第319話:光と影
超スピード、最速の騎士の名を恣とする男、ノア・エウエノル。速さにはこだわりがある。それを磨き上げることにも――
(ここ、だよなァ!)
だが、それに待ったをかけるのは、
「相手の間合いでブレーキをかけるな」
「っぅ!」
第二騎士隊隊長、フェデル・グラーヴェである。最大速度のノアをいなし、そのまま反転するために急減速したところを、フェデルが先んじて間を詰め、そのまま動きを封じてきたのだ。最速の騎士、それが最速ではなくなるところを狙って。
「何度言えばわかる」
「いやでも、隊長の間合いが広すぎるんすよ。普通の騎士以上にスペース取ってますし、室内なんすからこれ以上間合いは広げようがないって言うか――」
ノアの言い訳を最後まで聞くことをせず、
「戦場を平面で見るのが卿の悪い癖だ」
フェデルは軽い踏み込みで訓練場の端、壁の方に跳ぶ。この巨体でよくもまあこんなにも軽やかに跳ぶものだ、と感心してしまうほどの体捌き。
まず、跳躍に音がしないのだ。
そして、壁に吸い付くように立つ。壁に対し垂直に。
重力を無視した、異質な景色である。よく見れば壁の装飾、出っ張りに足をかけているのだが、それと感じさせぬ立ち姿である。
魔力は補助程度、無駄がなく合理的。
「此処までスペースは作れる。平面だけでは攻められず、相手に跳ばせたなら卿が一方的に有利。なら、猛者は跳ばん。つまり、再加速を安全に行えるわけだ」
「お、おおおお! さすが年の功!」
「阿呆」
すぱん、とノアの頭を叩くフェデル。そう、ある意味彼はノアの天敵である。半純血のソル族、魔力なしに圧倒的な身体能力を誇る彼は、加速にしろ力を増すにしろ、必ず魔力を操作せねばならないノアよりも一拍、速い。
その一拍がこのレベルとなると大きくなる。フェデルほどの身体能力はそれほど多くないが、身体能力自慢でそれを磨き抜いた武人ならば、近い芸当は出来るようになるかもしれない。すなわち、今のような甘い行動を取る限り、ノアの最速は最速でなくなる可能性がある、と言うこと。
今のも回避が間に合わなかった。
本気の加速、本気の手刀、そして最後の最後でソフトに打ち込む。
「いやあ、勉強になりました!」
やはりユニオン騎士団は凄い、ノアは敗れてなお上機嫌であった。
「最近、カノッサのところにも顔を出しているらしいな」
「あ、自分あそこのユーグ副隊長と知り合いなんで、その伝手で手合わせしてもらったんすよ。正直、老体なんで舐めてたんすけど、あのソード・ロゥはマジヤバでした。つか、巧者の下段ってエグイすよね」
「舐めて、マジヤバ……ふぅー……」
「何すか?」
「いや、我らの感性が古いだけなのだろうな」
「教えましょうか? 若者言葉。マブイ、チョベリグ、ナウでヤング」
「要らん。頭が痛くなる」
普通、フェデルにしろカノッサにしろ、同じ騎士隊であっても話しかけることすら躊躇われる騎士界の重鎮である。実際、フェデルも隊長になって随分経つが、此処までちょろちょろと付きまとわれたのは初めての経験。
これが無知ゆえであれば勉強不足と叱責を飛ばすところであるが、ノアのヤバいところは全部理解してなお、其処へ飛び込むことに躊躇いがないこと。
自分が良いと思ったら飛び込む。
頭を下げることも厭わない。
だから――
「卿の強みだ。よく生かしている」
「へ?」
ノア・エウエノルはユニオン騎士団と言う環境を最も生かし、成長している騎士と言えるだろう。フェデル視点、そういうのが上手いのはぶっちぎりでノア、その次点でディン辺りと見ている。クルスに関しては成長は認めつつ、あのやり方は認められない、と言うのがフェデルの考えであった。
副隊長と言う補助が付いているとしても、並の騎士(ユニオン基準でも)ならばとっくに殉職している相手。戦場に甘さは持ち込まない。
初顔ならばともかく――
「最近調子はどうだ?」
祖父が孫に問いかけるような内容。
