第318話:深淵へと踏み込む者
ジエィ・ジンネマンの裏切り、クルスとエクラの交戦の知らせを受け、ソロン・グローリーは即座に動いた。あの時点では隊長格以外、ファウダーの脅威、存在すらよく知らぬ状況下で、ソロンは限られた情報だけで敵の値が上がると踏んだ。
ログレス時代、最も優秀な学生として様々な活動に参加し(学校からさせられ)、彼独自のコネクションを構築していた。それらを総動員してファウダーの足跡を追う。簡単なことではなかった。一人の新人騎士には難しいことだった。
だが、彼は極めて優秀であり、常に最善を尽くしてきたおかげで目標さえ定まれば、完遂出来てしまうだけの力があった。
ただ一人の騎士、その範疇を易々と超えて――
予想通り、予想以上にファウダーの値段が跳ね上がった。『亡霊』による無差別革命、あらゆる反政府組織に与し、秩序を破壊し自分も壊す、それぐらいの勢いで彼と、その支援者(中核メンバー)たちは暴れ回った。
多くの騎士が殉職した。
その中には秩序の騎士も当然含まれる。
そんな中、単独でありながらどの騎士隊よりも抜きん出て情報を収集していた男がいた。ソロンである。各地の反政府組織と、様々な顔を使い分けて接触、敵が支援する相手を探ることでファウダーの輪郭を捉えていたのだ。
完璧な立ち回りであった。
それなりの時間を要した。初年度、二年目、どちらも捨てる羽目になった。好敵手であるクルス・リンザールの意識も、二年目も半ばを過ぎるとすでに勝ったと判断した相手、つまり同期への関心が薄れているのが見て取れた。
友情、愛情、そのラインは曖昧でも、競争、勝負、そのラインに関して彼はかなりドライであり、過ぎ去った相手には露骨に興味が薄れてくる。
そんなこと端から理解している。
だから、あえて二年間を捨ててでも、彼が確実に取れると考えている三年目を潰し、もう一度視界に入ろうとしたのだ。
無関心など許されない。
絶対に勝つ。
必勝の手札も揃えた。
ただ――
「……」
懸念もあった。今のところ全て間接的な接触であり、自分の存在はファウダーにも、どの勢力にも漏れていない。何度か間を空けて、『お試し』をした程度。気取られる気配はなかった。何せ彼らは中核メンバーを除く末端や支援した後の相手には基本無関心であり、好きにやってくれ、と放任であったから。
だからこそソロンも行けると思ったのだ。今後はファウダーと絡みそうな火種との接触、それらが活動後に排除、それを並行してこなす必要がある。
なかなか動きは忙しくなりそうだが、自分なら出来る、やって見せる。
問題は、
「……仕掛けはアルテアン、だけじゃない?」
調査を進めていく中で浮かび上がった関係性。もつれ、絡まり、複雑に入り組む紐が、思ったよりも深いことにあった。
入念の準備を進めた自分でも見えぬところに紐の先が見え隠れする。もっと奥に何かあるのか、想定の範囲内に収まるのか、それが見えない。
学生時代の彼ならその時点で手を引いた。
リスクとリターンが見合わない、と。所詮新人賞などお遊びのようなもの。本来は中途の有望株か、三年目の若手騎士への頑張りましたで賞でしかない。取らずに隊長になった騎士もいる。ちなみに新人賞と言いつつ、新卒に三年与えられているのは中途が有利過ぎるから。本来新卒の一年目、二年目が取ることは想定されていない。
まあ何にせよ必死になって取りに行くものではない。
取ったからと言って騎士隊の評価や隊長たちの評価が上がるわけでもない。
リスクを冒すなら、もっと勝負すべきタイミングなどいくらでもある。
「……」
ソロン・グローリーがかつての曇り一つない輝ける男であり、己の研鑽以外に情熱を持たぬ男であれば、他者の期待に応え続けるだけの男であれば――
「……勝負だ、クルス」
其処で勝負を仕掛けに行くことはなかった。
しかし、彼はリスクと共に勝負を仕掛けた。勝つ自信があった。自分ならやれるという積み重ねてきた自負が自身を突き動かした。
上手くいっていた。
二年目終盤から、三年目頭にかけて一気に数字を、それ以上に武功を重ねていくソロンに、勝利を確信していたクルスの視線が戻ってくる。
完璧だった。
実際、今でこそ道化を演じファウダーと直接接触する愚を強いられているが、その時点ではファウダーにも気取られていなかったのだ。
皮一枚外側で観測し続ける、第三の眼は。
しかし、
「秩序の騎士がこんな辺鄙な場所に何用かな?」
「……何故、私が騎士だと?」
「誤魔化してもかすかに滲むもの。何より、人を見る眼には少々自信がある」
某国の反政府組織と接触してすぐのところを、謎の人影に声をかけられた。髑髏の面を被り、黒のローブで全身身を包む男。
「どちらさまで?」
「ファウダー、『死神』。ご存じか?」
「……」
ソロンの知らぬ名であった。ただ、ソロン自身警戒の強くなる中核メンバーよりも、実利を求め末端ばかり狙っていたので、知らぬ名があってもおかしくはない。
ただ、相手の立ち姿が少し不気味であった。
気配があるのに、それが薄くとってつけたように感じる。
まあどちらにせよ、
「申し訳ない。こちらの――」
何処まで見られたのかわからぬ時点で、ソロンの行動は決まっていた。相手がファウダーと言うのならむしろ好都合。
切って捨てても、誰に咎められることもない。
話の途中、ゆったりした余裕たっぷりの口調から一気に隠し持っていた騎士剣を引き抜き、『死神』を騙る謎の男へ詰め寄る。
だが、『死神』もローブの内側より騎士剣を抜き放つ。
(騎士? だが、関係ない)
人目はない。人気もない。なら、誰が相手でも殺すのが正着。
相手の構えからかなりの力量であることが見て取れたが、
(俺の方が上だ!)
