第249話:惜しかった
今までの波乱に満ちた旅が嘘のようにイリオスへの帰還は何事もなく到着し、王都では盛大な出迎えもあった。
民から愛される王家、その後継者が大役を果たし無事国へ戻ってくる。改めてこのイリオスでの王家、その存在感をクルスは間近で見た。
ゲリンゼルにはなかった熱狂である。
王都ゆえ、王家との距離感が近いのだろう。催しごとがあれば率先して顔を出し、時には民に混ざり参加することも――
「もちろん色々と準備した上、ですよ」
「準備ですか?」
「ええ。参加したように見せる、だけで実際はガチガチです。御付きがいて、周りを変装させた騎士で囲み、よく見れば民の側も有力者……見せかけです」
「……当然の措置、ですね」
「はい。当然です」
熱狂の中、ソフィアが見せる影。それがクルスの心を攻め立てる。この影を晴らす言葉を、クルス・リンザールは持っているのだ。
持っているのに、それを言わぬのだ。
「……」
「……」
結局、クルスは何も言わず、そしてソフィアもまた言わなかった。共にいてほしい、御付きとして自分を守ってほしい。
ただ一言も――彼女も理解しているのだろう。
それを口にすれば、クルスは断らねばならない。躊躇を滲ませ、それでも彼は断る。その言葉は聞きたくない。拒絶されたくない。
沈黙が痛い。
ある意味、言わずに、決着をつけぬことがソフィアなりの、残し方なのかもしれない。終わらせない。すっきりなど、させない。
「夜からのパーティ、エスコートしてくださいますか?」
「喜んで」
「ふふ」
それは王女の意地か、それとも女の執念か――
〇
王女の帰還を祝い、王宮でのパーティもまた盛大なものであった。イリオス各地の有力者や、それこそ近隣国からも客を招いている模様。アカイアで見た顔もあり、クルスも笑顔で応対する。当たり前だがこれは公務の一環。
公の場で王族に、その御付きに気が休まることなどない。
そんな時、
「やあ、初めまして」
シュッとした精悍な男性に声を掛けられる。背が高く、騎士と比較しても見劣りしない立ち姿。隙一つない所作には品格を備えている。
だが、
「お初にお目にかかります。クルス・リンザールと申します」
「ご存じだとも。よぅく、ね」
クルスはこの人物を知らない。
「はは、そんな怪訝な顔をせずとも怪しい者ではないさ。そうだね、ヒントは……ちょうちょ、とでも言っておこうか」
「アマルティア、さんの」
あまりにも似ておらず、つい普段の呼び方、呼び捨てが出てしまいそうになる。その僅かな詰まり、アマルティアの兄はすっと目を細める。
ゾク、と肌が泡立つ。
何故だろう、この感覚をクルスは何処かで――
「いつも妹がお世話になっているようだね。君の話はよく、聞いているよ。歳の離れた妹でね、昔から仲良し兄妹だと評判なんだ」
「兄妹の仲が良いのは羨ましいですね」
「ははは、ありがとう。今回の君の活躍を妹に教えてあげるのが今から楽しみでね。色々と皆から情報収集してみようと思う」
「大したことは」
「謙遜する必要はない。君は我が国の誇りだ。それと――」
クルスの耳元にアマルティアの兄が顔を寄せる。
「あちらで君と話したい、と……陛下から」
「……っ」
「そんなに気を張る必要はない。フランクな御方だ」
ぽん、と背中を軽く叩くアマルティア兄。ソフィア自身、もしくは知人であるアマルティア父、ディクテオン殿などと話すことになるやも、とは思っていたが、まさか王様と話すことになろうとは――
今回の外遊でもソフィアの隣で挨拶程度の交流はあったが、サシで王様と話すことなどなかった。これからの人生でもそうないことだろう。
「上手くやりたまえ。遺恨なきように、ね」
「……はい」
ただ、ありがたい申し出でもある。じりじりと、なし崩し的に長引くよりも、ここらでスパッと決着をつけたいとは思っていたのだ。
〇
王の私室に通されたクルスは少しだけ驚く。
「ようこそ、我が部屋へ」
本当に余人を交えぬ、二人きりであったのだ。ここでクルスが王に害意を持てば、確実に暗殺は成功してしまう。
サシでの話し合いとは言え、護衛の一人や二人はいると思っていた。
「クルス君も座りなさい。立ちっぱなしで今日は疲れたろう」
「お心遣い、痛み入ります」
「肩肘張らずともよい。ここは公の場ではないのだ」
「はい」
そういうわけにいくか、と心の中で思うも、確かにフランクな人物ではあるのだろう。何処か、マリウスのような雰囲気が出ている。
優しく、それゆえに弱いところも。
「さて、茶が冷めぬ内に……まずは此度の働き、真に大義であった。ユルゲンから、そして我が娘ソフィアからも一騎当千の働きであった、と聞いておる」
当然、シャハルを取り逃したことすら含め、自分の働きはイリオスにとって大きなものであっただろう。誰に聞いても、そう答えるはず。
まあ、シャハルを逃したのは怪我の功名でしかなかったが――
