第333話:ログレスにて始まる
クルス・リンザールはその日の内に、動き始めた方がいいと判断し、住所だけ知らされていた場所に初めて訪れていた。自分の住居は隊舎の近くとしたくせに、その住居は隊舎から少し離れたところにあった。
簡素な造り、新卒だった自分と変わらぬ、下手するとそれ以下の物件である。騎士の大半は高給取りであり、ユニオン騎士団は一等国の国立騎士団とさして変わらぬとはいえ、全体で見れば給与の面でも圧倒的に上澄みである。
しかも隊長格となれば手当だけでも相当なもの。
だと言うのに、
(噂は本当だな。あの男は寝るためだけに帰る、と)
その辺の一般人と同じような場所に住んでいる。
その無駄の無さがあの男らしく、
「夜分遅く失礼いたします、クルス・リンザールです」
「安い用向きやったら殺すぞ」
トレーニング用具以外ベッドしかない室内がこの男の生き方を示していた。趣味を感じるものは何もない。
必要最低限、あとはすべて外で済ます。
「トレーニング中でしたか」
「その質問、要らんと思わん?」
「……そうですね」
半裸で上気した姿、鍛え込まれた無駄のない身体は一朝一夕で作り上げられるものではない。おそらく彼もクルス同様、それほど多くを積める骨格ではないのだ。だからこそ肉は厳選する、脂肪は必要分以外すべて削ぎ落す。
この時間に此処まで追い込む。誰にも見られずに。
それがレフ・クロイツェルである。
彼はベッドに腰かけ、自然とクルスは直立不動を強要される。何故ならこの部屋に椅子と言うものは存在せず、ベッドで横並びに腰かけるというユーモアを見せたが最後、あの男は壁に掛けてある騎士剣を引き抜き、馬鹿を切る。
それぐらいの分別はあるし、そもそも無駄な踏み込みは試みたことすらない。
この男に冗談を通じないことなど、顔つきを見れば誰でもわかるから。
「で、何の用や?」
「先ほどソフィア陛下より情報を賜りまして、そのご報告及び行動の許可を頂きたく馳せ参じた次第です」
女王の名を聞き、報告と行動、その二つにて、
「……ログレスか?」
クロイツェルは即座に辿り着く。
「ご存じでしたか」
「いや、何も知らんのと同じや。ただ、突然国境線の防衛がやたら厳重になった、その報せだけは僕にも入っとる。ジブンは何を聞いた?」
「王宮が炎上するほどの騒ぎがあった。が、それは市井に伝わらず、封殺されている。それと、その件に際しマスター・ウーゼルがログレスへ向かった、と」
「……っ」
炎上騒ぎよりもウーゼルがログレス入りした、その話に対して明らかにクロイツェルは目の色を変える。
「確かやろうな?」
「いえ、あくまでソフィア陛下からの伝聞です。その確認に自分が動けば、動きが制限される可能性を考えましたので」
「先に僕への報告を優先したわけか……ええ判断や。ようやっと駄犬から忠犬に昇格したる。光栄やで、ジブン」
「どうも」
まったく嬉しくないクロイツェル式格付け、今までコツコツ積み上げてきたが未だに人間どころか犬止まり。
業腹である。
「確認は要らん。……その炎上騒ぎ、ジブンなら何やと考える?」
「情報が足りぬので、まだ何とも」
「ボケ。駄犬に戻すで、ドグソが」
(相変わらず口悪ぃな、ドブカスが)
似たり寄ったりの罵倒合戦、なお片方は心の中。
「ファウダーのせいや。そうに決まっとる」
「その可能性はありますが、言い切れるのは何故ですか?」
「相変わらず自分の頭でもの考えられんな。そう決めつけてしまえばええねん。真偽はどうでもええ。ファウダーがログレスで動いた。それで――」
真偽はどうでもいい、それでようやくクルスは思い至る。
「ファウダー対策、すでにどの隊も犠牲者を出したりで、勝手に動いているため有耶無耶になりつつありましたが……そうか、それを盾にすれば――」
「大義名分が出来る。僕ら第七は、ファウダーを調べなあかん。キタで、抜きん出る好機や。夜行乗って秒速で去ね。事後処理は僕がやっとく」
「金にはなりませんが?」
「あほか。そんなもんより価値のあるモンがぶら下がっとるやろうが。ログレスが他国から、どの勢力からも隠したい情報。これは千金に値する。ルーティンはジブンが作った駒で回せるんやろ?」
「そう仕上げました」
「なら、もうなんも考えんでええ。ログレスの金玉引っこ抜いてこい。それをどう料理するかは僕が考える。場合によったら――」
