第292話:退き戦
(斬った傍から再生する、か)
『双聖』が元になったと思しき異形の怪物たちを斬り伏せながら逃走するテュールであったが、彼らの異様には少しばかり驚きを禁じ得ない。
不死、それが疑似的なものか、それとも本物かはさておき、騎士剣でいくらか斬った程度ではすぐさま再生してしまう。
ただし、
(……より、醜悪に、人間からかけ離れる形で)
再生の度に人から離れ、より化け物じみていく様は、元が人であると知っていれば目を背けたくなるほど、悪意に満ちたやり口である。
『双聖』への私怨が垣間見える。
と、
「おっと、さすがに観察している場合じゃない」
つい異様を観察し始めた自らの知的好奇心を諫め、テュールは全力で逃げる。どうやら、追ってくるのは『ヘメロス』一人のみ。
好判断だ、とテュールは微笑んだ。
速さで勝り、見ることに徹した相手を振り切ることは難しい。こちらの背を全力で追いかけ、張り付こうとしてくるなら振り回す方法はいくらでもあるが、一定の距離を保ち視界を確保し続ける相手は厄介と言える。
最小限の動作で切り払い、するすると怪物の間をすり抜けるように進む。敵意を向ける敵の群れと対峙しながら、これほどに静かな逃走が出来る男はそういない。
敵意が、牙が、爪が、何故か届かない。
気づけば遠くにいる。
そして、悠々と獣の群れを潜り抜けたテュールは壁を駆け上がる。来た時とは違う、音を出しても構わない、最速の踏破。
外壁で待ち構えていた聖域の守り手たる騎士、彼らがいざ戦いだとばかりに魔族へ変身する、その僅か手前に到達し、
「失敬」
「あっ」
拳、蹴り足による、顎先への攻撃を見舞う。流れるような所作で、全員が顎先に受けた衝撃が脳を揺らし、昏倒した。
同じ騎士、それでもここまでモノが違う。
テュールはそのまま流れるような所作で彼らが抜けなかった騎士剣をひと振り、鞘ごと拝借した。自分の鞘と『水葬』の騎士剣が規格違いで、納められずに困っていたのだ。なので、一式丸まる頂いた形。
その際、『水葬』の剣はお返ししておく。
「お邪魔した」
ひょいと壁外へ。魔都と化した聖域を抜ける。
あまりにもあっさりと抜け出たから拍子抜けしてしまうが、『双聖』の獣も、数は少ないが壁の上で待ち構えていた騎士たちも、本来相当な強さである。
特に騎士は出自なども関係するが、準御三家のラーにおいて成績が極めて優秀な学生しか採用していない。最近は外部の学校からも優秀者であれば採用する、という寛容さもあり、超エリート集団化していた。
その上、魔族化も備えている。
ただ、
「無人の野を征くが如く……退き戦のお手本だなぁ」
テュール・グレイプニルが上手であっただけ。
その見事な立ち回りを観察しながら、感心しながら、急速に騎士を学習する『ヘメロス』。自分が適役だと思ったのは事実だが、単純に興味深かったのだ。
なかなか本物に巡り合う機会は少ない。
そして本物が、
『赤子相手に剣を抜く奴がいるか? 俺に本気を出せ、とはそういうことだぞ』
『貴公の出自を知るが故、遠慮いたす』
容易く自分の底を見せてくれるとも限らない。たとえ仲間であっても、いや、ある意味烏合の衆であり、利害が一致しているだけの群れでしかないから、切磋琢磨と言う構図が生まれない。
『双聖』、ラー絡みを除き、このファウダーと言う組織は場合によっては敵に裏返ってもおかしくない危うさを秘めている。
今回も『亡霊』を引き離すため、『斬罪』、『鴉』がひと案講じていた。残っていたら、下手をすると『創者』らと敵対していたかもしれない。
元秩序側である双聖原理主義者たちも、今となっては反政府側。合理的に見ればこちら側であろうとも、人の心は合理だけで動かない。
どちら側に立つか、ただでさえ彼は成り立ちからして不安定である。
