第336話:何が何だかさっぱりわからん
「止まれ」
結局部隊の指揮を執ることになったディン。正直現状、色々と複雑な立場ゆえにそんなことしたくないのだが、肝心の部隊長である同期のパヌが居心地のいいサポート役として溌溂としているのを見ると何も言えなくなる。
何度も言うがこのパヌと言う男、御三家ログレスの上位勢である。
「どう?」
「あの光が見えた場所より、かなり北上することになった。『亡霊』の性質上、出来れば閉所での戦いを求めるはず……なら、誘導されたんだろう」
「北部最大の湖、セヴェル湖に、だな」
北部の湖なのでこの時期でも湖面はカッチコチである。
その湖面に――
「ああ」
物陰から様子を窺うディンは顔をしかめる。想定通り、片方はファウダー『亡霊』、そして『墓守』と操られている死体の騎士たち。
だが、
「俺にも見せて」
「待て。少し、考えさせてくれ」
「何をさ?」
「……色々だ。頼む」
問題はその相手。
ディンは知っている。しかし、おそらくパヌたちは知らない存在である。ログレスの『暗部』、そして彼らが使役するはこの国の魔道研究が結晶――
「……っ」
人造魔族。
ディンの視線の先では、
「う!」
百徳スコップを振り回し、魔獣の群れをぶん殴る『墓守』。そのすぐそばでピコ、そしてメラの死体が躍動するも、俯瞰しているからわかる。少しずつだが双方の距離が開き、分断されつつあるのだ。
「……くっ」
それに気づくも『亡霊』は『亡霊』で波状攻撃にさらされ、その迎撃で足止めをくらっていた。彼の毒ガスも、反射を用いるレーザーも、こうした開けた場所では十全な性能は発揮できない。
何より厄介なのは、目の前の敵が微塵も怖れを抱くことなく、レーザーに、毒ガスに、突貫してくること。死を恐れない。
いや、
(端から、恐れるようには造っていない、ですか)
死を感じぬのだ。今、自分たちに向かってくる魔獣たちは。ウトガルドの魔族、獣級ですらもう少しは人間味もあろうに、これでは野生動物としても成り立たない。
感情無き、兵器としか――
「そろそろ、仕上げだ」
「承知」
『暗部』の一人がリーダーらしき男の指示を受け、音もなく動き出した。
狙いは『亡霊』、ではなく、
「……う?」
孤立させた『墓守』。彼の膂力が人並外れているが、騎士の力自慢に毛が生えた程度であり、打ち合いの技能は所詮素人。
守りを離し、隙を突けば首を断つは容易。
「御覚悟」
「あっ」
あっという間の出来事。
凶刃が『墓守』の首を――
「ぐっ!?」
「ぬ?」
刎ねる寸前、異形と化していた『亡霊』はそれを解除し、生まれた空間から波状攻撃を抜け出し、凶刃の前に割って入っていた。
「うーーーー!」
「問題ありません。私は、不死身ですから」
涙を浮かべながら叫ぶ『墓守』に対し、『亡霊』は深く背を切り裂かれ、血を垂れ流しながら彼の頭を撫でてやる。
敵への警戒を緩めることなく。
「無限の命でもあるまいに……無法者が何の真似だ?」
「……大人が子どもを守るのは当然のことです」
「子ども? その化け物がか?」
化け物、その言葉、純粋なる疑問が持つ鋭利な刃に、『墓守』はびくりとする。
「ふっ、どの口が」
ぎゅっと、傷を刺激された彼を抱きしめ、『亡霊』は笑顔を浮かべる。
「自ら魔道に堕ち、人を殺めてでも自らの妄執を、怨讐を果たさんとする私はおっしゃる通り、化け物なのでしょう」
そして、強き炎をその眼に浮かべ、
「されど、秩序のためなら無垢なる命を玩び、人を殺すことも厭わぬあなたたちもまた立派な化け物ですよ」
『亡霊』は『墓守』の前に盾として立つ。
それは当然のことだ、と言わんばかりに。あの時、自分は最初に斬り捨てられた。誰も守れなかった。その彼の、彼らの悔いもその二の足に乗る。
愚かな自分たちが巻き込み、散らせてしまった命がある。
未来ある子どももいた。
明日を抱く女性もいた。
守れなかった。力がなかったから――
