第267話:先輩と後輩
「……」
「……どうしたの、不機嫌そう」
イールファスは親族にのみわかる微妙な具合で眉をひそめていた。ちなみにパートナーはいつもの如く親族なので筒抜けである。
「あいつは後輩に甘い」
「マスター制度の後輩だから当然」
「俺はもう名前も覚えていない」
「……それはそっちがおかしい」
じゃじゃ馬の天才、それと並ぶクルスは随分と目立っていた。実は壁の隅でやけ食いするミラ以外にも勇気を出して声をかけた者はいる。
これが最後であるから――
「最後なのにねえ」
「うるさい」
まあ、言えなかった者もいるが。
その尽くが撃沈したのは、そもそも今隣に立つ者の動きが早過ぎたためである。早いと言うか、棚を揺すったらチーズが落ちてきた、みたいな感じだが。
「あの子ってクルスが戻ってきてから勝負勝負って付きまとっていたよな?」
「うめうめ……ん、ああ、俺みたいにな」
「そうそう……あと食い過ぎだぞ、アンディ」
「でもうめえよ、これ」
「ほう」
ディンとアンディの会話。アンディは最近完全に筋肉が恋人となり、ガタイの完成度に比例して女性への興味が薄れているが、ディンは逆と言うか、卒業した恋人から浮気は許さない、とのお言葉を賜ったため、今年も壁の華である。
そうでなくとも――
「それでいい。動くなよ、裏切り者よ」
「……動かんって」
かつての闇のお仲間の目もあるので。
「……クルスめ、後輩まで……やはり、決着をつけねばならんな」
よくわからない視線を受けながら、クルスは僅かな悪寒に震える。
まあすぐさま気のせいと切り替えるが――
「……アミュちゃん」
憧れの先輩、その最後にデイジーも声をかけた。駄目元であり、断られるとは思っていたが、その理由は想像していなかった。
相手も、含めて。
「アミュの本気についてこれる?」
「……ダンスの枠からはみ出るなよ」
「それはアホクルス次第。これも……勝負だから」
「覚悟しておくよ」
曲が鳴り始める。
獰猛な気配そのままに、アミュ・アギスが美しく立つ。背は高くない。一年の頃よりは随分と伸びたが、それでも同世代の女子の中では低い方。と言うか御三家の女子が平均的に高過ぎるのだが。
しかし、スッと本気で背筋を正し、立てばぐんと伸びる。
実際の背も、それ以上に雰囲気が立ち上る。
クルスは彼女の手を引き踊り出した。こうなった経緯を思い浮かべ、小さく苦笑を浮かべながら、それでも心する。
これはガス抜き、この獣の闘争本能を落ち着けるための代替行為。
だから――
「征くぜ」
「……」
戦闘と同じぐらい、気を遣う必要がある。
〇
「勝負勝負!」
「しかるべき時に、な」
「それいつ⁉」
「今年度中の何処かだな。鍛えとけ」
「今!」
「わがまま言うな」
アンディの猛攻を捌いた後、アミュの猛攻が襲い来る。アンディに関しては就活に集中しろ、と言い聞かせているが、この獰猛な後輩に関しては『その日』を明言することが出来ないので、煙に巻き続けるしかない。
別にいつ勝負してもいいのだが、折角真剣勝負の舞台が用意されているのだ。なら、何度もやり合い勝負が安くなるよりも、待ちに待った一戦の方がこの手のタイプには意義がある、とクルスは考えていた。
それに――
(年度末までにもっと伸びるだろ、お前は)
一学年、二学年、そして三学年、この時期の学生は段違いに実力を伸ばしていく成長期である。今やるのは自分としてももったいない、と思えた。
とは言え――
「逃げるなぁ」
「そのつもりはない」
いい加減しつこい、と言うのも事実。
「……」
「……」
(そのジトっとした視線をやめろ)
不滅団、と言うには何ともまとまりのない感じだが、それと思しき者たちの視線も面倒くさい。何とかなだめる方法はないものか、と思案する。
だが、その思案は必要なくなった。
「この前アマルティアと踊ったら……ぶっ飛ばしちゃった」
「何故踊りでそうなる?」
「楽しくなっちゃって……許してくれたけど、もう友達とは踊れない」
「……」
珍しく落ち込んでいるアミュに、その理由を聞いたら彼女の、純血のソル族ゆえの悩みであった。一学年の時よりも肉体が本格化し始めた。
加速度的に。
これからの彼女は他者と接する際、手加減を習得する必要がある。特に騎士のような訓練をしていない者相手には――
「もう踊らない」
「加減は覚えろ」
「……」
「別にソル族だから、じゃない。騎士なら誰もがそうする必要がある。俺でさえ、自分を律さねば容易に人を破壊してしまう。出来てしまう。それが騎士だ」
「……アホクルスでも?」
「ああ。鍛えていない人間は……脆いんだ」
