第261話:古き騎士から新しき騎士へ
場所を移そう、そう言ってウルが連れてきたのは――大樹ユグドラシルの天辺であった。ただでさえデカい木、木登りする者もいなければ、天辺まで登ろうと言う酔狂な者もいないだろう。まあ、稀におバカさんは登るが。
バカと煙はなんとやら、である。
そしてそこには――
「……この小屋は?」
歴史を感じる小屋が、大樹と同化しつつ形を残していた。
「無数の太く、雄々しき枝、そしてそれらを覆う巨大な葉。あちらからの視界を遮り、それでいてこっそり覗けると来た」
「……嫌な予感がします」
「かつて、不純異性交遊撲滅を誓った初代の学生たち、その本拠地がここである。この高みより不純異性交遊を見張り、撲滅しておったのだ」
「……」
「優秀な子たちであった。初代団長はすでに勇退済みであるが第三騎士隊の副隊長であったし、参謀の子はアスガルドの三代前の団長じゃ」
「……聞きたくありませんでした」
「ふはは! わしの経験上、突き抜けたスケベは優秀な子が多かった。わし含め」
「……」
呆れて言葉も出ないクルス。
大笑いするウルは枝の先まで歩き、葉を退かす。すると、広大な学園の敷地が一望できる即席展望台の出来上がり、となった。
其処にウルはでんと座り、
「さて、勝者の特権じゃ。何でも聞くがよい」
クルスの問いを待つ。剣で語り合い、この男が野心を、野望を抱くような人物ではないと思った。真っすぐ、子どものような無邪気な突貫。
最後まであれなのだ。
クロイツェルなら百回はフェイントを入れている。
だから、
「あの組織の目的を教えてください」
クルスも真っすぐと聞いた。
それに対しウルはぽかんとして、
「わし言わなかったっけ?」
首を傾げた。
「情報を共有し、相互理解、そして相互監視をするため、と聞きました」
「うむ。その通りじゃ」
「でも、其処にはマスター・ユーダリルの利益が見えません。これだけ大規模な仕掛け、自分には裏に狙いがあるとしか思えません」
「例えば?」
「グランドマスター、マスター・ウーゼルとの政争に敗れた意趣返し、もしくは……新たな組織を構築し、ユニオンに取って代わる、と考えました」
「物騒じゃのぉ。剣はそう言っておったか?」
「……いえ。だから、今もわからぬまま、です」
剣と相反する推察。しかし、それ以外にこんな群れをウルが構築する理由がわからない。メリットがないのだ、学園長として島国で生きるだけの老人であれば、そんな群れを作る理由がない。
「まず、わしにマスター・ウーゼルと敵対する意思はない。よく疑われるし、実際席をぶん捕ろうとしたこともあるので、そう見られるのも仕方がないがの」
ウーゼルとウルの不仲説は、彼らがユニオンを割り激突した件からも、未だ根強くささやかれている。騎士なら一度は耳にしたことがあるだろう。
「理想と現実、当時のわしは少しばかり理想に傾き過ぎておった。犠牲を是とする先輩を許せず、自分の方が上手くやれると、器であると考えておったよ」
「……」
「じゃが、結局わしはの、器ではなかったのだ。ユニオンとは比べるべくもないが、そこそこ大きな学園の長となり痛感した。まこと、組織とは理想通りにはいかぬ。理想を目指すも、はは、幾度妥協したことか……数え切れぬ」
学園を眺めながら、ウルの眼には様々な悔いが浮かんでいた。
「学園長は比較的自由にされているのかと思っていました」
「わしは自由気ままじゃが、学園の運営はそうもいかぬ。この広大な学園を維持するにも多額のリアがいる。魔法科に連なる研究所も、常に最新の設備を導入せねばすぐ置いていかれる。研究分野は怖いぞぉ。最先端でなければ価値がなく、並走しておった技術に敗れたなら、それまでの研究はごみと化す。稀に掘り起こされて日の目を浴びる研究もあるが、大半は闇の中……リアだけ食っていないないばぁ、じゃ」
「魔導、そうか、失念しておりました」
