第290話:夜のおさんぽ
「ははは、岩盤浴を楽しまれましたか」
「ええ。想像よりも心地よく、学園に導入しようかと本気で思っているほどです」
「さすが教頭殿ですね」
「騎士科の、ですが」
絨毯の上に直接胡坐をかきながら座り、お茶や食事を楽しむのがラーの流儀である。無論、多少の作法は把握済み、郷に入らば郷に従えという言葉に沿って、テュールもまた彼らと同じスタイルで食事をしながらの談笑と洒落込んでいた。
それほど絡みは多くなくとも同世代の騎士、話題には事欠かない。
話は弾み、気づけば若手の騎士たちも混ざる大所帯となっていた。
騎士とて常に気を張っているわけではない。こうした任務外では和やかで、緩んだ空気にもなる。
話題が、
「ところで……実は私たちにはよくやり取りしていた騎士が御団に所属しておりまして……近頃連絡が取れずに心配しております」
穏当なものであれば。
「……何という名の騎士ですか?」
露骨に変化する空気。若き騎士など今にも立ち上がり、逃げ出したそうな気配を見せている。やはり、それほどにアンタッチャブルなのだろう。
『双聖』の絡むお話は。
「言わずとも理解していると思っておりますが?」
ここでテュールも腹芸をするつもりはない。ビジネスの前の談笑は充分行った。あとは本題に入り、相手から何かを引き出すのみ。
「……皆、下がりなさい」
「イエス・マスター」
グプタは若手の騎士たちを下がらせ、
「今すぐにこの国を発たれよ」
穏やかな顔を捨て、真剣な表情、強い口調で言い放つ。
「はて、私は知人の近況を知りたいだけなのですが」
「それがこの国の暗部に触れることぐらい、貴方にも理解できるはず。どの国にだって、アンタッチャブルな部分はある。それだけのことです」
「理解できますが……この国は少々それが大き過ぎる」
「……後悔しますよ」
「教師をして少し学んだことがあります。騎士と成る道は、私や卿らが思うほどに楽なものではなかったのだと。才能があり、環境がある。それを当たり前と思うことの何と傲慢で、視野の狭い見識であったのか、と」
「……何の話ですか?」
「だからこそ、騎士と成った者は貴重なのだ、と言う話ですよ。特に、輝かしい明日が待っていたであろう、有望な騎士は」
「……」
「残念です。卿も素晴らしい騎士と、そう思っていたのですが」
立ち上がったテュール。
その背に、
「……心の奥で、変革を願う者は多い。だから、厄介なのです」
「……」
「歪み、手段を違えようが……今のラーはほぼ一枚岩、そう思ってください」
「……忠告、感謝いたします」
ただ忠告のみを送る。これ以上は出来ない。この時点で充分、聞き咎められていては彼自身、命が危うくなるのだろう。
だから、若き騎士たちを外させたのだ。
何かあっても自分一人が被るために。それをテュールは少し申し訳なく思う。それでも引き出す必要があったのだ。
繋がっていた者たちの近況などとうに理解している。重要なのはそれらに対し、王国の騎士たちがどういうスタンスであるのか。
そしてそれはある程度想像通りで、
(……マスター・ユーダリル。少々我々は考え違いをしていたようです)
想像の外側もあった。
その上で彼はどうすべきかを考えこむ。時間はあまりない。
○
深夜、多くが寝静まったタイミングで、
「覚悟!」
多くの騎士剣がとあるホテルの一室、そのベッドを貫いた。如何なる騎士も、それが人間である限り睡眠を逃れられない。そして睡眠中とは如何なる達人であっても無防備となってしまうもの。
だからこそ、この奇襲が刺さるのだが――
「……手応えが」
「まさか」
布団を退かすと、其処には部屋のクッションを使ってうまく誤魔化した、空のベッドがあった。当然、其処に彼の姿はない。
「マスター・グプタ。どういうことか?」
「いえ、私にも何故かは」
「……マスター・グレイプニル捕縛後、何も零れぬと良いがな」
「……」
猜疑の視線。それも仕方がないこと。これでテュールがもし捕まり、二人のやり取りが漏れた日には自分一人の命では済まない。
おそらく家族も――
(ただ、彼ならば容易く捕まりはすまい。彼は、天才なのだから)
しかし忠告によって時間が生まれた以上、あの男が簡単に捕まるとも思えない。すでに姿をくらまし、上手く国境を越えてくれている頃か。
「まったく、面倒な時期に厄介な客人が来たものだ」
「そうですね」
時勢も一応、彼に味方してくれているはず。
逃げてくれ、自分の命はともかく家族は大事であるが、それを除いても自分の世代で常に輝き続けた二人、その最後の1人まで失うのは騎士として辛すぎる。
だから、騎士はただ願う。
これ以上、輝ける人材が失われることなど見たくないから。
○
「おお、平野部に都市一つを……剛毅なものだ」
四方を巨大な壁が囲う、外界から隔絶された聖域都市。あれが『双聖』が一角、イスティナーイーの保有する禁領である。
