第284話:倶楽部ヴァルハラよ
学園の東側にある倶楽部ハウス群へ訪れた二人は何も言わずに其処へ向かう。本来、生まれも成績的にも重なることのなかった二人が、
「ここも随分と賑やかになったな」
重なった場所。
倶楽部ヴァルハラの倶楽部ハウスである。
「ふふ、それは貴方が来てから、でしょう? わたくしが学園に来た頃は今と変わりないぐらいの人がいましたわ」
「へえ、それは見てみたかったな」
「まあ、もっとお高く留まってはいたと思いますけれど」
「前言撤回だ」
部長のフレイヤが倶楽部ハウスの鍵を取り出す。歴代部長の皆さんは務め上げた特典として自分の鍵を持っていてもいいらしい。
なお、エイルは自分の代で鍵を付け替えたのでそれ以前のは使えない。
周囲やOBOGからバッシングを受けるのも仕方がない、のかもしれない。
「今、お茶を淹れるよ」
「ええ。お願いしますわ」
歴史と伝統の建屋、それこそ百年以上前から変わらぬ姿でこの地に在る。クルスもフレイヤもその一部と思えば、なかなかに感慨深いものがあろう。
かつてはお茶の淹れ方すら知らなかった、何度も指摘されてきた動きも今は完璧に行うことが出来る。
美しくドロップし、あくまで品を保ちながらも最後の一滴、ゴールデンドロップはきっちり落として最高の一杯に仕立て上げるのも騎士の務め。
カップを置く仕草も隙がない。
全部、この学園で学んだこと。
「いいですわね、朝からこういうのも」
「ああ、たまにはこういう一日の始まりがあってもいい」
二人はクルスの淹れた紅茶を飲みながら優雅に時を過ごす。三学年の時はこういう時間もあったが、四学年以降はクルスが切羽詰まり続け、こうして机を挟みのんびりする時間などほとんどなかった。
あの頃はそうするしかなかったし、後悔をしているわけではないがもう少し周りと触れ合う時間も必要だったのでは、と今になって思うこともある。
「何度も言うが、君のおかげで俺はここまで来られた。改めて礼を言うよ」
「何度も言いますけれど、わたくしが関与したことなどほとんどありませんわ。貴方自らが掴み取ったのです。誇るべきことですわ。それに――」
フレイヤは少しだけ眉を伏せ、
「わたくしが貴方に手を差し伸べたのは、ノブレスオブリージュ、つまり貴方が弱く映ったから。本音の部分は皆と同じく、どうしてこの程度の積み重ねで御三家の門をくぐったのか、そう思っていましたもの」
今まで語ってこなかった本音を見せる。
おそらくディンすらも抱いていたであろう、何故この程度のやつが、と言う疑問から発する怒り。倍率は毎年十倍以上、入学できなかった者の方が遥かに多い。
学び舎の高み、其処に物書きと算術が少し程度の愚者が紛れ込んだのだ。
「当然の反発だ。今は俺もそう思うだろうしな」
「でも、わたくしたちは皆、見誤っていた。いえ、イールファスだけはずっと、貴方を信じていたような気がしますわね」
「俺が此処まで来られたのは皆と、そして運のおかげだ。目利きに関してはどうだろうな。皆の方が正しいかもしれない。ただの結果論だよ」
「結果が全てでしょう?」
「……ま、それもそうだな」
未熟な自分が入り込み、結果として何だかんだと上手くいったが、クルス視点からすれば皆が称賛するようなことは何もしていない。自分が必死にやっていただけ、あとのことは風が吹いたら何とやら、みたいなものであろう。
だから、この話はもう終わり。
それでいい。
「第三はどうだった?」
「まだマスター・ブロセリアンドとしか話せていませんけど、とりあえず気に入っては頂いているようですわね。そのおかげで自分の現在地も理解しました」
「現在地?」
「内密の話ですが……各隊が出した評価を見せていただきましたわ。クルスはわたくしを、フラットな観点から見てどれぐらいの評価であったと思います?」
「難しいな。結局、評価は想定的なもので、俺は他校の学生を対抗戦での印象しか持たない。それから伸びている者、停滞している者、色々だろうし」
「なら、第七の一員として考えた場合で構いませんわ」
「……第七は特殊だ。マスター・クロイツェルの歯車として機能するかどうか……それが全て。だから、申し訳ないが第七に君は向いていない」
「何故?」
「君は指示がないところを自分で考えて動いてしまう。自分が正しいと考えることを……第七なら其処にフレイヤ・ヴァナディースは要らない。マスター・クロイツェルならどうするか、それが反射で出なければならない」
「なるほど……同じようなことを言われましたわ」
「そうなのか?」
「下っ端慣れしていない、と。自我の強さでかなりマイナス査定を受けておりましたわ。あれだけ意気込みながら、評価は下から数えた方が早かった。情けない」
下から数えた方が早かった。
それにクルスは少し驚く。周りも優秀だとは思っていたが、今のフレイヤの評価が其処まで低いとは思っていなかったのだ。
それだけ周りのレベルが高かったのと、その上求められる人材像の差か。
今の隊長格は年齢が二極化しつつある。かなり若返りも済み、この世代にリーダー役は要らない、と考えている隊も少なくないのだろう。
おそらく其処で差がついた、とクルスは考える。
だが、
