第265話:この日、食の歴史が動いた

 神はいなかった。

 現在、クルスたちは真新しい飲食店の店内にいた。

 客は自分たちだけ。

「お待たせしました」

「どうも」

「うむ、苦しゅうない」

 ただ食事は、

「美味しい」

「まあまあね」

 それなりの水準を満たしているように思えた。少なくとも学園の食堂は完全に超えている。クルスの基準としては美味しい部類。

 お客さんがいないのが不思議なほど。

 まあ今は店をクローズにしているが――

「メインは鹿肉、コンフィでジューシーに仕上げてんのはいいんじゃない? ソースの酸味も程よくて嫌いじゃない」

「ありがとうございます!」

「でも、弱いわね」

「うっ」

 だが、ミラの目は厳しい。

「ここまでのコース全てに目新しさが皆無だった。かつ、ここはどういう店なのか、そういうメッセージ性も伝わらなかった。これじゃ勝てないわ」

「そ、そうですか」

 しゅんと肩を落とす店主は先ほど道端で項垂れていた男である。様々な店を渡り歩き、料理の腕を磨いていざ独立。

 が、店は閑古鳥が鳴き、妻子は家を出ていき、残ったのは借金のみ。

 そんな絶望の淵にいたところを、たまたま二人は見つけてしまったのだ。

「厳し過ぎないか?」

「じゃ、今日食べた者の中にプレスコットのとこに勝てる料理あった?」

「そ、それは……たぶん原価も違うだろ」

「何か一つでも勝てなきゃ、新しい店を贔屓にする理由なんてないでしょ」

「「うっ」」

 店主、クルスの胸にミラの言葉が突き刺さる。

「何より立地が最悪。なんでこんなとこに店出したの?」

「そ、それは、不動産の方が、ここはとてもいい場所だと、穴場だと」

「で、このゴミ立地を売りつけられたわけだ」

「はいぃ」

「そりゃあ奥さんも逃げるでしょ」

「はいぃぃ」

 飲食の成否、その多くは立地次第な面もある。どれだけいいものを出す店であっても、立地が悪いとそれだけで客足は遠のいていく。都市の人の流れはある程度決まっており、それを覆すことは難しい。

 凄まじいクソ立地をあえてウリにするパターンもあるが、それは当然ながら相応の武器がある、勝てるネタがあってのこと。

 それを勘違いした愚か者たちが無様に死に絶えていくのが飲食業界。起業し、その大半が数年も経たずに消えていく。

 儲かるのは物件を紹介した不動産会社と不動産のオーナーのみ。

「何か得意な、これって料理はないの?」

「その、色々出来るのが、ウリと言えばウリと言いますか」

「あー、騎士にもいるわね。走攻守三拍子そろっています、って馬鹿。そんなん全部あって当たり前なの。その前提で武器ありますかって聞いてんの、こっちは」

「ふぐぅ」

「い、言い過ぎだぞ」

「あんたは黙ってなさい」

「……はい」

 かつて守しか持ち合わせていなかったクルスもまたしゅんとした想いであった。普段ならミラと同じことを冷徹に述べるのみなのだが、何故か事業を起こし失敗、このまま折れて消えていく姿を見ると胸がざわついてしまう。

 勝ってほしい、と思ってしまう。

 その肩入れが冷静沈着、合理的な男の眼を思いっきり曇らせていた。

「修行先にコネはないの?」

「技術を習得して、すぐ別の店に、を繰り返していたので」

「最悪なムーブじゃん。びっくりした」

「面目ない」

 飲食業界において暖簾分け、それに通ずる師弟関係は大きい。あの名店の弟子なら、と思い多少立地が悪くとも成功する店は多いのだ。ただし、それを得るためには長年その名店に尽くす覚悟がいる。

 それこそ人生を賭して、ある種職人としての矜持も曲げて――

「終わり、解散」

「そ、そんなぁ」

 ミラの非情の口撃が店主を切り裂き、再起不能とした。

 いざさらば、来世に期待。

 となっている横で、

(料理の腕はある。技術も豊富なのは伝わった。でも、コンセプトがないのはミラの指摘通り。強みも見えない、それもその通り。立地が悪い、それは本当にそうか? 飲食エリアの外れも外れ、でもオンリーワンでは、ある)

