第256話:曇りなき迷路

 クルス・リンザールの報告書、それが皆の手元に配られた。沈黙の帳が下りる。誰もが険しい顔をして、時折眼を剥く者すらいる。

「人が……魔族に、信じ難い」

「そもそもこの報告は信用できるのか? テウクロイ、イリオスから連盟へ提出された書類とあまりにも内容が異なり過ぎている」

「ファウダーと言うのも、あまりに荒唐無稽だ」

 隊長たちは言葉に迷っているが、副隊長は口々に疑問を述べる。

 半信半疑、どちらかと言えば疑いの方が大きい。人が魔族に成る、それを人工的に生み出す技術が確立されている。それを売り歩こうとしている者がいる。

 それに――ユニオン騎士団が関わっている可能性がある、など。

 だが、

「マスターガーター。以前提出された報告書に気になる記述がありましたね」

 第十、『中立』のリュネが第五のユーグへ声をかけた。

 そう、

「はい。昨年、我々が遭遇した戦士級、マスター・クリュニー、マスター・ブロセリアンド協力の下撃破した魔族には……ダンジョンの発生は確認できませんでした。その旨は報告書に記載しております」

 昨年、爆炎を操る戦士級と交戦した際、ダンジョンが発生せずに、しかも騎士剣を操る、と言った珍しい事例があった。

 のちに調査は第五主導で行われ――

「私も拝読し、記憶しております」

「オレもだ。何せ……うちの騎士の遺品が、出てきたからよォ」

 リュネ、そして第六のフォルテがレオポルドへ向け、殺気に満ちた目を向けていた。ことと次第によっちゃ、容赦せんと言った視線である。

 くだんの魔族が装備していた騎士剣だが、第五の調査の結果、第六騎士隊に所属する騎士のものであると判明していた。

 少し前に行方不明となり、そのまま当該魔族と交戦し、戦死したとみなされていた。状況からそう推察するしかなかったのだ。

 だが、この報告書が正しければ、話はまるで違ってくる。

 死体利用、もしくは生体利用であろうと――秩序の騎士をたばかったことに違いはない。騎士の身内としては許せぬ話であろう。

「ピコ・アウストラリス、メラ・メル、実に興味深い名が並んでおる。一方は腐りかけ、こちらはピコじゃな。もう一方は、首無しだが状態は良好と来た。ううむ、アスガルドから送られた遺体……何処が引き取ったんじゃったか? ん?」

 第五、カノッサのわざとらしい振舞い。

 それを見て、

「我々第十二騎士隊ですね」

 レオポルドが苦笑しながら答える。

「ほほう! では、遺体の処遇を聞きたいものじゃ」

「マグ・メルから承認を受け、通常通り死因や後学のため解剖へ回し、その後共同墓地の方へ埋葬いたしました」

「今は?」

「これより調査いたします」

「いや、第十二は何かと多忙であろう。暇しがちなわしらが手を貸そう」

「お手数をおかけします」

「なに、困った時は助け合いじゃよ」

 和やかな会話、しかし空気は当然だがひりついたままである。誰が剣を抜いてもおかしくはない。中立寄りだが、第十二よりの考えを持つフォルテに至っては先ほどからレオポルドの首にしか目が行っていない。

「その必要、ありませんわ」

 隊長同士の会話に、副隊長のクロイツェルが割って入る。

 全員、そちらへ視線がいく。

「もう調査済み、死体、消えとりましたんで」

「クロイツェル、相変わらず動き過ぎだな、貴様。その作業、第三者の立会を入れたか? 入れていないなら、自分でこの報告書通りに偽装しました、と言っているのと同じだぞ? その辺、理解しているのか? ああ?」

