第270話:学園長室にて
「ファナ?」
「クルスも呼ばれたの?」
テュールから学園長室の方へ来るようにと連絡を受けそちらへ向かうと、同じく学園長室に向かっていると思しきイールファナと遭遇した。
さすがに偶然とは考え難い。
フレンドリーな学園長とは言え、一介の学生が学園長室に呼ばれるようなことはそうそうないから――
「……以前から?」
「うん。リンド先生の勧めで」
「なるほど」
無駄な会話はなし。必要な分だけを交わす。
そして二人で、
「失礼します」
学園長室へ入る。
「騎士科六学年、クルス・リンザール入ります」
「魔法科六学年、イールファナ・エリュシオン入ります」
「お、仲良しじゃのお。もしかしてこれか? ん?」
ウルは小指を立て、にちゃにちゃ笑みを浮かべて問いかける。
(クソジジイが)
クルスは先日の望遠鏡事件を未だに根に持っているので、尚更心証が下がる。
底値も目前、である。
「……?」
イールファナはポーズの意味自体がわからぬ模様。
「マスター・ユーダリル、用件をお願いします」
「なんじゃ、青春甲斐がないのぉ。この前の夜はあんなにも――」
「用件を」
「こわぁい」
クロイツェル直伝(勝手に染みついた)の蛇睨みが炸裂、ウルは身を縮こませる。
「学園長」
リンドがごほん、と咳払いをする。いつの間にかクルスたちを呼びに来たテュールともども、クルスたちの後ろから部屋へ入っていたのだ。
そしてリンドが書庫へ歩み寄り、本を一つ押し込む。
すると、
「……これは」
壁一面に魔力の線が走り、一つの回路を、術式を形成する。
クルスはその形に目を見張る。
「陣地形成、魔除けじゃなくて、人除け……しかも強力な」
「確か、この術式は……陣地の外側に悪影響を与える、と条約で禁止されている、と学びましたが……この学校で」
クルス、イールファナ共に表情を険しくする。
ウルも笑顔のままだが、
「なに、悪影響なぞない。各国が禁止した理由は、人除けとして完成され過ぎておるから、自分たち統治者にとって不都合、それだけじゃ」
先ほどまでのユーモア全開の好々爺はいない。
「さて、卿らを呼んだのは他でもない、先日メンバー入りしてもらった件での、クロイツェルから面白い情報が共有事項としてもたらされた」
「マスターから?」
情報を抜くだけ抜き、大して貢献していないと聞いていたが、このタイミングであることを考えるとクルスにはあのことしか考えられなかった。
自分が報告した件、彼はそれを――
「うむ。詳細はこちらじゃ」
こうして共有することに決めた。
書面に、彼の筆跡でしたためられた内容はクルスの知る内容、そして――
「……人から魔族の、逆?」
クルスの知らぬ、考えたこともない発想があった。だが、ある意味クルスはそれがもたらす意味を、意義を理解できる知識を持つ。
その様子を見て、
「さて、クルス・リンザールはこれについてどう思った?」
ウルがクルスへ問いかける。
その眼は、
「無害化、が可能であるのならば大変意義のあること、かと」
言え、と言っているように見えた。だが、それでもクルスはあえて知らぬふりを通す。と言うよりも通すしかないのだ。
情報ソースを聞かれた時、魔族の感情に、記憶に触れたなど与太話であるし、よしんばそれを信じられて『先生』の話にまで及べば、自分のルーツに魔族が絡むことになり、俯瞰してみた場合騎士どころか研究所に連行されかねない。
相手を値踏みし話さない部分よりも、話せない部分の方が大きい。
「ふむ、なるほどのぉ」
「何か?」
「いや、それもまたよかろう。わしにも迷いはあった」
「……?」
「では、イールファナ君はどう思ったかの?」
「……その前に確認させてください」
「む?」
話を遮り、イールファナはクルスを見る。
「この情報、クルスがマスター・クロイツェルに流したの?」