「恐縮です。ですが、自分はチームの一員として機能しただけです」
「はっはっは、その年で謙遜など逆に可愛げがないぞ」
「も、申し訳ございません」
「よいよい、冗談だ。それともう一つ、最も重要なことであるが――」
王は表情を引き締め、クルスに向かって頭を下げた。
「すまなかった」
「あ、頭を上げてください。自分は何も――」
「身内が恥をさらしたあげく、その隠ぺいにまで気を使わせてしまったのだ。学生の君に、だ。これを謝罪せずして、何が王か、何が国か」
「……」
今回、マリウスの件は当然としてヴィルマーの件すら伏せられたままである。王女が輩に襲われたことも、テウクロイには伝わっていない。
さらに国内の混乱を避けるため、ヴィルマーは一時的に牢で拘束されているが、彼は未だに副団長補佐であり、それを裏から操っていた団長含め、何の処罰も下されていない。これから先、『この件で』下す予定もない。
「君のおかげで騎士団の制御が楽になった、とディクテオンめが喜んでおったよ」
「彼らはこれから先、ずっと戦々恐々とせねばなりませんからね」
「うむ。いい薬だ」
ヴィルマーが拘束された時点で、ある程度企みは漏れていると彼らは考えているだろう。この時点で保身に走りたいところだが、直接的な制裁が下されぬ以上、彼らはどう立ち回ればいいのかもわからない。
もちろん、
「情報はすべて引き出しておるから、いつでも粛清する備えはしておく。その上でしばらくは騎士団の立て直しのため、軽い神輿でいてもらうまでよ」
「御英断かと」
いつでも首を切る備えはある。団長や、彼に協力していた者たちのリストアップもつつがなく終了している。ヴィルマーは憑き物が落ちたように協力的であり、彼自身も利用されるだけされて捨てられぬよう、彼独自で協力者らも掴んでいたことも功を奏した。その上で、あえて伏せたまま。
国内の安定を見て、随時挿げ替えていく。
そのための算段はすでに整っていた。
「全ては君のおかげだ。本当に感謝しておる。何よりも……マリウスを止めてくれた。それに関しては、王ではなく一個人としても感謝しておるのだ」
「……」
「あれは、私が最も信頼する騎士であったから。いや、今もなお、か」
「……今も、ですか?」
マリウス・バシュの行動は国家として許容できる範囲を大きく逸脱している。王は裏切られたことに怒りを、憎しみを抱くことこそあっても、未だに信頼を抱き続けていると言うのはかなり奇妙な話であろう。
少なくともクルスの視点ではありえない。
大事な王女を、娘を殺されかけたのだ。
それこそ自分がいなければ確実に死んでいた。
「うむ。今回の件、君を強く推挙したのはマリウスであった。重要な外交に絡む大役、責任の観点からも大勢が反対した。私もその一人だ」
「……陛下も」
「ソフィアもマリウスに乗ったがな、それでも言い出しっぺはあの男なのだ。ふふ、不思議な話だと思わぬか? 自分が破綻させようとした外交に、呼ぶ必要のなかった最高の人材を招いたのだ」
「……」
確かに妙な話である。クルスの中ではソフィアがアースの件で、自分の名を覚えてくれていたから、その上で成績もよく、それで選ばれたと思っていた。
だが、クルスを選んだのはマリウスであった。
「君がいなければマリウスの凶行を止めることは出来なかった。それはユルゲンも、ソフィアも、口を揃えて断言しておることだ」
自分を軽んじていた。
いや、そうであったとしてもわざわざ外の者を招き、イレギュラーを引き起こす可能性を増やすよりも、身内だけの方が絶対に良いはず。
「……なぜ?」
「わからぬ。故人の思惑は誰にもわからぬのだ。だから、私は私の勝手で、あの男は誰かに自分を止めてもらいたかったのだと思うこととした」
「それなら、そのようなことをやめればよかっただけでは?」
「ははは、面白い男だな。曲がったこと、理屈に沿わぬことは大嫌いと見える」
「……ぅ」
真っすぐな正論、それは間違いなく正しいのだ。止めてくれる者を探すより、自分が手を止めればよかっただけ。
理屈だけならばそうなる。
「長く生きていると、しがらみが見えぬ鎖の如くからみつき、二進も三進もいかなくなるのだ。君にもいずれ、わかる日が来るやもしれぬ」
「……」
「私もな、マリウスに一つ嘘をついた。いや、嘘ではなく強がり、か」
「強がり、ですか」
「うむ。あの者の忠誠に報い、故郷の者をすべて救う、そう約束したのだ。だが、残念ながらこれは果たせぬ約束であっただろう」
王はか細く、弱弱しく苦い笑みを浮かべた。
「特別扱いが過ぎる。腹心のディクテオンにもそう言われた。それでも、意地でも私はマリウスを取るつもりであったよ。多少の軋轢はあろうと……しかし、結局、土地の者が頷かねば、無血はなかった」
「土地の、者」
「土地に根差す、其処で生まれ、其処で育ち、其処で死ぬ。若者ならばいい。だが四十代は? 五十代は? 六十代なら、どうかな?」
