第325話:逃げ場、無し

「まあ、御覧の通り主な研究対象は、騎士の皆さまが捕獲してくださった魔族ですねえ。解剖し、各器官をくまなく調べていく。これが基本です」

 イールファナ、そしてクルスも眉をひそめてしまうような光景。イールファナはともかく、現場に出ているクルスはもっと凄惨な光景も見てきている。戦いの痕はもっと乱雑で、この景色のように綺麗に、理路整然となっていない。

 だからこそ、

(……妙に気持ち悪いんだろうな)

 人の手で切り分けられ、丁寧に並べられた景色が受け付けないのだろう。戦った相手ではなく、戦った結果でもなく、全ては真理の探究のために。

 騎士の見方、感覚、もっと言えばこれは偏向(バイアス)なのだとクルスは思う。それはこれだけ有名な研究所であるにもかかわらず、普段あまり騎士が寄り付かない、それこそ第十二騎士隊すら寄ってこないのが証左。

 まあ、さらに言えばクルスは魔族がどういう経緯で、どういう存在が変異したものか詳細でなくとも知っている。

 生理的嫌悪感を覚えても仕方がない。

「あの数値は何ですか? 見慣れない単位ですので」

「ああ、便宜上設定した当研究所の単位ですからねえ、あれは。dv、魔族と他の生物の最大の違いである魔障、その量ですよ」

「魔障の」

「あれを身体に持つかどうか、それが魔族の定義です。無論、ご存じのことと思いますがね。とは言え、あれを測定できるようになったのは随分と最近の話ですが。まるで畑違いの、魔導研究の過程で生み出された失敗作の」

「騎士剣」

「さすが……まあ有名な話ですが」

(俺は知らんのだが?)

 クルス、一人置いてけぼりとなる。とにかくこの二人、互いに分かればいい、伝わればいい、と言う感じで会話が進行していく。

 今のなどクルスが疑問を浮かべられる分優しいもの。

 さっきは疑問符を浮かべる暇すらなかった。

 ちなみにこの『騎士剣』は、とある研究所が対魔族用として、彼らの魔力を転用し騎士剣の出力向上を狙った魔力吸収剣、なるものが開発されたのだが、あまりにも非効率過ぎて各界から学者は賢いが馬鹿、と嘲笑された。

 が、当時すでにこの研究所の所長として魔道研究に精を出していたレオポルド・ゴエティアがその機能の一部に着目し、それをブラッシュアップした結果魔障を正しく観測することが出来た。さらに現在では数値化にまで至る。

 という言葉を騎士剣、だけで表す。

「……」

 そりゃあ畑違いの騎士、置いてけぼりになっても仕方がない。いくら魔導の成績がよくとも、それはあくまで騎士科での話。

 専門家の前では、あちらが降りてきてくれぬ限り会話すら成り立たない。

 前提とする知識量に差が大き過ぎるから。

「数値のリストは? 各臓器の」

「見たいですか?」

「はい」

「欲しがりサンですねえ。では、お見せしましょう。あ、所長には内緒ですよぉ」

「どうも」

 意気投合する二人の背中を、

「……所詮は騎士、だな」

 クルスはため息をつきながら追いかける。


     ○


「生ものは苦手、と聞いていたが……大丈夫そうだな」

 研究所での見学を終え、ほど近い場所のベンチに座るイールファナへ、クルスが飲み物を買ってきてやる。

 昔話を聞いた時、あまり得意ではないと聞いていたから。

 の割に、随分ケロッとしていたが。

「ありがとう。大丈夫、今はそっちの研究もしているから」

「はは、あまり本業に支障をきたすなよ。あれは学生時代の戯言だ。仕事に触れてわかった。寄り道するほど甘くないってな」

 自分の荒唐無稽な話、それを受け止めてくれただけで充分。ただでさえ多忙な身で、生もの、生体研究の方に手を出すのは難しかろう。

「私は、戯言にする気はない」

「……そう、真っすぐに言われると、きついな」

 仕事に追われ、予算に追われ、数字を追いかけ駆けずり回り、あの日浮かべていた方向性とは随分ズレてきたような気がする。仕事は出来るようになった。結果も出している。剣の腕も、自画自賛になるが向上している。

