第307話:元第七騎士隊隊長→

「これ、獣除けと……人除けも入っていますか?」

「そのようだねえ」

 騎士が用いる陣地形成、かなり古い型であることが見て取れる。効果はクルスの言った通り、獣除けが主で人除けも入っている、程度か。

 人が不快に思うほどの効果はない。

 あくまで深層心理に響く程度のもの。

「その方がこちらへ越してきて日は浅いのですか?」

「いや、もうかれこれ二十年以上はここにいるはずだけれど」

「それにしては最近敷いたばかりに見えますね」

「まあ、前はなかったからねえ」

「なるほど」

 長く住んでいるにしては陣地が真新しい気もするが、クルス視点ではたいして大きな引っ掛かりにはならなかった。

 だが、

(……自分の感覚を大事にされる人だ。これは、自分用じゃない)

 エクラは少しばかり、不安が募る。

 元々ペンまめな人ではなかったが、何だかんだと出した手紙には必ず返事を書いていた。ただ、最近はどんどん返事が遅くなるばかり。

 今回はとうとう、返事がなかった。

 病が重いのか、それとも何か別の理由があるのか――

 足が重い。

 気も重い。

 まさか死んでいないか、いや、それは最悪ではない。

 哀しいが、

(最悪では、ない)

 最悪ではないのだ。

 最悪は、


「おう、来たか、エクラァ」


「……」

 壮健であること。

 庭先で片刃の騎士剣、刀を振るうは一人の男であった。頭髪も、無精ひげも白く染まり、少し髪も上がっているが、肉体は老人とは思えぬほどの健康体。胸元の大きく開けた服を着ており、半身が露出しているが其処にはびっしりとタトゥーが刻まれていた。どうにもお洒落と言う感じでもなさそうであるが――

(……結核だったのでは? まさか治ったのか?)

 一応、結核はミズガルズでは不治の病とされており、こういった空気の良いところで療養する施策が取られていたが、その内実は人に移る可能性があるため、人里離れた場所に隔離しておく、と言う目的の方が強かった。

「ご無沙汰しております、マスター・ジンネマン」

「ああ。そっちのは?」

「クリス・リンザール、うちの新人です」

「……また薄味のを捕まえて」

「期待の新人ですよ」

 刀を納め、こちらへずんずんとした歩みで近づいてくる元隊長。見定められている。下に見られた。そう感じた瞬間、

「お、なるほど。眼がいいなァ。仕事が好きそうな貌だ。家庭は持つなよォ。俺たちのような人種は、番いを必ず不幸にさせる」

 ジンネマンのクルスを見る眼が少し変化した。

「ジエィ・ジンネマンだ」

「クルス・リンザールです」

 そして握手をし、今度はクルスの考えが変わる。隊長の中でも古株であるエクラが隊長になった時に勇退、と聞いていたから、かなりの年齢であることは間違いないのだが、その手から伝わるのは若々しさと長い修練の果てに生まれたのだろう分厚く強固な皮、触れただけでわかる。

 強い。

「ふは、まだ柔いな。もっと振り込まぬと一体にならんぞ」

「……精進します」

「一丁前に悔しがるか。はっは、見所はある。少し薄味が過ぎるが……時代なのだろうなァ。どうしたエクラ、そんなところで突っ立って」

 ジエィはエクラの様子を茶化す。

「……いえ、その、調子は如何ですかな?」

 そのエクラの問いにジエィは微笑み、

「絶好調だ。残念ながら、なァ」

 あべこべの言葉を放つ。

「……そう、ですか」

「まあ上がれ。茶ぐらいは出してやる」

「ええ、では失礼します」

「若いのもな」

「はい」

 ジエィの案内で山奥の邸宅に二人はお邪魔する。病であるはずが壮健である元隊長、その様子を見てあまり嬉しそうな様子を見せないエクラ。

 クルスにはどういうことなのかわからない。

 仕方がないのだ。

 彼はジエィ・ジンネマンという男を知らぬのだから――


     ○


 邸宅の中、おそらく客間だろうが中央に囲炉裏があり、座布団がある。何処か異国情緒あふれた光景である。このような様式、クルスは見たことがなかった。

「郷里の茶だ。不味いぞォ」

「懐かしいですね。よく新人をこれでいじめておられた」

「俺なりの可愛がりだァ」

 ジエィの出した茶は、

「……これは」

 クルスもよく知るものと似ていた。何処か奥に甘みがあること以外、あのクソ苦茶である。クルスとしてこちらの方が好み、と言うか飲み物な感じがある。

「ん、ああ、黒髪だからもしやと思っていたが、貴様もウト族の集落出身か?」

「マスター、あまりそういうことは」

「差別的発言かァ? 堅苦しい。で、何処の国の出だ?」

「イリオスです」

「イリオス……おお、エレク・ウィンザーの。有名だな」

「の、隣村です」

「はっはっは! そちらの方が由緒正しいじゃないか。あちらは確か、イドゥン侵攻の際に一度滅びエレクが再建したと伝え聞く。そんなに黒髪も多くあるまい?」

「え、ええ」

「ちなみに俺も混じり毛でな。青い毛もあったのだが、今は御覧の通り全部白くなった。歳を取れば髪の色など全部同じだ。禿げるか、白か、どうでもいい」

 ルーツは同じと聞き、少しクルスは親近感を覚えた。

 茶の苦みがそうさせるのかもしれない。

「しかし、老いたなぁ、エクラ」

「六十になりましたから」

「卿がなぁ。そりゃあ俺も歳を取るか……フェデルはともかくカノッサなど使い物にならんだろうに。あれで一応現役なのだろう?」

「年齢なりの技を使われますから。私などよりもよほど達者ですとも」

「くく、老いぼれを持ち上げるじゃないか……それはない。それはないのだ、エクラ。どれだけ技を磨こうと、どれだけ積み上げようと、峠を越えた武人に、朝は来ない」

「……」

「フェデルを、マスター・ウーゼルを羨ましいと思ったこともあった。さりとて、あの身体を持てば今の武はなく、それは俺ではないのだと思うとやり切れぬ。ま、要はそう言うことだ。俺はな、己の武を諦めることが出来なかった」

