第252話:成らず者

 クルスの指をしゃぶりながら寝る、それを抜くと起きて泣き出す、また差し出す、寝る、抜く、起きる、差し出す――を繰り返しようやく赤子が寝静まり、

「……大変ですね、赤ん坊は」

「手がかかりますねえ」

 一息つくことが出来た。このご時世、上も下も男が赤子の世話を任されることはない。家のことは女性の領分、という固定観念があった。

 クルス個人としてはその方が合理的である、という考え方と不公平だと思う考え方、どちらも並び立つ、と言ったところ。

 仕事内容次第、と言ってしまえば其処までだが――

「帰ったぞ」

 そんなことを考えていると横柄な態度の男がリンザール家の敷居をまたぐ。

「おかえりなさい、お父さま」

「おう」

 クルスの父、リンザール家の家長のお帰りである。

「クルスさん、帰ってきていますよ」

「……見ねえ顔だな」

 他人を見るような目つきでクルスを睨む父。

「ご無沙汰しています、父上」

 それに対しクルスは恭しく、やり過ぎて慇懃無礼になるほどに頭を下げた。

「父さん。クルスのやつ、学校頑張っているそうだよ」

「だから誰だ、そのクルスってやつは」

「父さん!」

 兄の言葉も何のその、クルスに視線を合わせることなく奥の席に腰かける。パイプに草を詰め、それに火をつけて口にくわえ、

「ふぅー」

 煙を吐く。クルスの方へ。

 クルスがそれに対し眉をひそめた。兄も、兄嫁も、家長とクルスの一触即発の雰囲気に慌てる。クルスの母は気づけば壁際にて気配を消していた。

「で、俺の家に何の用だ? クソガキ」

「父さん、久しぶりなんだからさ」

「お前は黙ってろ」

 兄を制し、父はクルスを睨む。その顔つきに、クルスは鼻で笑いそうになった。あの時、『先生』との問答でこの男のメッキは剥がれている。

 今更強がったところで虚勢にしか見えない。

 何よりも今、クルスには力がある。この場を制圧する力が、片手で事足りる。非武装の凡人相手に、騎士がどれほどの力を持つか、この男は知らない。

 だから、自分にそのような口が利けるのだ。

「どちらさんか知らねえが、ナリばかりデカくて中身がねえ。空っぽだ。半端もんが一丁前のツラして立ってやがる」

 そして一撃で触れる。

「……あんたに騎士の何がわかる」

 クルス・リンザールの逆鱗に。

「見りゃあわかる」

 たまたまか、それともそう見えたのか――

「ふざけろ、クソ親父!」

 クルスは凡夫の眼にも止まらぬ速さで剣を抜き放ち、そのまま父の首元へ剣を添えた。正気ではない。自らを律せねばならないのに、出来なかった。

 知った風な口を利くこの男が許せなかった。

 自分は強くなったのだ、貴様よりもずっと。

 それを示した。

 示した結果、

「ほらな、見ての通りだクソガキ」

 思っていた方には転ばなかった。

「……っ」

 『先生』に気圧され、メッキが剥がれたはずの男は小動もせずにクルスを睨み返す。だからどうした、と言わんばかりに。

 その眼に、クルスは畏怖を覚えた。

「く、クルス! 父さんも、もうやめてくれ!」

 生殺与奪を握っているのは自分なのに、その気になればいつでも殺せるのに、何故か勝った気がしない。それどころか、負けた気すらする。

 『先生』との反応の違い、

「これが同じ『騎士』か?」

「……」

 それがそのまま、『先生』と今の自分の差、そう感じた。力ではない、在り方の差。それに迷ったからこの地へ戻ってきた。

「芯のねえ偽物が、少しデカくなったから褒めてもらいたくて帰ってきたのか? あ? お生憎様、俺ァ其処まで落ちてねえ」

 騎士剣を添えられながら、パイプを吸って煙をクルスへ吹きかける。其処には虚勢も、ハッタリもない。

 本当に微塵も、今のクルス相手に気後れしていない。

 する理由がない、その眼がそう言っている。

「安売りするなら捨てちまえ、こんなもん」

「……」

 耳が痛い。あまりにも情けない。民間人に騎士剣を向け、脅し、それでマウントが取れると思っていた。あの時と同じ、メッキが剥がれてくれると思った。

 だけど、結果は見ての通り。

「……俺は」

「話にならねえ。ガキのまま、か」

 クルスを押しのけ、

「今日は村長とこで畑の話しして、そのまま泊まる。メシは要らん」

 どすどすと家の外へと歩いていく。情けない父、負けた父、弱った父、自分の方がもう、ずっと強いと思っていた。

 もちろん腕っぷしなら負けない。負ける道理がない。

 だけど、クルスは何も言えなかった。

「……クルス」

「俺は、あの男とは違う。俺の方が強い。俺が、負けるわけがない。俺は今日まで勝ち続けてきたんだ。負けたあいつとは、違う」

「気にするな、な?」

 兄が肩を叩くも、クルスの気は晴れない。晴れるわけがない。

 嫌と言うほど明確に突き付けられた。

 貴様は何者だ、それに対し答えられない自分の薄っぺらさを。

 騎士、そう言えば父は飲み込んでくれたか――

(……クソ)

