第343話:俺も馬鹿になってみようかな、みたいな
「本気で開拓するつもりなのか? 魔障に満ちたもう一つの世界を」
クレンツェパワーでセッティングした王都の謁見を終え、二人は新宮の一角にある部屋を与えられ腰を落ち着けていた。
クルスが広げた大風呂敷、それを王は大変気に入り、話し合いは上々の結果であったと言っていい。少なくともある程度の関係性は構築できた。
ただ、
「最終的には、な」
広げた風呂敷があまりにも大き過ぎたこと、其処には少し難しさもある。何せ、もう一つの世界、ウトガルドとの接点はダンジョンであり、其処には当然魔族もいればそれを束ねるヌシもいる。双方を行き来するには、ヌシが持つ杭の特性を何らかの物体に移したりして、危険なく行き来できる必要がある。
そうして辿り着いた土地には魔障が満ちており、人間の生存できる環境ではないとされる。少なくともミズガルズ側から見てダンジョンの出口は踏み越えてはならぬもの、そう騎士はどの学校でも学ぶ。
そも、出口のないダンジョンも少なくない。
ダンジョンの維持、魔障の除去、その上魔族も跋扈する世界である。問題は多い。と言うよりも問題しかない、と言える。
「大事なのは興味を持たれることだ。それに思ったよりも旧い体制が優勢だったんでな。対抗には確固たる意志を持ってもらわないと」
「……実現しなくてもいい、か」
「実現すればいい、だな。それに、全ての勢力がその一点を目指し始めたら、色々と丸く収まるだろう? 第十二の研究所、ログレスの、そしてアスガルドもくっつけてしまえば……敵は消える。全員幸せ。違うか?」
クルスの描いた絵は其処まで見越したもの。確かに実現可能と思える範囲では最善に見える。ただ、ディンの表情は明るくない。
「なあ、でも……そもそも俺たちミズガルズの人間が、あの土地をどうこうする資格ってあるのかな?」
その理由は、
「……もう誰も住んでいない土地だ」
当然クルスも理解していた。いや、ディンは推測であるが、クルスは夢幻かもしれずとも、その光景を目撃している。
それらに考えが及んでいないわけがない。
「魔族化の可逆性が確立された場合、虚ろではない魔族を人に戻せたら、その人たちにはどう説明するんだ?」
「仮の話、今考えることじゃない。それに、そうだな、君も言っていたじゃないか。明らかに生物を媒体とした魔族は減っている、と。全員、人に戻せたとしよう。ウト族も混ぜたっていい。それでもおそらく土地は余る。合理的じゃない。まあいい、数は足りたとしよう。で、あとは全部お好きにどうぞと投げるか?」
「……」
「ウトガルドの浄化には必ず、今を生きる者たちの、数の力が要る。最新研究を実用段階に持っていき、それに多くの人を、モノを投入する。それはもう善意でどうこうなる世界じゃない。現実的に要るだろ、協力者への利益が」
「……そうだよな。そうなるのが、現実だもんな」
全て考えた上で、クルスはウトガルドを切り得るのが最善と考えた。ウトガルド視点にとっても、ログレスが、騎士の国が音頭を取るのは悪いことではないだろう。少なくとも利益至上主義の商人たちよりも格好つけてくれるはず。
出来る限りの、現実的な解決策。
ディンが思うよりもずっと、クルスは考えていた。おそらく、彼が隠し持つ情報もそれに関係しているのだろう。さすがにわかる。この絵は一朝一夕で描けるものではない。彼が温めてきたものであるのだ、と。
だからこそ――
「なあ、クルス」
ディン・クレンツェは思うのだ。
「……まだ何かあるのか?」
「いや、実は、たぶん子どもが出来たっぽくてさ」
「……ん? は!?」
「まだ、その、確認は出来ていないんだけど、つわりっぽいのはあるらしい。あれもずっと来ていないとか……まあ、そういうことだよなぁ、と」
「お、おめでとう。そうか、同期に、子どもが」
「子どもならフィンとかすでに三人か四人いるぞ」
「……マジ?」
「ああ。農家したいから子だくさんにしてみた、だと」
「い、意味わからん」
親友からの衝撃の告白。以前、もう一人の親友と打合せしている時、そろそろ考えなきゃなぁ、と冗談めかして言い合っていたが、その波は来ていたのだ。
冗談ではなく、ただただ乗り遅れていただけ。
「で、最近思うんだよ。俺、子どもに胸を張って騎士って言えるかって」
「言えるだろ? ユニオン騎士団だぞ」
世界一の騎士団に所属している。これ以上あるのか、とクルスは思う。
「そうじゃなくて……絵本とかのさ、そういう騎士とあまりにも違うからさ。嘘つきになっちまうんじゃないか、そう思って」
「……物語と現実は違うさ」
「そうなんだけどなぁ」
現実の壁。夢はある。理想もある。だけど、騎士として活動してみてわかった。世の中は本当に入り組み、簡単ではないのだと。
理想は理想でしかなく、現実の積み重ねを考慮していない。何故現実が今、其処に在るのか――それに思い巡らす度に絶望してしまう。
騎士と言う存在の無力に。
