第285話:卒業

「わぁ」

 一学年の学生から見れば六学年の先輩たちと言うのは雲の上の存在に映る。実際、就活などで学園から出払うことも多く、接点自体が存在しないのだ。

 憧れても話しかけることすらできない。

 そんな子たちが今、圧倒されていた。

 黄金世代、しかもテレヴィジョンが多少普及したことにより、現地観戦以外もあの試合を見た者はいる。受験で最も忙しい時期とは言え、自分が志望する学校の活躍は一目見たくなるもの。

 そんな彼らすれば、

「……」

 先頭で胸を張り、学年を背負い歩む憧れの姿は眩しく見える。

 特に騎士家以外の子たちにとって、ある種神にも近い尊敬の念を集めることもある。だからこそこの一年、彼のやることなすことが取沙汰されていたのだ。

 話したことがなくとも、関わったことがなくとも、

(かっこういいなぁ)

 彼はあの日以来、アスガルド王立学園の顔であったから。

 輝ける太陽を墜とし、御三家の面汚しとまで言われ始めたアスガルドに栄冠を、栄光を取り戻して見せた男の一人。先槍としてノア以外の全員を打ち倒し、最も貢献した男であり、学園史に名を刻んだ伝説である。

 それは決して誇張ではない。

 レフ・クロイツェル、テュール・グレイプニル、彼ら双翼を擁した伝説の世代以後、エメリヒやユング、ティルなどの優秀な人材を輩出することはあっても、それが結果に結びつかず苦い思いを続けていたのだ。

 待望の、結果を出した世代である。

 しかも三強が率いた黄金世代、史上最も優秀な人材が固まった、ユニオンをして他国に恨まれても、例外を作っても多くを獲りに来た世代の頂点なのだ。

 それに価値を見出すのは当然のこと。

 もっと言えば、対外的にはすでに三強として天才と名高かったイールファスだけではなく、当時無名であったクルスを四強にまで引き上げたのは学園の、育成機関としての手腕と映るだろう。

 実際、今の一学年は優秀な人材が多く志望してくれた。来年度もすでに特待生含め、他校に比べかなりいい人材が来ると見込んでいる。

 結果とはこうして繋がり、連なっていく。

 だからこそ彼が、

「整列……休め」

 三科のトップが納得し、引き下がった結果学年代表としてこの場に立っているのだ。それがどれほどのことか、そんなものは見守る者たちの眼を見ればわかる。

 想像もしていない、出来なかった世界に一人飛び込んだ。

 そして今、皆が納得した上で一番上に立つ。

 そんな自分に何が出来るか、何が言えるか、それを随分と考えた。

「……」

 学園長のありがたい話、普段は「学園長の話なんてつまらねえよなァ!」と結構短く切り上げることも多いのだが、さすがにこの日ばかりは饒舌である。

 入学希望者の増加でホクホクなのも口が軽い要因の一つ。

「ごほん、ごほん」

 統括教頭リンド先生のそろそろ切り上げてください、と言わんばかりの咳ばらいを経て、学園長も満足したのか降壇する。

「続きまして、在校生からの送辞になります。在校生代表、五学年貴族科――」

 ボッツと共に不滅団をひっくり返そうとした人物が颯爽と登壇していく。さすが貴族科、と言わんばかりの立ち居振る舞い。

 なお、この在校生代表は騎士科の対抗戦メンバーは選出されないことになっていた。まあ、それでなくとも彼女であった、と言うのはボッツらの意見だが。

「――卒業生の皆さまの今後のご活躍を心よりお祈り申し上げ、祝辞とさせていただきますわ」

 恭しく一礼し、降壇する在校生代表。

 そつなくクルスへ会釈し、

「学年代表、騎士科、クルス・リンザールご登壇ください」

 バトンを渡す。

「はい」

 そして、学年代表としてクルス・リンザールは皆の前に立った。

 今この瞬間、実情はどうであろうと目の前の学生全員の、自分は代表なのだ。見知った顔も多い。知らぬ顔はもっと多い。

 何よりも苦楽を共にした同期達が見える。

 彼らの代表として――

「冬の厳しい寒さを――」

 こんな定型文ではなく、何を語るべきか――

 まだ何者でもない自分が、

「今年度、皆さまのご尽力のおかげで、騎士科は皆騎士団へ入団が叶いました。無論、希望した団に入れた者ばかりではありませんが、それでも素晴らしい結果であったと考えます。魔法科、貴族科、どちらも他科ではありますが――」

 何者でもない彼らに何を伝えるべきか。

 ずっと考えた。

 答えは――出ないまま。

 でも、

「……素晴らしい結果を出した世代です。私は同期に誇りを感じています。私自身、今この瞬間に達成感がないと言えば嘘になるでしょう」

 だからこそ、言える言葉はある。

「しかし、私たちは今、まだ何者でもありません。昨年、私は故郷に戻りました。何もない場所です。畑と小川、それだけの場所で家族は農業を営んでいます。私はその出自を、恥ずかしいと感じていました。武家、商家、土地を取りまとめる家、それに比べて何とみすぼらしく、平凡なのだろう、と」