その上、本気で暴れられると聖域全体に被害が出てしまう。しかも彼の場合は土壌汚染など、後遺症すら残す可能性もあるのだ。
「さて、我らが『創者』様はどう捌くか。それ次第で……本当に逃げ切られてしまうかもなぁ。どうなるか実に楽しみだ」
場合によっては聖域の守り手、そのトップとの衝突も見られるかもしれない。齢四つ、好奇心旺盛な盛りであった。
○
聖域に留まったファウダーの面々は焼け焦げた出入り口に、焼け落ちた天井を見つめながらため息をついていた。
「うー」
「大丈夫ですよ。『創者』様ならば直してくれますから」
「うあ」
『水葬』も幾度か手合わせしたかつてピコ・アウストラリスであったもの。自分もそれなりに自信があった。魔族化も込み、この汎用的な力を持てばメラ・メルであったものとは違い、通常攻撃の範囲しか持たぬ騎士に負ける道理はない。
そう思っていたのに、結果はものの見事に敗れた。
体に染みついた戦歴、引き出しの差を痛感した。
ただ、そんなよくできた御人形も、本来の性能には及んでいなかったのだろう。少なくとも騎士の総合力と言う意味では、互角と目された相手にこのざまである。
「私も追った方がいいのではないでしょうか?」
「いや、此処はこの場で最も価値のある能力を守ろう。最悪のケースは、私たちが敵を追い、その敵が我々を欺き聖域に戻り、隠れ潜んだ場合だ」
「……なるほど?」
よくわかっていない様子の『トゥイーニー』。
仕方がない。彼女もまあ、『ヘメロス』に毛が生えたようなもの。知的に見える格好を本人は好むが、知識を積み重ねる時間などほとんど与えられていない。
「隙を見て『創者』様を殺される可能性があるってこと」
「シャハル様を……許せませんね」
「君は意外と『創者』様を嫌ってはいないのだね」
少し意外そうな表情を『水葬』は浮かべていた。彼女の生い立ちを思えば、同じ穴の狢を毛嫌いしてもおかしくないだろうに。
「シャハル様自身が望み、命を玩ぶことはないでしょう?」
「え? そうかな? やると思うけれど」
「望むのはいつも……周りだと思っています。不死を望んだ『双聖』も、力を望んだ騎士たちも、貴方もそうでしょう?」
「……まあ、そういう部分は無きにしも非ず、か」
とは言え、そういう方向性に持っていくぐらいは平気でやる人だと『水葬』は思っている。ひとでなし、それはそれとして彼にとっては憎き『双聖』、その制度の破壊者であり、それを手伝わぬ道理はないのだが。
「それに私を……人間扱いしてくれますから」
「……そうだね。其処の垣根はまあ、あの御方にはないだろうね」
「貴方はどうですか?」
「私にはあるよ」
「……そうですか」
「私たちは全員、魔族だろう?」
「……ふふ、そうでした」
笑顔を浮かべ、責務を果たすために羽ばたく『トゥイーニー』の背を見送りながら、『水葬』はため息をつく。
自分たちは良い。望み、この力を得た。だけど本人が望みも、頼みも、願いもせずに生み出された者は、果たしてどう生きればいいのか。
ファウダーは所詮烏合の衆、いつか必ず滅びる。
秩序を混沌に塗り替えたのち、その先に此処はもう存在しないのだ。
「うあー」
「何ですか、グレイブス」
「ああう」
「剣を拾ってくれたんですね。ありがとう。君は優しいね」
「う」
人の悪意にすら気づけぬ純真。彼らの行く末を想うと申し訳なくすら思う。まあ、そんな甘い考えを抱く時点で、自分も甘い側なのは理解しているが――
○
遠く、響く馬蹄。
乾いた音と共に群れの接近が告げられる。遮蔽物のほとんどない砂漠、其処を速さで勝る生き物がずっと追いかけ、ご丁寧に松明を握ってマーカー役を務めている。こうなってくると打つ手がどんどん失われていく。
出来るだけ遮蔽のある場所を目指して、全速力で駆け抜けてきた。砂漠も今走っているような砂砂漠ばかりではない。岩石砂漠、礫砂漠、そういう場所まで逃げられたなら立ち回りようもあろう。
