第334話:密入国
「クロス様、ウィリアム様という方からお通話が」
「ありがとうございます」
早朝の駅舎、あまり人気のない構内にクロスと言う男がいた。旅装束に、縦長な大荷物、長旅の途中であることが窺える。
駅員からの声を受け、彼は立ち上がり通話機を受け取る。
そして、
「おはようございます、ウィリアムさん。すいません朝早くから……ええ、ログレスの方へ向かおうと思っておりまして、はい、お約束を違える可能性があり、昨日は伝言をさせていただき、はい、はい――」
立て板に水が如く、陽気な口調でしゃべり出す。
其処に『冷徹』の面影はない。
『――仲介は――せや、合流地点、ポイントは――』
怒涛の言葉の連打。その裏では会話ではなく必要事項のみが『ウィリアム』と言う人物から伝えられていた。
侵入地点。
合流地点。
そして仲介人の存在。
全て聞き終え、
「ええ、では、埋め合わせは必ずや。お任せください。よいお土産を携えてそちらへ顔を出しますよ。ええ、はい、それでは御機嫌よう」
駅員にクロスと名乗っていた男は通話を終える。
「こちら通信料と、心ばかりのチップです」
「ご丁寧にどうも」
「それでは失礼いたします」
「良い旅を」
あとはログレス行きの列車をホームで待ち、乗り込んでゆるり列車旅から『途中下車』するだけ。ログレスへ何処まで近づくべきかは考えどころではあるが――
(祈られずともするさ、良い旅にな)
旅人に扮するクロス、クルス・リンザールは最低限の情報を握りしめ、出たとこ勝負で大国へ乗り込む。
サポートはこの入り口が最初で最後である。
○
クルスはトンネルが近づくと荷物を持ち上げて、車両の連結部へ向かう。トンネル内は魔導反応による煙が溜まりやすく、連結部などで外の空気を吸う者たちもそれぞれの車両に戻るもの。その流れが生まれる少し前に連結部へ行き、彼らを見送ってその場から人気が消えたところで――
「……」
たん、と跳躍しトンネルの天井にしゃがみ込む。突き立つはリュックに隠していた騎士剣、それを天井へ突き刺し、すぐさま魔力の伝達を切る。
それで即席の突起と成る。
その程度あれば充分、鍛え抜いた騎士ならこれで一日耐久することも楽勝だろう。無意味なので誰もそんなことしないだろうが。
列車が過ぎ去り、目撃者や不審に思う者を最小限に抑えての途中下車である。
線路から離れ、視界を切ることが可能な林に入り込み騎士っぽい服装に着替える。旅装束を捨てるのはひとえに、騎士剣を帯剣していても不審に思われぬため。あとは一応、旅人クロスの痕跡も消しておくと言う理由もある。
当然だが秩序の騎士の格好はしない。
そして着替えと騎士剣を隠すためのリュックは此処で処分する。
「……まずは国境付近まで侵入しないとな」
国と国の境目、国境は人工的に地図上で線引きせぬ限りは、大体が自然によって分けられることが多い。山や川がその代表であろう。
指定された侵入地点は山である。
クルスも指示がなければそのつもりであった。河川であれば川幅程度にしか幅のない国境線になるが、山の場合はかなり曖昧であり、空白地帯も少なくない。その分河川よりも警戒は厳重であろうが、人手を割いても広範囲な山、それに連なる森すべてを網羅することは難しい。それゆえの山である。
(……こちら側もそれなりに人を割いている、か)
今回はすでに国境近くまで列車に乗ってきたが、ログレスへ密入国をするためには当然、今いるログレスと隣り合う小国の眼からも逃れる必要がある。想定よりも多く人員が割かれており、依頼したログレスの本気度が窺える。
何があるかは知らないが、何かの価値は間違いなくまた一つ上がった。
クルスとしては好都合。
「ん、今、あそこに誰かいなかったか?」
「本当か? ……誰もいないぞ」
「気のせいだったか……あの辺隠れられる場所ないしな」
「ああ」
地図で地形は確認済み。その上目視でも地面の高低差は確認している。
(さて、あのクソ上司がクソタイムスケジュールを設定したせいで少しばかり急がないとな。さっさと抜けるか)
人の手が入っていない地面で、完全な平面などそうそうない。平面に見えても多少は高低差、凹凸は存在し、それを完全に把握していれば、平面に見える場所でもこうして視界に対し的確に伏せれば、視界を切ることは可能。
相手の人員、その動きを常に頭の中で、時折目視で確認しながら安全に、迅速に、普通ならば絶対に見つかってしまうような場所をすいすいと進む。
俯瞰と演算による未来予測、クルスにとっては得意種目であった。