我ながら下の世代とのコミュニケーションが下手くそだ、と自省する。
「絶好調っす。でも、及ばないんすよねえ。クルスは射程に捉えた感じあるんすけど、やっぱまだソロンの背中は遠いって言うか」
「……? 評価が逆だと思うが」
「いやいや、全然見えないんすよ、あいつのやり口。昔を思い出すなぁって。ああして人知れず積み上げるとこが、あいつの凄いとこなんすよ」
「……それも我の考えとは逆だな」
「えー、そりゃあ隊長があいつを過小評価していると思うんすけど」
「……さてな」
今、ノアとソロンの器、その違いを並べ立てることは出来る。臆せず向上のため人に頭を下げて積み上げる者、人知れず我流で積み上げるしかない者、フェデルは当然前者を評価する。我流では、独力では必ず行き詰まるから。
ノアのように先達に学ぶか。
クルスのように敵から盗むか。
それが武人の本道と言える。そのどちらも取れない、取らない時点でフェデルはあまり彼を高く評価していなかった。
自分で作ったソロン・グローリーという虚像、そのせいで身動きとれぬように思えたから。ノアの二番煎じでもいい。ディンは実際ノアに学び、様々な先達から学ぶようにしている。フレイヤは本人が知ってか知らずか、クルスと同じように戦場へ放り込まれ続け、彼と同じよう敵から学び続けている。
別に二番煎じでも構わない。むしろ、効果的と思えば真似をすればいい。
そうできぬ矜持をフェデルは張りぼてと思う。
「あ、そろそろ昼っすよ。メシ行きましょう」
「……そのつもりでこの時間に設定したか」
「まっさっかー」
「……軽くだぞ」
「がっつり肉がいいっす」
「……」
この男、本当に誰が相手でもギリギリを征く。まあギリギリで、上手く立ち回るから可愛がられるのだが――それにしてもギリギリである。
○
報告を終え、ついでに何度か『殺された』ソロンは研究所の裏側、その風景をぼーっと見つめていた。相変わらず、攻略の糸口すら見出せぬ絶望的な力の差。魔道がどうこうではない。単純に武のレベルが、次元が違う。
あれだけの武力を持ち、汎用極まる魔道に、これより下にはさらなる戦力を有している。戦争の準備は万端、いつ仕掛けても良いように思える。
だが、それはソロンに大局が見えていないだけ。この研究所、そしてファウダー、全ての局面を理解し、動いている者たちにしか見えぬものがある。
何十年も前から、遥か先を見据えて動いていた。
その差が、端役でしかない自分と主役たちとの差、なのだろう。
「おや、今日も生き延びたみたいだねえ」
「おかげさまで」
シャハル、此処での名をデルデゥがソロンに声をかける。
「実験は好調ですか?」
「ふふ、嫌なことを聞くねえ。見たままだよ」
ソロンとデルデゥの視線の先、人工的に魔族化を施された男に対し、其処から魔障を取り除き、魔族から人間に戻す実験が行われていた。
絶叫と共に、獣の姿から人へ、戻ることなくそれが入り混じり、絶命する。いつも通りの光景、進捗は芳しくないようだ。
まあ、だから聞いたのだが。
「また死んだか。色々と処方を変えて試しているんだけどねえ。通信機、テレヴィジョン、ファウダーのおかげでデータ取りの効率は跳ね上がったけれど、どれもピリッとしないデータじゃ進捗とは言えない。失敗は成功の母と言うが、まあ世の中限度がある。ボク自身、なかなかお寒い状況さ」
この研究はどの勢力にとっても要。だからこそ、シャハルがどれだけ好き放題しても、最後の一線役に立つと判断されたら容認されてきた。
正味、様々な功罪が絡み合う通信機などのシステムも、元々は遠隔地との情報伝達を早め、世界各地で現在進行形にて行われているファウダーによる魔族化技術の頒布、それにより被験者を確保し、そのデータをここへ集約するためのもの。
シャハルの魔道がそういう能力であったから、と言う理由も大きいが、一番はそのシステムが完成したから、中枢に指揮棒を振るう者がいた方がいい。