「仕方がなかろう。科が違えばなかなかわかるまい。イリオスの一件、実はわしもそちらの王様から色々聞かせてもらった。マリウス殿の件は残念であったの。シリコンバレーの悲劇は他人事ではない。アスガルドにはリンド・バルデルスという不世出の傑物がおった。彼女のおかげで、今もなお食らいついておる。逆に言えば」
「統括教頭がおらねば研究所の存続はなかった、ですか?」
「歴史にもしはないがの。もしかすると後発ゆえ、逆に今よりも活気づいておった可能性もあろう。技術は基本、後追い有利じゃからの」
「……ですね」
技術は後追い有利。これは言ってしまえば恥も外聞もなくパクる、パクった方が効率的に投資出来、開発コスト分有利に戦えることを指す。
哀しいかな、資源もあり、技術もあるナンバーワン以外は、それをした方が勝つ。開発コスト、製品化までの試行錯誤に量産設備の効率化。それらをかすめ取り、安かろう悪かろう、もしくは安かろう同品質、となる。
後者であれば負ける道理がない。
エレク・ウィンザーは技術競争を指し、猿真似合戦と説いた。どれだけ品性を投げ捨てられるか、そもそも品性を持たぬものが勝つのだ、と。
まあ、結局真似を続け先頭に立たされた時、猿真似の山師では何も出来ず沈むだけだ、と笑って言っていたそうだが――そして自分を真似する猿を見て笑う。
ただ、歴史は繰り返しているだけとも理解せずに。
「研究所は特許などもあり維持自体は難しくないが、学園は維持にも莫大なリアがかかるでな。国からの補助、学費、入学金、受験費、それらでも足りぬゆえ、寄付頼りなのもまた事実。これがきついのだ、何故かわかるかの?」
「多額の寄付をしてくださった方の、意向を無碍に出来ないから、ですね」
「しかり。リアを持つ者が一番強い。わしはもうぺこぺこじゃよ、ぺこぺこ」
英雄であろうが関係ない。
学園を維持するためには、格好など付けていられないのだ。これが私立ならばもっと大変である。まあ、アスガルドほどの敷地を、設備を持つ私立は数少ないが。
「まあ要するにマスター・ウーゼルの気持ちがわかったのだ。先輩は望み、妥協を、犠牲を、肯定などせぬ。理由があるのだと、遅まきに気づいた」
「……理由」
「わしも知らぬよ。おそらく、グランドマスターのみに伝わる何かがあるのだ。人間、らしくないことをする時には理由があるものじゃよ」
その気づきが決裂の前にあれば、今もウルはユニオンにいたかもしれない。その場合、クルスはこの学園におらず、イリオスの学校に通っていたかもしれない。
歴史にもし、はない。
ないが、想像はしてしまう。
「わしはあの、愚直な騎士を信ずると決めた。ゆえに、先輩と争う意思はない。と言うか、今のわしじゃと、たぶん勝てん。純血のソル族は全盛期が長いんじゃ。まあ、死角からぶっぱしたらわしが勝つんじゃがな、ぶはは!」
「……こ、姑息ですね」
「本気で勝つ時は手段を選ばぬのだ。で、話を戻すが……わしの目的はやはり、情報の共有なんじゃよ。その中心に、ユニオンがあるだけでの」
長い脱線を終え、本題へ戻る。
「ただ、クルス君の懸念も当然わかる。この共有を上手く使えば、今の体制、その打倒の一助ともなろう。実際、最も有効活用しておったピコ君は完全にそれを狙っておったからのぉ。若く、野心があり、理想も高い、見所のある若者であった」
「……それは、その、やはり体制へのカウンターなのでは?」
「そう使ってもよい。そうでなくともよい」
「……?」
ウルは学園を見つめながら、微笑む。
「わしは考える場を提供したいのだ。世界を広く知り、若者が答えを出す。そのためには知る機会がなければならぬ」
「この組織は、その機会である、と?」
「うむ。その結果、世を正したいと思うもよし。それを阻もうと思うもよし。反発、衝突、大いに結構! 時に争うのもよき経験である」
「……体制に牙を剥き、失敗した場合はよい経験、じゃ済みませんよ」