あとは森に入ってしまえばもうクルス視点安全地帯でしかない。無論、それは自分よりもかなり格下の騎士が相手の場合であるが。
ユニオンの近い人材はこの程度で誤魔化すことなど出来ない。
たまにイールファスなどは――
『勘』
『……ぐぬっ』
学生時代、理不尽な手段で、完璧に偽装した御三家騎士学生による本気のかくれんぼを、遊び(一応講義)の根幹ごと破壊していたこともある。
天才はいる。悔しいが。
○
匍匐前進、人の背中にピタリと張り付くような形で気配を消し死角を歩いたり、木の上で歩哨をやり過ごしたり、傍目には大変そうに見えるがクロイツェル化した第七の皆様にとって、これぐらいは日常茶飯事。
仕舞いには――
「……ぶく、ぶく」
一旦あえて山を少しばかり登ってからの、浅い川の中を泳ぎ目的地に向かうと言う荒業も披露する。なお、現在の季節は第十一月の頭、普通の国ならちょっと寒くなってきたな、ぐらいで済むが此処は北の大国ログレスである。
鬼のように寒い。
それこそあと少ししたら川の水は凍りついてしまうほど。今でも時間帯次第では水面が凍っていることはよくあること。
そんな中を泳ぐ。その心は――泳いでくるとは思うまい。
意外性、ただそれだけである。
警戒に値する国境となる河川ならまだしも、侵入を想定するルートから少しばかり外れた川であればほぼノーマークであろう。見回りのルートに此処が含まれていようとも、人間意識の外側には弱いもの。
眼の端に捉えたとしても、その違和感は常識にかき消されてしまう。
(何事も経験しとくものだな)
真冬の遠泳、あんなもの何の役に立つんだよ、と学生時代はみんな思っていた。クルスも正直そう思っていた。少なくとも真冬である必要はない。
それは騎士に成った後もそう。
しかし今、この川を躊躇いなく泳げるのはあの地獄のおかげ。とても寒い、とてもつらい、それでも思う。
つつがなく、予定通り仕事をこなせるありがたさを。
山側からログレスへ侵入し、紆余曲折を経て今は川の中。あとは合流地点で仲介人と落ち合うのみ。最短最善、最後は川下りまで敢行してなお、時間はほぼぴったり。少しのタイムロスすら許さぬ時間割である。
やはりあの男はクズだな、とクルスはしみじみ思いながら、
(そろそろか)
川からゆっくりと陸へ上がる。大変寒い。風が吹く度に凍るんじゃないか、と思えるぐらいとてもおつらい。
でも、この厳しさは経験済みである。
ゆえに表情はけろり、自らの律する余裕がある。
騎士の鑑である。
(さて、仲介人を探すか)
クロイツェルの指定した仲介人、クルスも知らぬ相手ではない。ただ、知るのは彼の剣の腕前のみ。それも自分がミソッカスだった時代である。
実際のところ騎士としてどれだけの実力を持つのかは未知数。騎士団で積んだ経験も人による。実力を低く見積もった時、土地勘はなくとも自分から探し出さねば、と思っていた。相手に過度な期待はすべきでないと――
が、
「おいおい、わざわざ泳いで来る奴があるかよ。寒いだろ」
「……っ」
その考えは杞憂となる。
先に捕捉された。しかもクルスは声をかけられるまで気配を感じず、此処まで近接を許してしまっていたのだ。驚きもする。
「よっ、久しぶりだな、マスター・リンザール」
「……どうも、マスター・ナ」
アスガルド王立学園を卒業後、禁断の御三家横展開を経てログレス王立騎士団入りした異端の男、ティル・ナである。
「その呼ばれ方嫌いなんだよね。マグ・メルの中でも騎士向きじゃないよなぁ、一言だと格好がつかない」
「これは失礼を」
「はは、悪いのは俺の名前だろ。謝ることない」
どうやらあの頃感じた厚みは気のせいではなかった模様。そもそもアスガルドからログレス入りなどユニオンに入るよりも難しい。それを平然と果たした男が凡夫であるはずがなかった。見ればわかる。
強い。
いや、
「じゃ、人払いは済ませてあるからキャンプへゴーだ。火もあるし、着替えも用意した。ずぶ濡れの不審者くんと並んでいたら俺まで捕まってしまう」
強くなった。そう見える。
勝てない、とは思わないが――勝てると断言できる相手でもない。
「よろしくお願いします」
「しかし、あの時の芋坊主が秩序の騎士で、しかも若手のホープだろ? 世の中わからんものだな。俺も多少は強くなったんだが、俺より強く見えるぜ」
「試す時があればリベンジさせていただきます」
「こいつぅ。言うようになりやがって。あっ、対抗戦も見たぞ」
「どうも」
「エウエノルにタコ負けしてたな」
(そっちかよ!)