 立地は住宅地に食い込む形。それもこの路線(コース料理)からすると客層が違ってしまう。ミスマッチ、始まる前から負けている。

 でも、まだ負けてはいない。

「武器があれば、どうだ?」

「あん?」

「勝てる武器が」

「でも、立地が悪い。ここまで上客は流れてこないわよ」

「狙いを変える。住宅地から引っ張る」

「そんな金持ってないでしょ、そっちは」

「なら、回転率を上げるしかないな」

 クルスは店主の方へ向く。

「戦い方を変える覚悟があるのなら……一つだけアイデアがあります」

「ほ、本当ですか?」

「素人考え、上手くいくかはわからないですが」

「お、教えてください! 何でもやります!」

「……あまり期待しないでくださいね」

 クルスの頭の中には一人の天才の姿があった。黒いTシャツに身を包み、何故か手拭いを頭に巻き、腕を組み仁王立ちする天才の姿が――


     〇


「こ、こんな料理が……いいんですか、こんなレシピを教えてもらっても」

「発明した奴からレシピを貰った時に言われたので。優勝した祝いだ、と」

「は、はあ」

 何の優勝かよくわからない店主。よくよく考えたら先ほど荷物と一緒に騎士剣も置いてきたので、自分たちが騎士には見えていないのだろう。

「もし気になるようでしたら……売れた時にその男が心の師で、リスペクトしていますと勢いよく持ち上げておけば大丈夫です。勢いが大事です」

「わ、わかりました」

「じゃあ、試作していきましょうか。そのままだと芸がないですし、おそらくレムリアの魚醤とこちらではかなり違うと思いますので」

「そうですね。あちらの魚はかなり大味ですし……やりましょう!」

 武器は天才、神速の麒麟児が生み出した珠玉の麵料理、ノア麺。

 何の因果か、この店を生まれ変わらせるべく協力することになった二人。腕はあるがこだわりのない店主と天才のアイデアしか持たない素人。

 そして、

「Aなし、Bゴミ、Cクソ」

「う、うう、全滅」

 微塵も高貴に見えないが、幼少期からそれなりのものを食し、こちらへ来てからは下々の食事も楽しんできたオールラウンドな舌を持つ素人が参戦する。

 店主は店のコンソメスープと魚醤を用いたノア麺たれ、その掛け合わせの調整を試行錯誤し、それをミラが飲んでジャッジを下す。

 悪くない出来の場合は、パスタを代用して麺を通し実食。

 その間、

「……」

 クルスは麺づくりに精を出していた。ノアから教わった作り方、その最難関こそが水回しである。水を均等になじませながら小麦を混ぜる。ここで言う水はアルカリ性のものを用いる。のちにかんすいとして最適化されるが、現状は灰汁と重曹を溶かした水、この二つを主に使い、加水率を変えながらいくつか試作する。

 ノア曰く、

『初めは加水率高めがいいぜ。低いのは難しいし、何度も折り返すのが面倒でなぁ。何よりもノア麺改Ⅳのノア麺っぽさが……わかるだろ?』

 らしいのだがよくわからない。わからないから試す。

 その様々な加水率、灰や重曹を溶かした打ち水を用いた試作品を並べ、しっかりと区分けして踏みつけながら伸ばし、一枚の板みたいな形に、それを密閉する。

 試作なので熟成度外視、ノアが最低時間に設定した三十分だけ寝かせ、

「んっ」

 それをまた折り曲げ、引き伸ばし、麺のコシを生む作業を行う。引き伸ばす道具は丁度いいものがなかったので、店にあったワインの空瓶を用いる。

 作業者と生地がくっつかぬための打ち粉には店内にあった片栗粉を使う。

 何度も試作している内に、

(……意外と黙々とやるの、楽しいな)

 凝り性な天才の気持ちが少しだけわかった。

 一人、黙々と麵に、小麦に向き合う姿は、お洒落にコーディネートされた見た目に反し、何処か職人のような雰囲気を醸し出す。


 その結果――

「……パスタマシンより手打ちの方が良くない?」

「わしわしした食感が楽しいですね。同感です」

「何か、今更悪い気がしてきたな。実はこの料理、凄い可能性があるんじゃ……」

 とうとう試作した麺とスープを合わせることが出来、三人は眼を剥いた。当たり前の話ではあるが、麺とスープ単体だと料理として弱いのでは、と思ってしまい、実際勝負できる武器になる気がしなかった。

