第250話:ゼロへ

 結局、あの後ソフィアと話す機会はなかった。王都を離れる前の晩、騎士の皆と送迎会と称したどんちゃん騒ぎが行われ、良くも悪くも印象に残るものであった。

 特にユルゲンの、

『私は君が嫌いでしたよ』

『え?』

『土壇場での落ち着きがね、同期の首席を彷彿とさせましたので。鼻持ちならない名門の男でしたが……何よりも腹立たしかったのは――』

『腹立たしかったのは?』

『大変女性陣にモテた、と言うことです』

『……ん?』

『実に、許し難い。その上、全員を振り、恋愛に興味がないなど……思春期ですよ? そんなことありえない。私たちには、その機会すら……ぎぎぎ』

『あの、マスター・コストマン。つかぬことを伺いますが……不滅団出身です?』

『おや、まだ健在でしたか。何よりです。伝統は受け継がれていくものですね』

『おっふ』

 衝撃のカミングアウトにあった。いや、彼としては土壇場での落ち着き、これは本当に得難い才能であり、それを持つ者こそが天才である。自分にはなかった。

 ゆえにその才、大事にしなさい。

 そういうありがたい話であったのだろうが、残念ながらそれは欠片にしか残らなかった。聡明な、少し信頼すらしていた相手が不滅団、この衝撃が全部吹っ飛ばしたのだ。思えば彼に対し、誰も女性関係の話を振らなかった。

 そういう、ことであったのだろう。

 ヨナタンの哀しげな表情が、全てを物語っていた。

 まあ、それはさておき――

「……」

 クルスは今、アスガルドへ戻る列車とは逆方向の路線に乗車していた。窓際で一人、過ぎ去る景色を見つめる表情は明るくない。

 今回の件、色々と考えさせられた。

 ファウダーのことはさておき、人と魔族、ミズガルズとウトガルド、あくまで上辺だけでしかなく、どれだけ考えたところで現状答えは出ない。何が起きたのか、何故そうなったのか、わからないことだらけなのだ。

 ただ、魔族の元は人であり、それならば人為的にそうすることも出来るのでは、と理屈に至るのもわかる。騎士科の中ではかなり高度な魔導学に触れているクルスにとって、別畑でぶっ飛んだ研究者のような人種が再現しようとするのも、わかる。

 そしてその技術を兵器運用したいと思う者が現れるのもわかる。

 騎士が「それはいけないことだ」「間違っている」などと、

 どうしてそれが言える。どの口がそれを言う。

 騎士とは超人である。鍛え抜かれた体、磨き抜いた魔力コントロール、この合わせ技が凄まじく大きな差を生む。筋力だけでも少し鍛えただけで、常人の倍以上の重量を挙げることが出来る。ここに魔力の練度が乗る。

 もう、常人じゃどうやっても敵わない。

 ならば常人も鍛えれば、と考えるがそういうノウハウを持つ大半が騎士の流れへと一元化されているのがミズガルズの現状である。

 騎士界隈がそうしてきた。

 統治者側も一元化されていた方が都合よし、と乗っかってきた。

 ゆえにクゥラークのような存在は、多様化し始めた現代においてなお稀少な存在である。そんな彼らも名義上は騎士団、そうせざるを得なかった。

 強き人材をかき集め、強くなる方法、環境を独占してきた。

 それが騎士の現実である。

(……思えば歪だな、騎士と言う存在は)

 国家武力の象徴、世のため人のため――それが建前でしかないことはクルスも理解している。嫌と言うほどに。

 国家が保有する武力が騎士なれば、民はどうやってその力に抗えばいいのだろうか。抗うな、と言うことなのだろうか。

(……またよくない考えにハマっているな)

 そんな理不尽な話があるか。

 元々、騎士の家柄とは無縁なクルスにとってはそう映ってしまう。

「騎士さま?」

「これ、失礼でしょう!」

「いえ、構いませんよ。それに自分はただの学生ですので」

 目を輝かせる子どもに声をかけられ、クルスは仏頂面から即座に笑顔を作り、騎士らしく対応する。その薄っぺらさに、死にたくなりながら。

「君は騎士が好きなのかい?」

「うん。格好いいから!」

「あはは、僕もそうだったよ。格好いいよな、騎士は」

「だよね!」

 クルスは子どもの頭を撫でながら、思ってもないことをつらつら語る口に呆れていた。こういうのも騎士というブランドを保つ行動で、自分もその片棒を担いでいる。とうの昔に自分は、あちら側ではなく騎士の側なのだと自覚させられてしまう。

「どうやったら騎士になれるかな?」

「それは学校に受験して――」

 そう言いながら、クルスはちらりと親御さんの顔を見た。焦ったような、困ったような、そういう表情。

(ああ、そりゃ、『普通』はそうなるよな)

