第316話:混沌より愛をこめて

「……」

 あくまで稽古、お互い試しの場であり本気は出していない。ただ、それでもクルスにも、イールファスにも思うところはあった。

 しばらくぶりに剣を合わした。

 ある程度現在地点も見えた。

「そろそろだな」

 クルスは壁掛けの時計を見て時刻を確認して言った。現在は昼休憩中、軽く食事を取ってから、こうして隙間時間で剣を合わせていたのだ。

「俺、夜の方が良かった」

「今更言うな。それに夜は先約がある」

「誰?」

「……第十の研究員と打合せだ」

「あー……あの人」

 現在、ファウダーの台頭により複雑さを増した戦場において、剣だけでは対応不能の状況が多々発生するようになった。それを埋めるために元々あった第十の工房が八面六臂の活躍を見せていた。

 その心臓部こそ、

「彼女は優秀だよ。こちらのオーダーにしっかり応えてくれる」

 ライラ・イミタシオン、眼鏡とそばかす、そして着古した白衣がチャームポイントの女性である。各騎士隊から送られてくる要望に応え、新兵器を開発、製造する。携帯型のガス検知器なども彼女が中心となり、メーカーと開発した製品である。

 騎士の天敵、『亡霊』相手の戦死者を大きく減らしたのは彼女の功績であろう。

「俺はあまり好きじゃない」

「ファナの商売敵だからだろ。わかりやすい奴だな」

「違う。競争相手になりえない」

「どっちが上だ?」

「語るまでもない。あの女にアドバンテージがあるとすれば地の利だけ。他は全部、ファナの方が上。そんなこともわからないようじゃクルスもまだまだ」

「はいはい」

 同分野、特許数ではライラが勝れど、独創性ではイールファナが勝る。ただ、実地で運用する側としてはレスポンスが早い方がありがたい。何よりもほぼユニオン付きの研究者であり、工房ゆえにより密接な関係性も構築できている。

 クルス視点、使い勝手の点で圧倒的にライラの方に軍配を上げたい気分であった。まあ、本人を前にしたらそんなこと言えないだろうが――

「ま、同世代の才人と知り合いになっておいて損はないぞ。交遊を深めておけば便宜も図ってくれる。大きなアドバンテージだ」

「……男女の関係?」

「ぶっ!? 馬鹿か、そんなわけないだろうに。あくまでビジネスでの付き合いだ。空き時間もお互い少ないから、夕食という隙間時間に打合せを差し込んだだけ」

「ならいいけど」

「……変なことを掘り下げるんだな」

「妹の幸せを想う兄」

「……妹の気持ち次第だろ」

「だから推している」

「……」

 ふい、とクルスは時計を見てから背を向けた。

(あっ、逃げた)

 イールファスはその芋臭い挙動ににやりと笑みを浮かべる。

「時間だ。俺は隊舎に戻る」

「ん、じゃあまた」

「ああ、またな」

「ファナ、今度ユニオンに来る。フォローよろしく」

「……時間が合ったらな」

「よろしく」

 兄として念押しした。これでクルスは無視できないはず。あとは妹よ、上手くやれ、と自称兄のイールファスはほっこり笑みを浮かべていた。

 そして、

「……色々と横に置いて、一番重要なのは――」

 切り替えて、真顔になる。

 本気を出さずとも伝わるものがある。互いにそれなりに経験を積んだ騎士なのだ。嫌でも剣を合わせたら、重ねたら、わかる。

「クルス、桁違いに上手くなっている」

 技術の次元が跳ね上がった。剣そのものは大きく変化していないが、柄の握り、ミリの操作、繊細さのレベルに関しては以前の比ではない。剣を操る技術が向上し、今まで通りの牽制、相手の剣を引き出す動きですら凄味が出てきた。

 攻めても強い。引いたらなお強い。

「……場数、か」

 絶対的強者との戦闘。同期の中でクルス・リンザールが突出して強い騎士と、命のやり取りを繰り返しているのだ。

 その中で学んでいる。

 その経験を生かしている。

「俺より強い。たぶん、あっちもそう思った。それが、一番問題だ」

 ギリ、イールファスは歯噛みする。便利屋として様々な案件に首を突っ込んでいるが、あくまでそれは第十二派閥に共通する、生存率を重視し安全にダンジョンを攻略する、などの制限がかかっている。