「化け物同士、仲良くしましょう。存外、仲良くなれるかもしれませんよ」
「ほざけ!」
今は力がある。例え、紛い物の、歪んだものであっても。それを振るうことに些かの躊躇いもない。同類相手ならなおのこと。
そんな光景を、
「……」
ディンは見ていた。ファウダーは秩序の敵である。『亡霊』には多くの騎士が、それこそ第六の先輩騎士も亡くなっていた。立場的には『暗部』と協力し、彼らを討つのが道理であろう。それが騎士として正しい行いである。
「な、なあ、ディン」
「……」
「俺の目には、いや、よくわからんけど、あっちが悪者に見えるんだけど」
「……ログレスの『暗部』だ。味方陣営だよ、彼らは」
「え!? そんなの、実在したんだ」
いつの間にやらこっそり、のぞき見していたパヌは驚く。
「じゃあ、どうしよ?」
それを今考えているんだよ、とディンは苛立つ。考え込む。だけど、正解は出ない。自分の目にもパヌ同様、敵と知ってなお彼らの立ち回りに光が見えたのと、あの操られた魔族の種を知っているディンだからこそ迷う。
ファウダーは秩序の敵である。
自分は秩序の騎士であり、今はログレスの味方でもある。
だけど、それでも――
「……パヌ、撤退だ」
「いいのか?」
「ああ。ただし、俺は残る」
「……それは」
「大丈夫だ。俺はクレンツェ家のボンボンだぜ? 何とでもなる。どっちも知らない相手じゃないしな。だから、頼む」
「……わかった」
「悪いな」
全てをパヌに任せて、
「……悪い、父上」
ディン・クレンツェは戦場に身を投じた。
「命脈絶つまで攻め続けよ!」
「ガァァアア!」
再び異形と化した『亡霊』を前に魔獣たちが殺到する。
しかし、
「其処までだ!」
その中間地点にディンが降り立った。『亡霊』も、そして『暗部』の者たちも戸惑う闖入者の登場。
「その騎士ごと――」
「待て」
魔獣たちに命じようとした『暗部』の構成員が、リーダーらしき男の指示を聞き、魔獣への命令を止める。
それにより魔獣たちもまた停止した。
「どういうつもりですかな、クレンツェの若君」
その名に他の『暗部』たちに動揺が走る。
「この場は俺が預かる」
「ご冗談を。マスター・クレンツェであればいざ知らず、そのご子息でしかないあなたに、何の権限があると言うのか……其処を退きなさい。今ならば何も見なかったことにいたしましょう。しかし――」
「話の通じない相手とは思えない。まずは――」
「しかし! これ以上任務の邪魔をすると言うのなら、クレンツェの若君であろうと容赦はせぬ。二度は言わん。去れ」
『暗部』全てが臨戦態勢を取る。これ以上の問答は無用。此処から先は容赦しない、と姿勢で示す。ディンは事ここにきて悩む。
わかっているのだ。
この件に関しては、全ての因果はログレスに収束する。仕掛けたのはファウダーであっても、その中心に魔道研究がある限り、始めたのはログレスである。
秩序のためならば何をしてもいいのか。
その問いが彼に突き立つ。
「これは我々の戦争です。騎士の力を借りる気はありません」
「黙れ! 俺は決して、お前たちの仲間じゃない。お前たちは敵なんだ。だから助けるわけじゃない。これは……俺の正義の問題だ!」
ディンは騎士剣を引き抜く。
やはり許せなかった。あの時、飲み込むより仕方がなかった。あれからずっと喉の奥に突き刺さっていた、正義と言う名の棘。
今も迷う。
「狂ったか。愚かな……殺せ」
「承知」
若さゆえの過ちなのだろう。
それでも、その青さを失ったら、此処で全部飲み込んだら、それはもう騎士じゃない。所詮騎士はただのジョブに過ぎないのかもしれない。
だけど、学校で学んだ騎士は違う。
例え理想論でしかなかったとしても、やはり看過すべきではないのだ。秩序のために、国家のために、何をしてもいいのか。
命を玩んでいいのか。
その命を使い、世界の足を引っ張ってもいいのか。
答えは――
