第326話:突き放しても、消えぬもの
(……ちっ)
人目のつかぬ場所で音を出さぬよう戦う難しさはあるが、其処は二人とも若手トップの騎士である。音もなく相手を殺す気で打ち合う。
それは問題ない。
実際今、クルスは上手くハメたつもりであった。ソロン・グローリーの慢心、傲慢に付け込んだカウンターまでの道筋。かすかに、香るように、彼のような使い手にのみ伝わるほどの、僅かな機微。
それを出せば彼は食いついてくる。飛び込んでも自分なら勝てる、攻略できる、その自負を、自信を、そのまま罠として張った。
それなのにソロンは剣を引き、間合いを取った。
彼らしくない。
「……怖い怖い」
(……どうなっている?)
完全に過ぎ去った、そう思うほど舐めていたわけではない。それでも、クルスの中ではイールファスと同列、僅かながら抜きん出ている感覚があった。むしろ今はノアの方が怖い、そう思っていたのに――
(クソ……すぐに、片が付かない)
怯え、怖れ、影の無さがソロン・グローリーの輝きであった。それをかつてのクルスは羨ましいと思っていた。影ばかりの自分に、卑屈な自分にない者が其処に見えたから。だが、場数を踏んで思う。
その輝きは彼の足りなさ、弱さであったのだと。
押し引きのバランスこそが実戦の妙。そのバランスが輝きのせいで押しに傾き、その僅かな解れを突けば勝てる。
完全に言語化していたわけではないが、感覚的に今のクルスはそう思っていた。
早々に片を付け、研究所へ向かう。
その目算が、
「邪魔を、するな」
「君が俺を放置するのが悪い。久しぶりの手合わせ、俺は今楽しんでいるよ」
「後日、いくらでもやってやる。だから――」
「でも、殺す気のクルス・リンザールは今だけだろ?」
「クソカスがァ」
完全に崩れ去った。ソロンは変わった。輝きの中に影が出来、陰影が彼の剣を立体とする。より、完全なものへと近づいていた。
早々に片付けられるか、と言うよりも――
(勝てるか? もしもの時に、戦える状態で)
五体満足で勝利できるか、その懸念が浮かび始める。
○
レイルは不愉快極まる想いであった。自身が危険な状態であるにもかかわらず、ノコノコとユニオンへ出てくる呑気さは島国アスガルドの思考。苛立つ部分はあったが彼女の研究自体は児戯同然、どの陣営も積み重ねを隠している分野ゆえ、独力では限界がある、それが如実に表れていた。
表側の遊び道具(研究)を土産に追い返す。
出てくるな、という忠告を添えて――これで邪魔者を削り、気分爽快。
万事まるっと収まっていたのだ。
目の前の間抜けが、何を勘違いしたか踏み込んでくるまでは――
「ボクを知る、ね。いいよ、何でも聞き給え。どうせ最後の機会だ」
レイルは銃口をイールファナに向けながら好きにしろ、と促す。自分の存在を知った。そんな人物をのこのこと逃がすわけにはいかない。
だって今、この状況は束の間の、理想的なものなのだ。知的好奇心を満たしつつ、お気に入りの玩具が手近にある。
これほどの愉悦はない。
だと言うのに、
「その姿は、なに?」
「見ての通りだよ。魔族化だ。ボクは自分にもそれを施した。これでボクは任意に性を得ることも、姿かたちを変えることも出来る。便利だろう?」
「能力、選べるの?」
「はは、其処まで便利じゃないさ。能力は、そうだね……仮説、だが――」
自分が望んだ力。それが口をつきそうになり、レイルはそれを飲み込む。イールファナは相変わらずアホ面で、小首を傾げながらこちらの言葉を待っていた。
変化、変身願望。
それはレイルにとって、そして目の前の彼女にとって――
「ランダムさ。ボクは望みの力を引けたがね」
「さすがに悪運が強い」
「もう死ぬかい?」
「もうちょっと、質問したい」
「……」
気安い。それがレイルの苛立ちを強める。
「何故、ファウダーに協力するの?」
「知的好奇心を満たせる最高の環境だからさ。禁忌ってのは厄介でね。表舞台じゃ深淵の底まで手を伸ばすことは出来ない。でも、望む者が多かったから、ボクはこうして大手を振り、研究に勤しむことが出来るわけだ」
「望む者?」
「ユニオン、アルテアン、他にも色々。逆に望まぬ者を教えよう、ログレスだ。それで君の疑問、最初の一つが解けたはず」