「どうにかして、理想に近づく道ってのはないもんかなぁ、と考えてるわけよ。一人の騎士として、一人の親として……最近そんなのばっかりだ」
「……無理だろ」
「俺もそう思う。でも、昔さ、絶対負けないと思っていた相手に負けたんだよ」
「……おい」
「しかもそいつ、絶対に勝つのは無理だと俺が思っていた相手も、ご丁寧に二人バチコン叩き落として卒業して、今も元気に騎士をしているらしい」
「……」
「だから、無理って言葉で諦めたくないし、見たくもないんだよ」
「……」
「そいつが諦めているところなんてな」
「……」
「だから、今度は俺の番だろって思うわけよ」
「……君が、君たち騎士の家出身者が一番、理解していたことだろうに」
「だな。あの頃は皆、諦めていたんだよ。何処かの誰かさんが風穴を開けてくれるまで。俺も、デリングも、きっとフレイヤでさえ、そうだった」
「……何も知らなかっただけだ」
「そう、それそれ」
ディンは笑みを浮かべる。
「案外、何も知らない馬鹿が停滞した現実ってやつをぶっ壊す気がする。そんな騎士になろうかな、と……丁度、参考文献もたっぷり見たんでな。昔に」
「……出世に響くぞ。無駄に角が立つ。割も食う」
「まーいいじゃないの」
「何がいいんだよ」
「そういうのに縛られない、無頼ってのも格好いいさ」
「……仕事、だろうに」
クルスは頭を抱える。自分が構築してきた、駆け抜けてきたキャリア。それが今、クルス・リンザールの枷になりつつもあった。
良くも悪くも現実を見据える力を得た。
世を見通す眼も手に入れつつある。
だけど、それと同時に失ったものもあったのだ。
「まあ、それは俺の道だ。難しいし、どうすりゃいいのか全然わからんけど、とりあえず諦めないことから始めてみようと思う。今回の件も、正直関わらないのが一番利口だった。昔の俺なら、たぶん割に合わないと踏み込むことすらしなかった」
何のかんのと賢い男、それがディン・クレンツェだった。
「どういう着地になるのかはわからんけど、自分に出来る限りのことをして最後まで駆け抜ける。その結果を受け止める。って感じかな。大分話、逸れたな」
「……ああ」
「んじゃ、久しぶりに同室で寝るとするか」
「……言い方が気持ち悪いな」
「へっへ」
最初はディンの気遣いから生まれた関係性だった。気のいいルームメイト、優しいけどスケベで、知識があって優秀。並ぶのに随分と苦労した。
越えるのにはもっと苦労した。
ああいう戦いはもうしたくない。しんどいから。
ギクシャクして、仲直りして、それで――
「ぐおー」
(……相変わらず寝つき良いな)
クルスはディンの言葉を何度も反芻していた。自分の中で構築した最善、其処への誘導は上手くいった。あとは目先の問題を解決し、大局へ向けて漕ぎ出すだけ。現実の険しさを乗り越え、妥協を重ね、みんなが飲み込める明日を目指す。
わかっているのだ。
それが――
(クソ……人の気も知らないで)
妥協に塗れたクソ塗れの道であることぐらいは。必死に仕方ないだろ、それが現実なんだと飲み込もうとして来た。半ば、飲み込んですらいた。
でも、今日、ディンとの会話で腕を突っ込まれて、吐き出しそうになった。それは飲み込むなよ、と言われた気がした。
勝手なことばかり言いやがって、と憤慨しつつ――
(……何か、ないか)
クルス・リンザールは一度真っ新な状態から、巻き戻して考えてみる。
そんな親友の苦悩を、
「……ぐおー」
背中で感じながらディンは小さく微笑んだ。
○
「うー」
首を横にふるふると振る『墓守』。
「どうやら魔道を通さぬようで……魔道研究のたまものでしょうか?」
彼の力が通じず、侵入が困難となっている新宮の奥。旧き王宮が聳え、その近くに魔道研究所も存在している。
しかし、その地が彼らの魔道を、魔障による奇跡を通さぬのだ。
「さてな。ただ……嫌な感じはある」
「うっ、うっ」
「お、小坊主も同じか」
「う」
「ふぅむ、俺だけで踏み込んでもいいが……どうにもなァ」
「気乗りしませんか?」
「と言うか、たぶん死ぬ。この感じだと」
「「っ⁉」」
ファウダー最強、『斬罪』ジエィ・ジンネマン。負ける姿など容易く想像もつかず、実際数多の修羅場を平然と潜り抜けてきた男の放ったひと言。
それは二人に衝撃を与えた。
「騎士を放り投げた俺が言うのもなんだが、騎士の感覚が言っている。この先に座す『ヌシ』は、どうやら俺よりも強い、となァ」
「……」
「少し策を練るぞ。あれとやり合うかはさておき、正面からの突破は不可能だ。ログレスの騎士はそれなりに強く、場慣れもしている。その上、だからな」
珍しく慎重な様子。それだけ彼は何か感じ取ったのだろう。
古き王宮、其処から発する何かの気配を――
『……守る』
玉座にて灼眼が一つ、有象無象を見据える。
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