幾度か切り結び、自分の方が上だと判断する。ただ、在野の騎士崩れにしては明らかに強い。ファウダーの隠し玉か、それともアルテアンの手の者か――
「そのどちらでもない」
「……っ」
「貴様は一つ、選択肢を漏らした。見ればわかる」
「何を、言って」
「焦燥、嫉妬、なるほど、存外子どもだったか。だが、実力は認めよう」
「認める? 実力も図れぬか?」
「騎士としてもやや、私の方が上。『総合力』は……まだ遠い」
「ッ⁉」
握る騎士剣を手放し、さらにローブの奥から滑らせるように引き抜いた騎士剣。それが『死神』の手に握られた瞬間、ソロンは二重の意味で驚愕する。
まず、その特殊な騎士剣を握ったことで相手の戦力が飛躍したこと。
勝敗が危うくなったこと。
そしてもう一つ、
「そんな、馬鹿なッ」
「好奇心は身を亡ぼす。覗くべきではなかったな、そうと気づいた時点で」
可変式騎士剣、鎌のような形状に変化するそれを、ソロンは知っている。その使い手も、当然知っている。
第十一騎士隊隊長、『烈士』バレット・カズン。
「手を引くべきだった。大義なく幼稚、無駄に肥大した矜持、それが貴様の本質」
隊長が直接、仕事としてファウダーの中に潜り込んでいる。
いや、それなら自分に闇夜、この場で声をかける理由はない。秩序の塔で、他の騎士を巻き込み、まずは口でやり取りする。それが定跡。
なら、ファウダーの純粋な構成員か。
その疑問は、
「この男、騎士にあらず」
「そうか」
次の瞬間、消える。どうでもよくなる。
「なら、使い道もあるか」
突如、闇夜をくりぬき、男が一人現れる。こちらは変装すらしていない。そして誰もが知る騎士であった。
第十二騎士隊隊長、レオポルド・ゴエティア。
文武万能の天才がこの地に降り立つ。
いつか手合わせしてみたいと思っていた。かなりの使い手であると評判であったから。その機会が期せず訪れたのだ。
喜ぶべきである。
しかし、
「……」
ソロンは男と対峙し、黙する。突如この場に現れた現象、それも理解が追い付かないが、それ以上にただ立つだけの男が、同じひと振りの騎士剣を握るだけの男が、同条件、同じ地平に立つはずの男が、
「バレットは見ればある程度読めるが、俺にその力はない。ただ、剣ならわかる。生き残りたいなら死ぬ気で来い。役立つなら生き、役立たぬなら――」
遥か遠くに見える。
それが、
「死ね」
「ああああああああああああああああああああああああッ!」
ソロン・グローリーが初めて知った感情。
恐怖であった。
その感情と共に輝ける男は駆け出す。
「……」
対峙する者は軽く握られた剣を持ち上げる。ただひと振りの剣、別段何か細工がしてあるわけでもないそれを、決して体躯に優れているわけでもない男が振った。
鎮、と点と点を繋げて線を描くように。
「あっ」
「まず、一回」
ただひと振りの、首を狙ったシンプルな横薙ぎの一撃。普段のソロンなら鼻歌交じりで捌いていた、捌けていたはずのそれに、ソロンは反応一つできなかった。
ゆったりと、まるで絵画を切り抜いたかのような動きはとても遅く見えたが、自分の動きはもっと遅かった。
寸止めされた剣、薄皮一枚切り裂くそれに、
「……っ」
脂汗が滲む。
速く、強く、最短に、無駄なく打ち込む。
ただそれだけの、武の極致。そして思い出す。あの、アカイアでのことを。自分をも翻弄した武人、エフィムを断ち切ったあの傷跡を、傷跡から想起していた相手を。理屈ではない。わかった。
この男がやったのだと。
「立ち止まるな。次で死ぬか?」
「っ、お、おおお!」
思考はない。ただ生存本能がソロンを突き動かす。万を操る剣、数多の戦型を学び、数多の使い手から吸収し、自分のものとした万の剣。
それを吐き出す。
「二回」
磨き続けた己の剣。
「三回」
あらゆる型を繋ぎ合わせ、その無限にも等しい組み合わせを正しく行使する。
「四回」
もっと集める。もっと繋げる。
「五回」
その先にきっと――
「六回、七回」
頂があると信じて。
まだ先がある。自分の成長は止まらない。人の数だけ伸び続ける。競い合い、高め合い、その果てに最後、勝つのは自分であると、信じていた。
信じるしかなかった。
だって、