 でも、今なお道は見えない。

 見える気配すらなく、むしろ遠ざかっているような気すらしていた。

 彼女の真っすぐな眼を見て、そう思う。

「安心して。趣味だから。たぶん、あっちも私がどれだけ深く研究しているのか、それを会話から、持っている知識から読み解こうとしていたと思う」

「……あの研究者、やはり馬鹿ではないんだな」

「たぶん」

 自分の目利き、その温さにクルスは辟易する。第一印象は人にとってとても重要なことであるが、だからこそ逆に利用することも出来る。

 下手に、愚かに、そう見せることで隙を作る。

 まんまと術中にハメられていたのだ、クルスは初手から。

 ただ、

「ファナと並んで会話していたのは上手くなかったな。君とまともに会話できるだけで、相当な人物だと言うことは読み取れる」

「どういう意味?」

「……君は頭がすこぶるいい、と言う意味だ」

「ふぅん」

 イールファナとの流暢な会話、澱みなく、聞き返すなどの二度手間もない、あの流れを見て、クルスはデルデゥが無能の皮を被った者だと見抜いた。

 ハメた意味が消えた、という意味ではやはり隙のある人物なのだろう。

「でも」

「でも?」

「ううん。なんでもない」

「逆に気になる言い方なんだが」

 やはり少し、イールファナの様子がおかしい。研究所で見学していた時はケロッとしていた、それどころかところどころ楽しそうにすら見えた。

 だが、研究所から出る際は少し陰って見えた。

「そう言えば、出る前に耳打ちされていたが……何か言われたのか?」

「なにも。調子に乗って見せちゃいけないところまで見せちゃったから、絶対に内緒にしてねと念を押された」

「……本当か?」

「嘘つく意味がない」

「……そうだな」

 それぐらいしかクルスには思いつかなかったが、彼女にしらばっくれられたらもうお手上げである。心配であるが――

(踏み込む資格は、俺にはない)

 自分の仕事を、騎士の道を捨てて彼女を支える。守り続けてやることなどクルスには出来ない。いや、出来ない、は言い訳である。

 しない、のだ。

「クルスは今から仕事?」

「ああ」

「なら、私はもう少し休憩してから、アスガルドに戻る」

「そうか。今度は俺から行くよ」

「仕事以外で?」

「そのつもりだ」

「たぶん、来ないと思う」

「……行っちゃまずいのか?」

「来てくれたら嬉しい。でも来ない。何故なら、貴方はクルス・リンザールだから」

「……?」

「常に前進、前だけを見ている。アスガルドは思い出、貴方にとっては過ぎ去ったもの。むしろ、それを貴方が求めた時の方が、私は心配」

「ふん、休暇を取って意地でも行ってやる」

「ふふ、無理しないで」

 自分が薄情だと言われた気がしたクルスは憤慨しつつ立ち上がる。とは言え、冷静になれば手紙の一つすら送っていないのだから、客観的事実としてあいつ薄情な野郎だな、と同期から思われているのは事実であった。

 クルスもちょっぴり思う節はあった。

 なので、

「長期休暇を勝ち取るために、ちょっと上司殺してくるわ」

 休暇のために、最大の敵をぶっ潰す。そのために仕事へ戻る、とクルスは言った。

「物騒だけど、頑張って」

「ああ。見とけ、すぐ駆け上がって休暇でも何でも好き勝手してやるさ」

(……おー、びっくりするくらい駄目そう)

 駄目そうなクルスを、

「じゃ、また」

「ああ、またな」

 イールファナは見送る。笑顔で。

 そして彼の気配が消えた後、少ししてから、

「……ん」

 彼女は立ち上がり、駅とは別方向へ歩き出す。

 今一度、研究所の方へ。

『イールファナ・エリュシオンが魔道研究に携わっている事実、それがログレスを刺激しています。趣味なら今すぐ手を引き、アスガルドからあまり離れぬことをお勧めしますよ。これは忠告です、凡庸なる先輩からの、ね』

 あの時、耳打ちされた言葉。

 その真意を確かめるために。

 何よりも――

(……レイル・イスティナーイー)