「あー! 謎の集団がいる~! 巡回していたらたまたま目に入っちゃった~。これは職質しないといけな~い」
「は?」
その場全員が呆然とそちらへ視線を移す。
其処には部隊の撤退を任せたはずのパヌがいた。
「騎士団ですか。どういたしますか?」
「構わん。目撃者は全て始末する」
「承知」
『暗部』の一人が「殺せ」と魔獣へ命じる。それにより群れの一部がパヌの方へ向かい、駆け出した。
何をしてんだよ、とディンは叫びそうになる。
何をしてんだろ、と、
「俺もよーわからん」
パヌ自身もよくわかっていない。何せ状況が微塵もわからないのだ。ちんぷんかんぷんである。ただ、
「でも、多分あいつならこの局面は迷わない。ソロンだと正直迷うんだけどなぁ。だけど、ディン・クレンツェだから……そうだろ、リュリュ」
学園を去った親友の名と共に、パヌは笑顔で牙を剥く。
「あ、邪魔」
ふぁる。騎士剣を手の内で旋回させながら、魔獣の群れを無駄なく処理して突き進む。無駄な力を一切使わずに、軽く、柔らかく、攻撃は騎士剣の性能頼り。
くるくると手の内で遊ばせながら――
「あの剣技、パヌ・カルッセルか」
最優の学び舎、ログレスにおいて異端であった天才二人組。『天才』そのものが呼び名となったリュリュは歴代でも屈指のセンスの塊であったが、もう一人のこの男もまた常に別格の扱いを受けていた。
ログレスはあまり型に対し柔軟ではなく、どちらかと言うとログレスが素晴らしいと認めた型に、矯正していく教育方針を取っていた。
その中でくだんの二人は其処から外れることを許された存在。
世界でも有名、むしろ世界の方が有名なテュール・グレイプニルの提唱した理論、騎士剣の性能が此処まで向上した今、思い切り振り抜く必要性はない、刃筋さえ立っていればあとは何でもいい、それを元に編み出された最新型の一つ。
ターン・レイン。
それをいち早く取り入れたログレスでは異端の騎士、それがパヌ・カルッセル。栄光を約束された世代、その第四位であった男であり、現在は――
「いち抜けた」
「な、なんだあの突破力は!?」
「急所だけを、的確に」
同期のアスラクよりも早く部隊を任されるまでになった男である。道に迷い、学び舎を去った友の分まで、その奮起が彼を飛躍させた。
「よーわからんけど……先に手を出したのはそっちだから」
パヌは魔獣の群れを易々突破し、その足で『暗部』の司令塔、リーダーと思しき相手にロックオンする。
最短を、一気に寄せる。
「頭領!」
「馬鹿が、下がれ!」
「!?」
間に入った『暗部』、その腕が刎ね飛ぶ。受けのために出した剣、それをパヌの剣はすり抜け、あり得ぬ軌道を描き剣の持ち手ごと腕を切り裂いたのだ。
従来の、手堅い受けは格好の獲物。
わからん殺しでハメて、そのまま負傷した『壁』をすり抜け、
「手足のどれか」
「舐めるな」
『暗部』の頭領と呼ばれた男と一瞬の邂逅を果たし、
「自分が何をしているのかわかっているのか?」
「わからんけど……正当防衛っす」
互いに別々の場所を浅く切ったに終わった。
(短剣二振り、退魔を捨てた完全対人特化かぁ……強いな~)
手足のどれかを落とし、無力化、もしくは弱体化を狙ったのだが、それを一手で通してくれるほど相手は甘くなかったようである。
「ったく、あいつ『ら』はいつも好き勝手して」
かつての学友であり、彼らとは幼馴染でもある。マイペースな彼ら相手にいつも苦労をさせられた記憶しかない。それにしても普段優柔不断なのに、こうと決めたら思い切りよく一直線なのは相変わらず、その姿にディンは笑みをこぼしてしまう。
そんな状況ではないはずなのに。
「どうなっても知らねえぞ!」
「あれ、どちら様? 俺、君たちのことよく知らんし」
「あ、そーいう設定ね」
一応保身の方もきちんと用意していた模様。
まあ、そんなもの吹けば飛ぶような相手ではあるのだが――