だが、現状其処すらも遠い。
何より相手の足が想像の倍ほど速かった。明らかに人の足ではない。先ほどの『水葬』と名乗る男のように、そういう形態なのだろう。
しかし、足の数の分、半分と仮定しても――
(……多い)
さらに想定よりも追手が多い。
目的地は遠く、敵は速く多い。
想定にないことばかりである。魔道が絡むとろくなことがない。
テュールは苦い笑みを浮かべながら、出来るだけ遠くへ、出来るだけ遮蔽がある方へ、出来るだけ人里の方へ近づくよう走った。
そして――
「ここまでだ」
『ヘメロス』が加速しこちらに肉薄した時点で、
「聖域近郊は部外者立ち入り厳禁である。この国の法、知らぬは通らぬ」
彼ら全員の接近が完了した。
さすがにテュールも観念したのか足を止める。背後の彼ら、『水葬』とは違いこちらの多くは人と馬の中間、それ以上でもそれ以下でもなさそうである。
前に進み出た、この群れの長以外は。
「我が名は聖騎士隊、大隊長、アグニ・ローカパーラである。其の方は?」
「テュール・グレイプニル」
聖騎士たちがざわつく。
「名高き英雄の懐剣か」
「そんな御大層なものではありませんよ。ただの中間管理職です」
「その中間管理職が何用か?」
「観光です」
「残念ながら聖域近郊への立ち入りは極刑。ガイドブックにも載っていることだ」
「それは失念しておりました」
聖域の守護者、『双聖』の守り手、聖騎士。その騎士隊を束ねるは唯一無二、大隊長の席次のみ。大隊長は他の聖騎士とは異なり、『双聖』のトップとも直接会話が許された選ばれし者であり、秘密の多い聖騎士でも彼を知らぬ者はいない。
間違いなくラー最強の騎士である。
そんな彼すらもファウダーの、レイルの軍門に下ったなど、にわかには信じ難いことであった。てっきり原理主義者らの方へついていたと思っていたのだが――
「諦める気は?」
問答無用、とばかりの問い。
「一応、駄目元で足掻くつもりです。ただまあ、名高き『天輪』のアグニ殿相手では厳しいでしょうね。どうにか一騎打ちになりませんか?」
「一騎打ちならば敵うと?」
「総力戦よりは当然、勝てる可能性はあると思いますよ」
テュールの言葉に初めて、
「ふっ」
アグニは笑みをこぼす。
「誘いに乗る気はない。全員で、確実に、始末する。それが我が主、レイル様の望み。あの御方を支えることのみが、我が喜びである」
圧倒的忠義。それが垣間見えた。
何故、そう思ってしまう。長年、『双聖』に忠誠を誓い、それを貫いてきた男である。結果として『双聖』でありながら反双聖となり、彼らを滅ぼした存在は本来ならば忠誠を誓う相手ではなく敵であろう。
それなのに――
「冥途の土産に……一つだけ問うても?」
「内容次第だ」
「貴方ほどの騎士が何故、レイル・イスティナーイーに、ファウダーに与するのですか? 長きに渡り、『双聖』を、この国を支えてきた貴方が」
「……」
アグニは少しだけ迷い、
「……かつて、この国では『双聖』は絶対であった。疑問を持つことすら許されぬ。如何なる横暴も、圧政も、『双聖』が絡めば正当化される。我も、いや、我々もまた当然だと思っていた。何故なら彼らは『双聖』であったから」
それを口にした。
「理由はただそれだけ。それだけであったのだ。我は仕えた。支えた。誰よりも傍で、近くで、あの醜悪なる化け物どもの、世話をしていた。甲斐甲斐しく……愚也!」
怒りが、怒気が、男の全身から炎を立ち上らせる。
おそらくそれが彼の、魔族としての特性なのだろう。
「疑問に思う日がなかったと思うか? この手を民の血で汚してきた。くだらぬ理由だ。目が合った、不快に思った、なんとなく……それでも我は愚かにも従い続けた。彼らが『双聖』で、世の理であると信じていたから。高貴で、神に最も近く、選ばれし存在であると、刷り込まれてきたから!」