 茶を飲む彼の眼は、何処か――

「病がきっかけですか?」

「それがとどめであるが、それよりずっと前だ。ユニオンを退いた時にはもう、老いは俺の武を蝕んでいた。騎士の寿命は短い。そして武の道は果てしない。仕事を捨てれば、まだ何とかなると思った。山奥に籠り、ただ一人磨き続けた。技は磨かれたとも。これが若い時に出来ていれば……その時点で、自分で認めているようなもの。俺は、巧くなったが弱くなっていた。歯止めは効かぬ」

 湯呑を置き、


「ファウダー『斬罪』、それが今の俺だ」


 混沌の剣士、ジエィ・ジンネマンは今の名を名乗った。

「……っ」

 クルスは突然の告白に眼を剥く、そして遅ればせながら、何故エクラが悲しげであったのか、ジエィが申し訳なさそうであったのか、全てが結び付く。

 この男は魔族化で得たのだ。

 壮健なる体を。

「あなたは、秩序の騎士であった」

「おう」

「大戦で多くの騎士を失った混迷の時代に生まれ、復興の黎明を正義の騎士として駆け抜けた。戦後世代が誇る、偉大な騎士であった」

「まあ、戦後世代って時点で目立たぬがなァ。結局戦前の怪物が生きている限り、俺たちは……ああ、そういうことではないよな、わかっているとも」

 少し茶化そうとしたが、エクラの眼を見てジエィは言葉を引っ込めた。

「マスター・グラーヴェのアンタッチャブルレコード、それと比肩するあなたとて、伝説の騎士で、模範となるべきでしょうに、なのに――」

「……許せ。俺は俺の武が、俺の中で腐り落ちていく様が耐え切れなかった。それでも迷った。幾度も自問自答を重ねた。だがなぁ、見つからなかった」

「……」

「見つからなかったのだ、エクラ。秩序の正義も、ほぼ断絶したとはいえ子もいる。過去の名声、まあとっくに風化しておろうが……色々考えたが――」

 ジエィは胸を張り、堂々と、

「俺にとって己の武以上のものが、なかった」

 そう言い放つ。

「……そうですか」

 ほんの少し、予感はあったのだろう。おそらくエクラは、それこそ魔族化の話を聞いた時、少しは過ぎったのかもしれない。

 この武人なら、そうするかもしれない、と。

 かつての上司で、まだ徒弟制の色が濃かった時代、自分に騎士の仕事を叩き込んでくれた恩師でもある。

 予感は外れてほしかった。

 だが、外れてほしい予感ほど当たるもの。

「ああ、そうか。『鴉』辺りが上手くやっているのか、今は大義名分がない状態なのだな。そうでなければとっくに始めていただろうに」

 ジエィは軽く笑い、

「俺はユニオンに協賛する国の騎士を、ファウダーの案件で五人斬った」

 座りながら腰に手を添える。

 混沌の裏工作を無に帰す一言。

 されど、この男にとってはどうでもいい。

 大事なのは今、

「さあ、大義を得たなァ、エクラァ」

「……残念です」

 この時。

 刹那の静寂、老兵二人、何を想うか。

 されど、正義が大義を得た今、動かぬ理由はなくなった。

「リンザール」

 エクラから響いたとは思えぬ冷たい、怖気が走るほどに澄み渡る殺意。

「抜剣」

 その言葉と同時にエクラ、クルスは騎士剣を抜き放ち左右から挟み込むように攻め立てる。着座から、一瞬で秩序の騎士が詰め寄る。

 だと言うのに、

「こういう時は言われる前に抜いとくもんだぞ、若いの」

 ジエィは抜き放つ途中の刀でエクラの剣を、

「……馬鹿な」

 クルスの剣は、軽く抓むように指で刃を止めていた。

 指先だけでの白刃取り。固い外皮を持つ魔族すらも断ち切る騎士剣、魔導剣だと言うのに、其処には微塵も恐怖はなかった。

「そしてエクラ、あまり年配を労わってくれるなよ」

「……」

 跳ねるように後退、背後の壁に足をとん、と付き、

「真っ二つだぞ?」

 一閃。

 目にも止まらぬ早業、クルスがそれと理解した時には、受けたエクラが部屋の壁を突き抜け、飛んで行った後であった。

「上司の甘さが危機を呼び込んだなァ、若いのよ」

 静かな着地、その時にはすでに構え終わっている。

 ジエィはクルスを見据え、

「退くもよし、抗うもよし。ただし、俺は手加減できぬ性質だ」

 そう優しく伝えた。

 その優しさが、

「上等だ、ロートル」

 クルスの闘志に歪な火を付ける。

「来い」

 クルスもまた己の剣を構え、迎え撃つ意思を示した。

 それに、

「はっは! それでこそ秩序の騎士だァ!」

 元第七騎士隊隊長、現ファウダー『斬罪』、ジエィ・ジンネマンは嬉しそうに笑う。その眼には秩序を捨てるしかなかった、抑えきれぬ闘志が宿る。

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