第332話:手に入れたいもの
一年と少し経ち、
「お待ちしておりました、ソフィア陛下」
「今回もよろしく頼みますね、マスター・リンザール」
ユニオンにて一人の騎士が一人の女王を出迎える。連盟、秩序の中心地であるこの都市では多くの国家が対等な立場で顔を突き合わせる場所として重宝されていた。今回も彼女はイリオスの女王としてアスガルドを含むいくつかの国と話し合う。
女王の滞在中、その護衛に選ばれたのは、
「お仕事は順調ですか?」
「おかげさまで」
「そう、それはよかった。私事のように嬉しいわ」
「光栄です」
第七騎士隊所属、クルス・リンザールである。郷土の誇りである騎士を指名する、それ自体には何も不自然さはない。
ただ、彼女はクルスが騎士隊内で僅かばかりの裁量を得た瞬間、イリオス出身で最も活躍する若者への支援や荒れた時代に向けてユニオン騎士団、第七騎士隊との関係強化へ向けた資金援助などの名目で、多くの私財を彼に注いでいる。
女王の即位式典への参加に始まり、公務としての外遊に際しての護衛、さらに公務ではなく私的な物見遊山にも帯同を求められるなど――
「出た出た。今時あそこまであからさまにやるかね」
「一国に肩入れし過ぎるのは秩序の騎士としてどうなのだ?」
騎士団内では白い目で見る者、苦言を呈する者も少なくない。
ただし、それ以上の結果は出している。出ている。
「ヨナタン」
「はっ」
女王の御付きから白昼堂々と手渡されるは、
「今期もよろしくお願いしますね。難しい世界情勢、それを乗り切るためにも私は女王として世界を飛び回る必要があります」
「心得ております、陛下」
クルス・リンザールと言う騎士を買う、金額が記載されている紙である。そう、これが仕事の『結果』である。
「あと、イリオスの学校でひとコマ、講義を頼めたりはしないかしら?」
「私のような若輩者で宜しければ喜んで」
「まあ、ふふ、嬉しいわ」
どの国も、どの王も、当たり前だが自国の騎士を、騎士団を重用する。それに誇りを持ち、秩序の騎士を頼るのは対処不能の状態に陥った場合がほとんど。
だからこそ珍しい。
「ヨナタンも稽古を付けてもらったら?」
「……いやぁ、その」
「しっかり手心は加えさせていただきますよ、先輩」
「……ぶぅ」
「ふふふ」
アドバイザーや助っ人に近い形ではあるが、此処まで秩序の騎士を懐に入れようとする王家は。そしてこれが不思議なことに、本来反発すべき自国の騎士団からの反発がほとんどないのだ。
新たな王、そして関係が噂されるほどに近しい騎士。
されど、
「……」
「……」
ふとした瞬間、良好な関係に冷たい空気が差すことがある。
あくまで仕事、そのスタンスをクルスが堅守し続けているから――
○
一年前、
「新女王の目玉政策、ユニオン騎士団との関係強化、それによる国内の騎士団、学校の各種改革、そのために自国の若き傑物、クルス・リンザールの助力を乞う、やと」
会議室に二人の騎士がいた。
「どう思う?」
「……施策自体は納得感があります。少し、唐突だと思いますが」
第七騎士隊副隊長、レフ・クロイツェルと同隊所属のクルス・リンザールである。
「そら納得感はあるやろ。そのための理由付けやぞ」
「……」
「大事なのはジブンがご指名ってとこや。異国の地をお散歩しとったら、偶然出会った同郷の騎士の卵、それに命救われたメルヘンカス女が何考えとるかわかるか?」
「一国の王女ですよ」
「知らんわ。僕はレフ・クロイツェルや」
(……グランドマスターでもここまで太々しくはないぞ)
そう言えば今更であるが、記憶を取り戻したクルスにとって一番衝撃であったのはソフィア王女のことではなく、その件を目の前の男が全部握り潰していたことであった。自分に功績を積ませ、自己肯定感を上げることを嫌ったために。
落として、堕として、墜として、自分の手駒とするために――
「で、やるべきことわかっとるんか?」
「……取り込まれずに、金を巻き上げ続ける」
蛇はにやりと微笑む。
「せや、お客さんにはマメに対応せなあかん。気配り、気遣い、完璧なサービスを与えてこその騎士や。が、男女の中まで発展してもうたら、三流以下のカス」
「……」
