第320話:ひとりじゃない

「どうですか、あの男」

 二人は研究所内を歩きながら話をしていた。

「……さて、こればかりはな。辿り着く者は辿り着き、辿り着けぬ者は生涯かけても辿り着かぬもの。見込みはある、その評価は変わらん」

 レオポルド・ゴエティア、サブラグは無表情で語る。バレットはその表情から今の発言に嘘はない、と読む。

 ただ、そもそも彼の眼に見込みあると映る素材自体が珍しいのだが。

「逆に卿はどう見る?」

「精神面では安定してきましたね。マスターに打ち倒され続け、様々な陣営と板挟みになりながらだと言うのに不思議な話ですが……」

「この状況で安定、か。ふっ、度し難い」

 こうしてレオポルドである必要がない時に、彼が笑みをこぼすことも珍しい。常に重責を負い、抱え、彼は立ち続けているのだ。

 その負担が多少でも和らぐのなら、あの小僧とのやり取りも意味がある、そうバレットは考え留飲を下げる。

「レイルは?」

「変わりありません」

「だろうな」

 人としてはあらゆる意味で最悪な人物であるが、彼らが必要としている研究と言うその一点において、レイル・イスティナーイーは信用に値する。

 代わりの人物は出てくると言ったが、現状はやはり一枚も二枚も劣る。

「イールファスは?」

「この前見直してきましたが、あちらもまだ時間が必要です」

「クルス・リンザールと手合わせしたと聞いたが?」

「そのためか精神に揺らぎは見えました。が、まだこちら側に下るような精神状態ではないかと。出自を知った時は誰よりも早いと思ったのですが」

「……気質に変化はないのだな?」

「はい。彼も騎士ではありません。他者に対して、攻撃的ですらあります」

「……だが、今は騎士に留まる、か」

「そうですね」

 バレットの見立てでは、そもそも秩序の側にいることの方がおかしい人物像。獣に近しく、自身の縄張りの外を全て敵と認識するような気質である、と彼は見た。

 だとすれば――

「存外、お仲間は多いのやもしれんな」

 その縄張りが彼らの認識よりも広く、多いのかもしれない。

 あくまで推測でしかないが――

「どうされますか?」

「どうもしない。削れた方が楽だが、別に騎士一人で戦局は変わらん。どれだけ強き騎士であっても、どれほどに突き抜けた個であっても……変えられん」

 サブラグの脳裏に過ぎるおぞましき記憶。ミズガルズとウトガルド、千年にも渡る怨讐の連鎖を決定づけた愚かなる進撃。幾人も王と呼ばれる者を斬った。斬って、斬って、ただ二人になっても斬り続け、そして敗れた。

 王は特別な存在であるが、それは群れのシステムでそうなっているだけ。必要とあらばいくらでも替えが利く。王の子、孫、王弟、叔父、叔母、血統にこだわってもそうなり、こだわらねば無尽蔵に替えはある。

 個は個である限り、驚異たり得ぬのだ。

 だからサブラグは戦い方を変えた。きっと友も、正気であれば戦い方を変えたか、それとも連鎖に疲れ、諦め、手を引いたか。そのどちらかであっただろう。

「アルテアンにはある。群れのシステムを書き換えるアイデアが、そのために奴らは暗躍している。商人が、金が一番力を持つ世界へと」

「それゆえに望むは現在の秩序が持つ、騎士と言う武力へのカウンター。すなわち可逆性を得た、兵器として成立した魔族化。民衆に権利を、力を授け、自分たちは裏から世界を操る。実に商人らしい、小賢しい立ち回りですね」

 二人の言う通り、アルテアンが魔道研究所、ファウダーに支援している理由は自分たちが唯一持たぬ力、暴力を手に入れるためである。最後の一線、ものを言うのは力であることは彼らも理解している。だからこそ、遠回りをしながら、多くの財を投じながら、魔族化の確立に躍起になっているのだ。

