第293話:㊗ミジンコ無事入隊へ

 静かで落ち着いた旅行になるはずが、何処からともなく嗅ぎつけた連中に巻き込まれ大所帯での卒業旅行となったクルスは今、駅で他のユニオン入りしたメンバーとも別れ、第七の隊舎に向かって歩いていた。

 どんちゃん騒ぎを繰り広げ、何度か記憶が飛んだ時に色々あった気もするが、記憶が飛んでいるためクルス自身、どうしようもない。

 とりあえず飲酒はやめよう、と心に誓う。

 それに――

(ここからは休む余裕もないだろ、たぶん)

 充分に緩めた。充分に休んだ。それらが無駄であったとは思わない。如何なる経験をも糧として進むと決めた。

 だが、郷に入らば郷に従う。

 何故なら第七はあの男の王国であるから。

「まあ、入ってみて、だな」

 如何なる無理難題が降り注ごうと全て突破して見せる。業腹ではあるが、自分が伸びたのは四学年、五学年と言った精神が崩壊しかけるほどに追い込まれていた時代である。負荷をかける、あの男のやり口を賛同するわけではないが、一度自分をとことん追い込むのも悪くはない。

 その環境を求め、第七を選んだのだ。

 あの男ならば自分を地獄の底に叩き落としてくれる。その確信があったから。

 そしてその確信は、

「……ん?」

 現在、第七の隊舎近くを歩いていたクルスの視界に突如現れる。喫茶店で紅茶を嗜みながら、苦虫を噛み潰したような表情で座っていた。

 クルスの上司、レフ・クロイツェルである。

 対面に、

「やあ、卒業式ぶりかな?」

「マスター・グレイプニル。何故ここに?」

 アスガルド王立学園騎士科教頭、テュール・グレイプニルがいた。普段、ウル同様きちんと仕立てた衣装に、折り目もピンとしわ一つない出で立ちであるのに、今までクルスが見たこともないほどにボロボロかつ、目の下に隈が出来ていた。