 どうしても本当の意味で命のやり取りなどそうそう起きない。

 ましてやジエィ・ジンネマンとの戦闘など、大体の騎士が、騎士隊が避けたいところを、あえて其処に突っ込み続けている。

 そのために数字を犠牲にしてでも――第七は、レフ・クロイツェルは本気で育てているのかもしれない。最強の右腕を。

 ともすれば自分を喰ってしまう可能性すら生みつつも。


     ○


「以前からご要望があった小型のガスマスクの件ですが」

「ああ、フィルターの構造上、全ガス種に対応するのは難しい、それは理解していますよ。それに、どちらにせよ携行するには少し、嵩張りすぎる」

 両者食事そっちのけ、クルスとライラは打合せを続けていた。たまに沈黙するタイミングで栄養補給として食事をするだけ。

 レストラン側は白い眼を向けているが、どちらも集中しているので気づかない。と言うか外野の視線などどうでもいい、と言う感じか。

「なので、あえてガスマスクと言う発想を捨てようかと」

「……どういうことですか?」

「こちらの資料をどうぞ。まだアイデアの段階ですが」

「……エアー、ボンベですか。確かに、面白いかもしれませんね。フィルターがネックなら捨てたらいい。眼からうろこです。ただ、こんな小型化が可能なのですか?」

「使用時間次第ですね。でも、騎士の戦闘時間は接敵してからそれほど長くないでしょう? であれば、五分程度でも充分実用的かと思うのですが」

「……」

 クルスは考え込む。敵との交戦可能時間など長ければ長いほどありがたいのは当然であるが、『亡霊』相手に長期戦は自殺行為である。対応したガスマスクを、全対応のフィルターがあったとして、それでも使用限界はあるのだ。

 濃度次第で時間は上下するが――

「そもそも、このサイズで使用時間五分は可能ですか?」

 口に咥えるタイプの、ハーモニカに近い形状。とても人が五分間も呼吸を続けられる容量があるとは思えない。

 クルスもあまりボンベ事情に詳しくはないが、確か5Lか10L容器だったかで使用時間三十分程度だった気がする。

 だとしたら、あまりにもサイズが小さすぎる。

「エアーを貯蔵しておく発想ではなく、呼気をエアーに変換する、と言う発想です。中の導体と反応し、呼気を大気状態に近づける。ただ、完全な循環が可能なものではなく、あくまで近づけるので多少調整のためのエアーの貯蔵は必要です。濃度調整ですので、どちらかと言えばエアーよりも酸素の貯蔵になるでしょうが」

「……なるほど、そういうことでしたか」

「すいません。今日出てきたアイデアなので、資料に上手くまとめ切れていなくて……それでもクルスさんなら口頭で充分かと思い、手を抜いちゃいました」

「はは、構いませんよ」

 さすが第十の工房が誇る才媛、ライラである。これに関しては対『亡霊』に限らず、ダンジョン攻略などでも有効に働く局面はあるだろう。息が出来ない場面が出てきた際、これを携行していれば対応可能、と応用力も高い。

 ガス検知器は少しばかり対『亡霊』の色が強かったが、こちらに関してはかの脅威を取り除いてなお、騎士の装備としてのスタンダードとなり得る。

 そういう可能性が見えた。

「見事です。騎士として欲しいと思いました」

「そうですか。よかったぁ」

 ホッと微笑む彼女を見ていると平凡に見えるが、たった二年で此処までファウダー対策が進んだのは間違いなく彼女の存在が大きい。

 第十は大きな力を手に入れていたのだ。

 ユニオン騎士団も、そしてそれに連なる連盟所属の騎士団も、皆が。

「あ、また食事、冷ましてしまいましたね」

「新しいのを頼みますか?」

「いえ、もったいないので食べてしまいます」

「なら、自分も倣います」

 照れながら冷めた食事に手を付ける。そんな彼女を見てクルスは考えてしまう。実力もあり、性格も穏やかで丸みがあり、何処かエッダのような素朴さもある。

 いやまあ、ド天才であるのは間違いないのだが――

「その、今度は、あの、仕事以外で出かけてみませんか?」

「え、ええ。お互い忙しい身ですし、都合が付けば、よろこんで」

「絶対、都合をつけます!」

「は、はあ」

 クルスも馬鹿ではない。さすがに好意を向けられているのはわかっている。無下にする理由もなく、このアドバンテージを仕事人として捨てる気もない。クルス自身も好意を抱いている面はあるので尚更。

 ただ、素直に受け止められない点もある。

 ちらつく顔がいくつか――その中の二人、彼女らの手を払い騎士の道を選んだ。彼女たちよりも好意が大きいかと言われたなら、果たしてどうだろうか。

 それに、

『クソ犬がお食事会なんて優雅でええなァ』

 直接言われたわけではないが、絶対に言われるであろうクソ上司のクソ小言を思うと、向けられた好意に応える道はないように思える。

 ただし、嫌われてはおしまい。第十との関係は無駄に絡んでくるノアのせいで、魔導関係の仕事も兼務するヘレナ相手にクルスはあまり好かれていない。

 こうして新製品の存在を先んじて知ることが出来るのは、こうしてライラと関係性を結んだから。それを失うのはない。

 なので、

(……難しい)

