第305話:彷徨える混沌

 男はとある小国の公園で一休みしていた。木々は生い茂り、芝生は伸び放題。手入れに割く力もないのだろう。庭を見るとよくわかる。其処の地力が――男は内外から響く『声』に疲弊し、少しでも静かな場所を求めてここまで来た。

 だが、

「国民みんなで助け合い、よりよい明日を築きましょう!」

 どこかで見たような政治活動をしている者たちが大きな声で、ビラを配りながら彼らなりの理想を口ずさむ。

 どこかで聞いたような声。

 どこかで聞いたような言葉。

 どこかで――

「あの、お休み中のところすいません」

「……いいえ。お気になさらず」

 どこかで見たような顔の少女に声をかけられ、男は何とも言えぬ表情となる。彼女はさて、誰に似ていただろうか。誰かに似ている気がするも、その名前が思い出せない。ただ、似ているような感覚だけはあった。

「私たち、国民の声を議会へ届けたいと思っていまして、そのために皆さんから署名を集めているんです。どうでしょうか?」

「私はこの国の民じゃありませんよ」

「あ、そうだったんですね」

「政治活動、色々と大変でしょう?」

「え、ま、まあ……でも、少しでもよくしたい、周りを変えようと思ったら、何かしなくちゃ、って思いませんか?」

「かもしれませんね」

「でしょう?」

 嬉しそうな少女の笑み。やはり、既視感がある。

「では、明日この国の王家が消えたら……あなたはどんな国家を作りたいですか?」

「わ、突然ですねえ。んー、色々してほしいことはあるんですよ。でも、それはみんな同じでしょうし、だから、みんなで考えます」

「……なるほど」

 青臭い。だからこそ心地よい。

 だけど――

「あなたの祈りは届かない」

「え?」

「それでも……いつか叶うといいですね。届くと、いいですね」

「は、はい」

 戸惑う少女をよそに、

「おや、あそこ。この国の騎士でしょうか?」

 男は公園に現れた者たちを指さす。

「わわ、すいません! 今日は退散します!」

「ええ。さようなら」

「またお会いしましょう!」

 走り去る少女を見送り、

「貴様、先ほど何の話をしていた⁉」

 この国の騎士に詰め寄られた男は、

「少々政治の話を。荒れた公園を整備する力もここの王家にはないようですので」

「貴様、王家を愚弄する意味、わかっているのか!?」

「もちろん。此処は……王国ですから」

 王家へつばを吐き、その結果拘束されて縛られる。

「連れていけ!」

 そのまま牢獄へ連れていかれる。なすがまま、なされるがまま、男は抵抗するそぶりを見せずに、ただ彼らに従った。


     ○


 何故あんなことを言った。

 王家への忠誠を誓え。

 出身は何処だ。

 名は。

 年齢は。

 他にも色々と聞かれた気がする。

 だけど、

「お仕事ご苦労様です。あなた方は職務を遂行しただけ。わかっています。何も悪くない。だけど、哀しいかな。ただただ――」

 もう思い出せない。たぶん、どうでもいいことだったから。それに答えようもない。名も、年齢も、何故そう思ったのかも、もう思い出せないから。

 ただ、出身だけは答えられるが、黙秘した。

 どちらにせよ意味がない。

 彼らは今、

「……」

 全身を痙攣させて、地面にのたうち回っていた。魔導により施錠された鉄製の手枷は男の手から分泌される液体に触れ、どろりと形を失っていく。

「不幸だった」

 男の貌には何も浮かんでいない。幽鬼のように佇む。怒りも憎しみも違う。自分は個ではない。群体である。

 集合体であり、個の思考に意味はない。

 ただ、進む。

「と、止まれ!」

「止まりません」

 男は変形させた右腕の内部で自身の一部の魔道により生成した混合気体に、これまた自身の一部が発した電流を放電、さらに一部が魔道によって前面空間に疑似的なプリズムを形成、発振する。

「え?」

 魔力を帯びた光が、男の前に立ちふさがった騎士の腹部を瞬きの内に融解した。痛みを感じる間もない。

 ただ、生命活動に必要な部分が欠損し、

「力が、足りなかった」

 プリズムを広く拡散させ展開、再度発振して――光が幾重にも切り刻む。焼き切る。それは騎士のみならず、建物ごと。

「それだけです」

 魔導技術に導体レーザーというものがある。『低出力』の繊細なレーザーを用い、幾重にも、幾層にも渡り回路を削って形成していくものである。

 余談、である。

 男はさらに進む。小規模の国にとって最も堅牢で、守りの厚い王宮付近に牢獄を併設しておくことはままあること。衛兵や騎士をそのままそちらに回せるのも効率的である。ゆえに、男は連行されてきたのだ。

 敵の懐に潜り込み、

「……」

「あ、ぎ、が、あ、え」

 地獄を振り撒くために。男の近づいた騎士、剣を握り白兵戦に持ち込もうと突っ込んできたが、その途中で体の周囲が自然発火し驚きと共に息を吸った瞬間、喉を掻き毟るように地面にのたうち回り、そのまま白目をむき絶命した。