「……千八百二十一回」
そうやって生きてきたのだ。自分の人生をかけて登ってきた山なのだ。
今更、此処が行き止まりだと、この生き方では行き詰まるなどと言われても、どうしようもない。服はボロボロ、全身薄皮一枚を切り裂かれ続けた男は今、呆然自失の状態で膝を屈していた。
もう、全部吐き出した。
これ以上は何も出ない。
そして、自分は相手に傷一つ、肉薄すら出来なかった。
「……これがソロン・グローリーか」
だが、その様子を見ていたバレットは逆に戦慄していた。相手は最強の武人、甘えた手は許さない。工夫のない手を重ねたら、即殺していたはず。
(なるほど、幼いながらも武には真摯に向き合ってきたわけか。私も人となりや精神性は見抜けるが、逆にそう言う部分は見えない)
そう、此処まで彼はただの一度も同じ手は使わなかった。
絶望の中、圧倒的格上を前に、彼は最後の最後まで捻り出し続けたのだ。
「児戯だな。集めるだけ、繋げて遊ぶだけ、自分用に使い勝手を良くすることを、自分のモノにすると勘違いしている。だから弱い、脆い、武になっていない」
男はそれを解した上で、ソロンが登ってきた山を一蹴する。
「烏合の剣、器足らずの身でありながら己の剣を見出したクルス・リンザールとは違う。妥協の、遊びの産物を抱えて進んでも、その山は低く、いずれは頂上から高みへ征く者たちを見上げるだけとなろう」
「……」
それも気づいていた。ずっとソロンは焦燥の中にいたのだ。誰よりも近い場所で、零が生まれた瞬間を体感したから。
抜かれて、そのまま。差は、縮まっていない。
どれだけ鍛えても、どれだけ集めても、そう感じていた。
それが今、突き付けられる。
「安全圏で探しても、貴様の探すものは見つからぬ」
「何処に……?」
絞り出すような声。命よりも、ソロンはそれを知りたかった。この先、一生抜かれたままの人生など意味がない。気を遣って遊んでもらうのでは意味がない。
遊びとは相互のコミュニケーション、同じ地平でしか生まれないのだから。
だから――
「言ったままだ。死ね。死線以上に武人を進化させるものはない」
「それが手に入らないから、俺は――」
ソロンとて理解している。最近数字は横ばいでありながら、遠目で見てもわかるクルスの成長を促進しているもの、ジエィ・ジンネマンを筆頭としたファウダーや隊長格が担当するような難関ダンジョン、それらを浴びるほどに摂取しているから、クルスは伸びている。だが、それは当たり前ではない。
第七は明らかにクルスを育成すべく、猛烈に依怙贔屓している。ただ、その贔屓が強過ぎて周りから羨ましがられないだけ。
それはソロンには得られぬもの。
だからファウダーを利用し、見せかけの数字や実績だけは勝とうとした。
せめて興味だけでも取り戻そうと――
「今、決めろ」
虚空より剣が無数に現れ、その切っ先が全てソロンに向く。
今更、もうなにも驚かない。
「俺の手駒として死に続けるか。今この場で死に楽になるか。俺は後者を勧めよう。妥協なき道の険しさに、貴様が耐えられるとは思わん」
「……前者を」
「一時の生のためか?」
「違う。……俺を殺し続ける貴様を、いつか殺すためだ!」
バレットはその言い草に激怒し、鎌を操りソロンを殺そうとする。
だが、
「その威勢、続くといいな」
主の言葉で動きを止める。それは、ソロンを手駒に引き入れると言う意味であったから。バレットからすれば理解できぬこと。
自ら反骨の獅子を、腹の中に入れるようなものであったから。
剣が消え、男もまた自らの剣を納めた。
「レオポルド・ゴエティア……あなたは何者だ?」
反骨の獅子は問う。
第十二騎士隊隊長、魔道研究所所長、次期グランドマスター候補、そう言う肩書ではない。本当の、ソロンの知る誰よりも強く、高き者の名を――
「知りたくばついてこい。深淵の中身を見せてやる」
男が虚空に空けた穴。
その先についてこい、と男が言う。何も言わずに付き従うバレット。
そして――
「イエス・マスター」
ソロン・グローリーもまた深淵に足を踏み入れる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます