第302話:どこにでもファウダー
「……」
手のひらから感じる確かな実力。恐ろしいのは片腕でありながら、下手をすると自分の両腕と変わらぬ膂力を秘めている、と言うこと。
鍛えている。片腕しかない分、それのみに注いでいる。
忘れていたわけではないが、目の前の男はあの天才ノアが認めた男である。順当に伸びたら、何処まで到達していたのか――
それでも、
(……勝てる)
感情でぐちゃぐちゃになる頭の片隅で、冷静な自分がそう確信した。剣を抜いたから、其処での判断は誤らない。
ただ同時に、
(人間離れは、していない?)
凡人視点では不条理な出力であるが、それでも人の枠ではある。無論、マリウスのことを思えば魔族化しなければ普通の人なのかもしれない。
しかし、剣を抜いた時点で戦いは始まっているのだ。
もし、フレンがそちら側であれば、此処で手抜きをする理由はないはず。
「手を引くのはそちらだろう、クルス」
「……何の話だ?」
その疑問と、この一言、それでクルスの臨戦態勢がかすかに緩む。
「魔族化の研究、ファウダーの中心人物であるレイル・イスティナーイー、そのどちらもユニオンが絡んでいる。まさか、組織の名を知って知らないとは言わせないぞ」
「……確かにそう伝え聞いている。だが、今はユニオンを離れ、ラーに居を構えているはず。新たなる『双聖』として」
「いや、今はいない。すでにラーを離れた」
「……何故それを?」
「俺も調べているからだ。ファウダーのことを」
フレンの真っすぐな眼を見て、クルスはホッとすると同時に、
「一人は危険だ」
まさかあの聖域に彼も踏み込んだのか、と戦慄してしまう。テュールの情報、忙しくて読み込めてはいないが、その壮絶さは充分理解出来た。
ましてや今、フレンは万全ではないのだ。
「……」
あの日からずっと――
「……そうか、確かに、そうだな。フレンの視点だと俺は怪しいか」
情報とは常にすべて、双方向に開示されているわけではない。例えば魔族化の件を知るとして、外からテウクロイの件を見た時どう思うか。
龍脈の情報を知るフレンはあそこでダンジョン自体が発生していなかったことを知っている。魔族化が絡む案件ではないか、そしてあの場で一番得をした人間は誰か、それはもうアカイアの件と併せて活躍し、史上初の四つ目(オファー)を引き出したクルスである。彼視点、怪しく見えても仕方がない。
と言うか、
(……レイル、シャハルと俺は親しかった。と言うか、テウクロイでも俺は接触しているわけで……そういうことか)
クルスがフレンの立場でもそう見る。
「……無関係なのか?」
「ああ」
「この腕に誓って、そう言えるか?」
「絶対だ。むしろ、俺も奴らを根絶やしにしなきゃ気が済まん」
「……そう、か」
フレンはほっとしたような表情で剣を引き、
「すまなかった」
そう、深々と頭を下げる。
「いや、俺も考えが至らなかった。ある程度事情を知っていたら、そりゃあ怪しく見えるな。特にフレンはメガラニカでの関係も知っているわけで」
「……メガラニカで仕事をしていた時、ピコ先生のことを調べていたんだ。あの事件と龍脈のデータに違和感があったから……それで知った。先生が彼を、『双聖』の末席と知った上で迎え入れていた、って。シャハルが『双聖』で、驚いた」
「そうだな。誓って言うが、あの時点でシャハルは悪意の片鱗すら見せなかった。いや、違うな。今もたぶん、悪意はない。あれはそういう生き物じゃない」
「……まさかテウクロイで?」
「やはり其処か……ああ、会ったよ。ただし、敵としてだ。魔族化が施されていた人物に関しては教えられない。教えたくない、じゃないぞ」
「……なるほど」
龍脈での調査と合致しない現象。それを煮詰めた結果浮かび上がった突発型とは違う、魔族化での事件。
「フレンはどうやって魔族化に辿り着いた? 龍脈の情報から、其処まで辿り着くのは難しいと思うが」
「単純だよ。魔族化自体は今、市場に商品として出回り始めている」
「え?」
「もちろん、現状は裏でこそこそやっている程度だけど、アルテアンに籍を置いているんだ。其処に商流が生まれたのなら、まあ目に留まるよ、普通に」
普通と言うがそれはアルテアンの、おそらくは上澄みでの話。自分よりも早く社会に入った、その経験値の差にクルスは改めて驚嘆する。
大成する人物というのはどの界隈でも成功するのかもしれない。
それにしても――
「早過ぎる」
クルスは現状にそうこぼすしかなかった。
「商品として強いからね。全身フルコースなら老化防止、寿命増加、それに伴う戦闘能力の向上。部位別でも、対応した病巣への根本的なケアにもなる」
「……」
「売れるよ。売れない理由がない」
「そっち、か」
「うん。だから各国の対応も遅い。むしろ、素晴らしい商品を提供してくれるファウダーと仲良くする、そんな国も出てくるだろう。いや、もういるだろうね」
ユニオン視点では見えづらい商の世界、その裏側。戦闘能力にばかり目が行っていたが、そちらの方を重点的に推すのなら、ことはそう簡単には済まない。
何せ、死への恐怖とは生物にとって根源的なものであり、避け難い、避けられないものである。病もそう。
その解法となる、と言われたら――人はそれを選び取る。
特に老い先短い者ほど、現在の世の中を動かす権力者ほど、それを求める。
「とは言え現状、症例数も少ないし、魅力的であっても様子見をしたい、と言うのが皆の本音。それでは間に合わない、って人が今、手を挙げている人だ」
疑似的な不老不死。
求めるなと言う方が酷か。ただし、現状では安全性やこの先どうなるのか、そういう検証は出来ていない。未認可の薬に手を出すのと同じこと。
ただ、それでも――
「俺はファウダーのことを、アルテアンのひも付きだと思っていた」
「ない、とは言い切れない。かなりの大仕掛けだ、商人は絶対にかかわっている。それも腕利きの……それなりのパイプを持つ人物だと思う。でも――」
「ユニオンも……か」
「ああ。動きが遅すぎる。俺程度の木っ端が見えていることを、ユニオン規模の騎士団の誰も見えていないとは思わない」
第十二派閥、彼らは団の中でも特に商世界とのつながりが強い。この件を全員が知らない、と断言するにはクルスにも知らないことが多過ぎた。
「クルスはユニオン内部のことを」
「すまない。まだ、何も知らない」
「……俺も似たようなものだ。成長はしているし、仕事も楽しい。嫌なこともあるけれど……だけどきっと、まだ仲間だと認識してもらえていないんだろうね」
「……実績か」
「それ」
結局其処に回帰する。界隈で力を付けたら人とのつながりが増える。つながりが増えれば情報も勝手に増えてくる。情報が増えればやるべきことも見えてくる。
つまるところ――お互いまだまだ力不足。
「最後に一つ質問」
「どうぞ」
「どうして、ラーにシャハルがいないと?」
「聖域付近のボーリング許可が下りた。『双聖』が健在の間は当然下りなかったし、それは『双聖』を乗っ取った後も同じ……でも、何処の勢力かわからないが聖騎士が出張るほどの事件があって、そのあとに許可が下りた。普通逆だろ?」
「確かに。其処にいるなら……下りるわけがないな」
「もちろん聖域には立ち入り禁止、近づくことも許されないけどね。ただ、ラーとしても不可視だった聖域周りの龍脈の情報は手に入れておきたかったんだと思う。そのせいでダンジョンの発生予測にも大きなズレが生じていたし」
「……丁度不在になったから、やりたいことをやってしまおう、だな」
「うん」
おそらくは聖域から姿をくらましたシャハル。まあ、普通に考えてテュールに攻められ、居場所を突き止められたのだから如何にアンタッチャブルの立場であっても、その場にとどまる理由は薄い。
王国としても『双聖』が其処にいる、という状況が必要なだけで、むしろ首を突っ込まれない分、やりやすさすらあるだろう。
「改めて……悪かったね、友達を疑ってしまって」
「いや、俺も同じだ。だから剣を抜いた」
謝罪。
「君はファウダーをどう思う?」
「個人的な怒りはさておき、間違っているとまでは言えない。騎士の生まれでない俺にはどうしても、魔族化と言う武力とこいつの違いを説明できなかった。今も」
クルスは腰に提げられたそれを示す。
「……公平で君らしいね。俺もそうだよ。世界を騎士の世界の外から眺めた。そうして初めて歪な部分を知ることが出来た。全肯定はない。もう出来ない」
世界の武力を担い続けた正義の味方。
その在り方は正しく映る。しかして、力を其処に集約し続けた弊害も世界には必ずある。今はまだ、ウトガルドと言う存在のおかげで一枚岩に近いだけで。
人類は敵を失った時、秩序を保つことが出来るのだろうか――
「だが、やはり看過できない」
「理由は?」
「無秩序な力の頒布は混乱を引き起こす。今、このルールの中で頑張っている者たちが馬鹿を見る。俺はルールの破壊を求める者より、そちら側に立ちたい」
「それもまた君らしい。そして、俺もそうだ」
フレンは苦笑いを浮かべながら、
「今の世の中を全肯定などしない。より良き道を模索する。そのために俺は力を求めた。そのために今、大樹の庇護を受けている」
「俺もだ」
「世直し、なんて大それたことを言うつもりはない。ただ、そうだな」
「我を通す」
「……身もふたもないけど、はは、それだな」
ゆっくりと手を差し出した。
「俺たちの我は重なるか?」
「ぶつからない限りは」
クルスは身もふたもない回答共にその手を握った。
「いいね」
先ほどよりもさらに強い力で、手を握り潰すつもりかと思うほどの握手。片手でよかった。感極まって両手で握られていたら、多分骨を折られている。
「情報交換といこう」
「ああ。両陣営、いや、全方位に敵はいると思って」
こうしてクルス・リンザールとフレン・スタディオンは彼らのみが知る同盟を組むこととなった。武、商、その両面からファウダーを追う。
その先に、自らが属する陣営が敵に回ることもあるかもしれない。
