第272話:双子のおはなしⅡ
レイルとの生活は基本的に不干渉であった。課題が与えられ、それをクリアする以外の縛りは聖堂の離れ、レイルの領域から出ないこと、のみである。
最初は双子とも同じ課題であったが、徐々に課題の内容が離れていき、はっきりと記憶が残る頃にはほぼ違う課題が与えられていた。
イールファスは運動性能を測り、同時に向上する課題を。
イールファナは知識を問う問題、処理力を増やす単純な計算問題を詰め込む。
そしてある時期を境に――
「ようこそ、ボクの研究室に」
レイル・イスティナーイーの、真の聖域、天才が天才のために設けた空間に足を踏み入れることが許された。
イールファナのみを。
「君は今日から助手だ。なに、難しいことはさせない。ただ、見ていればいい」
宣言通り、手伝いは課題とは違って本当に単純作業であった。データ取り、それを紙にまとめ、そんな単純な繰り返し。
天才の仕事と言うからもっと派手なものを想像していたが、レイル曰く研究とは総当たりが基本であり、根気と熱意、あとは突き進む覚悟が必要らしい。
研究者としての尊敬はある。
イールファナ・エリュシオンの骨子は間違いなくあの日々で培われた。
だけど、
「レイル様、犬が急に狂暴化して――」
「ああ、よくあることだ」
自分たちに向けていた笑顔のまま、レイルは騎士剣を無造作に振るい、投薬を続け経過観察をしていた実験動物を切り捨てた。
「……」
「んー、惜しいね。次は人間に試してみたかったんだが早計だったかな」
付き合いを深めるほどに、
「これ以上は、動物が耐えられません」
「いいんだよ、それを知るための実験なんだから」
「……」
見えてくるものがある。悪いのではない。
無いのだ。
「……この人たちは?」
「罪人、死刑囚だよ。舌を抜いて腱を切った個体をいくつか用意してもらった。安心したまえ、これは死体だ。どう弄ろうが、心は痛めないだろう?」
「……そ、それは」
「今日は誕生日だと聞いた。だから、ボクからのささやかなプレゼントだ。今日の課題は彼らを使って投薬実験をすること」
「……死んじゃう」
「いけないなァ。違う違う、前回の復習だ。この実験は限界を知るためのもの。前回は動物、今回は人間、やることは同じだ」
「……」
「こういうことは早い方がいい。大丈夫、ボクは平等で公平なんだ。きちんとイールファスにも手配しているよ。ボクの持論なんだけど、研究者や騎士ってやつは殺しに慣れておかないと、むしろ、それに楽しみを見出せる人種であるべきだ」
「……やだ」
「君が拒絶をしても誰かが殺す。なら、少しでも世の中の役に立って殺してあげるべきだと思わないかい? ボクはどうとも思わないんだけど、一般的にはそうらしいから、わざわざ処女、童貞用に言い訳要素を作ってあげたんだよ」
「……」
「さあ、実験の時間だ。このひと足が、人類の発展に繋がるのさ」
小さな一歩、そのためなら何でもできる。いや、そもそもレイルに罪悪感などない。倫理観も一般人とは違う。動物実験、人間を使った実験、レイルは其処に垣根を設けないのだ。同じものを、同じように使う。
研究のためなら全てを投げ出せる。
捧げられる。
倫理、道徳、人間性、全てを削ぎ落し真理のみを探求する。
その果てに――
「プーサー!」
「不届きな猫だね。ここは……聖域だよ」
「お願いします! その子は、私たちが――」
「私、たち? あはは、君は兄のことを分かっていないねえ」
「黙れ!」
「迷い猫を愛していたのは君だけだ。イールファスは迷い猫を君が可愛がるからそうしていただけ。そんな感情はね……端からないのさ」
首をひねられ、だらり、と垂れ下がる迷い猫。それを見てイールファナが絶叫する。その嘆きに反応し、イールファスが拳を向けるも――
「あはは、今の君にはさすがに負けないよ」
レイルが猫を持つ手とは逆の手でイールファスを迎撃、たった一撃で昏倒させる。権力としても、そして単純な暴力さえも、届かない。
絶対的な存在。
「まだ捨てられない、か。ううむ、ままならないなぁ」
倒れ伏したイールファスはレイルを睨み、
「おまえは、自分の代わりが、欲しいだけだ」
そう吐き捨てた。
そして――
「大正解」
レイルの満面の笑みを見た時、もしかしてが完全に潰えた。その時まではほんのわずかに残っていたのだ。
もしかしたら、レイルは自分を子のように思ってくれているのではないか、と。自分がイールファスとは違って研究室に招かれたのも、そういうことかもしれない。悪いことだと思っていたが優越感も其処にはあった。
でも違った。
「君の器にイールファスの心があったら……完璧だったんだけどなぁ」
レイルはもう一本の手が欲しかっただけ。
それを作ろうとしていただけ。イールファスはそのための騎士、自分の分身となる器を守るための武力として育てられた。
ただの役割、本質的には実験動物と、人体実験に使用された者たちと変わらない。
其処に愛など、あるはずもなかった。