「あくまで金や。その分だけ働く。相手も、それがわかっとるから金で来たんやろ? ほんまは気持ちが欲しいんやで。でも、それは買えん。秩序の騎士として立派に活躍しとるクルス・リンザール様はお高く留まっとるからなぁ」
「そんなつもりはありません」
「それでええねん。自分を安く売って何の意味があるんや? 価値が上がり続ける限り、ステイや。何事もやよ」
「……」
「騎士の天辺狙うんやろ? 僕を潰して……なら、寄り道しとる暇ない。全力で利用して、しゃぶり尽くせ。金や、結果や、とにかくまだ何もかんも足りんで。ジジイに、ピークアウトした身でようやっと隊長成る気か?」
「イエス・マスター」
「エクラの爺さんも随分前から隠居準備を進めとる。正直、いつでもええねん。本人もそのつもりや。でも、なんでかまだ粘っとる」
クロイツェルは机を指でトントンと叩く。
よく聞けカス、の合図である。
「これ、好機やって気づいとるか?」
「好機、ですか?」
「最近少しはマシになったと思っても、結局大局観は身につかんかったな。目先のことしか見えとらん。ええか、僕が隊長になるのはもう確定や。そして現状、副隊長になるんは誰やと思う?」
「マスター・マンハイムかと」
「当然やな。実績がちゃう。剣の実力ならそろそろジブンが勝ってもええ頃やけど、その程度の差で積み重ねはひっくり返せん。当確や。今は」
「……っ」
「精々隊長にゴマでもスッとれ。今回の追い風を生かすも殺すもジブン次第やぞ。死ぬ気で積み立てェ。一度副隊長に上がったら、簡単には下げられん。僕もマンハイムもまだまだ現役や。その意味、さすがにわかるやろ」
「はい」
「以上や。去ね」
「イエス・マスター」
アントンが副隊長になれば第七は鉄壁の布陣となる。飴と鞭も備えた攻守に隙の無い上司。それはつまり、クルスの上がり目が消えることを意味していた。
出世とは結局、どれだけ功績を打ち立てても席が空かねば意味がない。
それはもう時の運、巡り会わせが大きな要因となる。
「お、話し合いは終わったのか?」
「はい」
「じゃ、こっちも話して来るとするかな」
「……」
アントン・マンハイム、レフ・クロイツェルが駆け上がる前は副隊長当確と言われていた男である。そう、クルスが学生になる前から、今会議室へ向かった人物は副隊長になる全てを満たしていた。今も満たしている。
彼がその座にハマれば、しばらく空くことはない。無論、第三などのように副隊長二枚体制もあり得るが、どうしても副隊長同士の序列はある。正式な副隊長に認められるかもわからない。二枚目はどうしてもその辺、辛くなるから。
ならば――
(どう、引き摺り下ろすか、か)
如何にしてクルス・リンザールは勝つか。なるほど、それを思えば今回の件は扱いに難があるとはいえ、間違いなく追い風である。
出すしかない、結果を、数字を。
やることが、方針が決まり頭がクリアになる。こうなればこの男、迷わないし強い。しかも切れる。
そんな様子を尻目に、
「副隊長」
「なんや?」
今度はアントンがクロイツェルと向かい合う。
「今、声をかけた時、ちらっと零れていたよ、敵意が」
「……ちっ。まだ温くて甘いわ。最近のガキは」
「そのセリフは老害だな。で、これで一応、準備は整ったわけか」
「せやな」
「こっちもいつでも退く準備は出来ているんだがなぁ」
「アホか。今、ジブンが退いても、他の隊からスライドされるだけや。全てはあのカスの頑張り次第、どんと構えとれ。僕としてはどっちでもええ」
「よく言うよ」
「で?」
そんなつまらん雑談しに来たわけじゃないんだろ、とクロイツェルが真意を催促する。無駄な会話を彼は好まないのだ。
「第十二騎士隊、魔道研究所設立時の議事録だ」
アントンは懐から一枚の紙を取り出す。
「……写しか」
「これでも結構大変だったんだ。何せ相手は天下のアルテアン、しかもファウダー絡みで綱渡り中、厳戒態勢だぞ」
「でも」
「ああ、当たりだ」
「端から魔族化、その先にある人化、その人為的コントロールを研究するための施設で……当然この男も知っとったわけや」
「……マスター・ウーゼル」
