第287話:持たざる者
こそこそ、と物陰を這い回る黒い影があった。
それは双方から這い寄り、
「「いだっ⁉」」
ごっつんこ、と衝突する。
其処には暗い夜の森を気配を消しながら歩き回っていたアミュとデイジーがいた。二人は目を丸くする。
後輩には誰も伝えられていなかったが、クルスとイールファスの関係性からしても何もないわけがないと嗅ぎ回っていたのが二人もいたのだ。
そして二人とも、
「「……」」
何とも言えない表情をする。あの裏卒業式以来、どちらもギクシャクしたまま卒業式の日を迎えていたのだ。一度ギクシャクするときっかけがないとなかなか関係性というものは戻らないもので、それはこの二人も例外ではなかった。
謝るのも何かが違う。
だけど、言うべき言葉が見つからない。
そんな時、
「むん!」
二人の少女をひょいとつかみ上げる太い腕が現れた。文字通り首根っこをひっつかまれ、アミュは拘束を無理やり剥がそうとするが――
(こいつ、力が強い⁉)
何とか出来るとは思うが体勢不十分。かつデイジーを巻き込まぬ方法が思いつかない程度には、その男の力は凄まじかった。
「別に見物は禁じていない。見たければ堂々と見ればいい」
男の名はアンディ・プレスコット。ユニオン落ちを経験し、落胆に暮れる間もなくいつ聞きつけたのかわからない速度で現れたワーテゥルの会長とその場で契約を結び、無事騎士団入りを果たした男である。
あの名物会長、相変わらず異次元のフットワークであった。
「……」
「なんだ?」
「別に、何でもない」
男であろうが上級生であろうが、自身がこと身体能力と言う点でノマ族相手に比肩などさせないし、出来ないと考えていた。魔力異常者の才を持つ者ならいざ知らず、種族として劣る相手と張り合うことなどありえない。
そう考えていたのだ。
今、この時までは――
「ただ、邪魔はするなよ。今、いいところだからな」
「……あの地味な牽制合戦が?」
「そう思うなら、まだまだ近いようで遠いぞ。気持ちいい戦いは、やっている最中は楽しい。それはわかるが……本当に実力が伯仲した相手との勝負は、どうしたってこういうものになる。気持ちよく終わったなら、俺も含めてまだまだ遠いってことだ。あれもいい勝負だったけどな」
「……むぅ」
アミュとて少しくさしただけ、本当はあれを見て理解している。自分はまだ届いていなかったのだ。近づいたつもりが、そうではなかったと知る。
不貞腐れるのも仕方がない。
「ただ、そろそろしびれを切らす」
「どっちが?」
「我慢が得意じゃない方だろ」
「六学年の性格とか知らんし」
「はは、見とけばわかる」
見物人が二人増える中、クルスとイールファスはじりじりとした小競り合いを続けていた。当たり前だが隙が無い。多少、揺らしたところで小動もしない。
お互いの長所が刺さり合い、深く踏み込めない。
何度繰り返しても、何処まで言っても千日手。
なれば――
「むっ」
当然、この男から踏み込んできた。初手同様、深く踏み込み即危険地帯へ。其処から今度は初手の大振りとは異なり、小さく、素早く、鋭く斬りつけてきた。
それに対し、
「……」
クルスは当然受けて、流して、その力と自力を合わせたカウンターを放つ。此処まではお互い想定内。しかしここからが互いに見えないところ。
イールファスが超反応から、かわしつつ攻撃に移る。
クルスはそれを見る前に間に合わぬと判断し、その反撃に対してすでに蹴りを放っていた。相手の持ち手を狙い、こぼさせるための蹴り。
それを見て、イールファスはその場でぱっと剣を手放し、そのまま空の手をクルスの蹴りが間に合わぬ速度で振り抜く。剣を持てば蹴りが当たる。ならば、剣を手放して振る速度を速めて空かす。
これが天才の所業。
「むん」
手放した剣が重力によって地面に引き寄せられる前に、思い切り空の手を振り抜いたイールファスがその勢いのまま回転し、逆の手で剣を握った。
そのまま振り抜く。
しかし、どれほどに素早い攻撃であっても手数を要した以上、クルスにも意地があるので受けが間に合ってしまう。
ただし、後退しながらの苦肉の受けであるが。
崩れた、と誰もが思う。
追撃時、ディンとデリングらですらそう思った。
だが、
「……」
イールファスはそれをしなかった。揺らいだ、かつてディン相手に偶然それをして、生かして勝利をもぎ取った男がいた。
その記憶はイールファスにもある。
そして今のクルスは――
「……」
それを故意に仕掛けられる男。窮地こそ、この男は恐ろしい。逆境を勝機に変えられる、そういう術をクルス・リンザールは持っている。
