第248話:鴉が鳴くから帰りましょう
「クルス!」
テウクロイの王宮に帰還したクルスを出迎えたのはイリオスの騎士たち、それと王女ソフィアであった。無事戻ってきたことへの安堵は――
「……申し訳ありません。怪しげな者を下水道まで追いかけたのですが、複雑に入り組んだ地形を進む内に見失ってしまいました」
返り血以外、ほとんどダメージを負ってすらいなかったクルスが、満身創痍となり帰ってきたことで吹き飛んでしまう。
「だ、大丈夫なのですか?」
「ええ。少し転んでしまいました」
苦しい言い訳だが、彼らのことをここで伝えるわけにはいかない。ここでシャハルに、ファウダーに遭遇したことは伏せられていた方が良いのだ。
少なくとも今のクルスはイリオス陣営、彼らに雇われた人材である。後々魔族化が世に広まった時、ここにファウダーがいたことが知られていたなら、当然テウクロイは再び疑念を持つことになるはず。
ファウダーとマリウスが繋がっていたのではないか、と。
現状でも魔族相手に何が起きるかわからない、だけで押し通している。人が魔族に成ることなど考えられない。
その前提があってこその嘘。
「殿下。クルス君を休ませてあげましょう。今宵、彼は働き詰めですから」
「え、ええ」
ユルゲンが二人の間に割って入り、クルスと目配せする。こういう時、聡い人間がいるとありがたい、とクルスは心の中で苦笑しながら歩く。
今日は本当に色々あった。
長い一日であった、と。
〇
テウクロイの王都からほど近い線路沿い。
その地面から突然、
「う!」
どぷん、と人影が現れた。
「んー、グレイブスがいると移動が楽でいいね」
「疲れはないかい、我が友」
「うー」
シャハル、リアン、そしてグレイブス。『墓守』の力によって彼らは下水道からここまで移動してきていたのだ。
距離の制限はあるが、その内側ならこれほど便利な力もあるまい。
「さて、ボクはイリオスにでも向かおうかな、っと」
「駄目です」
『亡霊』リアンが指でバツを作る。
「イリオスに行ったらインスピレーションがもりもり湧く気がするんだよ。大事だろ、インスピレーション。だから、おねがぁい」
「残念ながら時間切れです。『鴉』はとうに鳴いていますよ、カァ、と」
「高利貸しに借りを作るべからず、か。仕方ないなぁ」
知的好奇心の獣に首輪をつけられるのは力のみ。武力、財力、権力、基本は対等な関係性の烏合の衆であっても、組織である限り上下関係はある。
そして、何処のご家庭でもそうだが、財布役は強い傾向がある。
「ちなみに君の調子はどうだい、リアン」
「我々の調子は先ほどの通り、素晴らしいとしか言えませんね。この力を世のため人のため役立てねば、と思う日々です」
「でも調べさせて」
「最初からそう言えばいいんですよ、恩着せがましい」
「実際恩人だろ?」
確かに恩人ではある。だが、リアンたちはそう思いたくない、思えない。何せ自分たちを選んだ理由はクルスとかかわったから、ただそれだけの理由である。
シャハルに大義はない。思想もない。
ただ興味を向ける相手に、振り向いてもらうための餌。
に加え、実験的にも興味があった、と言ったところか。
そう、実験――
「……再現実験、上手くいかなかったのですか?」
「そうそう。君たちより状態の良い死体を使ったんだけどねえ。仕事も趣味の余暇活動だった君たちとは違い、丁寧にやったつもりなんだが」
「……」
「二人でもダメ、三人も、四人も……さすがに百人で試すのはなあ、大規模な戦でも起きなきゃ難しいよ」
「志、心の在り様ではないでしょうか? 我々は皆、祖国フィンブルのためを想い集まった同志でした。救国を願う魂の共鳴、それが答えですよ」
「そういう非科学的なのはボクきらーい」
「しかし、現実は――」
彼らは駄弁りながら闇の中へと消えていく。彼らの眼に悪意はない。好奇心、理想、無垢、それぞれの考えがある、それぞれの方向性がある。
それを彼らは整える気はない。
ゆえに彼らは全員が自らの群れを烏合の衆であると理解している。
それでいいのだ。
あくまで己が正義を、考えを、お楽しみを実行するため利用し合う。
それだけ。
それが混沌、ファウダーである。
〇
衝撃の事件から一夜明け、イリオスの王女ソフィア率いる使節団は残りの日程を切り上げ、イリオスへ帰還することに決定した。