 合理的に、非情に――

「それらを得てなお、実権を握る現在の秩序は強固。伊達に長年、体制維持に力を尽くしてきたわけではない」

「それゆえのファウダー。そして――」

「それゆえの俺たち、ウトガルドだ」

 ファウダーは正しく、アルテアンにとって捨て駒、荒らし回って体制の体力を削ぐ役割と、魔道研究に貢献するこの二点のみで存在している。

 そして、ウトガルドに関しては魔族化の研究、その過程で見つかるであろう弱点、急所、それによって騎士はそちらへ注力せねばならない。いや、注力するように仕向ける。その結果、騎士は自ら存在理由を削ることになるのだ。

 退魔、そのための武力。

 それゆえにこれほど過剰な暴力を、国家が保有することが認められている。

 その必要を削げば、残るはアンバランスな世界。

 あとは、細工は流々仕上げを御覧じろ、と言ったところか。

 だが、

「彼らは知らない。そのウトガルドには騎士がいることを」

 全てを掌の上で踊らせる商人たちにも落ち度はある。覚醒してから世を学び、何十年もかけ築き上げてきた立場と力。

 全てはあの日得た学び。

「彼らは知らない。彼らは忘れている。風化したと考えている」

 エレベーターに二人は乗り込み、サブラグ、バレット、ソロン、レイル、そしてごく一部のかつてウト族と呼ばれていた研究所たちのみが知る、最下層へ至る隠しコマンドを入力する。研究所の裏、そのさらに深奥。

 其処には――

「千年の怨讐をッ!」

 災厄の軍勢、その中核を成す災厄の騎士たちがずらりと並び、眠りについていた。バレットはこの光景を見る度に狂喜してしまう。

 ずっと聞かされていた郷里の歴史。

 怒りと憎しみの連なり。

 そう、彼もまたウト族に連なる者、時が経ち、血が混ざり、そうは見えぬ者にも業を背負う者はいる。被差別の歴史、紡がれてきた嘆き、叫び。

 忘れたからなかったことにする、そんな世界が憎かった。

 それでも戦う術がなかった。

 秩序は強固、金も持たず、声も届かない。

「強欲なる商人どもが望むまま、秩序を削りましょう。彼らは喜び我々に力を貸す。真理の探究者であり、真実を追い求める万能の天才、レオポルド・ゴエティアという騎士が、愚かにも自らをも刺し貫く剣を、武器を、奴らに与えると信じている背後を刺す。弱った秩序も、我らがまとめて叩く!」

 バレットは笑みを浮かべながら、死神の貌と、黒き骨のような鎧姿となる。

 そう、彼のあれは仮面ではなかった。

 むしろ、真の貌。


「我々、災厄の騎士が! 否、ウトガルドの騎士が!」


 何百年も、特に苛烈な扱いを受けてきた被差別集落に生まれ、そうしてきた者たちが忘れてなお、その物語を継いできた怨讐の後継者。

 ミズガルズに生まれし、ウトガルドの騎士。

 後天的に魔族化の手術を受け、彼は見事そう成った。

 第十一騎士隊隊長、バレット・カズン。彼は騎士級の魔族、災厄の騎士である。

 そして当然、

「無論、そのつもりだ」

 騎士をまとめる団長は『天剣』のサブラグである。


     ○


「なかなか尻尾を掴ませてくれませんね、レオポルドは」

「なら、結び付けなければよかったのでは? ユニオンと彼を引き合わせたのは、大旦那様なのでしょう?」

 穏やかなる時が流れし花園。その奥で会話するのはアルテアンを創設し、今なお世界中で大きな影響力を持ち続ける怪物、大旦那。

 そしてユニオン騎士団第四騎士隊隊長、エレオス・ギギリオンであった。

「使える駒は何でも使いますよ。例え、いつか歯向かう気がしていても……そのいつかの時までは笑顔で手を繋ぐ、それが商人と言う生き物です」

「……そんなものですか」

「そんなものです。彼のプレゼンは魅力的でした。そして、誰よりも早く不世出の天才、レイル・イスティナーイーを見つけ出し、表舞台に引きずり出した」

「へえ、『双聖』から……不死をちらつかせたのは彼のアイデアでしたか。僕も疑問に思っていたんですよね。外界と隔絶された環境で、何故あんな立ち回りが出来たのか、が。まあそうなると……隔絶されている環境になんでタッチできたのか、という疑問が出てきちゃいますけどね。イタチごっこ、です」