だからイールファスは動かなかった。動けたが、動くべきではないと彼の勘が働いたのだ。有利な状況、それに手を伸ばせば伸ばすほど、紙一重であればあるほど、あのゼロは鋭さを増す。
「……二の舞、だったか」
「……少なくともあの男はそう判断したようだな」
ディンは歯噛みする。此処まで拮抗した戦況、其処に生まれた勝機に、ここぞと言うタイミングで仕掛けを止められる騎士がどれほどいると言うのか。
故意か、偶然か、はたまたブラフか。
あの時感じた敗北の味が、ディンの咥内に滲む。
(なんて戦いだ)
立会人であるエメリヒは戦いが始まってずっと、背中に滲む嫌な汗を止められなかった。あの二人に、もしもの時は割って入らねばならない。それが立会人の責務である。だが、それが間違っても、勝敗を見誤ってもダメなのだ。
通常の講義ならあそこで追撃した時点で止めている。
どう考えても受け切れない、そう判断するから。
ただ、あの二人は、互いにあそこから巻き返す自信があるのだろう。追わず、追わせず、どちらも現役時でもやり合えたかどうか。
少なくとも教師になって現場から離れた自分が、意気揚々と割って入れるレベルではない。すでに彼らは――
「……ちと酷じゃったかの」
「たまには負荷をかけるぐらいで丁度いいんですよ、エメリヒは。そっちの方がいい仕事をするのは昔から、でしたから」
テュールは平然と久方ぶりの張り詰めた空気に、プレッシャーに否応なく研ぎ澄まされている後輩を見て、にっこりと微笑んでいた。
「ぶは、鬼上司じゃのぉ」
「部下の使い方が上手いだけです」
「それにしても、わしもクルス君とは手合わせしたが……強くね?」
「まあ、隊長でも及ばぬ者はいるでしょうね。今の時点で」
「ふはは、ゆえの『四強』か」
「はい。末恐ろしい世代です」
テュールの見立てではすでに隊長とも並びうる実力を持つ。あとは場数をこなすだけ、それだけで一気に騎士として飛躍するだろう。
そしてクルスが入る第七にはその環境がある。
あの男が使い倒そうと手ぐすね引いて待っているから――
「卿は勝てるかの?」
「さて、どうでしょうか」
テュールはどちらともつかぬ微笑みを浮かべる。友が、友として並びたかった、並ぶべきだった者が鍛え上げ、磨き抜いた作品。
あの男は一生そう言い続けるだろう。
使うために作った、と。
だけど――
「リスク上等、ゼロの受け。不条理の極み、絶対的な後出しの権利。互いの必殺が、相殺してしまっている状況。それが今、あらわになった」
テュールの見立てでは、基本的にあらゆる攻防において有利がつくのは後出しのイールファス。ただ、全力全開の、決めに行く攻撃だけはおそらくクルスのゼロが勝る。それを封じて崩そうとしたのが此処までのイールファスであった。
それをさせなかったのがクルスである。
恐ろしいほどに、二人の実力と特性は伯仲してしまっている。
だから、
「飛び道具、次第かな?」
テュールはちらりと、一人だけ少し毛色の異なる視線を向けている者に一瞥する。攻防の行く末ではなく、極まった今、どちらかが何かを使うのでは、その答えを知っているかのような視線。
この男だけがそれに気づいた。
(まあ、どちらも当然用意しているか)
ここまでひりついた、手に汗握る攻防が続いた。互いに危険水域を泳ぎ、渡り切ってなお、決着がつかないと理解する。
剣による会話は十二分に出来た。
あとはもう、
「……」
「……」
この勝負にかける執念、それがどちらに軍配が上がるか。
それだけである。
二人は何も言わない。周りも言葉一つ発することが出来ない。長い牽制、刹那の攻防、出し尽くした結果、あとは執念を象った秘策をお出しするだけ。
一瞬の静寂。
完全に互いが静止し、そして再びイールファスが距離を詰める。
剣を強く握らず、だらりとぶら下げて。
一歩、また一歩、と。
クルスは待つ。恥も外聞もない。今の自分にはやはりそれしかないのだ。アンディのような体格があれば、フレイヤのような魔力量があれば、別の道もあったかもしれない。だけど、クルス・リンザールにはそれがなかった。
だからこそ、この剣に辿り着いたのだ。
笑わば笑え、自分が最適な行動を取ってなお、よく見積もっても互角の相手に、今の自分に出来るのは待つことだけ。
ゆえに――
「おいおい」
「ここから、どうなる?」
クルスとイールファス、二人の距離がゼロになった。イールファスは足を引っ掛ける形で、片足をすっと差し出し、かける。
何が起きるのか、誰も皆目見当がつかない。
(パンクラ? イールファスがか?)