「どいつもこいつも……僕の時間を何やと思っとるんやドカスども。こっちのカスはのんびり旅行、こっちのカスは僕を二日も余分に待たせた。一回死ねボケ」

「だから何度も謝っているだろう? クルス君に関しては君が悪いよ、クロイツェル。だって君、出勤予定伝えてなかったんだろう?」

「伝えとらん、っちゅーことは秒速で来いってことや」

「なら、それを伝えなきゃ」

「……僕はこのカスのママか?」

「はは」

「用が済んだんやからさっさと去ね。ジブンがおると茶と菓子が不味くなる」

「手厳しいなぁ。ま、厚意に甘えるとするよ」

「死ね」

 クルスのよくわからぬやり取りを終え、テュールはよいしょと立ち上がる。心なしか立ち姿も弱って見えるが、果たして何があったのだろうか。

 こんな先生をクルスは初めて見る。

「改めて卒業おめでとう。君は素晴らしい成績を修めたが、騎士としてこれからが本番だ。しっかりと励みなさい」

「イエス・マスター」

「それと、クロイツェルの世話を頼むね」

「心得ました」

「僕が世話すんねん。ほんまさっさと消ェや!」

「はいはい。そうしますよ。それではまた、仕事場で会おう」

 クロイツェルの辛辣な言葉も何のその、笑顔のままテュールは歩き去っていく。立ち上がった時には揺らいで、弱って見えたが、今の背中にはその色は見えない。

 教科書のような歩き方で去っていく。

 それを見て、

「阿呆が。格好ついとらんのに、カッコつけんなカス」

 クロイツェルが小さく吐き捨てる。

 テュールが去った後に、

「あの、何があったんですか?」

 クルスはあの異様な雰囲気のテュールについて問う。

「……」

 ジブンに言ってどないすんねん。歯車に徹せやドカス。みたいな表情で思案するも、色々と考慮した末、

「……座れ。手短に説明したる。二度は言わん。頭に刻め」

「イエス・マスター」

 クルスに説明することにしたクロイツェル。それをクルスは珍しく思う。聞いたのも正直駄目元であったのだが――


     ○


 時は少し遡り、

「申し訳ございませぬ。不覚を取りました」

「あはは、いや、構わないよ。君らで無理なら、今のファウダーじゃ難しかっただろう。……最強の『斬罪』氏も、追撃は君らより下だろうからねえ」

 聖騎士の隊長であるアグニは『創者』シャハルに頭を下げる。

 聖騎士全員が数日間にも及ぶ追撃戦を経て、疲労困憊となっていた。

「……」

「身体が不慣れだったとか、言い訳してもいいのに君らはそれをしないね」

「不覚を取ったことだけが事実であります。多勢でありながら、あの状況で取りこぼすとは……あまりにも不甲斐ない」

「それだけ英雄の懐剣が優秀だっただけでしょ」

「……」

「自分たちに厳しいねえ」

 そうなるのもわかる。しかし、期待の若手の証言や、歴戦の彼らが魔族の体を得ても取りこぼした、その事実からしても単純に怪物なのだろう。

 ユニオンの隊長格と何ら遜色がない。

 いや、むしろ――

「まあ、結果は悪くない。あまりに原理主義者どもがか弱く、慣らし運転にもならなかったでしょ? 若手も経験を積めた。特に……『ヘメロス』や『トゥイーニー』への影響は大きい。損よりも得の方が大きいんじゃないかな?」

「……」

「んもー、こっちがフォローしているのにぃ」

「申し訳ございません」

「いいよいいよ」

 抵抗すると見せかけて即時撤退を選んだ。しかし、速さで勝る群れ。潔くない、無駄な足掻きと思った。何度も、何度も、数え切れぬほど包囲した。何度も塞いだ。

 だと言うのに、

『ふー、きついねえ』

 あの男は笑顔で切り抜け、すり抜け、何度も包囲を抜き去った。確かに体が大きくなり、体高も伸び、取り回しの変化はあった。それでも速さで勝る、その一点で莫大な、圧倒的なアドバンテージであったはずなのだ。

 それなのに、何度も抜け出され、一歩、一歩、少しずつ少しずつ後退し続け、遮蔽のある場所まで辿り着き、其処からはさらに捕捉が困難となった。

 あれほど執念深く、泥臭く、長時間戦い続けられるのはただその一点のみで怪物以外の何物でもない。

(情報を抜かれたのは痛いけど、抜かれたことがわかっているならどうとでもなる。遠見のアスガルドにってのは嫌な感じだけど……すぐ手を打たなきゃいけない緊急性は薄れた。何より、ボクが遭遇しなかったのは大きいね。とても)

 『墓守』への対応からしても、おそらくシャハルと遭遇していれば全力で、差し違えてでも殺しに来ていたはず。

 そうなればおそらくテュールは殺せた。

 よーいドンでの戦いなら、今のファウダーでもどうとでもなる。実際、人的被害は長く戦った聖騎士たちですらゼロ。戦果よりも性能差はない。

 ただし、自分も殺されていたかもしれない。あの剣が届かなかった、とは自信が持てない。だから悪くない結果であるのだ。

 おそらくは――どちらにとっても。


     ○


「……っ」

 クルスは説明を聞き絶句していた。

 テュールの任務は実地調査、ウル・ユーダリルからの密命を帯びてラーに入り込み、ファウダーとラーの状況、関係性を正確に見定める、と言う任務であった。

 単独潜入という無茶をウルが命じたことにも驚きであるが、それに対しウルもクロイツェルも特にフォローをしなかったというのも驚きであった。

 まあ一応、

「僕が帰還途中、ついでに原理主義者のカスどもが動くようには仕向けといた。が、それが功を奏したかは結果論やな。それがあったからあのカスは踏み込んだ調査を敢行したし、その結果がデスマーチやったわけで」

 クロイツェルも関係はしていたらしい。とは言え、直接手伝いはしていない。本当に単独で入り込み、ボロボロになりながらも生還を果たした。

 ファウダーの戦力を知るクルスからすれば信じ難い話である。

「何驚いとんねん。まさかあれが、ただの気の良い若作りのおっさんやと思っとったんか? 自分でも難しい、不可能やのに、って」

「そ、そんなことは」

「顔に書いてあるわボケ」

「……」

「ええか、カス。此処からは、人様を判断する時はそいつの所属する団体やなく、そいつの実績を見ることや。能力があれば自然と実績を積む。ただ剣振るだけが取り柄の低能は積めん。世界一強いミソッカスもあり得る。それが騎士の世界や」

 わかっていることではある。

 その人がその道で何を成したか。これからはわかりやすい成績はない。よーいドン、で剣を重ねることも少なくなるだろう。

 騎士とは総合力の世界。

「単独戦闘ならあのカスとジブン、そこそこええ勝負する思うで? たぶん、決着つかんやろ。剣の相性もよぉない。勝負が成立せーへん。でも、ジブンにあのクソジジイがこの仕事を依頼することはない。このままやと一生な」

