動であるが、其処は歴代でも特筆した騎士の肉体を持つ男、まるで動じていない。赤子に抱き着かれているのと変わりなし。
「無事ならよかったな。気持ちよく暴れて終わりじゃア、どうにも尻切れ感がなァ」
「ええ。それにしてもよく接触出来ましたね」
「そりゃもう、久しぶりの対抗戦優勝を持ち帰った男ですから。それでも所詮はよそ者、『暗部』と接触するだけでも時間がかかりました。そのせいで頼まれごとも出来ず、結局彼女を焦らせてしまったのだから……半分は私のせいです」
最優の学び舎に栄光を持ち帰った男。しかもアスガルドの切り札、どう考えたって普通ならログレスへ来るはずだった人材をぶっこ抜かれ、面目丸つぶれだった相手をぶっ潰しての優勝である。
谷間の年に優勝をかすめ取るは王道にあらず。
盛りの年にもぎ取ってこその王者である、と。
それを成した男なのだから評価も高い。加えて迷わずログレスの騎士団を選んだのも評価ポイント。なればこそ、あまりにも都合が良過ぎて警戒されてしまった部分もある。其処は好き勝手やった弊害でもあった。
「で、『暗部』に入る気かァ? 昔から良い噂は聞かんぞ」
『斬罪』、ジエィの言葉に『ヘメロス』は苦笑して、
「入りません。と言うよりも入れません。ログレス出身者以外、入部できないんですよ。ただ、これから先騎士団と『暗部』に連携の必要が出てきたんでしょうね。情報を共有できる信頼できる騎士が必要、とのことでようやくお声かけいただいたわけです。結構凄いことなんですよ、これ」
「ふっはっは、凄い凄い」
「もう、全然そう思っていないくせに」
ぷく、と頬を膨らませてむくれる様は、何処か年相応な雰囲気も醸し出す。実は兄に懐いている風であるが、『墓守』視点彼は弟分であり、弟を可愛がっているつもりである。どう考えても赤ん坊が絡んでいるようにしか見えないが。
「かの王が偉大なる騎士であり、名君だったことにも疑いはない。その騎士人生に功罪があるのも、何もあの御方のせいでもあるまいよ。マスター・ウーゼルも、俺も、先輩、同期、後輩、誰もがそれなりに罪は犯している。それもまた騎士だ。が、何事にも旬がある。騎士として俺の旬は天才に席を譲った時であった。かの王にとってもそうであったはず。あまり、健全とは言えぬなァ」
「我々がそれを言いますか?」
「ふはっ、それもそうだ」
ゲラゲラ笑う大人をよそに、
「う~?」
「あはは、くすぐったいですよ」
子ども勢は呑気に戯れていた。
「何せ、一気に動くぞ」
「その心は?」
『亡霊』の問いに『斬罪』は獰猛な笑みを浮かべて口を開く。
「お嬢ちゃんが喧嘩を吹っ掛け、それが元で両派のバランスが崩れた。このまま傾き黙っていれば倒れる。この状況であれば比較的穏当な決着で済んだ」
「あはははは、でも、暗殺騒動がありましたけど」
茶々入れする『ヘメロス』。『墓守』は現在背中にしがみついていた。
「比較的、と言っただろう? 小娘一人、ただの脅しだ。変な気を起こすな、主導権はこちらにあると言うマウンティングだなァ」
「しかし今、外部からの入れ知恵で」
「再度、バランスが戻りつつある。この戻る、と言うのが難儀なものでな。一旦振れた振り子が戻ってきたなら、絶対に元の均衡には戻らんのだ。逆境からの逆転劇は空気を換える。それは、絶対に許さぬよ」
「では?」
「強行。いつの時代も騎士は最後の一線、そうしてきた」
「やはり好きにはなれませんね、騎士と言うものが」
大人な会話、『ヘメロス』は笑顔で、『墓守』は気に留めることなく聞き流す。仕事なら頑張れるが、私的な場では子どもでいたい。
そんなセンチメンタルがあるのだ。よく知らんけど。
「争いを生んだのが我々ファウダーであれば、決着しかけたところを再び燃やしたのは皮肉にも秩序の騎士であったわけだ。くく、実に面白いと思わぬか?」
「いいえ。でも、クロス君がどんな顔になるのかは、興味があります」
「嫌な男だなァ」
「嫌な我々です」
「これだから群体気取りのやつは……まあ、俺たちも決して安全地帯ではない。当然、すでに俺たちも組み込まれているだろうよ」
ジエィは獰猛な笑みを浮かべたまま、
「悪事は悪に擦り付けるのが、くっく、一番楽だからなァ」
少しばかり先を予見する。
○
「フレン、リリアンにも連絡済み。どちらも協力してくれるそうだ」
「仕事が早いなぁ」
「俺はただ連絡しただけだ。案件が魅力的なんだよ。そして時勢も追い風だ。難しい土地が難しくなくなった今こそ、此処で勝負を仕掛ける」