 同じく近づこうとした騎士や衛兵も同様に――まさに地獄絵図。

 これもまた余談であるが、導体製造工程にドーピングガスとしてホスフィンと言う毒ガスが使われることがある。大気に触れると自然発火の性質を持ち、毒性は極めて強い。吸引すると即昏睡、死に至る危険なガスで、それを用いるためのシリンダーや持ち運ぶための容器には何重にもセーフティが設けられているほど。

 人を豊かにする導体製造には、そう言った毒性や可燃性、支燃性などの性質を持った危険物が大量に使われている。

 安全に配慮し、幾重にもセーフティを設け運用しているから人死にが出ないだけ。日常の裏側には多くの危険が隠れているのだ。

 それが今、

「……記憶は薄れても、知識は消えない。哀しいじゃないか」

 亡霊として表層化し、人に牙を剥いているだけ。

 男は進む。誰も彼を阻むことは出来ない。

 備え無き者は近づくことすら許さない。そして悲しいかな、かつて己たちから逃げおおせた騎士のようにしたくとも、此処が彼らにとっての本丸である以上、逃げ場などないのだ。その悲劇はかつての自分たちと被る。

 立場が逆転しただけ。

 虚しいことに変わりはない。

 されど止まらない。止められない。

「ひ、ひぃ!? な、何でもする! だから、命だけは、頼む!」

「私たちもそう言った。あれ? 言ったかな? 誰かは言ったと思う。たぶん、きっと、嗚呼、だから、駄目です」

「たしゅッ⁉」

 そして最後にこの国の王、その口元へ優しく手を差し伸べる。大気中、何処にでもある気体を、この世界に最も満ちる気体、窒素を。

 純度99.99999%(ファイブナイン)のそれを吸引させる。

 即、昏睡。そしてほどなく絶命。

 人間の体は絶妙なバランスで成り立つ大気組成でしか生きられない。そのバランスが少し崩れただけで調子を崩したり、逆に調子が上がったりする。

 無害の窒素と思い軽んずることなかれ。如何なるガスであっても、大気組成を崩すほどの濃度で吸えば、人は容易く死に至る。密閉した空間に液体窒素を一定量ぶちまけるだけで、窒息死した無知なる者は幾人も存在する。

 人は繊細な生き物。

 生存可能な空間と言うのは決して、広いレンジではない。

 無人の王宮から人影が、一つ出てくる。

 それを待っていたのは、

「お疲れ様です」

「……どなたですか?」

「はっは、『鴉』ですよ、やだなぁ」

「ああ、お顔が見えぬもので」

 ファウダーの『鴉』、作業用のガスマスクを装着した状態で、何かを願っていたはずの集合体である『亡霊』の前に現れた。

「あなたの通り道は危険ですから」

「まあ、そうですね。備えあれば患いなし、かと」

「ただしお気をつけを」

 『亡霊』は掌を『鴉』へ向ける。

「ガスマスクのフィルターはガス種全てを網羅しておりません。ゆえに着脱式で、いくつも種類がある。汎用のもの一つでは万全でありませんよ」

 脅し言葉と共に――

「……心得ておきます」

「では、私はこれで」

 それだけ言い残し、『亡霊』は去ろうとする。

「最後まで見ていかれないのですか?」

「あなた方のようなハゲワシがたかる様をですか? 富は強き者である企業が、罪は弱き者であるファウダーが……理解していても、私の中の理想が暴走することもある。私を残すと言うことは、そういうことです」

「……承知しました」

「結局力なき者は再分配の恩恵を得ることも出来ない。わかっていますとも。それが現実、理想や夢、そんなものはない。わかっていますとも」

 幽鬼の如く、ふらふらと歩き去る。

 そんな悲哀に満ちた背中を見つめながら、

「……その通り。自分の手で、掴み取らねば喰われるだけ。結局、口を開けて待っていても何も起きない。喰うか、喰われるか……俺たちは選んだ。そうだろ、エレオス。負けんよ、俺は。全部を、大旦那すら喰らい、俺が天に立つ」

 自分はああはなるまい、と改めて誓う。

 敗れ、夢と共に散り、甦るも現実を知り、この世に理想などないと、夢を見るのは馬鹿だと、理解してしまった哀れなる『亡霊』。

 それでも理想へ向かい続ける歪みが、彼の異質さであり、強さでもあった。


 秩序の裏で、混沌が動き出す。制御する気もない。望むがまま、思うがまま、存分に暴れて、存分に壊し、存分に滅べ。

 潜む混沌あれば、表で振り撒く混沌もある。

 みんな違ってみんないい。

 それがファウダーだもの――


     ○


「んん?」

 稽古を終え、自宅の掃除をしていると玄関先の傘立ての裏に落ちていた手紙があった。それを拾った男は差出人を見つめる。

 随分前の日付である。

 そしてあの男の気質を思えば――

「くく、そろそろ気にかかる頃合いだなァ。使いを寄越すか、それとも自らの足で来るか。まあ、あの男は任せまい。結局、何処まで行っても俺たちは武人で、孤高だ。それでも任せられるとすれば……それはそれで幸せなことか」

 男は腰に差した刀を見つめ、

「あれが来ればさすがに気づく。来なければ無用。さあ、張ろうかよ」

 少し手入れしておくか、と奥へと引っ込んだ。

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