「……騎士の国」
北の大国、ログレス。騎士の国としてフロンティアラインを守り、それを含めて最も多くダンジョンが発生し続ける土地を、他国に代わり守っている。
そう、
「主要産業は騎士。人類の盾として立ち、他国から受ける援助……さて、それを受け続けるためには何が必要でしょうか?」
騎士の国が成り立つには、
「……ウトガルド」
敵(ウトガルド)が存在していなければ困るのだ。人類の脅威として、その問題が解決しては、彼らは実り少なき大地に残される。
そんな簡単な図式、それでも――
「でも、ユニオンは堂々とやっている」
「軋轢はあるよ。少し前はボクを排除しようと、散々圧力をかけてきていたし、ファウダーの件を除いたとして、果たしてボクがボクとして在席できていたのはいつまでだったろうね。ま、今の雲隠れは彼ら対策でもあるのさ」
其処までやるのか、とイールファナは身震いする。確かに魔族の研究は千年も戦っている相手だと言うのに、遅々として進んでいなかった。そもそも何故禁忌であったのか。クルスの言っていた理由も、もちろんあるのだろう。
罪の意識、罪の所在を隠すために――
だが、思えば魔族そのものの掘り下げまで封じる必要はなかったはず。
勝利したいのなら、そうすべきであった。
「……ログレス、だけ?」
「まさか。代表ってだけさ。今の秩序はウトガルドと言う敵がいる前提で構築されている。ダンジョンが発生し、その危険から人々を守る。そのための国であり、そのための騎士、そしてそのための……税ってね」
「……だから、魔道の研究は禁忌」
「そ。アスガルドも元々はそちら寄りだったはずだけど、まあ英雄ウル・ユーダリルが健在である限り、曲がった正義は許容させないだろうね。其処は素晴らしい。それに君やリンド・バルデルスの存在も大きい。新たな産業で戦う牙がある」
だけど、ログレスにリンドやイールファナはいない。
「君は甘やかされているね。本来、この程度のこと教えておくべきだろうに。自衛のためにもさ。それを聞いたら外出し辛いだろう? 魔道の研究に手を出したのは大きな刺激ではあったけど、そもそも君は国家にとって今の時代、騎士なんかよりもよほど重要な牙だ。それを放任主義と言うか、好き勝手移動させて……拉致される危険だって少なくなかろうに。これだから島国は緩くてダメなんだよ」
魔道の研究、すでに名を馳せた天才が禁忌に触れたから界隈がざわついたものの、そもそも彼女が自由に動き回ること自体がリスクだとレイルは言う。
其処にも苛立ちが見えた。
「……」
その貌を、イールファナはじっと見つめる。
「なんだい? 質問は以上?」
「ううん。違う。まだある」
「欲張りだねえ、君は。冥土の土産なんて沢山抱えても仕方ないだろうに」
「禁忌としている魔道の研究をログレスがするのは何故? そして、秩序の騎士であり、彼らと同じ理屈を持つはずのユニオンが研究に精を出すのは、何故?」
二つの質問。それに対しレイルは少し迷う。
片方は良い。もう片方は、さて、何処まで言うべきか、と。
「……ログレスは二つの相反する、矛盾した理由がある。一つは単純に騎士の損耗を抑えるためだ。どの国の騎士よりも場数が多く、あまり死なれ過ぎると育成が追い付かなくなる。それでは本末転倒、ゆえに魔族の性能は深く知る必要がある。門外不出の、ログレスだけの情報であるのなら、それでいい」
最優の騎士団、連携や陣形など彼らは長らく秘密主義であった。ログレスだけのメソッド、それゆえに彼らは頭一つ抜けた集団であったのだ。
今は他国の騎士たちの尽力もあり、それほど大きな差はなくなってしまったが。
「もう一つは……答えを封じるためにも、先んじて答えに辿り着く必要があったから。わかるだろう? 知らなきゃ、何を潰せばいいのかわからない」
「……そう、か」
魔族の研究、それを潰すためにも先んじる必要があった。実際、率先して禁忌と言うルールを作る傍ら、彼らだけは裏で研究を続けていたのだ。
北の大国という立地をも利用して――
「ログレスの研究がボクより先んじているとは思わない。結局さ、世の中何事も天才が切り拓き、凡夫が道を整理する。その構図は変わらないからね。残念ながらログレスにボクはいなかった。でも、それはそれとして気になるだろう?」