「それでも第三は君を獲った。なら、君にその役割は期待していないさ。注意をしたのも最初の段階で君が躓かぬための親心だと思うけどね」
第三はフレイヤを獲った。何となくだが妥協の確保ではない気がする。そうするには彼女の気質は、どうしたってはみ出てしまうから。
歯車採用ではないなら、自然といつかの隊長を想定するか、今いる副隊長が隊長にスライドし、その補佐の副隊長として使うか。
アセナ・ドローミとエイル・ストゥルルソンの件もある。そういうセット運用というのも当然視野に入れているだろう。
「優しいですわね」
「単なる事実だ。君をどう運用する気かわからないけれど……そういうつもりがなければ君なんて獲らないだろ」
「……前言撤回しますわ」
「くく」
第三の狙いは読めない。ただ、アンディが落ちた事実からも、別に誰でもよかったわけではないのだろう。むしろ、厳選した結果の選択な気がする。
採用の狙いが他とは違った、だとすると――
「クルスはいつから隊舎に入りますの?」
「……聞いていない」
「え?」
「君は聞いている?」
「一応、採用を告げられた際にスケジュールの方は。最後の夏休みは存分に満喫し、第九月の頭に隊舎へ顔を出せ、と」
「……なるほどね。とは言え、それは第三なんだよなぁ」
ユニオン騎士団はかなり特殊な団であり、隊の自主性と言うか独立性が高い。採用までは一応一括でするが、その後のスケジュールに関しては各隊に一任されており、ディンの話とフレイヤの話を照らし合わせると微塵も重ならない。
ちなみに第六は生活環境が整ったら好きに顔を出せ、とのこと。第六は隊員が借りた部屋の家賃を出す、というシステムであるため、ユニオン内であれば基本的に何処でも住んでいい、そうな。
第七とは大違いである。
「たぶん、一日でも早く顔を出せ、ってことなんだろ」
「……卒業旅行とかしませんの?」
「ロイやデリングのおかげでもうしたよ。……どうしたんだ、その妙な顔は」
「……別に何でもございません」
クルスは知らないが、就活組不在の卒業旅行の話で実はフレイヤとデリングは一度揉めている。そういうことは皆が揃ってやるべきと主張するフレイヤに、卒業後集まるのは難しいとデリングが至極真っ当な意見で衝突。
おいおい泣くデリングが見られたとか見られなかったとか。
「まあ、少しぐらい出かけてもいい、か」
「い、いいんですの?」
心配そうに見つめるようで、少し機嫌が良くなったわかりやすいフレイヤの顔を見てクルスは苦笑する。
「別にいいよ。伝えていないあの男が悪い。正式な契約前でもあるしな。俺が従順な犬だと思っているのなら……すぐに改めさせてやる」
「わ、悪い顔ですわねえ」
「あっちがクソなのが悪い。まあ、俺が這い上がる踏み台にしてやるさ。吸収できるものは全部、奪い去った後でな」
強い敵意。随分と珍しい関係性である、とフレイヤは思う。敵意まで向け、互いに利用し合う気しかない、打算の関係性。
だからこそ――
「私も出かけたい」
そんな中、
「気配の無さはイールファスと同じだな、ファナ」
「びっくりしましたわ」
にょきっとイールファナが現れた。考えることは皆同じ、と言うことらしい。それならばきっと、
「おっはようございまー!」
来ると思っていた、と言うタイミングでアマルティアもまた現れた。
「何かを察知しました!」
「二人が卒業旅行の計画を立てていた。私たちに内緒で」
「ふ、不埒でーす! 断固反対します!」
「……別に誘わないとは言っていないだろ。まだ何も決めていない」
「あ、じゃあ私も参加で」
「私も」
「ふふ、賑やかになりそうですわね」
「全くだ」
クルスは苦笑しながら、心の中で遅く行くとあの男がまたぐちぐち贅肉がどうの言ってくるんだろうな、と先々に控える面倒ごとを想い、
(……知るか)
ほんのり憂鬱な気分も混ざっていたのは内緒である。
「あ、あとおめでとう、クルス」
「……実績としては君たちの内どちらかだろうに」
「私は辞退した。話すの苦手」
「……それで研究者が務まるのか?」
「不安」
「そう、か」
祝いの言葉を受け、クルスの苦笑いの苦み成分が濃くなる。
「イールファスも辞退したのですから、これはもう仕方がないでしょう?」
「貴族科でも話題でしたよ! 前例がないって」
「……そりゃ、そうだろ。編入生だぞ、しかも三学年からの」
憂鬱なことがもう一つあったのだ。
それも直近に迫った。
「何とかなる。頑張れ」
「君が頑張っていたら、俺が頑張る必要なんてなかったんだが?」
「……?」
「……小首をかしげるな。ったく」
ハァ、とクルスはため息をつき、天を仰いだ。
〇
一学年から五学年、騎士科、魔法科、貴族科の三科全ての学生が一堂に会していた。そんな彼らの周りにはこれまたずらりと教師陣が居並ぶ。
壇上には学園長、そして近くには統括教頭が立つ。
其処に、
「卒業生入場」
学園長ウルの一言から荘厳な音楽と共に騎士科六学年の学生を先頭に、三科の卒業生たちが列を成して前へと進む。
その先頭に立つのは、
「……」
三科卒業生代表、クルス・リンザール。
威風堂々と、黄金世代の名に恥じぬ歩みを見せていた。
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