第288話:いざさらば

 誰もが言葉を失っていた。

 先生方はぱらぱらと拍手をする者も出てきたが、この場の見物人の大半を占める同期の卒業生たちは、疑問しか浮かべることの出来ぬ己を思い、とても素直に賛辞を、祝福を送る気になどなれなかったのだ。

 それは、

「……解説が欲しい、ってのはダサすぎるわな」

「ああ」

 この場の最上位層であるディン、デリングですら同じ気持ちであった。イールファスの仕掛けから理解できなかった。あれがただのパンクラチオンなら、クルスの方が習熟度、そして骨格的にも勝るはず。よしんば知らぬ技であっても、やはりフレームの面で劣る彼の仕掛けが有効に働くとは思えない。

 そんな状況下に差し込まれた小さな拳。

 隙間、ゼロ。

 あれで威力のある拳など放てるはずがない。

「お疲れ様でした、エメリヒ先生」

「あはは、バルバラ先生に質問なんですけど」

「あれが打てたかどうかなら……私なら打てた。でも、今のあの子はわからない、です。基本的に少しは隙間が必要な技術ですので」

「……なるほど」

 エメリヒ視点、一番の迷いどころはイールファスの仕掛けに、クルスがくだんのあれで応じたところ。あれが応じになっているのか、自分がそれほど詳しくない技術であり、指の分の隙間すらない状況下で打てるのか。

 それがわからなかった。

 あれが決め手になるようなら、エメリヒは間違った裁きをしてしまった可能性はある。が、現実にはそう成らなかった。

 イールファスがそれを危険と感じ、逃げの手を打ったから――

「……」

 当の本人、クルスもまた勝利に対して喜びを見せていなかった。あの瞬間、自分はそれしか手がなかった。無論、やるとなればやって見せる、当ててみせるという気概はあったし、だからこそ差し込んだ。

 だが、そもそもまだあの技術は修練中、通常の指分の隙間を設けてなお、成功率はよくて八割ほどか。

 あの距離感で試したことはない。もちろん、体の当て方で多少隙間を作り出すことは出来る。人体構造が円で構築されている以上、それは可能なのだ。その身に当てながら捌くゼロが理論上可能なように。

 ただし、打倒に至る威力を出せたかはわからない。

 成功するかも不明。

 そもそも――

(……俺はこいつを、偶然手に入れた。偶然教えてもらった技術だ。それしか手がなかった時点で、本来は俺が負けていた)