(クルス対策にはなるだろうが、生半可だとむしろ極められるだろ)
(体格、フレーム的に、さすがにこの二人ならクルスだぞ)
不条理の天才、全てを後出しの超反応とそれを生かす柔軟性で片付けてきた男が、満を持して密着を選んだ。
誰もが疑問符を浮かべた。
しかし、
(……っ⁉)
普段理詰め、理屈が通らぬことはなるべく考慮しない男が、珍しく勘だけで危機を察知し、勘のみを頼りにこのままでは捲られる、と判断した。
目の前の男が不敵に微笑んでいたから――
何かが起きる。
何もわからないが、あの天才が意味のないことなどしない。
ゆえに――
「ん?」
クルスは小さく、片手だけ前倣えの姿勢を取った。
自分とイールファス、ゼロ距離の狭間に小さな1を差し込んだのだ。
それに気づいた者もこれまた疑問符を浮かべるしかない。
何もわからない。
イールファスの行動も、クルスの行動も、誰にも何もわからなかった。
だけど、
「っ⁉」
だん、イールファスだけはクルスの行動に危険を察知し、全力での後退を選んだ。自分の秘策、仕掛けを一旦捨ててでも、その小さな一手の差し込みを危険視したのだ。これは、このまま互いに仕掛けたら、自分が悪くなる。
そう彼の勘が判断したから。
互いの秘策の噛み合い、其処でようやく生まれた僅かな揺らぎを、
「逃が、さん!」
クルスは見逃さなかった。イールファスの後退を見てから、では絶対に間に合わない。自分の謎の行動を見て、イールファスが後退を選ぶ。
その信頼があってこそ、
「ちィ!」
先出しの蹴り。
それは攻撃のためではなくイールファスの行動を阻害するためのもの。足を曲げ、後退を遮るように蹴りを置く。
それでイールファスの背を捕まえる。
その足を引き寄せる形で、
「しッ!」
クルスは左手を撃ち抜く。期せずかけ突きとなったその一撃は、充分な加速距離を得ずとも、足の引き寄せを加味して破壊力を増す。
細腕でも騎士の拳。
充分、人体を破壊するに能うもの。
しかし、
「……」
エメリヒは動かない。
何故なら――
「ふん、ぎッ!」
イールファス・エリュシオンが天才であるから。その拳、誰にとっても、ノアでもソロンでも同じ状況ならば回避不能なそれを、彼だけが、彼の才だけが回避可能な攻撃とする。見て、避ける。鍛え抜いた女性をもしのぐ柔軟性によって。
しかも、窮地が好機と成るのは何もクルスの専売特許ではない。
超反応、超柔軟、回避で精一杯の状況下で、イールファスは限界を超えて反撃に移った。足で退路を断たれ、引き寄せられながら、ほんの小さな隙間で、身体の柔らかさだけで捻転し、柔軟性から力を引き出したのだ。
ぐにゃり、あり得ない軌道から剣が伸びる。
其処でリンドやリーグらが止めに入ろうと動き出す。他の学生も何人かはヤバいと判断し、微力でもそうしようと動いた。
だが、エメリヒは動かない。
そして、
「ッ⁉」
動き出した者たちの歩みは、何者かの殺気によって阻まれた。ディンは何故か、それを知っているような気がした。
その時感じたものよりも、ずっと鋭く、有無を言わせぬ力があったが――
そんな刹那を知る由もなく、
(お前なら、そうすると思っていた!)
クルスは回避された時点で少しでも遅延しようと左手を相手の軌道に、妨げる形で置いていた。これはほんの刹那の保険、である。
重要なのは、
「見事」
クルスが左手の必殺を回避されること前提で、其処からの反撃すらも読み切り、いつの間にか剣を完全に手放していたこと。
右手は、空。
「う、ぉ⁉」
誰もが気付いた後、息を呑む。
剣と剣、その速度勝負なら勝てない。敵は天才、自分は凡才。同着では及ばない、そんなことは初めからわかっている。
だから、削ぎ落した。
クルス・リンザールにはそれが出来る。最後の一線、勝敗を分かったのは――
「……」
「……」
剣と拳、その速さの差。
一瞬手放すことは出来ても、剣を捨てると言う発想はなかった。それが今日、勝負を分かつ要因だった。
クルスの剣が地面に、丁度落ちたタイミングで、
「勝負あり!」
クルスの右手、その空の手による拳がイールファスの顔面、それを破壊し得る威力と共に寸止めされていた。
エメリヒは「ふー」っと小さく息を吐く。
とても難しい戦いだった。それでも間違えなかった。
最後の攻防、何故イールファスが近づいたのか、何故クルスの何も出来ないはずの小さな拳にイールファスが引いたのか、それは当人たちにしかわからない。
そういう、勝負だった。
「勝者、クルス・リンザールッ!」
そういう勝負を成した二人を――エメリヒは誇りに思う。
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