内容はアルテアンの大旦那、そしてウーゼルとの会議でのやり取りであった。かつての会議で、事後承認をしたとウーゼルは言っていた。レオポルドもそうであると認識していたが、それより前に裏で結んでいた可能性。
それがこの議事録から伝わる。
「おもろなってきたやんけ。純血のソル族、年齢による劣化はまだ期待できんかった。ほんでも、醜聞で引きずり降ろせば席は空く」
「この局面でそれをやれば、それこそアルテアンの思うつぼ、秩序が揺らぐぞ」
「だから?」
「……ったく、何処までも自己中心的な奴だな」
「僕が天辺取れるんなら何でもええ。ただ、トップ引き摺り下ろしても、素晴らしい代わりがおったら意味ないわなァ」
「レオポルド・ゴエティア」
「それだけやないけどな。ま、全部引きずり降ろせば、僕の天下や」
「地獄かな?」
「上等やろ。攻めるで」
「……イエス・マスター」
ユニオンも含め、どの陣営もまだ隠している手札がある。それらを知り、これから先の混迷の時代を上手く捌き切る。
多くの奇跡を成して初めて頂点への道が拓けるのだ。
クルスも含め、全てはそのための手札である。
○
「お、お先に失礼します」
「ええ、どうぞ」
笑顔で目配せからの御付き退出ムーブ。これで部屋には外側から入り口を固める騎士を除けば、女王と騎士の二人きりである。
「自分もそろそろ」
「あら、そう。残念。でも、最後に寝酒を一杯、注いでくださる?」
「御意」
クルスは巧みな手つきで女王のグラスに酒を注ぐ。こういう技能も騎士にとって必須。しっかり学校で習っている。
「耳を」
「はっ」
何をされるのかわからない分怖い。あの大人しく、朗らかな少女は何処に消えたのか、姿かたちだけそのままに中身が入れ替わったかのように思える。
そんなことを思いながらクルスは彼女の口元に耳を近づける。
「先日、ログレスでひと悶着あったそうですよ」
「……?」
「一時は王宮が炎上するほどの騒ぎに……でも、不思議と市井にそんな話で回っていませんね。ふふ、不思議不思議」
「……その情報をどこで?」
「王様も井戸端会議をしますし、噂話が大好きなの。ああ、もう一つ。それに伴ってある大物が、ログレスにお忍びで向かったそうよ」
「……どなたが?」
「マスター・ウーゼル」
「……今、秩序の塔を空けている、と?」
「確認してくる?」
「……いえ」
第一騎士隊は普段、長年彼に付き従う副隊長が指揮を執っている。彼さえ不在を確認していれば、実務に関しては問題ないはず。
ただ、そもそも秩序の塔をグランドマスターが独断で空けていること自体がかなりの大事である。少なくともクルスは知らされていない。
何故、とクルスはそのまま考え込む。考え込んでしまった。
「隙あり」
はむ、とほんの少し考えこみ意識を飛ばしていたクルスの耳を、ソフィアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら優しくかみつく。
「……ッ⁉」
その感触に、クルスは飛び退きたくなる想いをぐっとこらえる。反射で怪我でもさせたら大事件、自分の首では済まない。
女王は少しの間、騎士の耳を満喫し、
「駄目じゃない。隙を見せたら……食べちゃった」
「……お戯れを」
妖艶な笑みを浮かべ、クルスを見つめる。イールファナ、アマルティア、それにミラ、此処にフレイヤを並べていいのかはクルスとしては確認を取ったことがないので判断に困るところだが、今まで彼女らに向けられた好意とは間違いなく湿度が違う。強力な味方、追い風であるが同時に毒にもなり得る。
「私、役に立つようになったでしょう?」
「……失礼いたします」
「ふふふ」
クルスは一礼し、努めて平静に部屋から退出する。
それを見送りながら、
「相変わらず冷たい人。でも、大丈夫」
ソフィア・イル・イリオスは少し空虚な、それでも笑みを浮かべた。
「そんなあなたに適合したから。役立つ限り、あなたは私を無碍に出来ない」
唯一にして絶対に手に入らないもの、それを出来るだけ近くに置く。そのために彼女は欲しくもない王権を父から受け継いだのだ。
ただ、それだけのために――
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