第254話:つい出来心で

 クルスは閑散とした駅に下りる。学期途中、現在は講義の時間であるし、学生がこの辺をたむろしていることは稀である。

 たまに貴族科自由人やエクストリームな倶楽部のメンバーなどが謎の時間帯にうろついていることはあるが、なかなか遭遇できるものではない。

 彼らは珍獣みたいなものである。

「……」

 六学年、その空気感はわからないが、就活に奔走し学校を不在にしがちなことは知っている。エイルも六学年になり、ほぼ毎日顔を出していた倶楽部ハウスから遠のいている。自分も、ある程度距離を置くべきなのだろう。

 それが六学年になると言うこと。

 ザワ。

「……?」

 クソデカ平原ことイザヴェル平原を歩むクルスは妙な視線に気づいた。講義中、騎士科の後輩から、凄まじい勢いで視線を向けられていたのだ。

 クルスでなくとも気づくほど、ほぼ全員からの視線。

(……アカイアの件、か? まあ、確かに大事だったし、注目を浴びるのも仕方がない、とは思うんだが……視線の感じが、なんとも)

 称賛、とは思えない雰囲気。

 かと言って、それ以外に心当たりはない。テウクロイの件、としてもアカイアと空気感は大差ないはず。

 こんな感じにはならない気がする。

 まあ、かと言って答えは出ないのだが。

(もうすぐ昼時か。食堂に行けば、何かわかるだろ)

 多少気にかかるが、特に考え込んでもわからないことに頭を割く気はない。

 学務で戻ってきた手続きを済ませ、丁度昼食時間であるためクルスは食堂へ向かう。道中、やはり先ほど同様の視線が向けれらていた。

 しかも中には――

(こ、こっちを見て泣いている子もいるぞ。どういうことだ?)

 明らかにクルスを見て泣いている女子までいるのだ。

 その隣で慰める女子からは敵意すら見えた。

 何かが起きている。

 クルスの知らぬところで――

(食堂へ行けば、何か――)

 クルスは歩調を強め、足早に食堂へ向かう。

 そして、

「ッ⁉」

 しん、喧騒渦巻く昼時の食堂、それがクルスの登場で静まり返った。無数の視線がクルスへと突き刺さる。

(な、何が、どうなって――)

 さしものクルスも動揺を隠せない。

 そんな様子を、

「あーらあらあら、スケコマシ君のご登場じゃない」

 ニチャア、とした笑みを浮かべて見守るは我らが六学年のご学友たち。その先頭に立つはミラ・メル。

 アカイアで別れた時は殊勝な態度であったくせに、すっかりと回復していた。それどころかクルスへの敵意に満ち満ちていた。

「リンザール。よく戻ってきたな」

 ぽん、と肩を叩いてきたのは、

「……何故、貴様が」

 実家が極太の領主の息子であり、騎士科六学年が誇る恥部、不滅団の団長を務めていたはずの男である。

 クルスとは不倶戴天の存在であるはず。

 いの一番に、こんな笑顔で挨拶するような仲ではない。

「おいおい、俺は君をリスペクトしているんだぜ。いや、俺ら全員が、か」

「……どういう、ことだ」

「すぐ、わかるさ」

 ケケケ、とばかりに立ち去る男、だったが昼食中であったため、ブーメランのように戻ってきて着席、昼食を再開する。

 相変わらず抜けている。あれで成績はまあまあいいのだが。

「……あー、クルス。ご無沙汰しております」

「何だよ、ラビ。その妙な丁寧さは」

「その、小耳に入れたいことがございまして」

「……なっ」

 ラビが申し訳なさそうにしている。そのことでクルスは一つ、思い当たることがあった。テウクロイで遭遇した彼女はクルスのとある行動を目撃していたのだ。

「お前、漏らしたのか!?」

 勢いよく、されど小声で叫ぶクルス。意外と器用である。

「いや、その、ね。お姫様のことは伏せたのよ。ばっちりと」

「……あ、浅はかな。それでバレたのか?」

「いえ、お姫様の部分は完全に秘匿出来たんだけど……その、ミラや不滅団の連中が、あの、あることないこと、ぶちまけ始めて」

「……クソどもが。それで、ぶちまけて、どうなった?」

「その、何故か、リンド先生ぐらいのマダムと、デートしていることになってた。その国の有力者、未亡人を狙い撃ちしたって」

「……は?」

 あまりのことにクルスの脳が完全に停止する。

 思考を超越し過ぎた模様。

「私も本当のこと言うわけにはいかないし、アカイアの面々もほら、漏らしちゃダメな情報を知っているから、修正することも出来ずで」

「……意味が、わからねえ」

 ちらりとクルスは親友、ディンの方を向く。親友は申し訳なさそうに眼で語った。力になれずすまない、と。

 噂は、

「ごめんね」

「ごめんで済むか?」

 尾ひれがつくものである。女性とデートをしていた。その噂が広まれば、お次は誰としたのか、となるのは必然。

 其処に、

「あらあらあらら」

「み、ミラァ」

 不滅団やミラが差し込んだ。

 不滅団は悪ノリ、ミラは歪んだ私怨、本当は裏切り者を釣り上げるための策であった、とは言えない。だってあの件に裏切り者は『いない』ことになっているのだ。そうなると、王女と騎士、禁断のデートとなる。傍目には。