「……何故そう思った?」
「レイル・イスティナーイー……あれが絡んでいたから」
「……そうだ。俺が其処に記載されているファウダーと交戦した。実際に人が魔に成る瞬間も見た」
「何故教えてくれなかったの? 手紙も返事がなかった」
「手紙?」
「……え?」
話が結び付かない。
「イスティナーイーのこと……気を付けるようにって、手紙」
「……何処に、送った?」
「騎士団宛と、テウクロイは研究所の方にも知り合いが、いたから」
「……なら、手違いはあり得ないな」
普段、必要事項のみの会話が多い二人ゆえの弊害が出る。クルスは手紙のことなど露知らず、イールファナは彼が無事に戻ってきたことで問題ない、と考えていた。
あれから何度も顔を合わせているのに――
「手紙の遮断……なるほど、ファウダーにはやはりそういう勢力の協力も入っておるのじゃろうな。しかし、二人はちと会話が足りんの。もっとあれじゃ、若いんじゃからこう、乳繰り合うとか――」
「「学園長」」
「こわぁい」
リンド女史、そしてクルスの絶対零度の視線に性懲りもなく身を縮こまらせるウル。この男、まったくもって学習しない。
「まあ、あれじゃ。リンド女史とイールファナ君を呼んだのは、人を魔族とする研究及び、その目標と思われる魔族を変質させる研究、暫定的に人が魔に成り、それを戻す方法としよう。それが研究者目線で可能か否か、考えを聞きたかったからじゃ」
「最初から用件を述べてください」
「てへ」
ぶりっ子ウルを無視し、リンドとイールファナは同時に考えこむ。一瞬で周りの視界が消えるほどの没頭ぶり。
自分のそれとは違うが凄まじい集中力である、とクルスは思う。
「専門外ですが不可能とは思いません。そも、持論ですが人間がイメージするもの、ことは全て実現可能と考えておりますので」
リンドがそう語り、
「同じです。ただ、まったく同じものに戻す方法を模索するよりも、人と魔を構成する要素を個別に分離し、そのあと必要な要素を重ねる方が楽かと……専門外ながら思いました。ただ、それが完全に元通りと言えるか、はわかりかねますが」
イールファナもそれに続く。
あくまで専門外だが、どちらも持てる知識を総動員し、それなりの考えを出したのだろうが、それはそれとしてただの騎士にも通じることのみで答えた。
どちらにせよ、この場で答えの出るものではない。
様々な陣営が其処をゴールと定めるほどの難題であるのだから――
「わしはこの可能性を模索したいと考えておる」
「魔道研究はアスガルドの得意とするところではありません。あまり良い噂は聞きませんが、蓄積だけで言えばログレス辺りになるかと」
「あとはユニオンじゃろうな」
「はい。パンはパン屋、今からアスガルドが歩き出したとて、彼らに追いつく頃にはきっと答えが出ているはず。成否は、ともかくとして」
魔道、魔族の研究は長らくタブーとされてきた側面がある。そも、研究する余裕が出来たのが歴史を見れば割と最近、と言うのが本音であるが。
今、リンドが触れたログレスの件も、建前上ログレスに魔道を研究する施設など存在しないし、当然それに関する研究者もいない。
建前上は。
「じゃが、フリーになった者がおるじゃろ?」
「……まさか」
「レイル・イスティナーイー、一番のパン屋を招くのが一番効率的じゃと、わしは思うのじゃが……ぶはは、凄い顔をしとるのぉ」
「絶対に、駄目です!」
「ありえません」
イールファナ、そしてクルスが反対意見を述べる。レイルを知る者、そしてレイルの所業を知る者として、この地に招くなどはあり得ないと考える。
それは当然のことであろう。
「それにおそらく、どの陣営にも紐付きでしょう。ユニオンと完全に切れたとは思いませんし、おそらくアルテアンとも繋がっていますよ。郵便の件を思うに」
テュールもまた賛同以前の話だ、と割り込んだ。
