第283話:思い出巡り
まだ日も昇らぬ早朝。
「……」
クルスは一人ベッドから起き上がる。ルームメイトは当然の如く爆睡中。いつも通りの光景であるが、いつもと違うのは部屋の内装である。
元々大して私物の多い部屋ではなかったが、両名とも多くない私物の大半はすでに、各々がこれから住まう場所へ送っている。
目に映る景色は何処かよそよそしく、がらんとしている。
ちなみにユニオン騎士団は隊舎も含め、隊ごとに制度すら大きく異なっており、第一や第二などは団員寮を持っているが、第七などは大分前に寮を売り払い、隊が借り上げた物件に団員を叩き込む方式を取っている。
第七の隊舎から目と鼻の先、呼ばれたら秒速で出てこい、休みの日でも、と言うブラック騎士隊の片鱗が窺える。
まあ、それに関してクルス自身むしろ上等だ、という感じであるが。
なのでクルスはまだ自分がこれから住まう部屋を見てすらいないのだ。何なら間取りも知らない。家賃は隊持ち、無いことだけは知っている。
起き上がったクルスは制服に着替え、ルームメイトを起こさぬよう静かに部屋から出て行った。爆睡しているはずのルームメイトは――
「……ふむ」
ちらりと友の後姿を見て微笑み、また寝た。
〇
クルスは馬にまたがり、クソデカ平原ことイザヴェル平原を駆ける。さすがにこの時間は不滅団も活動していないのか、とても清涼感のある空気に満ちていた。彼らがいると空気が澱む気がするのだ。
向かう先は学園の西、アーシアである。学生が軽く外出したいけどアースに行くほどではないな、と言う時に訪れる町であり、不滅団的には桟橋はもちろん、灯台付近も怪しいし、少し離れた砂浜はもう危険地帯、らしい。
さすがの彼らもこの時間は――
「ふぁ、あ、クルス先輩。どうもです」
いた。
「……せ、精が出るな」
眠気まなこをさすりながら挨拶するのは、確か四学年の子であったか。よく襲撃についてきていた小さな子も、いつの間にか立派な――亀になっていた。
「まあ、昨夜もひと組カップルを撲滅してやりましたよ。亀の擬態、結構刺さるんです。クルス先輩もどうですか? 学生の思い出に」
亀に擬態する騎士の卵、この子も確か成績自体はよかったはず。
世の中変人ほど妙にスペックが高いのだ。
「け、結構だ」
「そうですか。じゃあ、自分はこの辺で失礼します」
今日も治安を守ったぞ、と言わんばかりに胸を張り、欠伸を噛み殺しながら去っていく後輩の後姿は誇らしさしかなかった。
それが恐ろしい。
気を取り直し、クルスは砂浜を進む。そうしたらすぐに見つけられた。
遠泳の目印となる岩礁が。
つまり、この辺が過酷な冬の海を泳ぐ地獄の行事を執り行った場所である。そのおかげで今は泳ぎにも自信を持てるようになったが、何度考えても夏の海でいい、せめて春か秋だろう、とは今でも思う。
果たしてこの先、冬の海での地獄を生かす時が訪れるのだろうか。
クルスにはわからない。
「……最終的にはあいつが一番上手くなっていたな、泳ぎ」
当時は雲の上だった上位勢、ここで互いに落ちこぼれるまではほとんど絡みがなかった。なんだかんだと長い付き合いである。
あの日の夕日を想いながら、
『どんなもんじゃい!』
『……くっ』
『私の勝ち。覚えておくこと』
『……わかったよ』
今年の極寒の海、其処で刻まれた敗戦を振り返る。
〇
学園の方へ戻り、朝焼けが差し込む学び舎の中を散策する。購買区画は当然開いておらずにひっそりしているし、よく利用した図書館も今は利用時間外である。講義で使用した教室も、こんな時間には誰もいない。
ただ、少し目を瞑れば嫌でも浮かぶ。
自分も含めた学生たちがごった返す景色が、静かに本を読んでいたり隅で寝ていたりという景色が、同期らがわいわい騒いでいた教室が――
そしてぐるりと回り、騎士科の学生寮に戻ってきた。
誰もいなければ少し体でも動かそうかな、と思っていた矢先に、
「トレ納めだぞ!」
「筋肉の躍動を見せろ!」
「ここで上げなきゃいつ上げるの⁉」
「今で、ッショォ!」
「ナイスマッスル!」
筋トレガチ勢が占拠するトレーニング設備。よく隙間時間やフィジークの講義で利用していたが、今は筋肉が支配する空間と化している。
アンディを中心とした同期や後輩の筋肉を愛する者たち。あとで聞いたら実は新設の倶楽部であったらしい。
並々ならぬ筋肉である。
(何キロついてんだよ。シャフト曲がってんじゃねえか。ベンチなのに)
クルスは呆れながら、華麗に其処をスルー。彼らの筋肉には敬意を表するが、自分にはあそこまで搭載できるフレームがない。
一応彼らほどではないがしっかりトレーニングには励んでいるし、まだ多少伸びしろはある。でも、テュール先生の言う通り、此処から劇的に肉体が変化することはない。それは重量の伸びにも表れている。
其処ではない、それは感覚としてもわかってきていた。
まあそんな彼らを尻目に歩を進める。
浴場は入る気などなく、ひと目見て降りるつもりであったが――
「あら、奇遇ですわね」
「……ああ。そうだな」
何となく、何となくだがそうなるような気がしていた。
「風呂上りか」
「ええ。朝練で流した汗をさっと、と言う感じですわ」
湯上りの彼女はずっと昔に遭遇した時同様、髪を垂らした状態であった。普段の姿は随分と見慣れたものだが、だからこそ鮮烈に映るのかもしれない。
「クルスは今から入りますの?」
「いや、そのつもりはないんだが……少し歩かないか?」
「あら、デートのお誘い?」
「ま、似たようなものだ」
「お付き合いして差し上げましょう」
「はは、ありがたき幸せ」
苦笑して、二人は並んで歩き始めた。
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