 祝いの席に相応しくない言葉。クルスはあらかじめ提出していた祝辞の紙を見ていないし、其処にはこれからのことは何も記載されていない。

 だが、それを止めようとする者は誰もいなかった。

 驚く在校生、驚くより苦笑する同期たち、お好きにどうぞと言わんばかりに微笑む先生方。本当に、いい学校であった。

「ですが、違いました。ただ一つ、道を究めんとする姿勢、それに私は圧倒されたのです。気圧されたのです。蔑んでいた、恥ずかしいと思っていた父に。剣を使わずとも、片手でも制圧できる相手に、敵わないと感じました」

 祝いの席で言うべきことじゃないかもしれない。

「同じ時期に、祖国の騎士団をお手伝いさせていただきました。その時、同期の友人、アマルティア・ディクテオンの御父上にお目通りさせていただいた際も、穏やかで家族思いな一面がある一方、大きな領地を治める領主としての、鋭く、冷たく、しかし正しい、そういう一面が垣間見えたことを今でも覚えています」

 実際、その一面を知ったのは全てが明らかになった後。ある意味、王をも越えて全てを仕掛け、全てを目論み通りとしたイリオスの巨人。

 格が違ったとはこのこと。

 どれだけ強い力を握ろうと、結局全てはあの男の掌の上であった。自分も例外ではなく、それもまた大きな衝撃だったのだ。

 昨年の帰郷ほど、腰の剣が小さく感じたことはなかった。

「農家と政治家、二つを並べるのも恐縮ではありますが、それでも一つ重なるところがあるとするのなら、彼らはそれに人生を注ぎ、賭し、戦い続けてきたと言うことです。其処には深みが、厚みが、歴史があります」

 その経験を伝えたい。

 あの時の無力感は決して、

「私は皆様のおかげで、この学園のおかげで、素晴らしい結果を残すと共に、大きな力を授けていただいたと確信しています。されど、やはり私はまだ何も成していない。何も達していない。何者でもない、ただのクルス・リンザールです」

 自分にとって無駄だと思っていないから。

 必要な、大事なことだったと思っているから。

「私たちはこれから新天地で何者かになるため旅立ちます。其処からが本当の勝負です。この学び舎で培った力を生かし、強く、賢く、長く生きていく。騎士団に入る、研究者になる、政治家を継ぐ……其処は重要ではない。これから長き人生を、其処でどう生きていくか、何を成すか、何を残すか、何者になるか!」

 ほんの少しでもそれを伝える。

「大事なのは、此処から先です」

 残す。

「己が道を探してください。其処から逆算すれば、学びはもっと意味のあるものとなります。そんな道の先で、皆さまとほんの少しでも、いつか、何処かで、道が重なり再会出来ることを願い、私の旅立ちの言葉とさせていただきます」

 簡単ではない。実際、自分が見出した道が正しいのかなど、今の自分でもわからないのだ。在校生からすればもっと不明瞭であろう。

 でも、此処は学び舎で、先達はたくさんいる。

 彼らに聞けばいい、問えばいい、話せばいい。

 ここにはそういう環境が用意されているのだから。自分が十全に使えたとは思えないけれど、後に続く彼らが上手くやってくれたら、それでいい。

「おっと、代表者として、私たちの言葉を伝えることを忘れていました」

 恥ずかしいから、少しおどけて、

「最後になりましたが、学園長をはじめ――」

 最後に軌道修正、代表者としての責務を果たす。

 学生として、最後の役割を――終える。


     〇


 式の後、散々大騒ぎして、泣き出す後輩などを慰めながら、あとついでに何故か泣きわめき始めたミラを始めとした女性陣のケアもしつつ、彼らは今日学生ではなくなった。学生ではなく、騎士団員でもないほんのわずかな空白。

 其処に、日も落ちた大樹ユグドラシルの御許にて、

「待たせたな」

「ああ」

 二人の戦士が並び立つ。

「でも、やるなら今日だろ?」

「俺も、そう思っていた」

 騎士でもない。学生でもない。

 何者でもない今、それを目撃しようと同期の騎士科学生がこっそりと集まっていた。見世物ではない。後輩たちには申し訳ないが遠慮してもらう。

 ここにいるのは騎士科の同期とイールファナ、アマルティアのような彼らとかかわりが深かった者たち。そして、学園の敷地内ゆえに監督者として、と言う口実を持って観戦する気満々の学園長以下、教師陣も並ぶ。

「準備は?」

「とっくに」

「調子は?」

「最高」

「奇遇だな……俺もだ」

 全てはこの決闘を目撃するために。

「やるか」

 四強、クルス・リンザール。

「ああ」

 同じく四強、イールファス・エリュシオン。

 互いに備え、鍛え、磨き上げた全部を賭し、此処で雌雄を決する。

 学生の間積み上げた全部を剣と共に握って――

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