「……別の視点があるかもしれない」
「その通り。君らしくなく察しが良い」
「私も、自分の分野は一端の研究者」
「はは、ボクが少し本気を出しただけで追いつけてしまう歩みの遅さでよく言う」
「……ライラ・イミタシオンも?」
「まあね。気づかなかった?」
「うん。どれも新規性がなくて、小手先のものばかりだったから、びっくりした」
「……もう撃っていいかい?」
この女、人が善意で時間を与えていると言うのに、それに胡坐をかいて煽ってくるとは性根から舐め腐っている。
一発眉間に撃ち込み、立場を理解させてやるのも一興であろう。
「最後にひとつ聞きたい」
「ようやくか。さ、人生最後の問いだ。お好きにどうぞ」
レイルは笑みを浮かべ、哀れなる少女へ促す。ルナ族に似つかわしくない白い肌、遺伝子のエラーを持つ彼女を見つめて――
「どうして私を守ってくれたの?」
そんな中、イールファナは最後にして『最初』の問いを、投じた。
その瞬間、
「は?」
レイルの笑みが固まる。予想外の、考えてもいなかった問い。
「ボクが、君を? 何の話をしている?」
「最初。あなたが守ってくれなかったら私は殺されていた」
「それこそ最初に言っただろう? 君たち双子を調べてみたかっただけさ。知的好奇心がそうさせた。まさか、これで終わり?」
苛立ちが高まる。
「たかが人間の性能を調べるだけで、レイル・イスティナーイーがあんなに時間をかける必要はない。適性なんて最初の時点でほぼ判明していた。わざわざ手間をかけて、知識を与えて、そんなことする必要が何処にあったの?」
「……別に、ただの、気まぐれさ。実際、ボクは飽きて君たちを捨てただろう? 飽きて要らなくなったからね。用済みで、ぽい。それでおしまい」
「アスガルドは私たちにとって楽園だった」
イールファナはその眼を向ける。
「選んでくれたのは、あなた」
ギリ、レイルは脳裏に浮かぶその記憶を、噛み潰すかのように歯噛みする。あの時と同じ眼。期待している。縋っている。寄りにもよってこの自分に。己こそが至上、エゴイストの自分に、何故勘違いする。愚かで、哀れなエラーを持つ者が。
『おかあさん』
自分と、同じ――
「あなたが育ててくれたおかげで、学校の勉強では一度も躓かなかった。運動は苦手だったけど、魔法科だから成績にはあんまり関係ない」
「……れ」
「あの日々があったから、私は――」
「黙れッ!」
レイルは躊躇なく引き金を引いた。
ずどん、と大きな音が響く。イールファナは硬直し、身動きが取れない。自分の少し横、座っていた椅子の一部が吹き飛んでいた。
「君はボクを嫌っていたはずだ。違うかい?」
「違わない」
「あの年代には相当きつかったはずだ。ボクの知的好奇心を満たすため、随分負荷をかけたからね。その上、君の大事なものを奪った。憎いと思っただろう?」
「うん」
「なら!」
「でも、嫌いと好きは、たぶん、相反しないと思う」
「……っ」
「それに、辛かった、苦しかった。でも、その中に、楽しかったも、あった。そう思っていたことを思い出すのに、随分時間がかかったけれど」
得意げに知識を披露するレイル。それを呆けた顔で聞くイールファナ。外で一人頑張るイールファスには申し訳なくて今まで言えなかったけれど――
「あなたのことは嫌い。大嫌い。でも、同時に、私にとってあなたは私を守ってくれた人で、育ててくれた人で、先生でもあるから」
あの時間、幸せを感じていた時もあったのだ。
ほんのひと時、白昼夢のような時間であっても――
「……君じゃない。本当に欲しかったのは、そう、イールファスの方だ。あれはいい。心の形がボクに似ている。ボクとは別方向に、性能も高い。利用価値が――」
「なら、放っておけばよかっただけ。双子じゃなくなれば、要らない方を削れば、もう片方を削る必要はない。だって双子であること以外、イールファスは正常だから。殺されていたのは、たぶん、私だけ」
(馬鹿か、ボクは、クソみたいな、クソ浅い、取ってつけたセリフを吐いて、この愚鈍な小娘に、隙を見せただけ。ふざけるなよ、ボクは、ボクは――)