「がっこう?」

「ん、いや、体を鍛えて、お父さんやお母さんを守れるようになる。それが出来るようになったら、君も晴れて騎士になれるさ」

「どうやったらきたえられる?」

「それは……そうだな。お仕事のお手伝いとかで、重いものを持ったりとかかな」

「わかった!」

 子どもの笑顔、親が子どもに見えないところでこちらへ頭を下げている風景、それがクルスの胸を刺す。誰もが目指せるものじゃない。

 自分には『先生』がいた。

 あの人が無償で鍛えてくれたから、独占されたノウハウを開帳してくれたから、自分は騎士を目指すことが出来た。

 あと一歩で騎士に成るところまで来た。

「ありがとうございます。さ、行きますよ」

「ばいばーい」

「さようなら」

 固めた笑顔、手を振る所作も気障ったらしく鼻につく。嘘つきクソ野郎、堂々と言えばよかったのだ。今から勉強しても遅いぐらいだ、と。

 死に物狂いで努力して奨学金を獲得し、学校へ潜り込まねば間に合わない。もう騎士を目指す子たちはとうの昔の準備を始めている。

 騎士の家の子に至っては物心つく前から英才教育を始めている。

 あの子がそれを知るのはいつになるのだろうか。もう遅い、それに気づき絶望するのは、そう遠くない未来だろう。

 残酷な現実を、知る時が来る。

 その時自分は恨まれるのだろうな、とクルスは心の中で自嘲する。

 何故なら、

(周りの視線も、俺を騎士側なのだと言っている)

 此処が公の場であり、それほど多くないが人の目が自分に向けられているから。彼は騎士なのだと、自分たちとは別の存在なのだと、その眼が言う。

 称賛、憧れ、そして畏怖。

「……」

 周囲に笑顔を振りまき一礼、そして着席。所作の一つ一つを丁寧に、優雅に、それでいて雄々しく、凛々しく――笑えてくる。

(滑稽だな)

 クルスは今一度車窓を見つめる。

 かつては胸躍らせ、何かが始まる予感と共に羽ばたいた景色。

 今は、特に何の感慨もない。


     〇


「……遠いな、クソ」

 最寄りの駅で降車し、其処から徒歩で目的地であるゲリンゼルへ向かうクルス。しかし、以前も遠く感じたが、今はより一層遠くに、不便に感じる。

 あの時は『先生』と一緒であったし、話し相手もいた。

 何よりもワクワクが背中を押していたのだろう。

「線路敷けよ、クソカスがぁ」

 すっかりクソ悪口が板についてきたクルスであった。これも師のご指導ご鞭撻によるものだろう。

 そう、クルスは今故郷へ足を向けていたのだ。

 そう思ったきっかけは、やはり今回の事件である。

 忠義の騎士であったマリウス・バシュの暴走。その引き金となった国家と故郷の軋轢、板挟み、理屈で考えたら誰もが彼が狂ったと、恩知らずであると考えるだろう。彼の故郷シリコンバレーは経済競争に敗れ、詰んでいたのだから。

 技術革新は日進月歩、足を止めたが最後、一瞬で周回遅れとなる。昨日の産業大国が、十年二十年で後進国となるのだから恐ろしい世界。

 研究者の努力を否定する気はない。彼らの努力が多くを満たし、大多数の人々に幸せを、便利さを、多くの実りをもたらしていることは事実である。

 しかし一方で、その分割を食うマイノリティがいることも事実。

 発展の中、姿を消した産業はごまんとある。

 窮し、人知れず命を断った者もいるだろう。

(クソ、また考えが逸れた)

 発展の功罪、これに答えはない。その時自分がどちら側に立つか、それだけである。追いやられる側なら叫び、そうでなければ喜ぶ。

 ただそれだけ。

 考えるだけ無駄。世の中は便利な方へ、合理的な方へ流れるのだから。

 マリウスもそれは百も承知であっただろう。自分が何をしようと世の流れは変わらない。シリコンバレーの住民が生きようが、死のうが、世界は変わらず流れ続ける。残酷であるが、世の中とはそんなもの。

 対岸の火事に熱さを感じる者はいない。

(あの人は愚かじゃなかった。それでも愚かな選択を取った)

 傍目から見れば愚かな選択。されど、騎士マリウスの暴挙を知る者の多くが、彼の愚かな選択に一定の理解を示していることもまた事実。

 故郷を想い、しかして騎士であるがゆえ相反したマリウスの悲哀が、魔族化する直前で浮かべていた虚ろが、今も目に焼き付いている。

 土地に根差すとは、どういうことなのだろうか。

 今の自分には理解できない。

 だが、自分も遠回りの末、またゼロに戻った。

 そのゼロの中に、この地はあった。

 ならば、

(いつか俺も、そういう行動を取る時が来るのか?)

 自分がそう成らないとは限らない。

 ゆえにクルスはアスガルドに、騎士の世界に戻る前に一度確認しに来たのだ。

 自分のゼロ、原点である――


「……相変わらず、何もねえクソ田舎だな」


 ゲリンゼルへ。

 原っぱ、畑、少し離れたところにちょっとした山。中央には小さな川が流れている。いつ見ても、クソ田舎。

 それがクルス・リンザールの故郷である。

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