第337話:屍山血湖

「助言だ、伏せろォ」

 そう言ってすぐ、ファウダー『斬罪』ジエィ・ジンネマンは居合切りを放つ。彼を知る者は即座に伏せ、知らぬ者も知っている者が近くにいれば伏せさせた。ただ、この場は彼を正しく判別できた者が少なかったのだ。

 ログレスの『暗部』というあまり外と接する必要がない部署であるからこそ、各地で混沌を振り撒く凄腕の、元秩序の騎士がいることを知っていても、その技や詳細を、姿かたちまでを網羅している者は少なく、結果――


「え?」


 遮蔽物のない平坦な湖面の上、伏せられなかった者たちが一斉にズレる。

 ジエィはすでに片刃の騎士剣を納め、悠然と立ち自分の中で生き残りの選別をしていた。こいつは敵、彼らは味方、こいつらは、たぶん味方な気がする。

 そんな中、

「ひ、ひえ~」

 ディンの手で伏せさせられたパヌは目の前に広がる壮絶な光景にビビり倒す。伏せるのが遅れていれば、自分も容赦なく彼らと同じ状態になっていた。

 生存を許さぬ真っ二つ。

 しかもこの平面、彼の刃はのびのびと伸びて、まだまだ数を残していた魔獣を含めて『暗部』の大半を、ただの一撃で斬り捨ててのけた。

「こ、これがジエィ・ジンネマンか」

 勉強会の話通り、おそらくこれで彼は魔族化の力は行使していないのだ。若さだけを得て、それ以外は全てジエィと言う人間が起こした現象。

 すでに禁じられた体にエンチャントを施す術理。

 そして、元々ただの一振りで、より多くの敵を打ち倒し、それにより他者を守ると言う発想の元、彼は自身の体も用いてこの魔法を組み上げた。

 一騎当千、騎士ほどに絶句する。

 何よりも――

(この男と何度も戦ったって? 冗談きついぜ)

 初めて対峙したディンは怖気が止められなかった。わかるのだ。あの魔法は騎士として多くを倒し、守るためのものであり、彼の武力の本質ではない。

 極まった技量、ただ一振りに賭した執念。

 レベルが違う。

 そしてこのレベルが違う男に、強制的にぶつけられ続けていた同期の成長が止まらないのも当然のこと。止まったら死ぬ。

 成長が必要な環境であったから死ぬ気で成長した。

 ただそれだけ。

 そのただそれだけを、平然とこなしていた親友に更なる畏怖を覚える。

 この天井に早い段階から立ち向かっていった。

 ならば、最終的に彼は何処まで登るのだろうか、と。

「元秩序の騎士、しかも隊長を務めたほどの男が、よくもまあ恥をさらし続けるものだ。騎士としての誇りはないのか!?」

 『暗部』の頭領はさすがの判断力、危険を察知して伏せられたが、たった一人の男が戦況を全部ひっくり返してしまったのは事実。『亡霊』対策の開けた場所が、眼前の怪物に最高の地の利を与えてしまった。

 大きな誤算。しかも制御が難しいとはいえ、最上級の実験体を失ってしまった。人的被害よりもそちらの方が大きい。

 簡単に、大量生産が出来るわけではないのだ。

 ある程度姿かたちは制御できるが、出来は採取した魔障の質に左右されるから。

「散開」

「承知!」

 生き残りの『暗部』たちを四方八方散開する。相手が悪い、潔くそう判断して全員で逃げを打つ。全員が本命であり、全員が囮。

「うっうっ!?」

「どうしよどうしよ!?」

 『墓守』とパヌは二人して同時に頭を抱える。『墓守』はただ、自体がよくわからないから混乱しているだけだが、パヌに関しては完全に保身。

 あの中の一人でも逃げられて、本国に報告された場合、あの薄弱な言い訳、正当防衛一本でやり合うのは正直苦しい。

 しかも、多分根が深いし。

 そんな考えをよそに――

「俺の剣と追いかけっことは、ぶはっ! 剛毅よなァ!」

 ジエィによる蹂躙劇が始まる。高速の抜き、納め、その連続の中で今度は最小限の魔力を使い、到達の瞬間だけ刃を伸ばすことで疑似的に斬撃を局所に飛ばし、一人ずつ丁寧に切り捨てていく。

