第324話:過去現在、そして未来

 事後処理を差し込まれたおまけのはずのディンへ擦り付け、誰よりも早く帰還したイールファスの報告書を眺めながら、第十二騎士隊隊長、レオポルド・ゴエティアは苦笑する。その笑みは何処か、遠くを眺めているようで――

 それが、

「その報告書、何か変な部分はありましたか?」

 第十一騎士隊隊長であり、彼の支持者であるバレット・カズンは気になってしまった。彼に見られたことで、レオポルド、サブラグは気の緩みを自覚しさらに笑みを深めた。肉体はともかく精神的に老いたためか、どうしても過去に弱い。

「報告書は綺麗にまとまっている。おそらく、作成者はイールファスではないだろう。現地との折衝含め、全てを放り投げた相手がソツなくまとめたものだ」

「何かを隠匿するために、ですか? 確かに提出の際、そういう気配はあったのですが、負い目は見受けられなかったので見逃してしまいました」

 早とちりし、頭を下げるバレットにサブラグは何とも言えぬ表情をする。なまじ賢く、読心術も相当な域にあるため、色々先行するきらいがある。

「嘘はついているが、それは無駄な手間をかけぬため、だ。武功を偽った部分はあれど、そもそも相手が相手、剣一つであれに傷をつけた時点で、報告書にある戦士級の撃破、などとは比較にならぬ功績、と言うべきか何と言うべきか」

「観測されていたのですか?」

 バレットの咎めるような声。まあ、彼はレイル同様、自分の体の状況を理解している。魔道の行使を快く思わないのは当然であろう。

 いくら遅延しようとも、その身に魔障が巣くうことに変わりはなく、力の行使はそのまま、サブラグがサブラグである時間を削ることになるのだから。

「相手が相手と言っただろう? 最悪の時は俺が動き対処する必要があった。あのダンジョンの中身がこちらへ顕現する前に、天で無理やり接続を断ち世界を切り離す必要がな。幸い、接点は短く薄い、時間経過で消えるものだった。誤算は四人の優秀さ、良い意味でも悪い意味でも、若さが招いた危機であった」

 バレットは驚き、目を見張る。彼の知る限り最強の存在である騎士が、そもそも戦闘すると言う選択肢を端から外している。力の消耗を恐れたわけではなく、単純に及ばぬものと判断しているのだ。

 それほどの相手に、たかが騎士四人で対応できると言うのか。

 いくら優秀で、この男の眼に有望と映っていても、それは将来性の話であり、現時点では全員まとめたところで勝負にもならない。と言うよりも、将来的にも彼の敵になり得る騎士など存在しないだろう。

 それが彼の天、より多くを守り、より多くと戦うために磨いた力。

 だと言うのに――

「俺が手出ししなかった理由は主に二つ。一つはそもそも、接続時間の関係で中心的存在に辿り着くことなく途切れる、そう読んでいたから。もう一つは相手から敵意を感じなかった。こちらが一番大きい。最後の最後、彼らはほんのひと欠片のそれを引き出して見せたが、くく、若者の怖いもの知らずには恐れ入る」

「……人相手に、侵略の意図はなかった? 目覚めた個体であった、と言うことですか? マスター・サブラグと同様に」

「そもそもあの巨大な廻廊、ダンジョンはウトガルドとの接続ではない。千年前、強くミズガルズとウトガルドが繋がる前は、廻廊とはむしろ、そういう雑多な世界との接続であり、杭のあるなしも含め、遥かに多様であった」

「そう、なのですか?」

「俺たちの一族は、先祖が見つけた漂着物であるレメゲトンから代々名を取っているし、流れ着いた書を聖典とした国もあれば、そもそも漂着した民がそのまま居つき、国を興したケースもある。神官の中には漂着物を専門とした翻訳家もいた。神術で文字ではなく、其処に在る意思や意図を読み取る者たちだ」

 歴史語りに饒舌となるサブラグを見て、バレットは苦笑する。過去を語る時だけ、彼はこうして穏やかな眼となるのだ。

 ほんの少し、過ぎ去りし時に思いを馳せる。

 その僅かな時間だけは。

「一度見てみたいものです。栄えていた頃のウトガルドを」

「……正直、俺も知らぬのだがな。戦争ばかりで、平和な時間など少ししかなかった。それとて決して、一枚の岩であったわけではない。卿らの先祖のように千年を語り継ぐことも出来ず、途絶えたもののなんと多いことよ」

「……」

 あの日々が万民にとって幸せであった。そう思い描くほどサブラグは耄碌していない。自らの王、その苦悩の日々を彼らは隣で見つめ続けていたのだ。

 様々な文化が入り乱れる烏合の衆、それを一つに束ねる難しさたるや――その過程でどれだけ多くの血や、文化、歴史が消失したことか。

 自分たちもまたその一端である。

「もしかするとかつて、ミズガルズも我々ウトガルドと同じように、漂着物により文明を、文化を興した可能性もあるぞ」

 少し重くなった空気を、サブラグ自らが入れ替える。

「何ゆえですか?」

 伝わったのでバレットもそれに乗る。

「千年前は言葉も文字もまるで異なるものだと思っていたが、よくよく調べると相似する点も少なくない。方言とするにはさすがに隔絶し過ぎているが、無関係の言語とは思えぬような気がしてな。案外、我々の間には隣り合う世界があったのかもしれんぞ。まあ、天の力を持つ俺とて知り得ぬ大きな流れの話だが」

