第257話:真実を背負いし者
秩序の番人、秩序の体現者、その男が口を開く。
「俺たちは魔族のことを何も知らぬ」
重く、言葉にも圧が籠る。
「何故魔族は人を襲う? 様々な動植物がある中で、何故人だけに敵意を、殺意を向ける? 卿らはそれを知るか?」
誰も知らぬこと。
だが、
(……なんや、今、かすかに揺れた?)
これまでただの一度すら、窮地に見えた中でも小動もしなかった男が、何故かかすかに揺れた気がした。
他の者は誰一人気づいていないが――
「魔族は何処から来た? 魔障に満ちたウトガルド、ダンジョンと繋がる魔の領域、未だ俺たちは探索すらまともに出来ていない。彼らは魔の世界で、どう生き、どういう経路でダンジョンの楔と、ヌシとなるのか……卿らは知るか?」
そういうもの、千年の中で刻まれた当たり前。
疑問符など浮かびはしない。太陽が昇り、風が吹き、川に水が流れる、これに疑問を持つ者がほとんどいないように。
「俺は知らぬ。当事者でありながら、我らは何も知らぬ」
「魔道を研究することの是非は問うておりません、マスター・ウーゼル。我々は人を魔族化する、この忌まわしき研究について、その正義を問うております」
『中立』リュネは息を呑みながら、重たい口を開いた。口を開くのも苦しい、そういう重みが、今のウーゼルにはあった。
普段よりもずっと――
「必要な過程だ」
過程、その言葉には犠牲も含まれているのだろう。
流血も辞さぬ。
その不退転の覚悟が、言葉から、振舞いから、その強き光を湛えた眼から窺える。正しき道を歩んでいる、その確信が彼にもあるのだろう。
ただし、
「少し、襟を正す必要はあるだろうが」
だからと言って全てを許容するわけではない。
空気が、圧が、ただ一人に向けられていた。この場の全員が、超人であり精鋭中の精鋭である。その彼らが全員、身動きできなくなるほどの圧。
それが、
「……申し訳ございません」
レオポルド一人に向けられていた。
「死体の利用は許可した。魔を知るため、踏み込まねばならぬ領域もある」
「はい」
「だが、ここには生体の利用についても記載がなされているな。個人を特定できぬ文面であるが、その事象については随分と詳しい」
「おそらく、それをするためにこちらの研究所から出奔したのかと。監視はつけていたのですが……止められませんでした」
「生体利用は、出奔後確立した、それで間違いないか?」
「誓って。ただ、技術的にはむしろ死体の方が難しいのです。そちらが出来るのであれば、問題なくできるでしょう。倫理観が邪魔をせねば、ですが」
「あれにはあるまいな」
「……はい。優秀な研究者でした。ただ、天は二物を与えず、あの御方に正義を求めたのが間違いでした。理念は、理解してくれていると思っていたのですが」
レイル・イスティナーイー、イスティナーイーと言う部分が言い訳要素である。研究所内では雇用者と被雇用者であるが、その外側では王の上に立つ宗教の大家、あまり強制するわけにもいかないのはウーゼルも理解している。
だからこそ、なのも――
「理念とは、何だ?」
第二、フェデルの問い。二人だけのやり取りに割って入る。揺らいだと思った秩序、されど男の憧れは威風堂々とその場に座したまま。
ならば、揺らぐまい。
「……私の研究は魔族を知ること。その最初の一歩として、他の生態系と異なり二足歩行の種が多いことに着目したのです」
「……それに、何の意味がある?」
「二足歩行最大の強みは手が自由であること、其処に尽きます。それ以外であれば多足、翼を持つ方が合理的。自然界とは合理なのです。それゆえ――」
レオポルド・ゴエティアの眼をフェデルは見据える。この男の吐く言葉、それを理解するではなく、その奥にある信念を探る。
嘘か真か、それで判断する。
「二足で、手を使う。手は道具を生み、文明を生む。我らと同じ、人、ないしそれに近い種、魔族とは人の近似種である、それが私の説です」
「……」
嘘はない。それどころか、本気でこんな世迷言に確信すら抱いている。
それが驚きであった。
そして逆に、
(……こっちも、やと)
(どちらも、こんなふざけた説とやらを――)
ウーゼルを見ていた者たちもまた、眉をひそめていた。