 四方八方、血の池地獄と化す北部最大級の湖。

「うー!」

 味方の暴れっぷりに歓喜する者もいれば、

「どどどどどどないしよ!?」

 絶対に勝ち目のない相手、しかもファウダーと言うことはこのまま敵対する可能性もあるわけで、その場合逃げすらあの化け物は許さないのだ。

 そりゃあ本気で焦りもする。

 それはディンも同じ。現時点で、パヌが想定以上に腕を上げてくれていた分を加味したとしても、二対一でも全然分が悪い。

 勝ち目がない。見えない。

 それほどの――怪物。

「この程度か騎士の国ィ! 誇り高きその名が泣いておるぞ!」

 怪物、容赦なし。

「秩序の騎士、その名を泣かしている貴様に言われる筋合いはない!」

 斬撃の嵐、血と臓物が吹き荒れる中、『暗部』の頭領はあえて怪物の、真の間合いに踏み込んでいた。窮地にこそ、死地にこそ活路がある。

 この男から逃げるには、部下を一人でも逃がすには、誰かがしんがりを務めるしかないのだ。その役を躊躇なく買う。

 男はそう育てられてきたから。祖国のためならば死ねる。

 その揺るぎない覚悟が男を此処まで運んだ。

「阿呆が。中にいたからこそその功罪が見えるのだ。それを見てなお、秩序に殉ずるか、背を向けるか、その思索なき言葉は安く、何の価値もない」

 多くを知り、それでも秩序の守り手を選び取った友を、先達を尊敬する。多くを知り、疑問を抱き苦悩の末離れる者にも尊敬を抱く。

 だが、その葛藤なき者の言葉は何も響かない。

「貴様は安い。迷いの痕すら、見えぬ」

 苦悩を経ていない騎士は安く、成らず者である。

 眼前の男が放つ、異質な圧。

 それが――

「ぷっ!」

 死を恐れぬ男が、気づけば足を止めて口から何かを噴き出した。

「含み針か……武技まで安い」

 ジエィはそれを右手でつまみ取る。それも絶技であるが、

「これで居合は使えまい!」

 重要なのは彼の武器を潰すことであった。勝てる、その目算が立った。そのおかげで足が再び動き出す。あとは騎士の中でも圧倒的上澄み、自慢の速力とリーチが短い分回転数の多い、彼が安いと言い切った武技で倒す。