 あくまでサブラグの推測でしかない。千年前、それ以前の歴史はミズガルズでも途絶えた。魔族の出現、その責を負わぬため故意に隠ぺいした者もいれば、サブラグらの反抗作戦時に途切れたものもあるかもしれない。

 神術を使わずしてなお、精強であったこと、戦えてしまったことがある種、どちらの世界にとっても不幸であった、そういう可能性もある。

「……老人は少し昔語りが多くなってしまうな。話を戻そう」

 面白い話だったのに、とバレットは少しもったいなく思う。なかなか彼がこうして過去のことを話す機会などない。よほど覗いていた戦いが面白かったのだろう。

 それとも、何か重なるものがあったのか――

「今回は厳密にミズガルズの敵ではなかった。当然、調べるまでもなく魔族ではない。提出された石くれに関しては、俺が処理しておこう。魔族の、魔障の研究に無駄な混乱を引き起こす意味もない。あれが何者であったか、どういう世界であったのか、興味はあるが、我々には時間がないからな。寄り道をしている時間など」

「そうですね。承知いたしました」

 報告書は問題なし。彼らの芝居に付き合う方がスムーズである。

 今のミズガルズ視点では相当希少な体験であっただろう。提出された石くれも、よく調べると大きな発見があるかもしれない。

 それこそ漂着物を拾い、文明を育んだかつての世界のように。

 だが、それは寄り道である。

「卿から見て、イールファスの精神状態はどう映った? クルス・リンザールと遭遇し、多少揺れた後、今回の件でどちらに振れた?」

「以前より安定したように、見えました」

「……そうか。なるほど、よほどアスガルドでの生活が心地よかったのだろう。それはあの男にとっての内側、と言うわけだ」

「数人、処理いたしますか?」

 バレットはこともなげに言う。実際、彼ならば問題なく処理できるだろう。

 ただ、

「必要ない」

 その必要はないとサブラグは判断する。

「彼はこちらへ引き入れる気だったのでは?」

「今もそのつもりだ。だからこそ、あえて俺たちが手を出す意味がない、と言う話。読心が自分だけの技術と思うな。あの小僧も多少得手と見た」

「申し訳ございません」

「謝罪は無用だ。優秀な世代だと言うことがわかった。そして優秀な人材は何処も欲する、望まれる。ならば――」

 サブラグは悲しげに目を細める。


「これからの時代、彼らの誰も死なぬ、などと言うことはあり得ない」


 秩序が揺らぐ。全てが根底から覆る、そんな時に最前線に立つ人材が、誰一人血を流さぬことなどありえない。

 そう彼は言い切った。

「戦場はな、騎士にとって、いや、戦士にとって幸せな場所であり、共に肩を並べ戦う仲間、そして時に敵とすら、絆を結ぶことがある。鍛えた技を存分に振るい、創意工夫を凝らし、相手と競い合う。高め合う」

 サブラグの脳裏に映るは千年前の記憶。

 丁度、今回と同じように彼らの理解が及ばぬ文明の廻廊が、戦場のど真ん中で顕現した。そして今回と違い、その文明は好戦的であった。内部は機械仕掛けの摩天楼が並び、千を、万を越える機械仕掛けの敵が群れを成し襲い来る。