「研究の結果、魔族とは魔障により生物が変質した姿ではないか、と考え、逆方向からアプローチし……結果は報告書通り、人の魔族化に成功しました」
逆方向、それで、
「まさか⁉」
幾人かの騎士は気づく。
彼らの抱く理念、信念、それが向かう先を――
「そのメカニズムを完全に解析し、魔族の全てを解き明かした時……我々の戦いは終わりを迎えるかもしれないのです。それが――」
レオポルドは自分を受け入れた男を見つめる。
おそらくは全てを知る――
「ユニオン主導による魔道研究の目的だ。覆水を盆に返す、そうして初めて、我々は正しき秩序を得る。エレク・ウィンザーが作り出した魔導革命、それがとうとうここまで辿り着いた。今日の発展、魔導技術を用いれば……辿り着ける」
ユニオン騎士団、グランドマスター・ウーゼル。
「魔族を、人に」
「いや、そう確定したわけでは」
「しかし、そうでなくとも……魔障による変質で暴走していることは確定したわけだろう? なら、それを解除できたなら、戦う必要はなくなるかもしれない」
覆水を盆に返すと、不可逆な事象を可逆とする、と。
奇跡を成すと言った。
その言葉はレオポルドに、いや、目の前に対峙するもう一つの正義へ向けられた言葉。『天剣』のサブラグへ向けられた言葉である。
(……やはり知るか)
千年前の真実、背負いしは秩序の番人。
それが解かれた時、
「……」
「……」
彼らに重なるゴールへ辿り着いた時、其処から始まるのだ。
彼らの正義、その衝突が――
「無論、兵器利用は看過できん。この技術はあくまで、答えに辿り着くための過程に過ぎぬ。それは我らが管理し、制御せねばならぬことだ」
「もちろんです。すでに第十二騎士隊には秘密裏に調査を命じておりました。まさか、それより早く、噂の彼が接触しているとは思っていませんでしたが」
「秩序の敵は討ち滅ぼすのみ。混沌が世に蔓延ると言うのなら、それは秩序の守り手により正さねばならぬ。全隊、ファウダーと言う敵を頭に入れよ」
「イエス・マスター」
秩序の騎士は声を上げる。一枚岩ではない、それでも戦う相手は見えた。
共通の敵が。
「ゴエティア、欠けた穴は埋まるか?」
「すぐに、とは言えませんが……あの御方の下で働いていた者も育ちつつあります。必ずや、穴を埋め研究を前進させることを誓いましょう」
「承知した。なれば敵はレイル・イスティナーイー。ファウダーとやらの技術的優位を、心臓部を潰す。捕獲の必要はない。殺せ」
「ラーの許可は?」
「必要ない」
例え、国家と事を構えたとして、ユニオン騎士団は退かぬと言い切った。グランドマスターの言葉は絶対である。
彼の宣言は、騎士団の宣言である。
「クロイツェル」
「何ですかぁ?」
「第七が主となり動け。あらゆる痕跡を、繋がりを、徹底的に断ち、潰せ」
「手段は?」
「問わん」
「イエス・マスター」
第七の抜擢。だが、それに関して不思議はない。こういう仕事は彼らの得手とするところ。しかも、新戦力が加入すると先ほど決まったばかりである。
実に、
(この子、前々から思っていたけど持っているなぁ)
興味深い偶然である。
〇
会議を終え、皆それぞれの思惑を秘めながら解散する。
ユニオンの、ウーゼルとレオポルドの密約は衝撃の事件であったが、少し納得できる部分もあった。いきなり騎士団管轄の研究所を作り、其処に外部のレオポルドを入れた。そんな彼を隊長に据えたことを、未だ納得していない騎士も多い。
その理由が今日、明かされたのだ。
運命共同体、それは――
「あ、『鴉』くんいます? やあやあ、ご無沙汰。大丈夫大丈夫、アルテアンには筒抜けの回線だけど、こっちは構造上できないからさ」
その時が来るまでのこと。
「それにしても酷いじゃないか。今日、こっちの表ボスと裏ボス、そしてそっちの大ボスの密約が公になったよ。君は知っていたでしょ?」
その時が、合図なのだ。
「僕にも内緒なんて……まあいいさ。信頼されていないのは慣れっこだ。あっ、第七が動くよ。侮らない方が良い。あんまり早く詰まされても困るだろ? 今はさ、狂人の非人道的な玩具遊びで、フェーズを進める時だ。しっかり君らが管理監督しないとね。馬鹿と鋏は使いよう、狂気で常識の壁を打ち破ってもらわなきゃ」
各陣営、其処からが戦争の始まり、