哀れな双子がさらし者になっていた。
親を失い、どん底の幼子二人。どうでもいい、心底どうでもいい。他人のことなんて気にしない。自分だけが大事なのだ。
己のためだけに生きる。
玩具を集めるのも自分、玩具を捨てるのも自分、全ては――
「どうしてあの時、守ってくれたの?」
再びの問い。
レイルは顔を歪め、髪を掻き毟りながら、
「……同情だ。これでいいか」
嘘ではない、答えを吐き出した。
「うん。ありがとう。質問は、これで終わり」
それを聞き、イールファナはすっと目を閉じる。思う存分質問をした。思う存分向き合った。だから、あとは好きにしろ、と。
レイルに自らを委ねた。
再び、レイルは彼女の生殺与奪を握る。あの聖域で、気まぐれに手に入れた玩具。断じてあの白いエラーに、自分を重ねたわけじゃない。ただの気まぐれ、ただ玩具で遊んでいるだけ。ほら、こうして弄ると意外と楽しい。
頬を引っ張り、ぷにぷにして遊ぶ。
『君はアホ面だねえ』
そう、遊び。
『やめてよぉ』
『ボクに逆らうとは生意気な。罰は脇だね、脇』
『あはは、やめてよ、おかあさん』
『……あれ?』
遊びであった、はずなのに――
不愉快である。業腹である。断じて、断じて、認めてなどやるものか。
だから、
「むぎゅ!?」
「相変わらず不細工だね。君は」
レイルはいつもの飄々とした表情で、目を瞑るイールファナの頬を引っ張った。あの時とは感触が違う。大人になったのだろう。
別に、これも気まぐれ。ただ、以前に捨てた玩具の状態が少し気になっただけ。
それだけのこと。
「い、いだい」
「撃たれるよりマシだろう? 言っとくけど、こんな見た目だけど殺傷力は本物だよ。ボクの護身用だからね、君の言う小手先のものとはわけが違う」
「根に、持ち過ぎ」
「煩いなぁ」
どさり、と力なくレイルは対面の椅子に今一度座った。
「ボクからも一ついいかい?」
「どうぞ」
「情一本で、ボクと交渉するつもりだった?」
「それしか今、手札がないから」
「……今すぐに捻り潰したいよ。今ほど後悔したことはないね。あの時、つまらぬ気を起こしたことを……で、本題は? まあ、わかっているけどさ」
イールファナは真っすぐにレイルを見据え、
「私一人じゃ限界がある。だから、研究に参加させてほしい」
この研究所にレイルがいると気づいた時、話していて自分の研究領域があまりにも浅く、児戯だと気づいた時、この選択肢しか見えなくなっていた。
「何がために?」
「……力になりたい人がいる」
誰か、など問うまでもない。デルデゥとして研究所で出会うより前、あの駅での邂逅の時点で、何となく理解していたから。
「この件、君が思っているよりも入り組んでいるよ、ずっと」
「うん。でも、その人はとてもシンプルな頭だから」
「へえ。そのおバカさんの考えを是非聞きたいね」
「不公平が嫌い。きっちりしないと気持ち悪い。だから、正す」
「……なるほど」
秩序がどうこう、アルテアンの思惑がどうこう、主導権争いがどうこう、全部関係がない。ただ、きっちりしたい。だから、元通りを目指す。
馬鹿の考えである。
「私からも一つ」
「さっき最後って言っただろう?」
「冷静になったら、朧気に浮かんできた」
「なんだい?」
「音、大丈夫?」
「……こっちは銃を撃つつもりだったんだから、防音に決まっているだろう? 本当に察しが悪い。それでよく研究者が務まるね」
「む。どうせ撃てなかった」
「撃ったさ」
「撃たずに、煙に巻いていた。たぶん、その魔道の力で私の姿かたちを変えて、イールファナ・エリュシオン『は』死んだ。と見た」
「……」
「正解?」
「相手の姿かたちを変えられるとは限らないだろ?」
「変えられないの?」
「さあね」
最悪だ、本当にクソみたいなことになった。
「あと一つ」
「ふざけるな、いい加減にしろ」
「さっきの質問、よく考えたら一個しか答えてもらってない」
「……これから説明するさ。嫌ってほどね」
ただ、研究にとっては悪くない。自分がもう一人増えるようなもの。しかも、自分とは異なる道を歩んだ――自分である。
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