それからも実験の助手は続けたが――
「んー、君はやはり、生ものを扱うのは向いていないかもね」
その一言を境に、聖域である研究室に呼ばれることはなくなった。イールファスも武力向上の課題は途絶えた、せいせいしたと言っており、
「あれ?」
「……」
ある日、二人の部屋には入学許可証が置かれており、出て行けと言わんばかりに部屋の中は空になっていた。聖堂の離れ、その入り口から聖堂騎士らに促されるまま、聖堂の外へ、国の外へ、そして海を渡りアスガルドへ至った。
あの人は敵ではなかった。
ただそれだけでイールファナにとっては特別な人であったが、敵ではないだけで味方ではない、その虚しさも知った。
もう誰にも期待すまい。
「俺がいる」
「……うん」
自分には一人いる。それでいい。
〇
「――たくさん、人を殺した。断っても殺されるから、意味がないと言い聞かせて……幻滅した?」
「……いや、俺もまあ似たようなものだ」
「……?」
「俺も弱いから選択肢がなく、俺がやらなくても誰かがやるから人殺しに手を染めた。思えば、理由も同じだったんだろうな」
クルスもまた上位者に逃げ道を阻まれ殺戮の片棒を担いだ。いや、殺した数ならば片棒どころか主犯である。
己の甘えを消すため、使える駒に仕立てるための踏み台が彼らであった。
「……上がクソだと苦労するな、って話だ。でも、俺の場合は納得している部分もある。もしもの時に、人を斬れない騎士は使い物にならない。嫌ならその段階に至る前に動く、出来なかったのなら粛々と剣を振るう。其処に、感情は要らない」
フィンブルにしろ何にしろ、あの盤面が整った時点で終局までの道筋が決まっていた。それを覆そうと思うから無理が出る。
大事なのは其処に至る前の段階。其処で動けたなら、違う結果もあっただろう。もっとスマートに、上手くやれたはず。
いや、やらねばならない。
それがあの日、彼らを斬る選択を取った者の役割であるから――
「そう。私もそう思ったから、今の分野を選んだ。今は将来性も込みでこちらの方が可能性のある分野だと言えるけど、当時はただの妥協、逃避でしかなかった」
「レイルから?」
「あと、命から……直視するのが怖かったから。でも、今は違う」
「百徳スコップのこと、覚えている?」
「……もちろん」
当たり前である。身体がぶっ壊れかけた勢いで殴られた兵器であるから。
もちろん内緒だが。
「フレイヤの盾で試作品とか、試用とか続けていたけど……正式に製品開発、商品として売りたいって会社が来た。すでに販路も確保している、って」
「販路は……騎士団か」
「そう。私はその話を受けた」
「……そうか」
「研究を続けるにはお金がいる。この施設も、装置や機器もただじゃない。私たちの人件費だってそう。お金がいる。私もプロになるなら、そういう選択をしなければならない。たとえその結果、誰かが傷つくことになっても」
「……」
イールファナの眼、揺れながらも遠くを、前を見据えている。結局、如何なるジャンルであれ上へ登ろうとするなら、生き残ろうとするなら、屍を踏み越えていく覚悟がいる。それを直視せぬ道もあるが、其処まで器用じゃないのだ。
お互いに。
「俺も仕事は何でもやるつもりだ。上に立たねば、力がなければ、通せない我がある。そのために我を曲げる必要も……あるから」
本当はやりたくない。綺麗なことだけやって生きていたい。
「……私も」
クルスの手に力が入ったことをイールファナも感じ、彼女は少しばかり目を伏せる。この先に、何が起きるかを想像したのだろうか。
そんな空気の中、
「ファナはラーでの話を誰かに話したことは?」
クルスは重たい口を開いた。何か、決意した表情で。
「ない。クルスが初めて」
「……そうか、そうだよな。……ちなみに俺も隠しごとがある。誰にも言っていない、というか言えない、ことが……言ってもいいか?」
「もちろん」
「それで迷惑をかけることもあるかもしれない。正直、どう転ぶのか見当も――」
「尚更」
「……後悔するなよ」
「しない」
今話すようなことではない。レイルの話は今後に必要だから、混沌を振り撒きながら徘徊する組織ファウダーの要であり、魔道分野における特筆した存在。その情報を共有しただけ。今から語ることはそれと何も関係がない。
まあ、魔道と言う点だけはかすっているが。
クルスは語った。
ゲリンゼルにふらりと現れた謎の騎士、『先生』が自分に剣を教えてくれたこと。先日、その地を調査した際に旧式の陣形魔法と魔道、二つの痕跡が見つかったことも併せて。さらにシャクスとの遭遇、鏡の女王、其処から得た情報を。
荒唐無稽な話だと思う。
語りながら、自分は何を話しているのか、わからなくなった。
ただの夢、妄想、その可能性の方が高い。
だけど――
「――終わりだ」
「ありがとう。話してくれて」
イールファナは真剣な表情で受け止めてくれた。
その貌に嘲りの色はない。
「妙な話だろ?」