 だが、

「……え?」

 『暗部』の頭領、その頭蓋が半分近く吹き飛ぶ。

 ジエィが打ち出したのは指による、騎士剣そのもの。神速にて放たれた柄頭が男の頭蓋を破壊してのけた。

「速さが足りぬ」

「ひ、ひィ⁉」

 すでに致命傷である。だが、彼の圧でとっくに折れていた男は何も考えずに後方へ走り出した。快速自慢、ジエィ視点では遅くとも彼の足は遅くない。

「阿呆が。戦況も見えんか」

 男はただ走る。そしてその直線上にたまたま、『墓守』がいた。この場で最も弱く、確実に殺せる弱者を狙った。

 目的意識はなく、ただ恐怖で狂い、本能に、彼の根に従い行動する。秩序と言う大樹に阿り、少しも迷うことなく何でもして来た。

 その本性は高尚なものではなく、

「恐れることはない。君は強く、そして仲間はもっと強い」

 秩序の外側を下に見て、それを踏みつけることに充足を得ていた。

 単なる弱い者(マイノリティ)いじめ。

「うっ!」

 『亡霊』の言葉に勇気づけられ、『墓守』は怯えることなく地面に腕を付けて、分厚い氷が覆うはずの地面がどろりと変形する。

 そして、

「漢伊達だなァ、チビ助ェ」

「ぴょ?」

 地面を繋げ、一瞬で離れていたはずのジエィを引き寄せる。これがファウダーのインフラ、あのテュールが頭の次に潰すべきと判断していた存在である。

 現れたジエィは武器を拾うまでもない、とわざわざ『墓守』が手元まで運んでくれた自身がぶっ飛ばした剣を無視し、一瞬すれ違う。

「……?」

 頭領ですらなくなった、ただの男の首が反転し、彼の視界で天地が引っ繰り返った。もはや首がねじれ、空気を通す隙間もない。

 ただ、倒れる。

 ジエィはその末路を見届ける価値もない、と視線を合わせなかった。

 代わりに仲間へ近寄って、

「いーい連携だァ、チビ助」

「う~」

 好々爺の一面を見せ、仲間の頭を童子のように、実際年齢は童子であるのだが、混沌の一員として悪を成してきた者を褒め称える。

 やはり、ディンたちには訳が分からない。

「ゾンビーズより俺を信頼したのは優秀な証拠だぞ。そろそろ人形遊びも卒業か?」

「う、ううううう! う、あう!」

「仲間を信頼しただけ。あの二人は友達だから、強い弱いは関係ないの、だそうですよ。ふふ、まだまだその日は遠そうですねえ」

「ふはは、まったくだ」

 悪人には見えない。だけど、成してきたことはまごうことなく悪行である。ただし、それは秩序の方角から見た場合、であるが。

 マリウスの一件すら、板挟みになった男が、擦り切れる直前に残した彼の正義によってファウダーは動いている。

 そう、全ては見方次第。何処から何を見るか、それだけのこと。

「あ、あの、自分たち、逃げても大丈夫ですか?」

 パヌ、勇気を出して問いかける。怖いけど、何も聞かずにただぶった切られるより、一応聞いておこうかな、と思った次第。

 あと場の空気も行けそうな感じがしたし。

 それを聞き、

「ああ、構わんぞ。戦を仕掛けておいて逃げる者は斬るが、そもそも背を斬るのはあまり好きではない。それにまあ、眼を見ればわかる」

 ジエィは構わないと言い切った。

 あまりにもあっさりした回答に、パヌは眼をぱちくりしてしまった。

 それを尻目に、

「いいのか? 二人ほど、逃げ切ったのがいるぞ」

 ディンは彼の手落ちを指摘する。結果としてしんがりの機能を頭領が果たしたことで、彼らは二人ほどこの湖面を脱出することが出来た。

 逃がしてしまった。

 どうするのだ、とディンは問う。

「苦悩の眼だなァ、若造。まあ、俺の鼻もまだまだ現役でな。よく嗅ぐ匂いは、さすがに逃さん。この地に縁なき秩序の騎士が、くく、果たして何用でこの地に来たかは知らぬが……あの小僧ならまず間違えん。その程度の択はな」

 湖の先、林から何かが二つ、転がってくる。

 それは『暗部』の首であった。

 そして、

「先日、『トゥイーニー』がログレスに捕らえられたらしいなァ、ジンネマン」

 それらを追うような形で湖面に姿を現すは――

「クロス君」

「ううううううッ!」

 紛い物を除けば、ファウダーにとってある意味で唯一の天敵、レフ・クロイツェルとクルス・リンザール、その一翼が姿を現した。

 何故ここに、そんな表情をする『亡霊』と単純に敵と認識している『墓守』の視線が突き立つ中、意に介すことなくただ一人を睨む。

「もう一人は……なるほどなァ、このご時世に酔狂な得物を。が、そのおかげで敗れたわけか。それでも容易く倒せるほどあの娘は弱くはないが」

 だが、ジエィはクルスではなくもう一人に注目していた。

 彼もまた苦悩するものであったから。

 ただし、

「……メラ」

 彼の、ティルの眼はただ一点に注がれていたが。

「あ、あいつが噂のリンザールか。初めて生で見た。ってか、なんであいつ、躊躇いなく首を斬ったんだよ? 状況、全部はわからねーっしょ?」

 パヌはクルスの行動に疑問を持つ。

 それに関しては、

「……真っ当な騎士じゃない見た目だ。ログレス側なら口封じ、ファウダーなら殺し得、今のあいつにとっては迷うことじゃない、ってことだろうな」

 ディンが正解を述べる。不可抗力が起き得る都市部なら迷いもするが、人目につかぬ国境線で目撃された怪しい人物の処理に迷う理由はない。

「れ、『冷徹』~」

 ユニオン騎士団第七騎士隊所属、『冷徹』のクルス・リンザール。

「あの時逃げられた以来か。随分と長く雲隠れしていたな」

「何か勘違いしているようだが、この俺が育成の場であったのは貴様よりも優秀な騎士が御守りについていたからだ。その騎士が手を引いただけ。まさか、貴様一人とこの陣容で俺たちと戦うか? 無論、一騎打ちでも構わんが……ただし」

 ジエィは騎士剣を拾い、軽快な手つきで鞘に納める。

 そして、

「真っ二つだぞ?」

 宣言、いや断言する。貴様が怖くなるのは先の話であって、今のクルス・リンザールに負ける気は微塵もしない、と。

 やるなら殺す。

 ただそれだけを怪物はその眼に浮かべていた。

「……ちっ」

 悔しいはジエィの言う通り、ティルとディン、この二人が万全な状態であれば戦えなくはないが、問題はこの二人が今、正常な状態に見えないこと。

 その点、ファウダーは迷わない。

 パヌはよくわからない。生き延びていると言うことはかなり腕は立つのだろうが、あの男との戦いで役に立つレベルかどうかは分の悪い賭けになる。

 戦えるか、あの蛇を欠いて――

「クルス、その、話したいことがあるんだ」

「……?」

 それは今言うことか、とクルスは首を傾げる。ちなみに仲介役のティルが繋げるべき相手が、何を隠そうこのディンであった。

 その一点が、普段戦場では即断即決の『冷徹』、その足を止めていた。

「だから……この場は、此処までだ」

 理解不能な親友の言葉。

「秩序の騎士とファウダーは絶対的な敵だぞ。何故君が此処にいるのかは知らない。だが、秩序の騎士が二人雁首揃えて見逃すのはありえない」

 ゆえにクルスは暗に問う。

 その絶対的な構図を、壊すような話なのか、と。

 そして――

「此処までだ」

 親友の判断を尊重し、クルスは抜いていた剣を鞘に納めた。ディンに戦う気がないのなら、ティルが万全であっても勝負にならない。

 今の自分たちなら三枚はいる。

 近しい技量の、そして流れるような連携が可能な三枚が。

「……俺は何も見ていない」

「ありがとな、クルス」

 湖面での死闘はこうして決着した。混沌の構図を残して――

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