第251話:惨敗のクルス
ひと回りするまでもない、何一つ代わり映えのしない故郷の姿。まるで時間が停止しているかのような、そんな錯覚すら抱いてしまう。
シリコンバレーの発展による悲哀も何のその、無関係とばかりにそれよりも遥か昔に停滞し、そのままであり続けている。
ただ、
(……狭く見えるな)
自分の持つ記憶はもう少し広いイメージであったのだが、昔遊んでいた原っぱも、無限に連なっているように見えた畑も、記憶よりもずっと狭く、小さい。
畑に至っては数も少なく思えた。
丸三年、それほど長い時は経っていないはずなのに――
「……」
変わらない。変わったのは見つめる方。
クルスはとりあえず実家へ向かい歩く。と言うよりも実家以外、この地に用はない。今更、他の家の者と顔を合わせても仕方がないだろう。
それに――
(……あれは、斜向こうの――)
クルスは野良仕事をしている知人を見つけた。それほど深い繋がりではないが、リンザール家とは家も近く交流もあった方、か。
まあ、『先生』が現れてからはずっと、クルス個人とのかかわりはなかったが。
一応、クルスの記憶には存在している。
そんな相手が、
「……」
にたぁ、と下手な愛想笑いを浮かべ、クルスへ頭を下げたのだ。ただ歩いているだけの、かつての知人相手に。
いや、彼らは知人だと認識していないのだろう。
よくわからないが道を歩く騎士にしか見えていない。
(……はは、なんだそれ)
確かに最後の方は視線を合わせることもなかった。空気のような存在で、無視されていた。それでも、記憶からも消えているとは思わなかった。
(本当に俺はここにいたのか?)
疑問符が浮かぶ。
別にショックであったわけではない。間違っても持ち上げられたいなどとは思わない。そんなつもりで戻ってきたわけではないのだ。
ただ、確認したかっただけ。
ずっと目を背けてきた故郷というものを。
それに――
「……兄さん」
遠く、見間違えるはずもない。自分たちの畑、猫の額ほどの畑は記憶そのままに、クルスの兄が畑の面倒を見ていた。
秋の種蒔きを前に、土づくりの時期、耕したり、肥料をやったり、ある意味で一番農家の腕が試される時期でもある。
その必死な表情は記憶のまま、何処か父とも似た陰影も――
「……クルスか?」
兄が、クルスの溢した声を聴いたのか、顔を上げて目が合った。
「……久しぶり」
記憶と変わらない声。ただ、記憶よりもかなり背が縮んだ気がする。
もっと、大きく、線も太かったはずなのだが――
「はは、大きくなったなぁ!」
「そうかな?」
「見違えたさ。背も抜かれて、ちょっと失礼」
クルスの腕回りに触れ、
「おお、鍛えているなぁ。本当に大きくなった。立派になった!」
嬉しそうに大笑いする。
「俺で迷ったんだから、周りは気づかんだろうなぁ」
「そ、其処まで?」
「其処までだ。何より――」
くんくん、とクルスの匂いを嗅ぎ、
「土の匂いもしなくなった。ははは」
「はは」
冗談交じりの言葉を放つ。クルスもようやく帰ってきたんだ、と言う実感が湧いた。それと同時に、ようやく合点がいった。
兄のおべんちゃらかもしれないが、先ほどの男は忘れていたのではなく、クルスを覚えていても一致しなかった、と言うことなのだろう。
おそらくは。
「調子はどうだ?」
「絶好調だよ、自分でも怖いぐらいに」
「……てっきり落ち込んで実家に帰ってきたものかと」
「そう見えた?」
「ちょっと暗い雰囲気だったからなぁ」
「いつも通りだと思うけど」
「そうか、なら大人になったってことだな、クルスも」
「どうだろう? まだ学生だからこれからだ」
「これから、か」
「うん」
クルスの眼は先を見据えていた。
それは、
「その眼は変わらないな」
「ん?」
「遠くを見る目。それを見るとクルスだなぁ、って思うよ」
「……」
昔と変わらない、クルス・リンザールの骨子であった。
「兄さん」
「ん?」
「奨学金の保証人、ありがとう」
「ああ。はは、忘れてたよ。そんなこともあったな」
何でもない、と言わんばかりの兄。何でもないわけがないのだ。必死に畑を耕そうが、こんな土地で稼げる方法などたかが知れている。
クルスが逃げ出せば一生、重い枷を背負うことになった。
「……何の保証もないガキだった」
「でも、なれるんだろ?」
「ああ」
「なら、兄の眼に狂いはなかった。それで終わり、だ」
「……いつか返すよ」
「要らない。そもそも俺は署名しただけだ。署名する字を教わりながら、な。内容は本当に忘れた。だから気にするな。それより家、来るだろ?」
「……父さんは?」
「丁度今外出中。運が良かったな」
「……どうだろう」
自分より背が低くなった兄。でも、何故だろうか、何故かその大きさを超えられた気がしないのだ。どれだけ鍛えても、鍛えても、近づけている気すらしない。
「驚かせてやる」
「楽しみだよ」
それが少しだけ嬉しかった。何故かは、わからないが――
〇
「だぁ」
「……」
赤子を抱き、その赤子に鼻を抓まれているクルスは真顔であった。その横で女性がくすくすと笑う。
「気に入られたな。人見知りなのに」
「この年齢で人見知りとかあるのか?」