「秩序に逆らうとはどいつもこいつもクズばかり……もういい。すべてまとめて処理する。あれを出せ」
「し、しかし」
「誰が口答えしろと言った?」
「は、はい!」
命じられた『暗部』は別の者より渡された妙な意匠の槍を、そのまま地面に、つまりこの場合は凍った湖面に突き立てた。
「……?」
何が起きているのか、『暗部』連中以外は何もわからない。
わからないが――
「う~う~」
「あ、え? は、『墓守』?」
「よくない予感がするから逃げた方がいい、と彼は言っていますね」
「あ、いや、だから俺は味方じゃない、んだけど」
「う~!」
ディンの袖を引っ張り、逃げろと示す『墓守』。味方じゃないと口で言っても、どうにも彼の中ではそうなっていないみたいで――
「もう遅い」
一年の半分以上を凍れる湖面がひび割れ、砕けて、その下より何かが出てきた。
「うあ~」
「……おいおい、こんなものまで造っていたのかよ!」
巨大な大蛇。その牙より滴るは猛毒。雪や氷が、その滴る滴を帯びただけで変色し、歪な状態でどろりと消える。
鱗も明らかに普通ではない。
おそらく『トゥイーニー』同様、普通の騎士剣では通らぬのだろう。
「いち抜けたい」
「判断が遅いな、パヌ」
「ひい~」
自分が主導でやるしかない。力で何とか押し通る。力で駄目なら狙いは眼、次点は出来れば避けたいが咥内に飛び込み、内側から斬るしかないだろう。
「うっ」
「一緒に頑張ろう、と」
「な、なんだかなぁ」
自分が蒔いた種だが、敵であるファウダーの『墓守』に懐かれ、共闘する羽目になるとは。この絵面が出るところに出たら普通にユニオン騎士団は首である。
そんなファウダーに与するような騎士は自分だけだな、と彼は自嘲する。
たぶん、何処かの輝ける男は今頃くしゃみをしただろう。
「まあ、言いふらす趣味はありません。とりあえずはこの場だけ……最悪の場合うちに招待しますよ」
「悪い冗談だ」
「意外と居心地は良いんですがね」
「うっう~」
『亡霊』、『墓守』、そして死体騎士のお二方と並び立つ秩序の騎士ディン。
どうしてこうなった、と頭を抱えたくなる。
「俺も俺も」
「うっ!」
「駄目、だそうです」
「けち~」
ファウダーにしろ、この同期にしろ、どうにも緩い。それがまあ唯一の救いか、とディンは真面目な表情で奴らが呼びだした切り札と向き合う。
「無駄だ。貴様らの性能では絶対に勝てん」
「へっ。こんなもんよりずっとヤバい化け物とやり合ったこともあるんだ。この程度の相手に臆するほど、柔な騎士じゃねえ」
「そーだそーだ!」
いつの間にやらディンの一歩後ろに堂々と陣取るパヌ。長生きしそうである。
「呼び出すことは出来ますが、その、コントロールは」
「突発型ダンジョンが発生し、これが現れた。国境線にはドラゴンスレイヤーもいる。あれに処理させればいい。全ては秩序のために、だ」
「しょ、承知」
ティルが現れるまでの被害に関しては不問とする。この辺も、少し歩を進めれば人が住む場所もあるのだ。
それなのに彼らは迷わずこの手札を切った。
制御する術もないのに。
全ては秩序のため、それならば多少の人命が巻き込まれようとも――
「邪魔するぞォ」
その大蛇が、真っ二つになった。
「!?」
この場全員が驚愕する。理解の及ばぬ現象が起きたのだ。ドラゴンスケイルと同じ強度の鱗を持つ大蛇が、あっさりと両断され倒れ伏す。
誰がどう見ても絶命している。
「また湖か。まったく、この国は湖が多過ぎる。そして凍り過ぎで、寒過ぎる」
文句たらたら。
そして威風堂々、
「で、俺の敵はどいつだァ?」
寒い寒いと言いながら半裸で現れた。武器は剣一振りのみ。騎士剣を抜く右腕、右半身にびっちり刻まれたエンチャント、文様が薄く輝く。
俺がジエィ・ジンネマンだ、と言わんばかりに。
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