「移住せぬ者たちが残り……されど命運は着実に先細り、そして――」
クルスの中でも一本線が繋がる。
ファウダー、『創者』シャハルの存在、それをマリウスは当然知っている。魔族化、それがもたらす変革、その煽りを最も受けるのは今力を持つ者ではない。
力なき者。其処に彼らは微笑む。
「理屈ではないのだ。感情は、正論だけでは制御できぬ。生まれ育った土地と共に心中する……私も笑えぬよ。イリオスと言う国がその立場となった時、私はきっと彼らと同じ選択をする。この国と共に心中するだろう」
そうなった時、混沌は彼らに力を貸すだろう。
そして地獄が生まれる。
クルスはいくつかの経験と、そして歴史を学んだ。それで学んだのだ。フィンブルの件は、彼らに力がなかったから成功しなかった反面、力がなかったからこそあの程度で済んだとも言える。
本当に恐ろしいのは力が拮抗した場合。革命と言う名の戦争が巻き起こり、互いに全身全霊で争った結果、国土が荒れ果てる。
再建不能なほど、命も散る。
「だが、今回はマリウスの死により、少しは彼らの態度も軟化することになろう」
「マリウスさんの死で、ですか?」
「それを上手く利用する。ディクテオンが今、胸を打つ言葉を考えておろう。マリウスがどれだけ故郷を想い、故郷の皆のために汗水を垂らし、移住計画を取りまとめていたか。好条件を引き出し、皆に協力を仰ごうとした矢先に……非業の死を遂げた。無念の内に散った、と。彼のためにもどうか……と」
人の死は最も強く、感情に影響を与えるもの。故郷のおかげで騎士になり、故郷のために尽力していた地元の星。
その死は、きっと万の言葉よりも大きな意味を持つ。
理屈など容易く超えて――
「……胸の内に仕舞っておきます」
「ありがとう」
大仰な謝罪や感謝よりも、よほどこの小さく弱々しい感謝の方が染みた。
マリウス・バシュが正気であったのか、それとも狂気がたまたまいい方向に作用したのか、それはわからない。故人の思惑は推測するしかない。
遺書を残し自殺をしていれば丸く収まったのでは、と言ってしまえば其処までの話。揺らぎ、悩み、狂い、凶行に走ったことは事実。
しかして、クルスを呼び、自らの凶行を阻む種を蒔いたのも彼なのだ。
その矛盾が、答えを見えなくする。
だが、
(……わからなくていいことも、この世界にはある、か)
クルスはあえて墓を掘り返したいとは思えなかった。いつもは正論大好きマン、それを突き詰めることが好きな男なのだが、今回はそうならなかった。
好きに受け取ろう、そう思った。
「話は以上だ。最後に一つ、たった一度だけ問おう」
「なんなりと」
「イリオスに戻る気はないかね? 無論、誠意には全力を尽くさせてもらう」
とうとう来た。
ある意味、クルスにとっての本題。
そして、
「申し訳ございません。今回の件を経て、尚更自分はユニオン騎士団へ入り、自分の力を試してみたいと思いました。ゆえに、大変光栄ですがお断りいたします」
想像よりもずっとあっさり、
「うむ、残念だ」
その本題は決着した。王の心遣いにクルスは感謝する。そして、今更ながら知る。あの腐り切ったフィンブルと比べてはならぬのだろうが、マリウスが故郷と忠義に狂うぐらい、目の前の王には尽くすだけの器量があるのだろう。
長引かされるよりずっと、惜しいと思えた。
「男一匹、何処まで行けるのか、挑戦なのだな」
「はい」
「影ながら応援しておるよ。君にとっては大きなお世話であろうが、イリオスにとって君が活躍すると言うのはとても大きな意味を持つ」
「自分もここに生まれた身ですから」
「そう言ってくれると嬉しい。あ、そうそう、ずっと前から言おうと思っていたのだが……最後にもう一つ、負け惜しみを良いかね?」
「受け止め切れるかは、わかりませんが」
「ははは。なに、別に大したことではないが……君が入学許可をつかみ取った闘技大会、君に我が国の学校のスカラを与えたのは、何を隠そうこの私なのだ」
「……そう、だったんですね」
あのスカラは、何も良いところを出せなかった自分にとってはまさに天から垂れた救いの糸であった。結局、ウルの囲い込みでご破算になったが――
「実に惜しかった、だっはっは」
「……ありがとうございました」
クルスは心の底から頭を下げた。計算ではなく、感情のみで。
「君の活躍に期待しておる。祖国のスターとして燦然と輝いてくれたなら、それで十二分なのだ。我々は君の活躍に夢を見るとしよう」
王は立ち上がり、クルスの肩に手を置く。
進め、と言わんばかりに。
「あ、娘には私から上手く言っておくから。ちょっと怖いけど」
「……よろしくお願いします」
最後はちょっぴり、締まらなかったが――
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