両陣営が、世界と対峙することもあろう。
「それにしても……本当によかったよ、クルスがファウダーじゃなくて」
「こっちのセリフだ。それにしても……疑い過ぎじゃないか?」
「だって人相が昔より、ね」
「……そっちも随分胡散臭くなったぞ。商人感出てきたな」
それでもこの握られた手は離れない。そう信じたい。
異なる道、だからこそ同じ方を向き――歩み始めた。
○
「ずず……そろそろ、人里に戻ろうと思います」
「ん? 居心地がよくないか?」
ファウダー、『斬罪』の立てた茶を飲み、同じくファウダーの『亡霊』は穏やかな笑みを浮かべていた。
「いえ、逆です」
「……そうか。ま、必要なら呼べ。俺の目的はすでに達成されている。この身体を得ることが出来た。それ以上は望まんし、その分は返す。それだけだ」
「その時はどうぞ、よろしくお願いします」
「おう」
烏合の衆、方向性もバラバラ。
進むべき道も――
「理想に殉ずるか」
「そのために私たちは再びこの地へ舞い戻ったのです。何も成さぬ道などありえない。必ず、成し遂げます。今度こそ、秩序の打倒を。力なき者への救済を」
「もう、卿らに国はないぞ」
フィンブルはある。歪んだまま残っている。ただ、『斬罪』が指すモノはもっと大きな、枠での言葉。それも『亡霊』は理解している。
自分の行動が決して合理的ではないことを。
それでも――
「理想を求める者の、味方になることは出来る。それでは。ここの静けさは、私にとって救いでした。また、お会いしましょう」
あの時砕けた理想を、夢を、追い求める者への力と成らん。
それが決して、
「俺にとっても、くく、悪くない時間であった。ではな、茶飲み友達よ」
正しくないと理解していても、歪んでいると思っても――
「さて、修行でもするかァ」
『斬罪』は立ち上がり、日課の打ち込みに向かう。
武の研鑽、探求、この男にとってはそれが全てであったから。
○
「金の卵ですよ、この子は。剣闘大会で見かけて、いや、この時期に編入などありえない。わかっています。でも、逃しちゃいけない。だって君、いくつだっけ?」
「んー、十五、くらいで」
「十五歳ですよ!? 身長は?」
「百九十です、確か」
「ですよ! お願いします! アセナ・ドローミ、いや、それ以上の逸材です! うちの環境なら、最優の環境で磨けば、きっと――」
通話機で熱く語るスカウトマンの後ろで、困ったような顔をしているのはファウダーの『ヘメロス』、テュールを知り、自分より遥か劣るスペックで、自分の及びもつかぬ武を秘めていたテュールに、武に興味が湧き、暇であったため気まぐれで剣闘大会に出場していたところ、
「よし! トライアウトは取り付けた! 君なら必ず受かる! 私が交通費と宿泊費を持つから、一緒に来てくれないか? 最高の学び舎、ログレスへ」
「暇なので良いですよ」
「やったー!」
ログレスのスカウトに目を付けられ、まさかのトライアウト、編入試験を受けることになった。十五歳(四歳)児である。
(本当はアスガルドがよかったけど、はは、さすがにまずいか。とりあえず、まあ、我らが『創者』様好みの面白い展開、ってやつじゃないかな、これ)
先々代グランドマスターの複製体(クローン)、ログレスへ入学確定(ほぼ)。
○
「あんた掃除上手いわね」
「恐縮です」
クゥラークの団員ミラ・メル。クルスと同期、つまり新卒のはずなのだが何故か今、新人の面倒を見ていた。先輩風をビュンビュンと吹かせながら。
服装自由のクゥラークで、なんでか知らないがメイド服を身にまとう女性。
メイド服で、
「うし、じゃあ私が拳闘見てあげる。ありがたく思うことね、見習い」
「ウィ、マスター」
「パンクラには近寄っちゃダメよ。あいつらは野蛮なの」
「ひでー言い草やなぁ」
「ほんとほんと」
掃除終わりに拳を構える。そのどっしりとした構えに、
「ノンノン、拳はね……足で打つの!」
ミラが見事なクイックネスからの高速ジャブを見せつける。
「はい、真似してみて」
「心得ました」
メイド服の女性、ファウダー、『トゥイーニー』。技術体得のためクゥラークへ潜入を敢行。身分証などは全て『鴉』に用意してもらっている。
なので、
「あっ」
ちょっと風変わりだけど将来有望な新人、に一応見えている。
「ぶはぁ⁉」
「あ、ミラが吹っ飛んだ」
「先輩の面目丸つぶれやん」
「うっぜー! 油断しただけじゃい! このスペックお化けが!」
「恐縮です」
「ほめでねー!」
鼻血たらたらのミラが喚き散らす。後輩には負けん、黄金世代の意地があるのだ。鼻血たらたらだが――
○
そして世界中に今、あらゆる勢力から命を、身柄を、狙われている存在、ファウダーの心臓である『創者』シャハルは――おしゃれをしていた。
どこぞの安アパートの一室で、
「ふんふふふーん」
鼻歌交じりに、
「もっと面白くなーれ」
哂う。
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