 第九、シラーのドスの利いた声。それに対しクロイツェルは鼻で笑い、

「入れたに決まっとるやろ、アホ」

「きさ、年長者に対して――」

 ただでさえクロイツェルを嫌っている第九のシラー、その怒りによる言葉を遮る形で、第十一の、最もレオポルドに近しい隊長、バレットが、

「では、その第三者とはどこの誰だ?」

 敵意剥き出しの眼でクロイツェルを睨む。

 それも鼻で笑い、

「本人に聞けばええんとちゃいます?」

 煽り気味、悪癖としか思えないドヤ顔を披露する。

「だからそれは誰だと――」

「じ、自分が立ち会いました」

 第十二騎士隊、副隊長がその手を挙げていた。想定していなかった人物の挙手に、バレット、そしてシラーらも言葉を失う。

 唯一レオポルドのみは――

「……君はまさに魔道研究のネタで強請られたわけだね」

 愉快気に微笑んでいたが。

「も、申し訳ございません。暴露されてしまえば、研究所の、隊の、隊長への、不利益に繋がると思い……軽率でした。まさか、こんな状況に、繋がるとは――」

「構わないよ。ただ、今後は如何なるマイナスであろうと、裏で収めようとするのではなく私に報告しなさい。怒らないから……むしろ君への信頼は上がったよ。クロイツェルをして、君の攻略にだけは弟子の手を借りる必要があったわけだ」