 上手く立ち回るしかない。立ち回るしかないのだが――好意が日増しに高まって見えるのも事実。これはまずいのでは、とアホクルスも最近思い始めていた。

 判断が遅い。


     ○


 食事デートを終え、上機嫌のライラは夜の街を歩いていた。今日は我ながら思い切りの良い踏み込みだった、と自画自賛する。

 次の予定はどうしようか、そればかりを考える。

「……」

 彼女は現在、ユニオンにとって重要人物である。

 クルスも自宅まで送ろう、と伝えたが彼女は丁重に断った。部屋は研究者よろしく、人を上げられる状況ではないし、其処はもっと段階を踏んでいきたいのだ。

 それに――

「ライラ・イミタシオンですね?」

 彼女は声のした方へ視線を向ける。

 其処には一人の男がいた。幽鬼のような雰囲気をまとった男である。

「どちら様ですか?」

 人通りのない路地。

「……『亡霊』、そして――」

 其処に突如、

「我が友、『墓守』です」

「う!」

 ファウダーが現れ、彼女を地面に沈めた。彼女を拘束した後、『亡霊』もまた『墓守』の手により地面へ、地下へ沈む。

 瞬く間の誘拐劇、であった。

 目撃者はゼロ。


     ○


 秩序の塔のお膝元、あえて彼らは会議の場所を其処に選んでいた。

 参加者は敵地にてそれほど多くないが、それでも『鴉』やもう一人の協力により開催が叶った。灯台下暗し、人間心理を突くやり口である。

 其処に、

「お待たせしました」

「うっうー」

 『亡霊』と『墓守』が現れる。

 一人の研究者を連れて――

「ご用命の通り、連れてきました。我が友、クロス君が送ろうと言い出した時は面倒くさいことになると思いましたが……助かりましたよ」

 ライラ・イミタシオンは今、ファウダーの面々に囲まれていた。

 発起人である『鴉』や、基本はラーから離れぬ『水葬』に、聖騎士隊のアグニまでいた。他にも新顔がいくつか。『トゥイーニー』は表の仕事が、『ヘメロス』も期末が迫り、就職の決まった騎士団の研修に参加しているため不参加、あとジエィもさすがにユニオン入りは難しいと断念。まあ、本人が変装を嫌がらねばいけたが――

 だが、ほとんどの中核メンバーが此処に揃っていた。

「あ、あの、私、ただの一般人です。何も――」

「私は貴方のおかげで酷い目に合っていますがね」

 『亡霊』は苦笑して一般人であることに反論した。

「ひ、人違いです」

「何も違いませんよ」

 はぁ、と『亡霊』はため息をつく。

 やってられない、と。

 其処に、

「……」

 のそり、と聖騎士隊、大隊長アグニ・ローカパーラが立ち上がる。愛用の大槍、二振りの内、ひと振りを手に前へ進み出る。

 それに倣い、『水葬』らも立ち上がった。

 そして、

「ご無沙汰しております。我らが『創者』、シャハル様」

 彼らは一斉に膝を屈し、頭を下げる。

 その対象は、

「……ハァ、帰るまでがデートなんだけどねえ」

 ライラ・イミタシオン。

 いや、

「無粋だよ、君たちィ」

 突如バキボキ、と異音を奏でながら、ライラの身体は骨格ごと変化していく。女性らしい丸みを帯びたスタイルは中性的に、性を感じさせぬものに。肌の色は浅黒く変貌し、貌の形もシャープに、最後に彼女は、いや、彼は、眼に指を突っ込み、ぐちゅぐちゅと形を変える。これが彼の、彼女の、魔族としての力。

 無性の出来損ないと蔑まれた者が望んだ、存在を変化させる能力である。

 眼鏡を胸ポケットに仕舞い、それで完成。『創者』シャハル、レイル・イスティナーイーその人が現れた。

「申し訳ございませぬ」

「冗談冗談。ボクも招待状は貰っているよ、其処の彼にね」

 生真面目に謝罪するアグニの肩を叩き、

「この姿では初めましてかな? 我らが隣人、ユニオン騎士団第一騎士隊所属」

 新顔の一人へ視線を向けた。

 それは、

「ソロン・グローリー君」

「どうも」

 輝ける男、ソロン・グローリーである。ファウダーキラーがファウダーの中にいる。それをこの場の全員が受け入れている。

「さあ、再会を分かち合いながら話し合おうか」

 『鴉』は空けておいた上座にシャハルを招き、

「秩序と戯れる、混沌の今後を、ね」

 此処に烏合の衆、その王が帰還した。

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