 イールファスの仕掛けの中身はわからない。ただ、あの天才が意味のない行動を取るわけがない。間違いなく練って来たクルス対策である。

 それに対し、クルスはたまたま手に入れた技術で応戦するしかなかった。

 その時点でクルスの中では負けである。

 この一戦に懸ける想い、執着の差が其処に在った。

「俺に勝ったなら……もっと喜べよ」

「……イールファス」

「あそこ、剣を捨てていたら、少なくとも同着には出来た。あの左手の妨害込みでも、俺なら間に合わせることが出来た」

「俺もそう読む」

「でも……俺はしなかった。出来なかった。だから、負けた」

 イールファスは寝転びながら天を仰ぎ、

「負けたんだ、俺」

 様々な思いが去来する中、目を覆いながら笑みを浮かべていた。

 その下の表情を覗き見るほど、クルスは下品に出来ていない。

「……最後の読み合いはな」

 だから、ただ事実のみを述べる。

「俺の対策、聞かないの?」

「聞いたら教えてくれるのか?」

「教えない」

「だから、聞かない」

「ひっひ」

 クルスはイールファスが目を覆う手を退けるのを待ち、其処で手を差し伸べた。イールファスは何も言わずにそれを掴む。

「悔しい。辛い。ムカつく」

「俺が散々お前らに味合わされてきた感情だ」

「でも、楽しかったぁ」

「……それだけは理解できんよ。ソロンにしろ、お前にしろ」

「あいつと一緒にされるのは癪だ」

「仲悪いな」

「……同族嫌悪。退屈がさ、嫌いなんだ。ずっと昔から」

「やはり理解できない」

 頂点の感情、正直クルスはまだぴんと来ていない。世代最強格になったのも遅ければ、視点自体がすでにさらに上を見ているから。

 自分がトップと言う自覚すらないのだ。

 まだ上はいる。越えるべき存在はいくらでも――

「一勝一敗」

「……もっと、俺負けてるだろ」

「本気で勝つ気だったのは、最初と今だけだった。他はノーカン」

「まあ、それもそうか」

「いつか、決着」

「ああ。いつかな」

 握りしめた手。確かに彼らはここで約束を交わした。

 普段仏頂面の天才にしては珍しく、上機嫌だとありありわかるものだった。

 負けたくせにこいつらは、とクルスも苦笑してしまう。

 そんな状況に、

「……」

 いそいそと割って入ったイールファナがクルスの手を握り、掲げる。

「クルスの勝ち」

「邪魔」

「どっちも変な雰囲気だから周りが困惑している。クルスはもっと喜んで、イールファスはもっと落ち込んで」

「無茶苦茶言うな」

 クルスが呆れる中、

「どっか行け」

 しっしとこれまた珍しくイールファナを追い払おうとするイールファス。

「行かない。私は空気が読める女」

「……ちっ」

「今、姉に舌打ちした?」

「俺が兄」

「前から思っていたんだが、双子なんだしどっちでもいいだろ」

「「よくない」」

「え、ええ?」

 たった一手の悪手で双子を敵に回したクルス。

 そんな漫談のような光景を経て――

「あんたらいつまでも難しい顔してんじゃないわよ!」

「そうですわ。勝者には賛辞を、敗者には敬意を示さねば――」

「どう転んだってあんたらが勝てるわけないんだから素直に拍手しときゃいいの。まだ何とかなりそうな其処の二人を除いて、そもそも悔しがったりする資格もないでしょーが。この凡骨ども」

「……わたくしの意見とはちょっと違いますわね」

「あと、普段僕ちんたち大人です、懐が深いですってツラしてるんだから、こういう時もそうしなさいよ。永遠の一歩手前二人組」

「「……うす」」

 暴言の嵐、全方位爆撃を喰らった同期の皆さんはしゅんとなる。それはその通りなのだが、もう少しは手心を、と。

「わたくしは含まれませんの?」

「あんたは一歩半手前ね」

「……む」

 ぷく、と頬を膨らませたフレイヤにも当然暴言をぶつけ、ミラは大仰に拍手をした。丁度先生の拍手もまばらになったタイミングで、

「お見事! 負けました! ムカつくけどお手上げデース!」

 ミラの正論パンチを喰らった皆はようやく飲み込み、彼女に続いた。

 拍手が、賞賛が爆発する。

「よっしゃ、胴上げだ!」

「これ、何処の文化だっけ?」

「知らん。忘れた!」

 不滅団組も拍手をしながらクルスたちの下へ殺到する。それに釣られて同期全員がもうどうにでもなれ、とばかりに駆け寄り始めた。

 そして鍛え抜いた騎士の腕力を使い、

「わっしょい! わっしょい!」

「俺、逃げ――」

「まあまあ」

「逃げるな」

「くっ、ディン、デリング⁉」

 解説タッグから、イールファスを生け捕りにするタッグと成ったディンとデリングは無理やり胴上げに参加させる。

 二人が盛大に宙に浮く姿を見て、

「ふふふ」

「はっはっは」

 先生方も大笑い。

「おい、筋肉がいないぞ!?」

「どこ行った⁉」

 一部が筋肉を探す中、

「……アミュちゃん」

「なに?」

 二人の後輩が隅でじっと、余韻に浸っていた。凄い戦いだった。アミュとしてもかなり渡り合えていたつもりが、気持ちよく戦わされていたことを知り、あまり楽しい気分ではない。あの二人と今の自分、其処には大きな隔たりがあったから。