それを望遠鏡越しに見つめ、
「やはり外からは何も見えないなぁ。ただ、ふむ、防備が薄い」
外からの視界では何一つ情報を得ることが出来ない、それを一応確認する。まあそれが出来たなら、そもそももっと外へ『双聖』の情報が出回るはず。
それがないということはそういうことなのだろう。
想定通りである。
なので、
「よし、行こうか」
やはりテュールは単身、乗り込むことにした。子どものお使いではない、もう少しは情報を引っこ抜いてこよう、と。
リスクは承知の上、警戒すべきことはクルスが拾ってきてくれた。ならば、もう少しは踏み込めるかな、と彼は判断した。
ゆえに踏み入る。
魔都へ。
「よっと」
垂直の壁を難なく早足で、音もなく駆け上りテュールは外壁の上に立つ。
見回りのランタンの明かりがいくつかちらついているため、警備がいないわけではないのだろう。しかし、網羅には明らかに足りない。
それを妙に想いながら、
「んー、高所からの落下は腰に来るなぁ」
外壁を飛び降り、音もなく内側へ至った。
さすがは一国の頂点、周辺は砂漠も多い中、この都市は水に溢れた楽園のような世界であった。風すらも寄せ付けぬ壁、夜でもわかる色とりどりの花が咲き誇り、瑞々しい木々は不自然なほどに季節を感じさせない。
建物はラーの伝統的な意匠が施されたものが並ぶ。
並ぶが――
(少ない。あくまでここは『双聖』の、イスティナーイーの聖域と言うことか)
分家などの勢力を思えば、あまりにも住居が少ないという印象がある。実際、ここに住まう資格を持つのはイスティナーイーのみ。エリュシオンなどの分家はこことは別の場所に住んでいる(大体は東の山岳地帯、其処の森に住む)。
そんな情報すら不明瞭なのが、外部から見たこの国と『双聖』。
そして、
(そこら中から……うめき声のような音が聞こえる)
地獄の底より響く怨嗟の声、そう形容するしかない謎の音が魔都の、そこかしこから漏れ聞こえる。
それらを調べてみたい衝動に駆られるが、その結果住人に発見されてしまえば潜入が何の意味もなくなってしまう。
まあ、
(住人がいるのかは……知らんがね)
どちらにせよ本丸へ至れば答えはおのずと見えてくる。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、である。
ゆえに、
「荘厳だ。観光の名所にしたら稼げそうなのに……もったいない」
聖域の深奥、聖堂に足を踏み入れる。暗がり、何も見えない。
ただ、
(いるね)
気配がある。内部に入り初めての、人の、意思の気配。
さらに奥へ。
闇の中、
「ようこそ、マスター・グレイプニル」
聖堂の大広間に、一斉に明かりが灯る。
周囲には椅子に座りこちらを眺める者、二階部分から見下ろす者、隅でこちらを窺う者、そして大広間の壇上にて座す者。
ただ、
「お初にお目にかかります、若き騎士よ。私はこちらにいるはずの、レイル殿に一度挨拶させていただこうと思ってきたのですが……不在でしたかね?」
肝心要の人物がいない。
その挨拶を受け、
「ええ。我らが『創者』様は出かけておりまして……大変恐縮ですが我々が応対させていただくことになりました」
壇上の男、少年と大人の狭間にいる見た目の男が答えた。
「申し遅れました、私の名はファウダー、『水葬』と申します」
「これはこれは、ご丁寧に」
余裕を持って礼をするテュールの姿に、『水葬』と名乗った男は眉をひそめる。
「レイル殿がおられないのであれば……そうですね。この中に『墓守』と呼ばれる方はおられますか?」
テュールの何気ない問いに、
「う?」
隅で様子を窺っていた者が反応する。
それを見て、
「いけない!」
テュールは笑顔のまま何も言わずに、最短距離でそちらへ駆けた。騎士剣を引き抜き、最短最速の剣にて首を刎ね――
「貴様」
「はは、容赦ないなぁ」
二階で様子を窺っていたメイドの格好をした女と椅子に座っていた男、二人が寸でのところでテュールの剣を止めていた。
「う、あ」
「残念。インフラは潰しておきたかったんですがね」
折角事前に貰っていた情報を生かせなかった、とテュールは残念そうに首を振る。能力的に一番、残しておくべきではないと考えていたのだが、割って入った二つの手応えを考えても、此処は無理押しすべきところではない。
と刹那に判断し即座に後退を選択した。
「お二人の名を伺っても?」
「私は『ヘメロス』とでも」
「ファウダーの『トゥイーニー』と申します。無作法者」
判断の早さ、動きのキレ。この場全員が否応なく身構える。
「はは、では――」
ふわりと剣を差し出すように、杖のように柔らかく握り、
「全員まとめてお相手しよう」
騎士は立つ。
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