無垢な、何を考えているのかもわからない眼。わからないと言うのは何とも難しいもので、どうにもクルスは赤子と言う生き物が苦手であった。
「ありますよー」
こちらはクルスの義理の姉、兄のお嫁さんである。ゲリンゼルよりも世界的に遥か有名な隣村の出身で、クルスが出てすぐ結婚となったらしい。
こちらで暮らすため、持参金によって家も改築、記憶よりも家が物理的に大きくなっていた。あと、畑も変わらないと思ったが広くなったらしい。
奥さんの実家様様である。
「そうなのですね」
「ええ。もっと社交的になってほしい、と思うんですけど」
「根暗になったらおじいちゃんの血ねえ」
「そんなことありませんよ、お母さま」
「うふふ」
クルスの母もお嫁さんが来て、孫が出来たことが嬉しいのか、クルスの父が足を踏み外した時からずっと塞ぎがちだった面影はない。
ただ、クルスとしてはどう接するべきか、未だ測りかねているのだが。ずっと、父に罵詈雑言を投げかけられていた時も、隅の方で黙っていた人だから。
ある意味、父よりもずっと希薄な関係である。
「クルスさんもお父さま似ですね」
「え?」
「ぶっ!」
生まれてこの方言われたことのない言葉にクルスは眼を見開く。兄は吹き出し、母も口を抑えながらも笑っていた。
と言うかこの流れは普通に失礼な気もする。
お前、根暗やん、と同じような言い方になるから。
「な、何か変なこと言った?」
しかし、彼女にはその気がない。しっかりしているようで抜けている模様。
「い、いや、大丈夫だよ」
「本当に?」
夫婦の会話を見つめながら、
「あー……ぶぅ」
(なんだ、その訴えかけるような目つきは)
クルスは赤子と無言の攻防、睨み合いを開始していた。
「ぶぅぅぅ」
(俺に何を要求する気だ、このクソガキが)
「びえええええええん!」
「ッ⁉」
如何なる魔族にも退かず、向かい合う所存のクルスであったが、突然わけもわからず泣き始めた赤子を前に、臆した。
「あらあら」
「す、すいません。自分には何が何だか」
「あはは、そんなに慌てないでください。ただのおもらしですから」
「……あっ」
赤子の生態が頭から抜けていたため、臆してしまったが何のことはない。赤子が泣く理由と言えばおもらしかはらへり、と相場が決まっている。
まあ、その他気分次第なので気は抜けないのだが――
「あとで洗い物の時、まとめてやっておきますね」
「ありがとうございます、お母さま」
「いいのいいの、暇だから」
気分爽快、と言わんばかりに目を見開く赤子を抱きながら、クルスは活気づく女性陣を見つめていた。
この家では長らく、こんな光景はなかったはず。
「あいつが来てくれたおかげで母さんも復活してくれたよ」
「女性には女性だね」
「おっ、言うようになったなぁ」
「……ただ女の人がわからないだけだよ」
「その子は女の子だぞ」
「道理で」
「はっはっは」
そんな会話をしながらも、クルスと赤子の間では指を巡る攻防が繰り広げられていた。赤子がクルスの指を掴もうと手を伸ばし、クルスがそうはさせじと指を離すも、それだけで顔をぐしゃりと、泣くぞという姿勢を見せる。
四強、クルス・リンザール。
「……」
「あぶ、あぶ」
敗戦再び。
指を取られ、あまつさえも食われた。おしゃぶり代わりに皮一枚を捌く繊細な指がよだれの餌食となっているのだ。
泣けてくる。
「洗濯はまだ川で?」
「それ以外何かあるのか?」
「……嘘だろ?」
「え?」
何も変わらぬゲリンゼル。当たり前だが洗濯機も、掃除機も存在しない。いや、掃除機に関しては学校の方針でアスガルドの学園にもないが。
当然、テレヴィジョンもないのだろう。
道中で基地局も見かけなかったし。
まだまだ地方へ行き渡るのは時間もかかるのか。
「聞きそびれていたけど……この子の名前は?」
「ん、クララ」
「ふーん」
「感想は?」
「このチビには贅沢な名前だな、と」
「こいつぅ」
歯も生えそろわぬ小娘が、とクルスが見下ろすも赤子クララは全力でクルスの指を喰らい、しゃぶりつくしていた。
親の仇の如く。
「そろそろ、父さん帰ってくるぞ」
「いいよ。それも用事の一つだから」
「……そうか」
兄への感謝、そして敗れ変わってしまってから本当の意味で向かい合ったことがなかった父との対面。
自分が騎士に成る前に、済ませておきたかった。
不純物なく、憂いなく、自らの騎士道を歩めるように、と。
「ちなみにさ」
「なんだ?」
「トイレは……水洗だったりしない?」
「……? 別にこっそりなら川でしてもいいぞ。大小問わず」
「……知ってた」
高度な文明に浸り過ぎた弊害か、クルスは最も恐れていた事態に心が乱れていた。別に野営であれば構わない。その覚悟はある。
だが、街中で、文明の中で、ここのトイレはもう――
「あ、トイレの話ですか?」
「え、ええ」
「私の親戚の子も外に出ているんですけど、トイレの話になるといつもそんな顔をしているので、もしかして、と思いまして」
「……なるほど」
そりゃあそうだな、とクルスは思った。やはり文明開化はお隣の方が早そうである。こういう話が入ってくることすらないのだ、ゲリンゼルには。
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