「でも、繋がることも多々ある。何よりも、それなら魔道研究のゴールを魔族の無害化、ううん、魔から人へ、と定めたことに納得が出来る」
「それは俺も思っていた。魔を払った後、連中が大人しくなるとは限らない。未知数なのだから、むしろ狂暴化する可能性すらある」
「だけど、ユニオン、アルテアン、そして学園長も、そのゴールに対して懸念を表明しなかった。いくらでも突けるのに、それをしなかった」
「……千年前、人が魔に成った、それを知っている?」
「可能性は高い。それに、学園長はそれを言わせようとしていた気もする。私とリンド先生、テュール先生のいる前で」
「……あったな、そんな一幕も」
話してすっきりした。自分だけが抱えていることを、誰かと共有するとこんなにも気が楽になるのだと、クルス自身驚いていた。
「結局、巻き込んでしまったわけか」
「私は嬉しい」
「……」
「私も少し魔道のことをかじってみる」
「専門外のことに割く時間はあるのか?」
「趣味で。それに、たまに専門外に触れるのもいいこと。スペシャリストは強いけど弱い。これだけ分野が多様化した今、ジェネラリストと言うのは幻想かもしれないけど、元々私は其処を目指すつもりだった」
「生ものは避けて?」
「む」
「はは、怒るなよ」
「魔導のことを考えたら、むしろ生物に限定しない分野の方が広くて大きい」
「わかったから」
「わかっていない」
少しばかり口論を挟み、
「……随分と話したな」
「うん」
二人分の過去を話したこの日を思い返す。ずっと内に秘めていた。今だって他の相手に言えるかと言えば、やはり考えてしまうだろう。
クルスにだから話せた。
イールファナにだから話せた。
そんな関係を何と呼ぶのだろうか。
「今日はお開きだな」
「うん。でも、最後に」
「ん?」
「レイル・イスティナーイーはクルスに執着している」
「なんでか知らんがな」
「惹かれた理由は簡単。クルスの眼には差別がないから」
「……別に善人じゃないぞ、俺は」
「クルスはイスティナーイーを知らなかった。ルナ族のことも、遺伝子のエラーにより生まれた外れ値も……それを知った今も、その価値観に揺らぎはない」
「ルナ族もソル族も、騎士の家に生まれた高貴な連中も、全部まとめて珍しかったからそうなっただけだ。たかがそれだけで――」
「たかがそれだけで……私たちは惹かれるの」
突然、イールファナはクルスの額にキスをする。普段、受けて流して、鉄壁の守備を誇る男が微動だにも出来なかった。
不意打ち過ぎて――
「あの人の気持ちがわかる。そして、あの人が我慢しないのもわかる。だから敵に回った。敵なら、接点が多いから」
「……冗談、だろ?」
「冗談じゃない。クルスが秩序の騎士を選んだ時点で、たったそれだけの理由であの人は混沌側に回ると決めた、私はそう思う」
「……俺があいつの誘いを受けたら、ファウダーには与しなかったってか?」
「研究はしていた。でも、それは聖堂の離れ、あの人の聖域で行われていたはず。貴方が守る、その場所で」
「……」
「だから、気を付けて。あと――」
イールファナはクルスを睨み、
「あの人になびいたら、絶対に許さない」
「な、何の話だ」
「他の誰でも嫌だけど、あの人だけは絶対嫌。これは感情の問題だから」
「しょ、承知しました」
クルスは勢いに呑まれて承諾した。
勢いで告白じみたことになったが、両名とも気づいていないためセーフ。
「か、帰るよ」
「うん。入口まで送る」
「送る距離でもないが」
「そういう気分」
とにかく今日は色々とあった。一旦部屋に戻り、頭を整理したい。勢いで全部話してしまったが、その結果危険に巻き込むのは本意じゃない。
そういうことも――
そんなことを考えらながらクルスは出入り口の扉を開ける。
そして、
「「……は?」」
扉の周りにうじゃうじゃと這い回る、
「エマージェンシー! エマージェンシー! 大警報発令! 完全に事後です! 清き学び舎にあるまじき不浄の行い! 断固罰すべし!」
醜悪なる不滅団の連中。
しかしてその全てを阻むは、
「クルス」
扉の騎士、イールファスであった。
「い、イールファス、なんだこの乱痴気騒ぎは」
「マイブラザー」
「……おん?」
「あ、でも俺が兄だぞ」
イールファスががっしりとクルスを抱きしめる。その腕から伝わる力は、彼の細腕からは考えられぬもので、責任取れよと言う強い意志を感じた。
クルスは咄嗟にイールファナを見る。
こいつをどうにかしてくれ、と。
だが、
「大丈夫、防音はばっちりだから」
「あっ」
イールファナは二人の大事な、秘密の会話は聞かれていないと太鼓判を押す。その発言はとても重要なことであるが、此処で言って欲しくはなかった。
何故なら――
「エマージェンシー!」
不滅団の怒りの炎へ油を注ぐだけ、であったから。
後日、当たり前だが学園中に広まった。
あいつら、ヤった、と。
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