 暴君、ミラ・メルが牙を剥くには十分過ぎる条件がそろっていた。

「やっぱり、おモテになる殿方は違いますわぁ」

「……詳細は言えないが仕事の一環だ。他に意図はない」

「あっそ」

「……何なら最後はたぶん、嫌われた」

「へえ、嫌われることしたんだ」

「ご、誤解だ。仕事上の、その、もろもろがだな」

「ふーん」

 女性陣の視線がクルスの身に突き刺さる。腹立たしいのが、少し離れたところでリンド統括教頭が、クルスを警戒し視線から外れようとしたことである。

 熟女趣味はねえよクソババア、とは当然言えない。

 だって騎士に成る、って改めて覚悟したばかりだから、紳士だから――

「六学年にも学びはありますわよ。見事な戦果をあげさすがと思いきや、随分とお楽しみだったみたいですわね。たるんでいるんじゃありませんの?」

「ふ、フレイヤ」

「見損ないましたわ」

「……何故、こうなる?」

 昼食を爆速で終えたフレイヤが颯爽と去っていく。

 それと一緒に、

「うう、私は駄目なのに、うう、私のお友達には手を出して、ひどいですぅ」

 ほろほろと泣くアマルティア。そして、

「スケコマシ」

 げしっとすれ違いざまに蹴りを入れてきたイールファナも去っていく。五学年、これ以上ない高まりを見せたクルス・リンザール株は、クルスが大仕事をこなしている間に、ラビの出来心一つで大暴落をかましていた。

 知らぬ者、知っている者、どちらも手の施しようがなく拗れている。そしてクルスは言い訳が出来ない。

 だって、守秘義務があるから。

「わ、悪ぃな、クルス。気づいた時にはもう、尾ひれどころか背びれ、胸びれ、しまいにゃ尻ひれまでついていて……止められなかった」

 ディンは申し訳なさそうに謝り、

「リンザール。残念だったな。メシ、おごろうか?」

 嬉しさを隠し切れないデリングがメシに誘ってきた。もちろん断る。フレイヤ絡みだとこの男、いつまで経ってもどうしようもない男である。

「く、クルス君。何か事情があるのは、わかっているからね」

「……リリアン」

 天使は、一人だけであった。

 結婚するなら兄同様、気の付く子がいい。気が強いのは良くない。

 なんて――心の中で泣きながらクルスは思っていた。

「でも、お仕事の時は、公私は分けた方が良いと思うよ」

「……っす」

 やっぱり自分は一人で生きる。クルス、人間不信に陥る。


     〇


「お、噂のイケイケボーイ! わしにも秘訣を教え――」

「……」

 絶対零度の視線、それにウルはお口をチャックする。

「学園に戻る途中、ユニオンに寄り報告書を提出した際、学園長にも話を通しておけ、と言われたので、報告書を共有させていただきます」

「ほほう、誰に言われた?」

「マスター・クロイツェルに。公のものとは、違いますので」

「ふむ、拝見しよう」

 ふざけた空気から一転、ウルは笑みを消して報告書に目を通し始める。公に提出した書類にはマリウスのことも、それに繋がるファウダーのこと、つまり人が魔族へと転じる魔族化自体、記載していない。

 記載出来るわけがない。

 だが、クルスはクロイツェルには直接、それらのことを記載した報告書を提出していた。最も漏洩の心配がない、手渡しで。

 読み終えた後、彼はそれをすぐさま燃やした。

 そしてウルにも通しておけ、と指示を受けていたのだ。出来れば広めたくはないが、クロイツェルが名指しすると言うことは、そういうこと。

 つまり――

「……これで、全てかの?」

 ウル・ユーダリルとレフ・クロイツェルは繋がっている。それも公には出来ぬ形で。単なる古巣の先生と教え子、とは違う。

 問いかけるその眼、その鋭さを見ればわかる。

「はい」

「……信じよう。でかした、と言うべきなのじゃろうな」

「ありがとうございます」

 無論、クルスとて全てを開帳する気はない。『先生』のこと、それに関する諸々、知り得た情報は今共有しておくべきことのみ記載した。

 千年前のこと、『先生』のこと、今は胸に秘めておく。

 マリウスに関しても個人名は伏せ、その上でいくつかフェイクも混ぜて特定が出来ぬようにした。それがクルスなりの筋の通し方である。

「ファウダー、か。厄介じゃのお」

「はい。騎士のカウンターとして、秘密裏に繋がりたい勢力は枚挙にいとまがないかと。それに、ユニオンとの繋がりも示唆しておりました」

「あと、アルテアンとも、か」

「……はい」

「まあ、需要はあろうな。何処にでも」

 武力を牛耳る騎士勢力、そのカウンターとして機能する兵器として魔族化は多くの勢力にとって魅力的な商品である。

 ただ、

「わからないのは騎士との繋がりです」

「……自分たちの首を絞める、か」

「そう思います」

 騎士だけは自分の地位を脅かす兵器の登場に、協力する道理が見つからなかった。考え付かなかった。

 少なくともクルスの視点では――

「……わしに心当たりがある。確認は、今度しておこう」

 そう言うとウルは立ち上がり、

「クルス・リンザール。学生であるが貴公を一人前の騎士と認め、一つ相談がある。聞けば、是非に問わずそれなりの責を負うが……どうするかの?」

 学園長の、教育者の眼ではなく、騎士の眼で問いかける。

 全てを預ける気はない。

 それでも――

「聞かせていただきます」

「そうこなくてはのぉ」

 自分が使う陣営は、自分で決める。指針はあくまで自らが持ち、彼らは自分を利用しながら、自分に利用される共存共栄。

 違えれば――離れるだけ。

 己が道を誰かに、何かに、委ねる気はない。


     〇


 ほぼ時を同じくして――

「では、始めよう」

 ユニオン騎士団、秩序の塔に備わる最も格式高き円卓、其処に居並ぶは世界最高の騎士団が誇る、精鋭たちの長。

 十二の隊長、その下につく副隊長らが雁首を揃えていた。

 定例の隊長会議が、幕を開ける。

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