第340話:牢獄の日々

 窓の外、ちらつく雪を見つめながら少女は物憂げに思う。とても深刻そうな表情である。まるで世界の命運でも背負っているかのような――

(お腹すいた)

 表情だけは、そんな感じだった。

 ログレス王立騎士学校、それは騎士育成におけるフラッグシップ的存在であり、常に騎士育成の先頭を走ってきた。それはひとえに先人の努力と、ミズガルズで最もダンジョンが発生する地域という土地柄に起因する。

 何事も必要と言うものは、人類の発展において大きく寄与するものであり、その効果は目で見えぬ部分も含め絶大である。

 騎士の国に立つ騎士の学び舎。

 ただ最近は復活を遂げたアスガルド、そして何でも取り込み立地を生かしたブランディングで有力学生を集めるレムリアなどが勢いを増し、逆に立地が寒冷で校風も厳格なログレスは有力な学生が避けがちとなり、一時期のアスガルドのような低迷期に突入していた。結果を出しても、そもそも避ける理由が理由なので戻らない。

 時代の変化、人の意識の変化、徐々にそれはログレスを蝕み始めていた。

 そんな牢獄のような環境、一学年の男子は丸刈り、女子も短髪が『推奨』され、本日も雪がちらつくというのに外で基礎体力作りのサーキットトレーニングが行われていた。ログレスに時計はなく、全て鐘の音で知らされるためああしている内は時間を知る術はない。その上、基本的に回数ではなく時間で決められているのだ。

 教師の裁量で変動する『時間』であるが。

(……がんばれ)

 少女は肩まで伸びた髪を弄り、時の流れを感じながら彼らの奮闘を見つめる。手を抜く者は一人もいない。勢いに陰りがあると言っても、ログレスが最優の学び舎であることは、それそのものがブランドである。

 集まる学生は皆、自分が一等賞を取るんだという野心に溢れているのだ。

 特に低学年の間は。

 でも――

「……」

 三学年、そして四学年にもなるとある程度現実が、自分の壁が見えてくる。そうでなくとも進級できるかどうか、毎年ふるいにかけられていくのだ。

 ログレスは御三家の中でも進級が厳しいことで有名である。

 それなりに努力する程度ではあっさり進級できず、この学び舎から放出されてしまう。それがわかっているから、彼らは今死に物狂いであるのだ。

 すでに生存競争は始まっている。

 苛烈な蹴落とし合い。

 ごくまれにマイペースに、へらへらしながらでもハードルをひょいひょい飛び越えていく天才が出現するも、そんなの普通はいない。

 黄金世代はそのレベルの人材が対抗戦の三番手やそもそも出られなかったらしいが、すでにそれは風化し、思い出補正扱いとなっている。

 余談である。

 まあ、だからこそ生き残った高学年の結束は固くなり、卒業しても強いつながりを持ち、世界中に騎士の国の輪が形成されると言うこと。

 死に物狂いで得た血の結束。

 だけど、それは死に物狂いの、努力した者のみが手にするもので、

「……」

 そうでない者には壁が出来る。

 しかもそれが天才的実力を持つわけではなく、ただ別の理由があるから、ともなれば、殺風景の講義室にただ一人座る少女のように孤立することとなる。

 でも、逃げることは許されない。

 だって少女はこの牢獄の――


     ○


 時間は巡り、日も落ちて夜となった。

「お疲れ様でした、殿下」

「……ええ」

 何も疲れていないのは知っているくせに、と少女は自嘲しながら馬車へ乗り込む。最初は皆と同じようにしていた寮生活も、二学年から三学年に上がる際に、ルームメイトが進級できずに学び舎を去ったタイミングで少女も寮を出た。

 寮を出て、

「出せ」

「イエス・マスター」

 新宮と呼ばれる現在の政府中枢、王たちが政を行う王宮が彼女の新たな住処となった。幼少期を母方の実家で過ごし、そのまま寮に入った彼女にとって其処はまるで知らない世界で、学び舎同様牢獄の延長線に感じられていた。

「……」

「……」

 彼女が言葉を交わしたくないことを察し、笑顔のまま沈黙に徹する彼女の守護者である騎士は、あの地獄を上位で駆け抜けたエリートだけあって、立ち居振る舞いに隙が無い。完全無欠、ログレス産の騎士とはかくあるべし。

 ゆえに彼もきっと、自分を下に見ている。

 ログレス王立騎士学校、至高の騎士を育成する環境に、甘い考えを持ち本来退学すべき人材が立場を利用してのうのうと在席している。

 自分に近づかぬ学生たち同様、必死であればあるほど、彼女の存在は許せないだろう。そんなこと彼女自身も理解している。

 学校を辞めたい、それを父に伝えたこともあった。

 だけど、一度踏み込んだ以上卒業してもらわないと示しがつかない。そもそも何故頑張ることが出来ない。此処は騎士の国なのだぞ、と。

 長々と説教を喰らい、無事幽閉継続が決まった。

 表立っての攻撃はない。彼女の立場がそうさせない。

 だから空気扱い、いないものとする。

「……」

 彼女としてもそれでいい。

 むしろ、温かく手を差し伸べられた方が困る。騎士とは尋常ならざる道を歩み、研鑽を絶やさず、克己する者たち。

 その輪に自分はいない。

 当然のこと――

(……お腹すいた)

 そんなシリアスなことを考えているのに、このお腹はどうしていつも空腹を訴えるのだろうか。一学年や二学年の頃ならばわかる。彼女も努力していたし、消費カロリーもそれは大きいものであっただろう。