怒りが口の端から、血と共に流れ出る。
「レイル様が目を覚まさせてくれたのだ。あの御方が証明してくれたのだ。魔族化は、その者の本性を暴く。貴公も見ただろう? あの醜い、ただ生きているだけのか弱き生き物を。く、ははははは! 貴様ら、ただの人間以下じゃねえか!」
他の騎士は人間の原型を保つが、怒りによって形を変えたアグニは四つ足に四本の腕、真紅の肉体は衣装を食い破り、雄々しく聳え立つ。
「思えば確かに、随分と病に弱かった。血が濃過ぎたのだろうな。それでも純血にこだわり、ぼこぼこ生み、また死ぬ。彼らは試練と言っていたが……ただの愚行でしかなかった。特別な力もなく、鍛えもせん。知恵もない。怠惰な、ゴミ」
止まらない。『双聖』の騎士たれ、と自らを騙し続けてきた男が今、血を吐きながら、血の涙を流しながら、叫ぶ。
これは懺悔なのだろう。
それに与してきた愚かな騎士の。
「ふたを開けてみれば『双聖』はとうの昔に形骸化し、誰にも求められていなかった。陛下も歓迎していたほどだ」
「……『双聖』がレイル殿に入れ替わっただけでは?」
「あの御方はいずれこの地を去る。『双聖』のシステムと共に。ファウダーもまた役割を終えるのだろう。これより来る混沌の時代、我らは協力し乗り越える。混沌の世とはつまり破壊の時代、力がものを言う。ユニオンが割れる、商人が奪う、我らが荒らす。それが破壊の時代。そしてその果てに――」
アグニの身から炎が消え、充足の笑みを浮かべる。
「創造の時代が来る。その時、我らもまたこの国から離れよう。正しきものに権力が与えられ、正しき国が生まれたのを見届けて……嗚呼、そうして初めて我らは許されるのだ。愚者どもと共に成した、大いなる罪を」
許されるための戦い。
彼らにとって聖戦なのだろう。ゆえに躊躇いがない。命を惜しむこともない。その中心であるレイルに忠誠を誓うこともまた、道理。
「すまぬな。熱くなった、長くなった。他に聞きたいことは?」
「……」
「そうか。では、我が民に伝えてほしい。許してくれとは言わぬ。ただ、見届けてほしい。我らの聖戦を、新たなるラーを、革新の先にある、楽土建設を!」
愚かとは言うまい。
これは彼らの正義である。ユニオンを恃む国が、アルテアンに支えてもらっている国が、とやかく言える構図ではない。
ただの烏合の衆ではない。
力を持ち、それを配る、混沌の申し子である。ゆえにユニオンの一部も、そしてアルテアンも、彼らを必要としているのだろう。
新たなる時代、彼らの言う破壊の時代。
それを支える人材が続々とファウダーに集っている。
その流れはもう、変えられぬのだろう。たとえこの情報を持ち帰ったとて、この流れが変わることはない。
「剣を抜け、騎士よ」
「……」
無言で剣を抜くテュール。その貌は、険しいものであった。
アグニは四本の腕を用いて、二本の大槍を構えた。
「すでに騎士の矜持などない。在るのはただ、忠義のみ」
それと同時に他の聖騎士たちも武器を構える。
「案ずるな。死体を玩ぶ下法にさらすつもりはない。首のみを持ち帰ろう。それは我が名に誓う。あとは存分に……抗うといい」
「助かります」
「かかれィ!」
「イエス・マスター!」
聖騎士隊が押し寄せてくる。先頭は名高き『天輪』のアグニ。それ以外も粒ぞろいで、外壁での奇襲とは違い全員が魔族化している。
対するはたった一人。
(……参ったね。すまない、クロイツェル)
それでもテュール・グレイプニルは自身の発明した構え、ゼー・イーゲルを取り、威風堂々と立つ。
長きに渡る死闘が――始まった。
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