フィンブルの件だけではない。世の中には体制側による理不尽が横行している。彼らは自分の権益を守るためなら、修羅にも成ろう。
全力で、圧し潰そうとするはず。
無事では済まない。
「その時はわしが腹を切る。そのための御輿じゃよ、わしは」
「なっ」
「若気の至り、英雄の首一つで勘弁してくれ、と頭を下げる。そのための責任者である。それで、若者は学ぶわけじゃ。この方法ではダメだった、と」
「そ、それだけのために死ぬ気ですか!?」
「わしはそれだけとは思わぬ。千金に値するとも。してもらわねば困る」
「……理解、出来ない」
世界中、多くの騎士がウルの名の下に集っている。あのリストに名を刻んだ騎士、その誰かがトチれば、やり過ぎたなら、目の前の英雄が死ぬのだ。
死ぬ覚悟で、組織を構築した。
ただ、若者に機会を与える、考えるための情報を与える。
そのためだけに――
「クルス君には騎士道があるかの?」
「……模索中です」
「よい答えじゃ。たくさん迷うといい」
突然の問いかけ、クルスにとっての急所である。とりあえず騎士の世界に飛び込んで、積み重ねてから考える。今の自分が考えても仕方がない、と飲み込んだとはいえ、それでも負い目はあるのだ。
それを言えぬ自分に――
「……」
「……」
二人の間に沈黙が漂う。ちらちら、とウルがクルスを見てくる。
何かを言って欲しい、みたいな視線を――
「あの、何ですか?」
「わしの騎士道、聞きたくない? この流れじゃし」
「あっ」
もう自分から言った方が早いのでは。と思うほどにあからさまな催促である。よく見たら聞いて聞いて、と眼が爛々と輝いていた。
この辺の抜けた感じはノアにそっくりである。
たぶん、天才ってこんなものなのかもしれない。
「ま、マスター・ユーダリルの騎士道とは?」
「ううむ、一言では言い表せぬが……聞きたい?」
「え、ええ」
「格好つけじゃ!」
(一言じゃねえか!)
催促から、無駄に引っ張り一言で落とす。見事なコンボである。
ただ、答えが物凄く薄く、俗っぽく見えるのだが――
「人生とはの、終わりに表れるのだ」
「……終わりに?」
「そうじゃ。戦場で散るか、ベッドの上で死ぬか、それはわからぬ。わからぬが……その時わしは人からどう見られるか、それを考える」
(も、もしかすると深いのか?)
「人から恨まれておるか、尊敬されておるか、悲しまれておるか、喜ばれておるか、はてさて、わしの終わりはどうなることやら……せっかくならハッピーな感じで死にたいじゃろ? そうできなかった者たちの分も」
英雄、その厚みを隣で感じる。
勝つとか負けるとかではない。まだ、クルス・リンザールは並ぶところにも達していないのだ。剣がどうこうではなく、騎士として――
多くの戦いが、犠牲が、この英雄の厚みを作ったから。
「若者を利用し、かつて自分を追い落した先輩を蹴っ飛ばす。これは格好悪い。びっくりするぐらいダサい。が、若者のために命を投げ出す、こりゃあ格好いい。びっくりするほどに格好いい。わしが女子ならバチコリ惚れるの」
「……」
「呆れておるのぉ。でも、それがわしのまごうことなき本音じゃよ。よく見られたい、その想いがわしを律し、騎士としてくれるのだ」
騎士、ウル・ユーダリルはあっけらかんと笑う。
「以前も講義で述べたが、騎士の中には、いや、人の中には獣がおる。当然わしの中にも、クルス君の中にもおろう。鍛え抜かれた技を、力を、試したい、振るいたい、これも立派な獣。今は魔族がおる。力の振るい先がある。しかし、それがなくなった時、その力を収めることが出来るか。剣を置くことが出来るか」
「……わかりません」
「老い先短い今ならばともかく、若き頃はわしも即答など出来なかったじゃろう。必死に積み重ねてきた。誰よりも努力してきた。それを奪われるのは断腸の想いである。捨てるは、容易くあるまい。そして、その時にこそ問われるのだ」
ウルの眼が真っすぐとクルスの眼を捉える。
騎士として、伝えたいことを。