 だから正直、今はあまり会話をしたくない。

 嫌な自分が出そうだから。

 でも――

「私、やっぱりあの人が憧れで、いつか、どうしても並びたいの」

「……無理だよ、デイジーじゃ」

「自分にもそう言い聞かせてきた。でも、もうやめるね」

 友人の眼を見て、

「あの人に追いつくために、貴女を、アミュ・アギスを超えます。必ず」

「……ふーん」

 少しだけ、ほんの少しだけ、

「やってみれば?」

「うん」

 期待しても良いかな、と思うとほんのり心が楽になった。あと三年、無駄に長いと思っていた時間がほんの少しだけ、楽しめるかもしれないと思ったから。

 まあ、あまり期待し過ぎる気はないけれど――

 そんな様子を見て、

「……いい話だなー」

 筋肉、失敬、アンディはよくわからないけれど感動していた。もう大丈夫だろう、と涙を流しながら戦地へ向かう。

「筋肉が来たぞ!」

「遅い!」

「うぉぉぉおお! 投げるぜぇ!」

「行きますわよ!」

「「とりゃあ!」」

「「……」」

 天高く舞い上がるクルスとイールファス。そのあまりの高度に二人は絶句していた。スーパーフィジカルペア、やり過ぎである。

 人間花火、二人が打ち上がる。

 ここからが祭りの始まり、夜は長いのだ。


     ○


「ぶはは、やり過ぎですなぁ」

「若者は加減を知らぬからのぉ」

 天高く舞い上がる二人を眺める、老人二人。

「それを貴方がおっしゃられますか」

「歳を取ると加減ばかり覚える。あの子らはもう一人前、騎士の決闘と子どもの決闘は違うじゃろう?」

「おっしゃる通りです」

 ウルですら正直動きかけた。あそこで動かなかった者たちが素晴らしい目利きであっただけ、リンドやリーグの判断も悪かったと言えば少し厳し過ぎるだろう。

 ただ、あの二人への信頼が足りぬと言われたなら、その通りとしか言えない。卒業したとはいえ、即座に自分の教え子ではありません、とはならないだろう。

「あの殺気は、昔を思い出しました」

「はて?」

 何のこと、ととぼけるグラスヘイムにウルは苦笑し、

「敵を軽んじていたわけではない。ただ、無知ゆえに、敵を知らぬがゆえに、自分たちなら出来ると、成し遂げられると確信しておりました」

 かつて、若く力に満ちた学生時代を思い出す。

 誰よりも強い自信があった。そんな自分よりも強い先輩が二人もいた。さらにログレスにはそれに比肩する学生もいる。

 あの三人と自分が組めば無敵。

 そう思っていた。

 それを――

『過信は身を亡ぼすぞ、成らず者ども』

 全員まとめて鼻っ柱をへし折られた。あの日は鮮明に覚えている。あんな顔をした先輩二人、後にも先にも見ることはなかっただろう。

 あれがなければきっと、あのイドゥンの第一陣を任された蒼き炎の騎士級を相手に、全員まとめて殺されていた。

「若さも重要じゃよ。何かを成し遂げようと思うのならばの」

「あの子らは、どうなりますかな?」

「さてのぉ。わかるのは……わしのような枯れ木の出る幕ではない、それだけじゃよ。今回は出来がよさそうじゃからのぉ」

「ぶは」

 老人たちは明日を見て、きっと明るくなると願い、それを見つめていた。

 今日、彼らは巣立つ。

 この学び舎を。

 アスガルド王立学園を。

 誰しもにいつか来るのだ。巣立ちの日とは――ゆえに見送る彼らはただ願う。健やかに、長く、幸せに生きて欲しい、と。

 振り返ることなく、いざさらば、と。


     ○


「早く、列車が出ますわよ」

「マスター!」

「早くしなさいよ、とんま!」

「ああ」

 クルスは最後に振り返る。自分にとっての第二の故郷を。幸せなことが沢山あった。辛いことも沢山あった。

 そんな学び舎を――

「私がいる」

「……ファナ」

「私がいるから、みんな暇になったら会いに来るといい」

「……そうだな。ああ、そうしよう」

「とりあえず、まずは旅行」

「わかっているよ」

 目に収めて――クルス・リンザールは第二の故郷を巣立つ。

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