「……でしょうね」

「と言うより、僕にも依頼せんやろ。単独戦闘なら僕が勝つで? でも、退き戦であのカスには勝てん。ユニオンにもおらんやろ。隊長だろうが誰であろうがな……つまりは総合的な生存能力、それがあのカスのセールスポイントや」

 出来ると自己判断しただけでは足りない。他社にも出来ると見做されて初めて、仕事というものは振り分けられる。

「ボディコントロールと状況判断速度、精度、その辺が突出しとる。戦型もいくつか使うが、よぉ使うのは応用の利く、あらゆる状況に対応できるもんや。剣でのシバキ合いの性能削ってでも……其処に振った。だから、あの男は今、騎士の一生、そのゴール地点におる。正味、たかが副隊長の僕よりも遥か上やぞ。立場はな」

「学校の、教頭が、ですか?」

「正確には団入りして、団長なって、特別待遇で教頭になる、や。普通ならええ歳のジジイが辿り着く場所。あのマスター・ヘイムダルでも主任やぞ。アウストラリスのボケはスカウト部長、クソ雑魚やった。まあ、昇進は席の空き状況も加味するさかい、一概には言えんが……結局犬死したやつやしええか。どうでも」

(こいつマジでクソだな)

 ただ、確かにクルスは騎士の界隈に疎く、丸四年経ってなお抜けも多い。テュール・グレイプニルが騎士科教頭であることはクルス視点当たり前で、他校との絡みもあまりなければ其処に疑問を持つこともなかった。

 何故リーグ先生よりも上なのか、とは少し思ったこともあったが。

「ジブン、勘違いしたらあかんよ。ユニオン言うんは所詮看板でしかない。それを誇り始めたら秒速で腐るで? 看板は使うもんで、飾るもんやない」

 ユニオンに入ったから優秀。一番いい団に入ったから、一番いい団にいるから、それで成長するわけではない。其処で何をするか、何を成したか。

 プロとは結局結果が全て、そして結果が実績となり、更なる仕事を呼ぶ。おそらくテュールはこういう無茶ぶりを乗り越え、今の地位に至った。

 ウルが出来ると判断した。

 テュールもやれると了承した。

 今のクルスではとても出来ないことを。

「切り替えェ。ユニオンにもゴミはおる。他所にもあのカスや犬死したボケみたいな騎士がおる。自分はミジンコ、刻んどけ」

「……イエス・マスター」

 勘違いしていたわけではない。いや、勘違いしていたのだろう。戦闘ならどの相手にもイイ線行くようになった。太刀打ちできない、と感じることはほとんどない。連携なども客観的に周囲よりも優秀で、第七で一緒に仕事をした面々を見ても決して見劣りしない、と思っていたのだ。

 その感覚自体は間違っていない。

 ただ、物差しが今までとは全く異なるのだ。

 それを今自覚できたのは僥倖なのかもしれない。自分をまだまだだと自覚を促すよりも、こうして現実的に直面した方が明確でわかりやすいから。

(勝手が違う。確かにまだ、俺は何者でもないな)

 攻守兼備、それは学生段階の前提条件であったが、此処からは逆に騎士としての武器、長所や持ち味が必要となってくる。

 騎士としての武器を磨き、同時に仕事を振られるよう実績を積む。

 やるべきことは山のようにあるから――


     ○


「あー、身体がガタついているなぁ。歳かぁ。と言うか聖騎士、一人も最後まで解れなかった。マスター・ローカパーラは言わずもがな……あれと五分でやり合いたくはない。クルス君たちに大変な仕事を残してしまったが……これが限界だ」

 学生の前では見せぬ表情でテュールは腰をさすりながら弱音を吐く。撤退戦、隙があれば何人か削っておきたかったが、誰一人最後の最後まで隙を見せなかった。元々優秀な人材しかいない騎士隊であろうが、おそらく意識の高い者だけがあそこに残ったのだろう。魔族化よりも、そちらの方がよほど怖い。

「マッサージして帰ろう。あと、経費でちょっといいところに泊まって――」

 先ほどクロイツェルとも話したが、今回の件は少し精査する必要がある。その上、相手が国家と完全に手を結んだ以上、迂闊に手を出せない状況でもある。

 これから、彼らと結ぶところは水面下で増えてくるだろう。

 すでにラーと結んでいる、その実績が箔となって――

「土建屋に岩盤の見積も取りに行こう、っと」

 教え子たちの、特にクルスの今後は大変だなぁ、と思いながらテュールはアスガルドへの帰路につく。帰ったらたぶん、新学期関連でやることが山のようにあるだろうから。それを想い、彼はため息をついた。

「絶対に来期の予算にねじ込む。絶対だ」

 いちち、と腰をさすりながら――

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