仲介人ティル・ナの案内でクルスはログレスへの潜入を完了した。アスガルドの、ウル・ユーダリルが構築した情報共有システム。それを使ってクロイツェルが渡りを付けたのだろう。最近は上司も部下も揃って情報を抜くだけ抜いて放置していたのに、使うべき時は使う利己的なところも彼らしさである。
「今なら勝ちますよ」
「ほんとか? 山で見た時、あいつもかなり腕を上げていたぞ」
「……何故山?」
「山友なんだよ。趣味と実益を兼ねた山登りで知り合って以来だな」
「実益?」
「フロンティアラインから南へ連なる山脈はあんまり人が寄り付かないから、結構観測されることなく放置されたダンジョンがあるんだよ。それをちまちまとな」
「休暇で、ですか?」
「そう」
(そりゃあ強くなるわな)
退魔の最前線に立つためログレスを選び、そのために大剣というあまり選ばれぬ得物を選んだ男である。その辺の意識がすでに並の騎士とは違っていた。
そして山登りで強くなったインチキ野郎の種も知った。
(今度俺も休暇で山登りしてみるか)
クルス、前向きに山登りを検討する。またアスガルドへ戻る日が遠のいた。
○
「よォし、俺も遅れ馳せながらログレスに入るとするかァ」
ファウダー『斬罪』、元ユニオン騎士団第七騎士隊隊長、ジエィ・ジンネマンは大きく伸びをして巨大な湖面の前に立つ。流れる川はまだ凍りついていないが、揺蕩う湖はすでに氷が張り、人が乗っても大丈夫な仕上がりとなっていた。
其処に彼は騎士剣を突き立て、円を描く。
氷を抜き、其処から大きく、それこそ腹のふくらみが一目見てわかるほどに息を吸い込み、入水する。クルスがログレス入りしたよりもさらに北側。加えて夜なのもあり気温は氷点下、実は水温の方が少し暖かい。
とは言え普通は寒い。とてもつらいはず。
はずなのに――
(ふはははは、寒中水泳かァ。青春時代を思い出すなァ)
平然と泳ぎ始めるあたり、やはり歴戦の猛者は違うらしい。
今回は当然密入国。先行した二人に追いつくべく、ジンネマンも張り切って、彼なりに慎重に事を進めていた。寒中水泳をするほど気遣っている。
なお、
「……」
大きな湖、ログレスとは反対側を守るその国の騎士たちは皆、実力差を把握することなく彼に突っ込み、向かい来る騎士は全て容赦なく斬り捨てられていた。多勢ならいける、その見込みの甘さが全滅に繋がった。
弱い騎士に人権はない、とは昔の騎士の合言葉。昔気質の元騎士は、かつての同業他社にはとっても厳しかった。
結果は全滅、しばらくジンネマンの存在が漏れることはなくなった。
が、力技であることに変わりはない。全滅した誰かが力の差を理解し、逃げを打てば追いかける気など、この男にはさらさらなかった。
慎重さも、その人なりのやり方があるのだな、と思う。
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