クロイツェルは邪悪な笑みを浮かべて、
「ジブンの判断で好きにしてええよ。第七の、僕の役に立つのなら」
「……イエス・マスター」
クルスにグリーンライト、現場判断での自由裁量を与えた。クルスもまた彼と同種の笑みを浮かべた。一番欲しかったものであるから。
自分が掴んだ情報である。危うさしかない女王に媚を売り、ようやく手に入れた同期の誰よりも抜きん出た、新鮮かつ大きな山の予感がする情報。
当然、自分の躍進のために使う。
誰がこの男を、他の人間を喜ばせるために使うものか。
「最後に一つ」
「……侵入経路ですか?」
「せや。僕が朝一までに調整しといたる。この駅には確か通話機が設置されとったはずや。其処で伝えるさかい、駅で降りて待機しとれ」
「名は?」
「適当にウィリアムでええやろ」
「承知いたしました」
これで一番の難所である厳戒態勢の国境を越える手段を手に入れることが出来た。全て信じ切って失態を犯すつもりは毛頭ないが、この男の仕掛けであれば他者よりも信じられる。性格はクソだが仕事の上でこの男以上に信頼できる相手はいない。
まあ、その分、
「わかっとるやろうな?」
「……レフ・クロイツェルは安くない、でしょ?」
「それでええ」
貸しは大きくなるのだが。
ただ、
(その分だけは、貢献しますよ。その分だけはね)
貸し借り以上の利益は全部自分で総取りする。
蛇の笑みを浮かべながらクルスは蛇の住処を去る。勝つ、どんな情報でも掴み取り、ログレスを強請るぐらいの気構えで動く。
第七に来て以来、おそらく最大の山になる。相手は大国、大義は炎上騒ぎとやらがファウダーであるはず、と言う薄弱なものが一つ。それでもそれに対する特権は第七だけのもので、情報を先んじて掴んだ自分のものである。
勝つ、クルス・リンザールは野心を滾らせる。
○
夜行列車を待つ間、クルスは珍しい人物と遭遇した。
「奇遇だな、リンザール」
「……今戻りか?」
アスガルド王立騎士団所属、王女御付きのデリング・ナルヴィである。式典などで顔を合わせる機会はあったが、こうして仕事中以外に遭遇するのはかなり珍しい。デリング自体は御付きにしては珍しく、王女の意向もありよく遠征に出向いているらしいが、騎士の本分で肩を並べる機会は未だなかった。
「火急の用が出来てな。一足先にアスガルドへ戻る」
「そうか。忙しそうだな」
「貴様ほどではない。何しろ、誰とも連絡を取り合わぬほどだからな」
「……そんなつもりはないんだが」
「まあ、良くも悪くも貴様はやるべきことがある時はそちらに集中して、必要なことのみに注力するからな。それぐらい同期の皆は理解している」
「……性根を掴まれているのはやり辛いな」
「くく、諦めろ」
学生時代と変わらぬやり取り。そして一目でわかる、この男も相当積み上げている。騎士になってからわかったことであるが、有望な騎士と言うのは他国へのお披露目も兼ねて、外で働く機会も増えていく。
アスガルドで現在、一番こき使われているのはフラウであろうが、デリングも立場を考えれば相当外で経験を積んでいる。
充実した力を感じる。
「そろそろ行くよ。たまにはアスガルドにも戻って来いよ」
「ああ」
彼が乗車する予定の列車が先に来た。久方ぶりの会話、夜遅くの駅には人の姿はぽつぽつと、こうして腹を割って話せる機会は多くないだろう。
それに――
「デリング」
「なんだ?」
「いや、少し荒唐無稽なんだが、一つだけ――」
列車の車輪の音が響き渡る中、二人の騎士は言葉を交わし、
「心得た」
「……あっさりと応じるんだな」
「貴様には借りがある。個人的に興味もある。それに――」
デリングは彼にしては珍しい悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「この奇縁を面白いと思う俺もいる」
そう言って去って行った。
その背を見送り、少しした後クルスもまた旅立つ。何があるかもわからない、それでも何かはあるはずの、騎士の国ログレスへ。
○
「……『亡霊』、『墓守』が独断で動き、『斬罪』殿も面白そうだから、とログレスへ向かいました。如何いたしましょうか?」
聖域を守る聖騎士、その一角が私服にてユニオンまで訪れていた。会話の相手は、これまた何処にでもいそうな冴えない男。
ただ、その正体は、