それだけだ、とクルスは至極当然のことだと言い切る。実際、仕事と言うのはかなりの要素を運や時代の流れが占めている。昨日の正解が今日の不正解となることもあれば、その逆もまたしかりであるのだ。
運がよかった。
ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
「問題は一つ」
「先王だな」
「ああ。此処で切り返すのはもう、時代遅れの彼らには力しかないはずだ。そのカードをどこで切ってくるか、それが勝負の分かれ目になる」
「……本当に来るか?」
「人造魔族を実際に創ってるんだぞ? あまつさえ、その量産体制まで整えたんだろ? とっくに狂っているはずだ」
「……そうだよな」
和やかな会談。何事もなく互いに協調していく流れになったが、それで終わるとはディンも思っていない。
それで終わってほしい願いはあるが。
「陛下の守りは万全なんだな?」
「何度も言っているだろう? 俺も近くに控えている。あの辺の騎士相手なら、多分何とかなるよ。絶対とは言わんけど」
「頼りにしてる」
「そっちも殿下は任せたぞ」
「今更、こちらに来るとも思えんがな。任せろ」
自分一人では網羅できない。何よりもこの国ではあくまでよそ者、何処まで行っても心の底から信頼を得るためには実力以上に時間が必要である。それはこれから案件を進めて培っていく。
そこで培ったものがクルスの将来を大きく飛躍させる。クロイツェルの言う通り、はした金など問題ではない。
大きなコネ以上に重要なものなどこの世にはないのかもしれない。この案件が成り、真の信頼を勝ち得たなら、金などいくらでも稼ぐことができる。
その方法も何十、何百と思いつく。
勝てる、あの男にも。其処に繋がる道が今、目の前にある。
だが、
「……」
その手前で初めてクルスの足は止まる。あの男の背中を超えた先、其処には何があるのか。それを見るのが少し、怖いと思ったから。
それは勘違いか、それとも――
○
先王、ウルティゲルヌス・オブ・ログレスは夢を見ていた。それはまだ秩序が確立されておらず、不安定であった時代。
未熟な自分はただ師の物真似をしていた。
あの大きな背中が、この世界に秩序をもたらしてくれたのだ。
『マスター。何処へ行かれるのですか?』
『教えるべきことは教えた』
『し、しかし、私たちはまだマスターのような力がありません。必要なのです。騎士の鑑が、手本が、我々には――』
『わしを知る卿らが手本となればいい』
『……私、たちが?』
『守れ、弱き者を。卿らの時代だ。秩序の守り手たれ、ウルティゲルヌス』
『……イエス・マスター。身命を賭し、必ずや守り抜いて見せます。マスターが築いてくれたこの秩序を、必ずや!』
『任せた』
あの日、師から任された。教えを守り、弱き者を、民を魔から守り抜いてきた。あの御方の期待に応えるためにも、必死に、ただひたすらに――
充実していた。
地獄のような日々にも幸せがあった。
守らねばならない。
「守るのだ」
響く、自らの下へ流れついた王冠。そこにこびりついた深き想い、それが脳髄へ流れ込んでくる。その通り、守らねばならない。
ようやく手に入れた秩序である。
勝ち取ったものである。
渡さん、奪わせぬ、断じて、絶対に、誰にも――
「守るのだ、獣どもから……ウトガルド『ミズガルズ』から」
声が二重に重なる。
そして、
「『守る』」
髪が逆立ち、その右眼は怒りを浮かべる。
身に帯びし魔障、神が叶えてくれるのだ。彼らの願いを。
重なりし想いを。
○
「守る」
「……え?」
夜闇より浮かび上がりしは虚ろなる影。それはその言葉を発した、この場で聞こえるはずのない声の主、それを象る。
その雄々しき手が、男の首を絞める。
「あ、が」
言葉を発せさせない。
「守るのだ。我が騎士、イドゥンよ。我に、力を貸せ」
右眼が瞬き、黒い炎が男の内側からあふれ出る。臓腑を薪とし、かつて神炎と謳われた美しき炎は怒りの色に染まり、全てを飲み込む。
「守らねばならない。我が、我こそが、秩序の守り手であるッ!」
王冠を譲り渡したかつての王が、今の王を焼く。
王は全ての警戒、その内側より突如現れた、否、生まれたのだ。
魔障を媒介に、虚ろとして――
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