 やはりノアのレシピ通りに、あちらの魚醤を使わねば、とかそういう迷いが吹っ飛ぶ。まだまだ改善の余地があると言うのに、このレベル。

 すでに武器として成立している。その辺の飯屋は蹂躙できる程度に――

 料理としての懐の深さが窺える。

「でも、手打ち麺のボリューム感だと、スープにもちっとパンチが欲しいわね」

「明日の仕込みまでにやってみます。と言うかやりたいです。うちのコンソメは牛骨主体なんですが、これ豚や鳥に変えただけで凄く変わりそうで」

「あまり変えすぎると試作の意味が」

「いえ、ガンガンやりなさい。ってか、三種のスープにしてもいいんじゃない? 魚介スープも面白そうだし、全然成立するでしょ」

「そ、それは無責任だと思うぞ」

「イケるイケる。んじゃ、明日手伝いに来るから」

「……ん? もう、充分なんじゃ」

「駄目。せっかく武器を授けたのに、こんな冴えない親父に任せて失敗したら腹が立つでしょ。最後までケツ持つわよ」

「なら、ミラ一人で」

「なんか言った?」

「いえ、なんでも、ございません」

 俺の方が強いのに、とクルスは喉元まで込み上げてきた言葉をごっくんと飲み込む。これを放ったが最後、おそらく戦争になる。

 そして何故か、最終的に自分が負けるビジョンしか見えなかったのだ。

 自分の方が強いのに、尻に敷かれて床に這いつくばる姿が――


     〇


「値付けは千リア以下ね。あとは金蔓をどれだけ捌けるか、集められるか勝負よ」

「……楽しそうだな」

「ハァ? 面倒くさいっての」

(そうは見えないけど)

 その言葉も飲み込みクルスは苦笑する。まさかおひとり様の休日がこんなことになろうとは、神の眼にも見通せなかっただろう。

 張り詰めていた何かが丁度いい感じに緩む。

 何事もそうだが、余裕がある方が懐が深く、強靭なのだ。

「軽く食べてくか? いい店がある」

「別にいいけど……また私に借りるの?」

 にやり、と笑うミラを、

「いや、今の俺でも払えるいい店だ」

 ひらりとかわす。

「おっけ。じゃ、エスコートして」

「御意」

 お互い笑いながら夜のアースを歩く。すっかり夜も更けた。深夜までやっている飲み屋みたいな店以外、続々と店仕舞いしていた。

 そんな中を、

「あのさ」

「なんだ?」

「今日付き合ってくれたのって……気遣い?」

 歩きながらミラが小さく零す。こちらを向いておらず、表情は窺えない。

 見る気もない。

 どうせ誇り高い彼女のこと、

「アカイアの件なら気にしていない。初陣なんてあんなもんだろ。むしろ他の騎士の報告書を入院中暇だし目を通していたら、みんなが褒めていたぞ」

 あのことに決まっている。アカイアで奮闘した後、何とかこらえて全部が終わったと安堵したタイミングで起きた、知人の死。

 瓦解した、耐え切れなかった、そんな弱さのこと。

「でも、あんたはこらえていた。揺らがなかった」

「俺は初陣じゃないんだよ。一年前に、ミラ・メルがこの前経験したことは全部済ませている。俺の方がよほど……醜態をさらした」

「……そっか。ごめんね、変なこと思い出させて」

「謝るな。らしくない。笑って振り回せ」

「面倒じゃない?」

「まあ、少し」

「おい!」

「はは、冗談だよ。本気で撒く気なら撒いている。それだけだろ」

「でも、あそこのスイーツショップの時は本気だったでしょ?」

「……まさか。なんでそう思った?」

「女の勘」

「なるほど……留意しとく」

 女の勘とやらは恐ろしい。それをクルスは刻んでおく。

「で、いつその店につくの?」

「もう少しかな」

 かつてウルに教えてもらった昼からやっている屋台。夜はのん兵衛が集い酒とよく味の染みた煮込み料理が食べられる。

 大根を煮込んだものが、じんわりと滋味深く広がる味なのだ。

 きっと今なら、もっと美味しい。

「マスター、今日もいい大根だ」

「酒は?」

「卒業後に」

「そうかい」

 そんな背中の煤けた大人の会話が繰り広げられる、おっちゃんの社交場。

「失礼します。二人入れます……か?」

「どうぞ」

 其処で、

「……」

「……」

「どうしたんだい、座りなよ。ボンもどうした、固まって」

 二人は『常連』デリング・ナルヴィと出会った。

 一人、煮込み料理に舌鼓を打ち、浸っているところ、其処にクルスとミラが現れたのだ。しかも、エスコートなので、その、腕を組みながら。

「……その、俺も内緒にするから、俺のことも内緒にしてくれ」

「「乗った」」

 がし、っと三人は手を握り、面倒ごとを避ける道を即座に選んだ。

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