「……」

「まあ、それでなくとも過半数は取れていたが、勝つ時は徹底的に、か。君のやり口、私は嫌いじゃないよ、マスター・クロイツェル」

 レオポルドは揺らぐことなく、クロイツェルに声をかける。

「えらい余裕ですなぁ」

「私は自らの道に、何一つ、一点の曇りもないと確信しているからね」

「……」

 自らの部下、その手によって報告書の信ぴょう性が補強されてしまった。そして内容が事実であれば、レオポルドにも間違いなく責はある。

 それどころか主犯と考えることも出来よう。

 窮地、余裕があるとは思えない。

「レオポルドよ、何か言い分はあるか?」

 第二、『厳格なる』フェデルがその風貌以上の圧を放つ。円卓が、空気が、僅かに振動するほどの、強烈なものを。

 それに対し、

「魔道に関する研究の傍ら、人を魔族化する研究をしていたのは事実です」

 レオポルド・ゴエティアはあろうことか、その報告書の中身を認めるよりも先に、その先の、自らが其処に加担していた事実を認めた。

 その瞬間、

「討つ」

 フェデルの巨躯が、まるで羽毛のように宙へ浮く。着席した姿勢のまま、天井近くまで浮き上がり、その場で反転、天井を蹴破るほどの威力で宙より攻め込む。

 百年前の大戦に参戦せずとも、五十年以上現場で、騎士の頂点の一角として君臨し続けた男である。その攻めの苛烈さ、素早さ、共に超人。

 加えて、

「……残念じゃ」

 フェデルの到達と時を同じく、音も、気配もなく、だらりと剣を垂らしながら影の如く移動し、レオポルドの喉元へ剣を伸ばすは『名人』カノッサ。

 当然、部下を利用された『武運』のフォルテも『四振り』腰に提げる騎士剣の内、二つを引き抜き、急襲を仕掛けていた。

 それを阻むは――

「時勢の読めぬ愚物どもが」

 『烈士』バレット。収納式の鎌を展開する。

「冷静に」

 『凡庸なる』オーディ。ごくごく平凡な騎士剣を振るう。

「今、マスター・ゴエティアを欠くは明日を捨てるのと同義だ」

 『貴公子』シラー。華美な、特注の騎士剣を惜しげなくさらす。

「まずは話し合いを」

 そして『中立』リュネ。ツインブレード、両端に刃を備えた騎士剣を、攻め側、そして守り側にも向けていた。

 此処は会議の場、争う場ではない、と。

「小賢しい」

「ぐ、ぬ」

 フェデルの重さに、バレット、オーディ、そしてシラーが顔を歪める。半純血のソル族、圧倒的身体能力の押し付け。

 その重さは、やはりノマ族視点では桁が違う。

「魔を討つは騎士の使命。それに与する者と語る言葉を、騎士は持たぬ」

 カノッサの道理。それは騎士の道理でもある。誰も反対意見など述べられない。それは騎士にとって、とても当たり前のことであったから。

「退け。死にてえのか、リュネ」

「ノン。ですが、ここは争いの場ではありません」

 殺意に満ちたフォルテ、その圧に押されながらリュネがそれを食い止める。

 そんな中、剣を抜くことなく、やはり平然としたままのレオポルド。

 騎士団が今、割れかけていると言うのにまだ――

「酷いじゃないか。僕は何もしていないよ」

「だからだ」

 第四『金庫番』のエレオス、その副隊長二人を『黒百合』のヴィクトリアが一人で制圧し、エレオスはサラナ、レリーの副隊長二人が喉元に剣を交差させ咎める。

 動くな、と。

「怖い怖い」

 エレオスは笑いながらやれやれと首を振る。その直前、かすかに表情が揺らいでいたのは、いったい誰の視線によるものか。

 どちらにせよこの状況には、さほど揺らいでいない模様。

 そして、

「……」

「……」

 第五のユーグ、そして第七のクロイツェル、あとついでにエクラも、争いとは別の方を、真逆の方向を見て、言葉を失っていた。

 何故、そう言いたそうな表情で。

 その理由を、

「何故、君は来ないのかな? マスター・クロイツェル」

 レオポルドが問うた。

 彼が制止する理由を、彼自身の口で言わせるために。

「……誰よりも早く動くはずの男が、動いとらんからや」

「だそうですよ、ご両人」

 秩序の騎士、魔を断つ剣、今を生きる誰よりも多くの魔族を討ち、生ける伝説となった男、秩序の体現者であるウーゼル。

 其処へ『厳格なる』『名人』、達人二人は眼を向ける。

 嘘だ、と言わんばかりの眼で。彼らがそれほどに動揺するのは稀なこと。

 其処には――

「……技術を保有する者を、野に放てとは命じていない」

「それは私の過失です。咎めは何なりと」

 眉をひそめながらも、その腕は組まれたまま微動だにもしていないウーゼルがいた。今のレオポルドとのやり取りは、どう捉えたとしても――

「そういうことです、皆さん。剣を、引いてくださいますね?」

 誰もが、言葉を失っていた。

 普段、滅多に見られない超人たちの長、怪物たちが立ち尽くす。

 その、彼らの王が、

「私はそもそも、魔道を、魔族を研究すること、それを目的としてユニオンへ入団しました。魔導研究、テーマを広義とした理由はカモフラージュです」

 魔を生む研究に与していたのだから。

「ですよね、グランドマスター」

「ああ」

「騎士が討ち、研究材料を確保する。それを騎士団自らが研究する。最も合理的です。ただ、あまりに露骨では……周囲に勘繰られてしまう。研究は極秘に、と。私とグランドマスター、そして我々を繋いだ先代アルテアンの会長、今は大旦那ですか。この三者のみぞ、知る。これは始まりの、契約なのです」

 三者のみが知る契約。

 三者が、繋がっていることの証明。

「とは言え、事ここに至れば、極秘ではいられない。ですよね、マスター」

「……ああ」

「何故ですか!?」

 百年前の英雄、長く付き合い、最もその英雄を敬愛するフェデルは顔を歪めていた。騎士の道理は先ほど、カノッサが述べた通り。

 魔は騎士の敵。

 それは揺らがぬ真理であるはず。

 そして自分たちは秩序の守り手、人が魔となる技術など、秩序を破壊するものに他ならない。これではあべこべである。

 信じ難い、信じられない、話。

 クロイツェルすらも惑いの中にいた。どちらに剣を向けるべきか、敵と思っていた者は本当に敵なのか、味方と思っていた者は本当に味方なのか。

 この剣は、何処へ向くべきか――誰もが迷っていた。

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