「アスガルドならばその繋がりを断てる。わしがおる内ならば……ユニオンだろうがアルテアンだろうが、この学園には届かん」
先日の決闘、それとは違う貌。
英雄の、何よりも戦士としての自負が、浮かぶ。
あれは所詮試合であったのだと、クルスは知る。
「と言うわけでクルス君や。君を招いた理由は今ので察しがついたじゃろ?」
「……レイルを、連れてこい、と?」
「それはまあ状況次第。まずは接触してみてほしい。その上で、この件について語り合えたら最高じゃのお。で、もし研究が容易に達成できそうならばそれでよし、煮るなり焼くなり好きにせよ。じゃがの――」
ウルはクルスを真っすぐに見据える。
とても大事なことなのだ、と。クルス・リンザールならばわかるだろう、と。
「行き詰っておるようならば……交渉、研究材料が一つ、この学園にはある。詳しくは其処まで辿り着けたら伝えよう。まずは、遭遇、そして対話。クロイツェルの報告にもある通り、本件は第七が担当するようじゃ……ゆえに、頼む」
「あいつは……無邪気に人を殺せる存在です」
「わしも殺したことはある。罪に、邪気のあるなしは関係がない。ユニオンもそう考えておるから手を組んでおったのだろう。そしておそらく、放流したのは手元ではさせられぬ過激な研究をさせるため……マスター・ウーゼルならばそうする。同じゴールを見据えているのなら……躊躇うまいよ」
「……」
「強制はせぬ。拘束が主とは言え、生死問わずの相手ともなれば、アスガルドへ運び込むのは立派な背信行為。それをしてくれ、と頼んでおるのだから」
「……今は答えられません」
「……そうか」
「ただ、対話は望むところです。その可能性を模索することもまた……アスガルドへ引き込むかどうかの判断は、そのタイミングでします」
「うむ。充分じゃよ」
全面的に肯定は出来ない。ここへ連れてくることは許すに等しい。レイルは、シャハルは何も悪いことをしていないと言った。騎士剣を作っている者たちと、何も変わらないと笑いながら言った。確かに理屈の上ではそうかもしれない。
でも、実際に人が歪み、散ったのだ。
その選択がなければ、何も出来なかっただけの人が罪を犯したのだ。
その結果、全てが丸く収まったのは結果論。
やはりクルスは、どんな理屈でも許す気にはなれなかった。
罪から逃れる、罰から逃れる、その道を自分の手で用意する気になどなれない。ただ、同時に想うのだ。
鏡の女王が見せたあの悲劇を。
千年前の悲劇、その清算が出来るなら――
「二人に伝えることはこれでおしまいじゃ。ま、色々と話すこともあろうし、わしとしても話しておいてほしい。その後にデートも一興じゃろう」
「いい加減にしないと折檻しますよ」
「こわいのぉ。とは言え、会話が足りぬのは身に染みたことであろう。これからもこの名もなき組織の仲間なのじゃし、これを機に交流を深めるといい」
「「イエス・マスター」」
「うむ。特に、ラーのことはよく聞いておくんじゃよ」
「ラー、ですか?」
「そうじゃ。陣地形成の極意は何かの、クルス君」
「地の利です」
「では、イスティナーイーにとって地の利は何処か、と言う話じゃ」
「……承知」
クルスは浅はかな自分に歯噛みする。確かにレイルの存在を知れば真っ先に疑わねばならぬ潜伏先であろう。レイルを追うためにも情報がいる。
リンドが人除けを解除し、二人は先に退出する。
そして、
「予定の空きは?」
「今」
「わかった。何処で話す? 人目のある所は避けたい」
「……私の研究室」
「助かるよ」
「ん」
二人は早速交流を深めることにした。
イールファナの研究室兼、現在の私室にて――
そんな二人を、
「……えっちだ」
自称兄、イールファスが見た。
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