 この確信を問うために。

 その姿を、

「……」

 遠く、騎士でない者の探知が及ばぬ距離で、物陰からクルスは見つめていた。賢い彼女がかすかにこぼした機微、違和感。

 やはり何かがあったのだ。

 クルスは彼女を守るため、その背を追おうとした。

 だが――


「やあ、クルス。今日はとてもいい天気だね」


 その動きを咎めるかのように、肩が力強く握られる。

 万力に挟まれたような感覚。それでいてゆとりがある。余裕が、底知れなさが伝わってくる。厄介な、とクルスは顔をしかめた。

「今忙しいんだ、ソロン。ちょっと後にしてくれないか?」

 肩を握り、動きを止めるのは第一騎士隊所属、同期のソロン・グローリーであった。その貌は相変わらず余裕に満ち満ち、普段は何とも思わないが今は腹立たしい。

 構っている暇がないのだ。

 もう過ぎ去った相手など――

「それは困る。俺は君と今、会話がしたいんだ。君がこの界隈にいるのはとても珍しい。それについていくつか、ゆっくり話そう」

「要らねえよ」

「俺には必要だ。意見が相反してしまった……なら、どうする?」

「……」

 不愉快な笑み。望みの展開だと言わんばかりに。だが、先にイールファナばかり注視し、背後をおろそかにして肩を掴まれた。

 主導権を握られたのはクルスの落ち度。

 ゆえに、

「死ね」

「ふっ、言葉が汚くなった。本当に君は、良くも悪くも影響を受けやすい」

 両者は同時に行動する。手を跳ねのけたクルスは人目のつかぬ場所へ飛び込みながら騎士剣を抜き放つ。当然、そちらへ動くと読んでいたソロンも同じよう剣を抜く。

 そして、

「「エンチャント」」

 躊躇なく当たれば必殺の剣を、二人は互いへ向けた。


     ○


「あの忠告は、警告でもあったんですがねえ……イールファナさん」

 受付で用件を述べ、通された部屋にはすでにデルデゥが背を向け、椅子に腰かけていた。その背は当然、イールファナの知らぬもの。

 されど、

「まだ何も発表していない私如きの研究で、何故ログレスが動いたのかを知らないと帰れない。そもそも、何故ログレスなのかを」

 彼女はぐるりと回り、見知らぬ男の前に立つ。

「愚問ですねえ。それ、おうちに帰って同僚に聞けばわかりますよ。貴女は少々、ご自分の名を軽視されている。天才、イールファナ・エリュシオンが自分たちのリードする分野に参入した。それだけでね、充分理由になるんですよ」

 男は歪んだ笑みを浮かべ懐から筒状のものを取り出す。

 こちらに関してはむしろ、イールファナの専門分野に近い。第十が開発した兵器、その小型化に、彼は、彼女は、すでに成功していたのだ。

 発表せず、自分の護身用として。

 それを無言で彼女に向ける。

「暗殺する理由にね」

 だが、彼女はそれが何かを理解しながら、揺らぐことなく椅子に座った。

「なら、あなたの名はどうですか? 『双聖』、レイル・イスティナーイー」

 そして、伝える。

 わかっているぞ、と。

 それを聞き、

「……困った子だねえ。本当に、前々から気に食わなかったんだよ。君のことが。ボクが珍しく親切をしてやっているのに、こうしてすぐ踏み躙るから」

 ため息を一つ吐き、デルデゥの形が彼女の眼の前で変わる。

 顔だけ、彼女のよく知る者の姿に――

「目の前にいると縊り殺したくなる。あの哀れな猫のように」

「……っ」

 レイル・イスティナーイーとイールファナ・エリュシオンが対面する。かつて聖域にて別れ、そのずっと後に『偶然』駅ですれ違った。

 あの時以来の邂逅。

 今度は、

「さあ、命と引き換え、冥途の土産に何を聞きたい?」

「あなたのことを」

「……ハァん?」

「本当に知りたかったのは、レイル・イスティナーイーのこと。私は知りたい。話したい。だから来た」

「踏み込めば死ぬと言うのに?」

「知的好奇心は何物にも勝る。……あなたの教えです」

「……」

 逃げずに、逃げさせずに向き合う。

 そう決めていたから――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る