「きちんと成果は共有してよ。みんなでシェアしてみんなハッピー、で、絞り尽くしたら狂人たちはバイナラ、お役御免ってね。レオ君も『創者』に全部擦り付けたし、トカゲのしっぽを切る準備は万端さ。君も切られないよう、気を付けなよ」
混沌は、それを構成する狂人たちは、そのための贄でしかない。
「んじゃ、取り急ぎ。あはは、親友の君にはいち早くシェアしたかったんだよ。だから、君も僕には、ね。そうそう、それが商売の基本さ」
受話器を置き、男は通信室を出る。
その出入り口に、
「……おや、どうしたんだい、変な恰好をして」
第七騎士隊副隊長、レフ・クロイツェルがいた。通信室側の壁に耳をつけ、何かを聞き取ろうとしているかのような姿勢で。
「どうもぉ、マスター・ギギリオン。なんや変な声が聞こえたような気がしたんですわ。そこかしこと繋がっとる、クソ蝙蝠の声がァ」
「はっは、ここは防音だよ。壁越しじゃ何も聞こえないさ」
クロイツェルと第四、『金庫番』のエレオス・ギギリオンが対峙する。
「そらそうですわな。ほな、サイナラァ」
「マスター・クロイツェル」
「何ですかぁ?」
「今後ともよろしく」
「こちらこそ」
曲者同士、歪んだ笑みを浮かべる。
〇
ウーゼルは一人、百年前に撮った色褪せた写真を見つめていた。
一人の時にしか浮かべられぬ、笑み。
この地位を受け継ぐ、その候補となった時に知った真実が、未だにこの身を苛む。それはきっと、友も同じであっただろう。
本来、受け継ぐべきは彼だったのだ。
弱く、知恵もない、自分ではなく――
真実が開帳された。
先代グランドマスターの手により、後継者候補であるウーゼルとゼロス、その二人に。イドゥンとの最終決戦、その少し前のことである。
千年前の真実、ミズガルズとウトガルドの、秘匿されたそれを知る。
『……何が、騎士だ! 一方的に、ウトガルドを悪と見做して、こんなもの許容できない! すぐにでも民に開帳すべきです!』
『開帳してどうなる? それでウトガルドの侵攻が収まると思うのか?』
先代は小さく首を振る。若過ぎる、そう言っているようであった。
『そういう話ではありません!』
『そういう話だよ、ウーゼル』
『ビフレスト、何を……貴様は許せるのか、こんな、ふざけたことを。罪を犯した者が、それを秘匿して相手を悪と決めつけているのだぞ!』
『許せない。歴史の空白、あまりにも恣意的な、切り取られたような感じはしていたが……想像を超えていた。マスター・グラスヘイムが口を閉ざすわけだ』
『何の話だ?』
『いや、何でもない。かつて、一方的に蹂躙されていた時代、敵を悪と定めねば心が耐えられなかった時代、封じるのも理解できる』
『騎士が誕生し四百年余り、とうに無力を言い訳に出来る時は過ぎた!』
『だけど、それを知ったところで、我らにはウトガルドの亡霊を救う手立てがないのだ。長き時を彷徨う者たち、介錯以外、我らに何ができる?』
『……それは』
『新たな時代が解法を見つけねば、真実はやはり闇の中にあるべきだよ、ウーゼル。この真実は、今の時代誰も救わない』
『……正しくない』
『それでも、だ。私とて、心が痛む』
正しいと信じていた。正義は自分たちにあると確信していた。正しき秩序を取り戻すのだ。悪であるウトガルドを討ち滅ぼして――
そのために剣を握った。
だのに――
『俺には、無理だ。耐えられん』
真実は自分たちが正義ではないと告げた。どれだけ傷をつけられても、因果応報でしかないのだと、知った。
何がための騎士か、ウーゼルは顔を伏せる。
『私が背負うさ。でも、手助けぐらいは頼むよ、親友』
『ああ、任せろ』
『それに、もしかしたらそんなに遠くないかもしれない』
『……?』
『人は進み続けているから、ね』
友はそう言った。
そう言った友は――ウルを守り、イドゥンの手で命を散らせた。
誰よりも知恵者で、冷静で、騎士の鑑のような男であった。
悔しいがグランドマスターは彼だと、この真実を知る前からそう思っていた。
そう、思っていたのだ。
ウーゼルは写真の中の友に語り掛ける。
「百年だ。少し、遠かった。だが、あと少し」
友の代わりに背負う真実、
「進もう。正しき、秩序のために」
その重みに耐えながら、秩序の守り手は明日を見据える。
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