だからシャハルは此処にいる。彼自身の意思もあるが――
「……わざとでは?」
「ボクが?」
「いえ、単純な話、研究の完遂は全ての勢力にとっての引き金。それと同時に『創者』シャハルはファウダーと共にお役御免。価値を喪失するわけですから」
「まあ、それは考えるよ。ボクも馬鹿じゃない」
研究に進捗がなければ自分の価値は目減りする。しかし、研究が完遂したらお役御免、どころかどの陣営にとっても処分しておきたい存在になり下がる。
それは当然、思考の範疇。
ただ、
「でも、ボクはこの研究が完遂された世界の方に興味がある。新たなる秩序が唯一足りなかった『兵器』を、武力を手に、今ある秩序にどう挑むのか。新旧秩序が争う中、真の第三極たるウトガルドがどう動くのか……まるで読めない」
シャハルは自分の身の安全より、好奇心が勝ると言った。
「そんな世界の分岐点、その引き金をボクが握るんだから……くく、それほど面白いことはない。それに、そうでなくとも」
シャハルは一つの『失敗』を見つめ、
「ボクの携わる研究に、わかりませんでした、などありえない。ボクの矜持が許さない。やるからには勝つ。必ず解き明かす。それは絶対だ」
そう言い切った。
魔導生態学の第一人者、その自負がこぼれ出る。
「それはそれとして保身の方は一応、考えておくけどね。ま、『鴉』くんも色々と画策しているようだし、先のことは誰にもわからない。君も考えとかないとね」
「何を?」
「保身だよ。まさかこのままウトガルドの愉快な仲間たちで行くの? たぶんウトガルド、ウト族関係者以外冷遇されるよ? あれは正しく、ウトガルドの騎士だし」
「ああ、そのことなら――」
ソロンは笑顔のまま、
「俺は俺の力で、俺の敵を全部倒すだけです」
手すりを握り潰すほど、全身に力を込めて、眼を血走らせて言った。
今は虚勢。でも、それで終わらない。終わってなるものか。
「絶対に」
俺はソロン・グローリーだ、と自らを奮い立たせる。
「くく、最後に笑うのは誰かな? 最後まで観測していたいものだ、楽しそうだし。おっと、そろそろあちらに戻らないと怪しまれるね」
シャハルの言うあちら、それを聞きソロンは眉をひそめる。
「時間を稼ぎたいならなおのこと、ファウダーの寿命は伸ばしておいた方がいい。そろそろ手を抜かれた方がいいのでは?」
「ええ~。でも、君だってわかるだろ? 彼、役立たずに興味ないもの。真の意味でエゴイスト、ボクといっしょ。其処がそそるのさ」
誰のことか言わずともわかるだろう、というシャハルの笑み。
「……彼は俺の獲物だ、と伝えておきますよ」
ソロンはただ、それだけを伝えた。
「君とは競合しないよ。ボクは性を手に入れたわけで、彼の前では女だからねえ。それとも、ふふ、そういう意味だったりする?」
「お役御免になった暁には、真っ先に俺が貴方を殺してあげますよ」
「おお、怖い怖い」
けらけら笑いながら去っていくシャハル扮するデルデゥを見送り、ソロンは全ての勢力、その楔となる研究を再び見つめる。
世界中で地獄絵図が繰り広げられている。多くの勢力に望まれ、実際に支援を受けている禁忌の研究。不可逆なものを、可逆とする奇跡。
「……」
果たして本当にたどり着けるのだろうか――
まあ、そんなどうでもいいことよりも、
「……何処にある? 俺の山は」
未だ光明見えぬ自身の道。あの男を前にし、試される度に思う。今日こそ殺されてしまうのではないかと。それもひとえに己が弱いから。
極めた本物を前に、ガラクタを集めても届かない。
情けない。恥ずかしい。
ただ、
「……何処に、ある?」
その挑戦の日々に、笑みを浮かべる自分もいた。死の恐怖と挑戦の喜び、それは決して相反するものではない。
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