 そんなわけがないのは、対峙したクルスが一番よく理解している。『先生』には気圧され、自分には小動もしなかった。

 騎士のきの字も知らぬ男が、騎士の真贋を見抜いた。

 お前はまだ何者でもない、そう突き付けられた気がした。


     〇


「あーぶ」

「……さっき食べたばかりだろ」

 夕食後、クルス以外が抱くと泣きわめくため、仕方なくクルスは赤子を抱きながらぼーっと馬鹿みたいに広い星空を眺めていた。

 星空と言うのは周囲の明るさ次第で陰る。学園の星空も立派なものだが、ガチの田舎であるゲリンゼルの星空には敵わない。

「元気ないな」

「さっきは悪かったよ」

「はは、先に喧嘩を吹っ掛けたのは父さんの方だろ、気にするなって」

「……」

 兄が励ましてくれたが、自らを律することなく力の誇示のため剣を抜いたことに変わりはない。騎士失格。その上、あのザマ。

 間抜け過ぎて涙が出そうになる。

「あんな父さん、久しぶりに見たよ」

「……俺のせいか」

「その通り」

「……悪かったよ、帰ってきて」

 此処は慰めてくれないのか、とクルスは哂う。まあ、実際どう取り繕おうとも、家の空気を変えたのは自分のせいだろう。

「最近さ、色んな人から丸くなったねって言われるんだ」

「父さんが?」

「そう。クルスがいなくなってから、だ。一番変わったのは孫が出来てから、だけど。その前から兆候はあった。やっぱり、クルスだと思う」

「あとであいつ以外には謝っとくよ」

「そうじゃない。俺はさ、少し嫉妬しているんだぜ」

「……?」

 笑みを浮かべながら、冗談っぽく言いながら、それでも兄の眼は真面目であった。

「昔から父さんが強く言うのは、クルスにだけなんだ」

「嫌われていたからな」

「俺もそう思っていた。昔は、何ならそれで優越感に浸っていたぐらいだ。俺にはまあまあだ、悪くない。クルスには駄目だ、話にならん、ってさ」

「よく覚えているよ。同じことやってんのにさ」

「本当にな。でも、最近丸くなった父さんを見て思うんだ。あの人は野良仕事は徹底的にやる。土づくりも外さない。虫がつくのも許さない。あの人はさ、自分の仕事には絶対妥協しない。だけど、周りにはまあまあ、悪くない、そう言っている。昔なら絶対言わなかった、村長相手でもボロクソに言っていた人だしな」

 強い口調でも、事業に失敗してでも、それでも一定のリスペクトを失わなかったのは、ゲリンゼルでも随一の手腕があったから。

 土の状態、気候を読み、肥しの状態を見極め、最適な状態を作り出す。それが農家の手腕である。多くを失い、周囲から失望され、それでも土づくりの時には村全体から意見を求められる。クルスの父はそういう人物であった。

「……」

「もし、クルス相手だったら……まあまあ、何て言っていたかなって。最近そう思うんだ。俺は褒められていたって思っていたけど、本当は逆だったんじゃないか、期待されていたのは……クルスだったんじゃないかって、そう考えるようになった」

「後継者は、昔から兄さんだっただろ。周りにもそう言っていた」

「土地はな。でも、技は……どうだったんだろうか。今となっては答えは出ないけど、それでもあの人は俺にさ、ずっと言うんだ、悪くない、って」

 ずっと、ボロクソに言われていた。それがコンプレックスだった。適当に撒くな、耕すな、暇な時は常に畑に目を凝らせ、片時も緩むな。

 兄と同じことをやっているのに、なんで自分だけ――

「それを言われる度にさ、むくむくと湧き上がるわけだ。クソ! って」

「……考え過ぎだよ」

「そういうことを考える小さい兄なんだよ、俺は」

「俺には大きく見えたけどなぁ」

「それは外面の良さに騙されているだけ」

 兄は苦笑いを浮かべながら視線を遠くにやる。

 遊び場だった、山の方へ。

「俺は小さいよ。昔はもっと小さかった。歳の離れたどんくさい弟を疎ましく思って、よくみんなで山に置き去りにした、こともあった」

「……あっ。え、あれって、置き去りにされていたの? 俺、てっきり自分が集合のタイミングを逸しただけかと思ってた」

「どんくさいねえ」

「……ひっでぇ」

「はは、小器用で姑息な兄なんだよ。だけど、大人になってそんな自分が最高にダサい奴だと気づいた。気づいた時には全部拗れて、どうしようもなくなっていたけど。だから父さんだけを恨むなよ。俺も母さんも、同罪だ」