伝えねばならぬことを。
「自らの痛みをぐっと飲み込み剣を捨てる騎士か、自らの痛みに耐え切れず剣を握り争いを生む側に回るか、どちらが真の騎士であるか、が。どちらが格好いいか、と言い換えてもよいの……ま、ただの妄想にしか過ぎぬが」
騎士とは何か――
「別に考えを押し付ける気はない。これはあくまでわしの騎士道である。同じである必要などない。むしろ違ってよい」
「……はい」
「ただ考えてみてほしいだけじゃ。それだけよ。ほれ、若者に寛容なジジイも格好良く映るじゃろ? ん?」
「そうですね。格好良く見えます」
「じゃろぉ?」
ドヤ顔のウル。クルスは苦笑する。勝った気がしないわけである。今の自分が敵うと考えるのも大間違い。
答えを探す自分と答えを持つ男。
競うまでもない。
「もし、道に迷った時、困った時、わしはいつも本学の校訓を思い出す。わしも、そしてクルス君も、この学び舎で研鑽した同胞である。ゆえに――」
ウル・ユーダリルとは、
「紳士たれ、じゃ」
偉大なる先達なのだ。
「心に留めておきます」
「うむ。わしからの、最後の講義じゃ。何度も言うとるがの、はっはっは」
「……イエス・マスター」
何度も聞いた。講義の度にこの老人は紳士たれ、これを口ずさむ。昔はあまり格好よく聞こえなかった。他校の校訓を聞き、アスガルドだけダサくないか、と思ったほどである。しかし、色々と経験を積み、今に至ると――
(紳士たれ、か)
不思議と最高の導に思えるのだ。
この学校でよかった。この人が学園長でよかった。この人のおかげで――
「あの、自分を学園に連れてきてくださり、ありがとうございました」
「まだ卒業には気が早いがの。と言うか、たぶん気づいとると思うが、わしはむしろ見込み無し、と思うておったよ。感謝するならクロイツェル、じゃ」
「あの人に感謝したくないです」
「ま、まあ身から出た錆なんじゃが……じゃが」
「ちなみに、あの人はなんであれに参加したんですか?」
「そりゃあ決まっとる。情報を抜くためじゃ。貰えるものは貰っとく性質じゃろ?」
「……あっ」
「まあ、何だかんだとあやつも……それはさておきまだまだ青いのぉ」
「……ぐぬ」
真っ先に思い至るべきであったクロイツェルの狙い。あの男はどうせ自分の利益しか追求しないのだから、それ以外ないのだ。
ただで情報が手に入るから、それしかなかった。
「あと、少し話は戻るがの」
「何ですか?」
「わしが見込み無し、と思っておったこと、実はショックだったりせん?」
「今思えば当然かと」
あの頃の自分に値札を付けろ、と言われたら今のクルスは迷うことなくゼロ、と付ける。ゴミ、カス、夢見がちなアホ、としか思わない。
クロイツェルにしても、一から駒を育てたいだけ。実験でしかないんじゃないか、とクルスは考えていた。
其処から立場をひっくり返すのが、今から楽しみである。
「じゃが、君はここまで飛躍した。誰よりも低いところから、誰よりも高く飛んだのだ。だからこそ、胸を張ってほしい。クルス・リンザールはわしら古き者の想像を超え、新たな道を征くのだ。誰も知らぬ、その先へ」
「……はい」
「結構。では、本日の勝者であるクルス君に褒美を取らそう」
ウルは胸元から筒状の何かを取り出す。
「それは?」
「望遠鏡である。しかも、エンチャント技術による超ロングレンジの、じゃ。アンティークゆえ、変なリミッターもなしじゃ!」
「……あの、格好良いまま終わりませんか?」
「実はの、あの枝から学園を見ると――」
「あーあー聞こえない聞こえない! 聞きたくない!」
これがかつての英雄、古き時代の騎士であるウル・ユーダリルから、新たな時代の騎士であるクルスへの最初で最後の個人講義であった。
自分の想像を超え頑張った学生への、ちょっとした特別扱いである。
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