「……覚えとく」
アマルティアはあれで野山を駆け回り、一般人の中では頑健な方であろう。令嬢ゆえ多少は護身の心得もある。慰め程度だが。
もっと弱いのだ。特に都市部の人間は。鍛える機会すらないから。
ゆえに、その技術は絶対に必要となる。彼女の場合は特に。
「まあ、騎士は別だがな」
「……む」
「ましてや三年も差がある」
「……」
パーッとアミュの表情が晴れる。
「勝負勝負!」
「……加減は習得しろよ」
「するする!」
「……絶対だぞ」
と言う一幕があったのも今は昔。クルスのオファーが届く前には、すでに年末の勝負は決していたのだ。
〇
「だーっしょぉいッ!」
「掛け声はやめろ。品がない」
同じ曲、音もしっかり取った上で、明らかに一組だけが突出していた。音から外れぬ範囲で大きく、強く、動き回る獰猛な獣。
それを御する男は丁寧にリードする。音楽が成立するように、大きな動きに合わせて、パートナーの爆発力を制御し、正しい方向へ流す。
「お見事ですわね」
「あはは、ああなったら私には無理ですぅ」
未だ就活中の身、と言うことで今年は壁の華、フレイヤと実は人気で数多の誘いをお断りし、お友達と一緒に壁の華となるアマルティア。
二人は同期、そして後輩の雄姿を見つめていた。
「うへえ」
「あれのリードは無理だ」
小さいのに、誰よりも大きく動く。有り余る力を、音楽に合わせて全開放しているのだ。ダンスの出力、エンジンとはリーダーである男性ではなくパートナーの女性、その可動こそが二人のダンスの限界値を決める。
アミュ・アギスと言う規格外、それを乗りこなせば必然、誰よりも大きく強いダンスが出来ることになる。
その分、
(……こいつ、ちゃんと加減は覚えてんのか?)
リーダーである男性、クルスは制御に細心の注意を払わねばならない。注意だけではなく、上手く操る筋力、先回りし続ける段取り力に、さらに、
「失礼」
「うおっ!?」
誰よりも強く、誰よりも大きく動くと言うことは、どのペアよりも速い、とも言える。ぶち抜き続ける、スペースを発見し導くのはリーダーの仕事。
アミュは気持ちよく踊っているだけだが、クルスは戦闘中と変わらぬ程度には集中力を要求される。
まあ、
「あははははは!」
「……」
楽しそうなのでいいが。
「実に後輩想いの先輩だこと」
不機嫌の極み、ミラはアンディよろしくメシに注力していた。ただ、クルスがあの後輩によくしようとしているのは、何となくだがわかる。
四学年、表面上はともかくあの頃のクルスは最も余裕がなかった。周りに眼を向けているようで、その実自分のことで精一杯、余裕がなかったのだ。
上手くやれなかった、その想いがあるのだろう。ミラなどは半日もしない内に必要最低限を行い放流したもので、それが騎士科の学生にとっては当たり前である。何でも与えられる、そんな甘いものではない。
一応、ミラの考えも多少はあったのだ。面倒くさい、も大きいが。
でも、クルス・リンザールは先輩にたくさん与えてもらった。それがなければおそらく、彼は早晩崩壊していたか、もっと早くに壊れてあの男の毒牙にかかっていたか、どちらにせよ今の状況には結びつかなかったはず。
彼は公平性を貴ぶ。
貰ったのなら、同じだけ返したい。
「楽しいか?」
「まあまあッ!」
「……そうか」
小さな、元気いっぱいの子どもをあやすような姿。大人と子ども、騎士と成った者、それを目指す者、力量はともかく、その差は大きい。
同じ子どもたちはそれを見る。
同じく大人に、騎士に成らんとする者たちは笑みを浮かべる。
「やはりええもんじゃろ、このイベントは」
「そうですね」
ウル、そしてリンドもゆったりと踊りながら彼らを見つめていた。先輩と後輩、騎士とその弟子、師弟関係は騎士の根幹でもある。
今は学校が充実したことで薄れたが、元々は師が弟子を一人前に育て、その繰り返しで繋がっていた。
「こんなものか?」
「……言ったな、アホクルス!」
「俺に負けたら先輩って言え」
「やだ!」
そんな姿を見つめ、
「楽しみだな、卒業式」
「確かに」
六学年の者たちは嫌でも夢想してしまう。三学年の時、とんでもない差に見えた六学年と言う大きな背中。いつの間にか自分たちがその番となる。
そのトップランナー同士、今は前哨戦のようなもの。
本番、年度末が楽しみである。
「俺の方が強い」
「はいはい。こっちはいつになったら大人になるの?」
「……」
イールファナにたしなめられる『大人』、もいる。
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