「それを調べるのがあなたの役割でしょう?」

「それはごもっとも。でも、あの人はたぶん、隙を見せないと思いますよ? その程度の人間が此処まで辿り着くと思います?」

「思いません。なので、少しでも揺さぶりになるかと、破壊対象と捨て駒に仕込んだのです、私の秘蔵っ子を二人も。大損ですよ」

「そう言っていただけると僕もヴェルスも浮かばれます」

「あら、亡くなったみたいね」

「そうする、と聞こえたので」

「まあ」

 こうして笑っていると可愛い老婆に見えるが、実際はこの笑顔のまま自分たちを切り捨てることも出来る、非情の羊飼いである。

 そう言う風景を何度も見てきた。

 自分が特別だ、などと誰が思えようか。そう思い込んだ馬鹿どもは皆、利用され、踊り、狂い、最後は闇に消えた。

 ゆえに親友は大旦那を越えて、その先へ行こうとしている。

「これからも頼むわね。あなたが頼りよ」

「それ、ヴェルスの方にも言っておいてください」

「あの子は何も言わずとも頑張るでしょう? だって野心があるもの。でも、あなたにはそれがない。だから、少し怖いの」

「僕が?」

「ええ」

「それはさすがに買い被りですよぉ」

「そうかしら? 私は、そう思わないのだけれど」

 大旦那の笑みを見て、エレオスは困ったような表情を張り付ける。そう、取り繕っている。その程度、海千山千の大旦那には容易くわかる。

 だが、その奥が見えない。野心などであれば自分が見逃すはずがないのだが――

「あなたは誰の味方?」

「もちろん、大恩ある大旦那様です」

「……そう」

 即答。しかしこれは嘘。ならばレオポルドか。だが、理由が見えない。

「では、仕事に戻ります」

「ええ、頼むわね」

 レオポルドに対する眼。それが取り込まれた可能性は考えていた。だが、その線で洗っても何一つ出てこない。凡夫の調査ではない。

 新たなる秩序の王、そのひな形を譲り受け、此処まで育て上げた商の怪物である。

「……面白い子だこと」

 その眼を掻い潜り、この男は何を考えるのか。

 興味深い子に育った、と大旦那は微笑む。


     ○


「ふ~、胃が痛いなぁ」

 しれっと退出したエレオスであったが、背中は嫌な汗だらだら。緊張し過ぎて胃も痛かった。出来れば報告は手紙とかでしたいなぁ、と思う今日この頃。

 そんな彼が誰しもが立ち入れぬ館、その出口を目指し歩いていると――

「おんやぁ」

 ある青年を見つけた。

 一度、話してみたいと思っていたのだ。

 なので、

「やあやあ、フレン君」

 自ら率先して声をかけに行った。

 アルテアン傘下、コア商会会長のフレン・スタディオンに。

「え、あ、なんで、ここに、マスター・ギギリオンが」

「ん、だって僕ここ出身だからね。ちなみに、君の元上司、ヴェルスも僕のマブダチだよ。と言うわけで、今少し話せる? ダメ?」

「お、大旦那への報告を終えた後なら」

「オッケー。じゃ、のんびりこの辺で待っているよ」

「は、はい」

 片腕を失い騎士の道を断たれた哀れなる青年。新たな道を見出し邁進する素晴らしき青年。そして、自らの属する陣営と混沌との癒着を疑う、潔白な青年。

「……」

 話してみたい、そう思っていたのだ。

 なるべく、早く。


     ○


 久方ぶりの休日、と言うよりも最近隊の配置換えで少し持て余す時間が増えたので、それならいっそと一日にまとめた結果、休日が出来上がった次第。

 そしてその休日の使い道は、

「久しぶりだな、みんな」

「あ、ご無沙汰してまーす、マスター」

「遅いですわよ」

「ずず、久しぶり」

 同じく多忙であるが用事が重なり、せっかくだからと集まった同じアスガルド王立学園を卒業し、同じ俱楽部ヴァルハラから巣立った仲間たち、であった。

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