 先ほどまで殺し合いをしていた者同士、普通の感覚なら手など結べない。だが、戦場で何度も渡り合い、殺し合い、その過程で奇妙な絆があった。

 ゆえに手を結び、犬猿の仲であった国が一つの、突然現れた大敵との戦いに臨んだ。ヌシ、その廻廊を固定する杭は巨大な、機械仕掛けの神のよう。

 何度斬ったか思い出せない。何度燃やしたか、何度打ち壊したか、しがらみなく、後腐れなく、全てをただの敵に注いだ。

 勝利して、宴を両軍で開き、翌日にはまた殺し合い。

 そんな日々を幸福と思う業が、戦いの道を征く者には必ずある。友情と殺意は両立する。戦士の業、それは当然時代を経て彼らにもある。

 強弱はあれど、その業を持たぬ戦士はいないのだ。

 戦士は戦いを愛し、戦いの中でこそ満たされる。強者、大敵、死闘の中でしか得られぬ充足。それが戦士の業。

「多くを得た。だが、同時に多くを失った。そして我らが失う以上に、争いとは周りを、無辜を傷つける。誰も傷つかぬ戦いなど、血を流さぬ闘争など、ない」

「……」

「揺らぐ時は来る。争う限り、戦い続ける限り、必ず。戦場の業、戦士の業、気づけばあの眼、必ず孤立を選ぶ。元々、そういう気質だ。剣を見ればわかる」

 戦士である限り、闘争本能に従う限り、その者の周りから争いは絶えない。

「しかし、人は孤独に耐えられない」

「そして戦士は、戦えぬことにも耐えられない」

 かつて秩序の騎士として多くを救い、正義を掲げていた騎士すら、戦士の業を抑え切れなかった。彼もまたそう成る。

「孤独、戦士の業、どちらも癒す方法は一つ……敵を作ること」

 サブラグは哂う。自分の中にも、当然存在するその業を。

 自覚するからこそわかるのだ。

「いや、敵と成る、が正しいか」

 その業が導く明日を。

「放っておけ。時代が自覚を促す」

「イエス・マスター」

「今、俺たちにとって重要なのは若造の進退ではない。ファウダーがログレスを敵に定めたことだ。ようやくかの地に踏み入る隙が出来る」

「騎士の国、ログレス」

 これまでも力押しで踏み入ることは可能であったかもしれない。が、正体を伏せて、となると難しかった。天の力でも覗けぬ場所がある。繋げられぬ場所がある。魔道への対策か、それとも神術の対策もあるのか。

 北の巨人、大国の闇は深い。

「卿は奪え」

「はっ」

「俺は、預けていた友の一部を取り返すとしよう」

 その闇を根こそぎ頂くことが、彼らの目的であった。


     ○


 イールファナ・エリュシオンは今回、決して遊びのためにユニオンへ訪れたわけではない。友に、彼に会いたかったのは本音ではあるが、彼女が現在手探りで行っている研究、その糧とするために、此処へ訪れるのも大きな目的であった。

「本日、見学させていただくイールファナ・エリュシオンと申します」

「存じておりますとも。おや、そちらの騎士は?」

「自分も少し興味があったので。彼女の警護と思っていただければ」

「あのマスター・リンザールが警護とは豪華ですね。どうぞ、入館ください」

「「ありがとうございます」」

 第十二騎士隊管轄、魔道研究所である。

「すっかり有名人」

「からかうな。それに悪名も少なくない」

 受付を済ませた二人は案内されるがまま、待合室へ辿り着く。促されるまま椅子に腰かけ、案内役の到着を待つ。

「クルスはもう少し仕事を選ぶべき」

「……仕事を選べる立場かゴミカス。与えられたもんは全部ありがたく飲み干せ。その上で、個人の研鑽も重ねて初めて及第点やカス」

「……嘘?」

「さあ、信じる信じないは君次第だ」

 真っ黒、その片鱗にイールファナは少し震える。何が恐ろしいって、目の前の男がそんな経験をして平然としているのだ。

 その負荷にはもう慣れた、と言わんばかりに。

「あー、どうもどうも。お待たせしてすいません」

 どたどた、と白衣の男が近づいてくる。冴えない風体、背は高めだが痩せこけ、ついでに猫背が高さを感じさせない。

 そんな感じの研究員。

「研究員のデルデゥです。平で申し訳ないのですが、生憎手すきのものが窓際の自分しかおらず、いやはや、申し訳ない」

(自分で手すきとか、窓際と言う奴がいるか?)

 クルスは一瞬で、その男の社会性の無さに仕事人として付き合うことはない、と繋がる前から切る判断をした。

 第七は判断の早さに定評があるのだ。

「……」

「おや、どうされましたか? エリュシオンさん」

 じっと、何かを疑うような視線をイールファナは彼に向ける。

「何処かで、お会いしたこと、ありますか?」

 そして口に出した言葉に、

「「……っ」」

 男二人が同時に驚きを見せた。逆にファナは何故クルスが目を見開いたのかがわからなかった。今の流れ、彼には何の関係もないのに。

「ぷ、あはは、噂通り面白い御方ですねえ。いやはや、こんなおじさんをナンパしていただけるとは、男冥利に尽きますなぁ」

「……あ」

 ナンパの常套句。初対面の異性に対し「会ったことある?」と吹っ掛ける古から続くナンパ術である。温故知新、今も有効なのか、それとも無効か。

 是非、試してみてほしい。

「残念ながら初対面ですねえ。それではとりあえず案内いたしますよ。あまり気持ちの良い研究ではございませんので、多少御覚悟のほどを」

 デルデゥに案内され、二人は魔窟の表側を歩む。

 その下に、

「……っ」

「どうしたの、クルス」

「いや、何か、変な感じが……寝不足かな」

「今日、帰って寝た方がいい。せっかくの休日がもったいない」

「昨日休日だったから今日は休みじゃないよ。この後職場に戻るし」

「……別に休日は二日続けても良いと思う」

「その発想はなかったな」

「もう、茶化して」

 深淵が広がっていることなど――そしてデルデゥはあの二人のやり取りを目の端に収めていた。クルスが立ち眩む瞬間、偶然なのか彼は下を見ていた。単なる偶然か、それとも何かあるのか――

(君は何かと縁深いからねえ。それにしても――)

 デルデゥ、シャハルは二人のやり取りを聞きながら、

(妬けるじゃないか。小気味よいやり取り、君たちの日常が透けるようだ)

 ほんの一瞬、何とも言えぬ表情を浮かべる。

 それを、

「……?」

 イールファナは見逃さなかった。

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