「……」

「奨学金の件な、贖罪の機会が来た、って思っただけなんだ。ある意味で自分のため、自分がすっきりしたいから、恩着せがましく保証人になった。先のこととか何にも考えず、そういう機会に飛びついただけ」

「……」

「な、小さい兄だろ?」

「……思っていたよりも、ね」

「ははは」

 実に人間臭い、だけど少しだけほっとした。何故兄がここまでよくしてくれるのか、その理由が少しだけわかったから。

 それでもよくしてくれたのは事実で、やってくれたことに変わりはない。

 感謝も、揺らぎはしない。

「母さんがな、さっきぼそっと言っていたよ。今のクルスの眼が、昔の父さんに似ているから少し心配だって」

「よく言うよ。心配したことなんてあるか?」

「まあ、あの人は三歩引いて何も言わずについていくタイプだからなぁ。でも、俺やクルスが無事大きくなったってことは、一応そう言うことなんだと思うけど」

「……まあ、そりゃそうか」

 兄弟二人して、

「ぶ?」

 呑気にクルスの指をむしゃぶり尽くす赤子を見つめる。あの父が赤子の世話などするわけがない。なら、必然赤子から物心つくまで、母が育ててくれたのだ。

 それもまた事実である。

「兄さんの奥さん、母さんにも、か。そんなに似ているかね、俺と父さん」

「ちなみに俺もそう思う」

「勘弁してくれ。負け犬まっしぐらじゃないか」

「あっはっは。でもさ、昔の父さんはガキの眼から見てもやっぱり格好良かったよ。俺について来いってな感じで、間違える気もしなかった」

「……でも間違えた」

「結果はな。まあ、間違えない人間はいないさ」

「……俺は、間違えたら終わりなんだけどなぁ」

 クルスはあえて小さくつぶやく。

「ん?」

「いや、何でもない」

 自分の剣は間違えない前提で組み立てられている。間違えたが最後、足りぬ器で力を求めた代償を支払うこととなる。

 『墓守』のたった一撃で、危うく全部失うところであった。あれがディンやソロンなら、下手すると力でやり返したり、切り返すことも出来たかもしれない。

 それがクルスの弱さ。変えようのない、生まれ持ったもの。

「俺は間違えない。俺は負けない」

「ちなみのちなみにな……クララはめっちゃおじいちゃんっ子だ」

「……クソがァ」

「あっはっはっは」

「あぶ、あぶ、あぶ」

 父親の笑みにつられたのか、赤子も嬉しそうに笑う。おじさんの指をくわえながら。父と似ている。自分では微塵もそんな気などなかったのに、

「……」

 大嫌いな存在であるのに、

「……クソ」

 血を感じずにはいられない。


     〇


 翌日、早朝から野良仕事に精を出す農家の皆さまを、クルスは遠くから眺めていた。彼らの邪魔にならぬように、気取られぬように――

「……」

 土づくり、農家の一番手腕が問われるところである。この時期はいつも、父がピリピリしていた記憶がある。よく怒られた記憶もある。

 麦に限らず、基本的に農地は使えば使うほど、連作を重ねれば重ねるほど、痩せて使い物にならなくなる。そうしないために収穫量が落ちるのを覚悟で休ませたり、堆肥などを用いて失われた栄養を外部から足したりしているのだ。

 その目利きは、どうしても経験がいる。膨大な経験と、それによって磨かれたセンス、第六感のようなものが必要となる。

「……父さんが失敗した時、周りから離れた連中まで……本当に丸くなったんだな、あのクソ親父は。昔なら失せろボケ、で一蹴していたろうに」

 村長も交えた話し合い。土を見ながら、堆肥も人糞や尿を用いる以上、どうしても品質は一定ではない。土地の見極め、堆肥の成熟具合、さらに今の、そして今後の気候まで加味して、限りなく正解へと近づけていく作業。

 外せば餓える。

 外さずともお天道様次第ではやはり餓える。

 一年の出来栄えを左右する大事な分水嶺。その中心にはあの男がいた。クルスが蛇蝎の如く嫌う、実の父親。

 褒められたこと、甘い言葉などかけてもらったことがない。

 依怙贔屓ばかりの、クソ親。

 だけど、悔しいが――

「……クソ、ハマって見えるんだよなぁ。昔から」

 土を見て、時折口にし、全身全霊をもって畑と向き合うあの男の姿は、あの頃と変わらず大きく見えた。強く見えた。

 畑しかないクソ田舎、皆がそれなりに経験を積んだ農家ばかり。されど、その中心には、先頭には、いつもあの男がいた。

 その眼が、振舞いが、いやでも応でも物語る。

 自分が何者であるか、を。

「……情けねえ」

 騎士だと即答できない自分。どんな騎士かを、未だ見つけられてすらいない自分。そんな半端者とは違う。

 自分は成らず者、そう痛感させられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る