 食トレとして大量に、吐いても泣いても詰め込まれる地獄を経てなお、体重が減る者もいる。それが最優の学び舎である。

 彼女はそれを地獄と思ったことはないし、吐きそうな子の分もこっそり食べてあげたり、あの頃は結構人気者だったな、と少女は思い耽る。

 そんなことをぼんやり考えていると――

「サリュー、横道に逸れろ」

「え?」

「サリュー」

「い、イエス・マスター」

 突然護衛の騎士が進路の変更を指示した。余裕の表情は崩れておらず、やはり立ち居振る舞いに隙は無い。

「……?」

 ただ、

「隊長! 前に」

「……周到だな。何故、こちらにこれだけ手数を」

 何処か獰猛な、高ぶりが静かな身からあふれ出てきているようにも見えた。

「止めろ。私が出る」

「……イエス・マスター!」

 馬車が止まる。

「ファウダーか、それとも……まあいい。どちらでも」

 緩やかな、牢獄の中にある代り映えのしない日々。

「しばしお待ちを。少し外の掃除をして参ります」

「え、ええ」

 騎士が外に出る。

 そして、

「ッ⁉」

 少ししてから物凄い音が響き始めた。騎士同士が戦い、果たしてこんな音が出るのだろうか。何かが破壊された音、建物が崩れるような音。

 何が起きているのか、外を見る勇気すら起きない。

 腰に提げる騎士剣、普段は心強いそれが急に、か細く見えた。

(だ、大丈夫。マスター・ラーションはログレスでも、騎士の国でも、選ばれし騎士たちの中でも、頭一つ抜けた騎士だから)

 音が途切れない。

 それが恐ろしい。早く終わってほしい。

(大丈夫)

 そして、

「……あっ」

 その時が来た。音が、途切れたのだ。

 一瞬の静寂、それは逆に、少女の恐怖を掻き立てた。音がする限りは戦っている証拠で、音が消えたと言うことは勝負が決したと言うこと。

 どちらが勝ったのか。

 その疑問は、

「ガァアアアア!」

 馬車を打ち砕いた、大きな腕が教えてくれた。

 視界が一気に開ける。この世の終わりのような、ボロボロの街並みに、その隅でずたずたに引き裂かれた、歪なオブジェとなっている御者を務めていた騎士サリュー。吐きそうになる。でも、少女の胃は無駄に強くて、昼飯も完食も、とっくに消え去っていた。なので吐く物がない。

 と言うかそもそも、そんな余裕がない。

 だって――

「……ィ」

「シツコイッ!」

 自身の守り手であるはずの騎士が、マスター・ラーションが、半身を失い、手で相手の毛を掴みながら騎士剣を突き立て、眼を奪うも騎士剣は別の手で掴まれ、相手の命に届くことなく、彼もまたその途上で絶命していた。

 ゴミのように投げ飛ばされ、路傍に転がる。

「イダィィィイ、アイツ、クウ、ゼッタイ、ニィ!」

 そんな騎士を殺した相手は魔族であった。ログレスの王都に魔族がいることも不思議であるが、教科書や実習で見る魔族とはまるでモノが違う、その迫力に彼女はログレスの教育、その正しさを見た。

 昔は自分も出来ると思っていた。何のかんのと御三家に、ログレスに入るだけの実力はあったのだ。だけど、今わかった。

 騎士とは、人類の守り手とは――

「オマエ、モ、クウ」

「……」

 こんな化け物を相手取らねばならないのだ。

 黒き体毛に覆われ、狼のような二足歩行の怪物は人間二人分に近い大きさであった。特にその腕は大きく、その分爪も巨大で殺傷力の塊に見えた。

 勝てない、心の底からそう思う。

「ふ、ふふ」

「ナゼ、ワラウ?」

 時に一人で対峙して、死を覚悟してでも騎士剣を突き立てる。自分にはなかった。今ここで剣を引き抜き、差し違えてでもという覚悟が。

 其処で転がる騎士たちのような覚悟が。

 努力することを辞めたからじゃない。

 努力することを辞める程度の、その程度の人間だったから騎士になれず、そして今特権で得た依怙贔屓の分、その揺り返しを受ける。

 ただそれだけ。

「どうぞ」

「……?」

 ようやく牢獄が壊れる。ようやく終わることができる。

 そう思うと笑みがこぼれ、恐怖よりも歓喜が勝る。もう学校に通わなくていい。もういつまで経っても居心地の悪い王宮へも行かなくて済む。

 これで全部終わる。

 そう、


「夜分遅くに失礼」


 思っていた。

「……えっ?」

 黒き人狼、それが自分を殺すために伸ばした腕、その先に伸びる爪の切っ先、其処に薄く、透き通るような水色が差し込まれた。

 それを握る者は仮面をしている。黒髪が闇夜に流れ、仮面の下から覗く透明な灰色は、自分のような恐怖を微塵も浮かべていない。

 自信しか見えなかった。

 この怪物を目の前にして――

「ダレ、ダ?」

「意味がない」

「……?」

「今から死ぬのに、それを聞いてどうする?」

「アー、キシ、ッテ、ヤッパリ、バカ。ソイツモ、ソイツモ、オレガ、コロシタ。オマエモ、シヌ。オマエガ、シヌ」

「ユーモアのセンスは認めよう」

 その騎士は怪物の爪、それをかち上げる。

「ッ⁉」

 力で圧倒的に劣るはずなのに、魔法みたいに相手を押し流す。

「今片付けますので、少々お待ちを」

 そして、構える。

「あっ」

 少女もよく知る、太陽を落とした男の型を。

「すぐ済ませます」

「ホザケ!」

 牢獄が崩れたと思ったら、その中に非日常が、テレヴィジョンの中の憧れが現れた。恐怖よりも驚きが勝る。ぺたり、と少女は地面に座り込んだ。

 そして、見る。

「来い」

 退魔の騎士を。

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