「仲間思いだねえ。ちょっと仕掛けるには早い相手だけど仕方がないか。アグニたちも出していいよ。ログレスで遊んじゃおうか」
「マスター・ローカパーラも、ですか?」
「ログレスで遊ぶなら出し惜しみしちゃダメだよ。国崩しのつもりで行こうよ」
「……御意」
ファウダーを実質的に率いる『創者』シャハル、である。このユニオンで使い分けている顔とはまた別の、誰の記憶にも残らぬ顔つき。
「それに案外、ボクらだけじゃないかもよ」
「……?」
「さっき打合せの予定を伺いに行ったら、ふふ、懇意にしている騎士が不在でね。予定をきっちりする騎士なんだよ、それが突然ユニオンから消えた。行先は不明と来た。たぶん、末端の彼女には伝えられていないだけだろうけどさ」
「つまり」
「ユニオンも混ざってくる。はは、まさに混沌じゃないか」
「……『ヘメロス』への連絡はどうしますか?」
「しなくていい。中で変な動きをして、気取られるのは面倒だ。お好きにどうぞ、だ。まあ、鉄火場はこなれた年長者に任せるといい」
「御意」
ファウダーのせい、それは的外れではなかった。組織全体の意思ではなかったが、其処は烏合の衆を自認する集団、独断専行を咎める気もない。
それに対し、救いの手を伸ばそうとする者たちも好きにすればいい。
それらが織り成す混沌に、さらに混ぜっ返す気しかない道化師気取りのシャハルが面白半分で介入することもまた、自由。
「ボクは研究に勤しむよ。最近、調子が良くてね」
「さすがです」
「ボクじゃあ、ないんだよなぁ」
「……?」
ファウダーもまた裏で動き出す。と言うよりもすでに、動き出している。
○
「んもう! なんでこの私が、大先輩であり拳闘の先生でもあるミラ・メル様が、無断欠勤の不良娘のお尻を拭かなきゃいけないのよ!」
クゥラーク所属、激おこぷんぷん丸のミラは口から火を噴いていた。
その様子を見て、
「メイドちゃん今日も来てないんですね」
「みたいだなぁ」
同所属、ボッツとリカルドは心配そうに見つめていた。忙しそうにするミラへの心配は微塵もないが、自称師匠と違い気立て良し、気遣い良し、腕も立つ、唯一格好だけはこだわりなのか独特であるが可愛いから良し。
ちなみにボッツ君は好人物と思いながらも異性としての興味はなし。
異性への興味が無し。
今ではクゥラークの男性陣に絶大の人気を持つ人物が無断欠勤を重ねているのだ。その前に取得した有給はとっくに終わっている。
「まあメイドちゃんなら問題ないだろ」
「ですね。自称師匠のミラ先輩より今となっては全然強いですし」
「聞こえたわよボッツ! ちょっとスパーリングしましょうか? あんたのパンクラなんぞスタンディングの拳だけでべこべこにしてあげる」
「いいでしょう。闘技としての完成度の差、教えて差し上げます」
「あらら」
本日もクゥラークは賑やかなメンバーが和気あいあいと仕事を、
「ッラァ!」
「ふっ!」
「やれやれー!」
「ミラか、ボッツか、どっちに賭ける!?」
仕事は、あんまりしていなかった。
○
ログレス、魔導研究所地下施設。
「ご無沙汰ですねえ、実験体174988」
「……」
傷だらけのメイドの姿の女性が、女性の姿をして何かが口を開く。檻越しであっても、喰らってやる、喰らいついてやる。
その意思表示のために。
「無駄ですよ、無ゥ駄! 同じ轍は踏みませェん。この檻を、そもそもあの枷を、貴女の性能では破れない。そう設計し直しましたから」
「ぐる、る」
牙を、大きな咢を、届かず、炎も出ないが見せる。
意味はない。むしろ、眼前の自分『たち』を創った男にとって、その抵抗は被虐心を高めるものでしかなかった。
それでも――
「結局我々の手元に戻ってきた。嗚呼、所詮は獣、人間様には遥か及ばぬ劣等種。ご安心を、兄弟たちは無事ですよ。貴女があのクズどもの力を借りて脱出し、一緒に救い出そうとしたが救えなかった彼らですゥ。あ、でも――」
男は笑みを深める。
「兄は姉は、下も大半はもう全部土の下でしたァ」
「ガアアアアアアアアアア!」
ファウダー、『トゥイーニー』、そう名乗る彼女はただ怒りを込めて咆哮する。敗れ、拘束され、それでもなお怒りは消えない。
従順になる気もない。
この地獄を、破壊し尽くすまでは――
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