テウクロイ側としても少なくない騎士を失い、未だ原因も掴めていないとあっては悠長に交流を深めている場合ではない。
騎士団で調査チームを編成し、クルスが発見したと報告した怪しい人物の足跡を追うべく、下水道を隅々まで調査している段階であった。
ただし、
(……足取りは消えているだろうがな)
クルスだけは知っている。あの『墓守』がいる以上、一度に全員を移動させられるかはともかく、複数回に分ければ難なく足取りを残さず立ち去れるだろう。
(アカイアの時と同じ)
ただ、クルスもすべてを把握しているわけではない。アカイアには『墓守』はいなかった。シャハルらを移動させたのは『天剣』である。
だが、それをクルス視点で知る術はない。
『墓守』の存在が真実を遠ざける。
(……確かにあの二人は強かった。あのミラが天才と端から別格扱い、悔しさすら浮かべていなかった。年齢が離れているのもあるだろうが、だからと言って同じくらいの器なら噛みついている。その時点でイールファス級なのは明白だった。そのメラ・メルと比較して見劣りするどころか、少し上にすら感じたピコ先生も恐ろしい。今思えば無知ゆえに、あんなに気楽に質問できたんだろうな、俺は)
騎士の世界を、調べれば調べるほどヴァナディースやナルヴィ、クレンツェにメル、アウストラリスら、超ド級の名門(そこにも上下あり)に対し、かつての自分がどれほど適当に考えていたか、がわかる。
無知の知と言えば良いように聞こえるが、相手次第では容易く自分の騎士人生を終わらせられる、その程度の力を持つお家ばかり。
今のクルスに無知ゆえの図々しさはない。
家柄も、実績も、そして実力も、どれも頭抜けた人物であった。
ただ――
(……でも、彼らに出来るか? あの太刀筋が)
そんな突き抜けた彼らをして、エフィムに刻まれた極上の太刀筋には到底及ばないような気もする。無論、彼らの底を知る由もなく、テウクロイでの陣容を見る限り、得物を鑑みてもピコが第一候補ではある。
実際、サシならおそらくピコが勝つ。
(それに……逃げられないほどの差とも思わない)
自分は上手く逃げた。もう一度同じように逃げろと言われても自信がない。そんなファウダーの、あの場全員に襲われ、下水道のような場所であるなら、目指す場所の違いもあり、おそらくエフィムでは逃げ切れなかったと思う。
しかし、現場は路地裏、少し歩けばすぐ大通りに出る。
逃げなかった。行けると思った。『墓守』やシャハルの窮地に彼らが突然ピコを出してきた。それに対応し切れなかった。
色々な考察はあるが、どれもピリッとしない。
「考え事ですか、クルス」
「いえ、風景を見ていただけです」
「ふふ、少し前までは車窓も怖かったのですが、こうしてクルスが隣にいてくれると前と同じように、綺麗な景色に見えます」
「ご安心頂けているのでしたら何よりです」
「信頼していますよ」
「お任せあれ」
自身に全幅の信頼を寄せるクライアント。聞こえはいいが、クルスの内心は穏やかではなかった。信頼が、あの夜から大きく、重くなっている気がする。
マリウスに寄せられていた分すら、クルスに傾けているような――
「ずっとこの時間が続けば、と思います」
「またすぐ、こうして世界を回るお仕事がありますよ」
「……」
そうじゃない、その返しが欲しいのではないことぐらい、朴念仁のクルスも理解している。欲しい言葉は一つ。
ずっとお供します。
正式にイリオスの騎士、御付きとなること。
(……マリウスさんがいてくれたら。ふっ、俺だけじゃなく、この場全員の騎士もそう思っているだろうな。どうしたもんか。面倒なことになりそうだ)
マリウスを失い、明るいソフィアの顔に時折影が差すようになった。その表情を、クルスによく見せてくる。
まるで――
(マリウス・バシュを殺したのは俺、か)
未だに手にこびりつく感覚。フィンブルの時と同じ、騎士剣という兵器は刃筋さえ掴めば、本当に驚くほど軽い手応えで命を断つのだ。
時に残酷さすら薄れてしまうほど――それが少し恐ろしい。
詭弁と分かっていても、それでもシャハルの言葉を否定しきれないのは、クルス自身にも思うところがあるから。
クルス・リンザールもまた騎士剣で、選べぬ立場から自らの意に沿わぬ暴力を振るい、無辜の民を手にかけた。
どれだけ拭おうと、あの感触は消えてくれない。
きっと死ぬまで――
(それでも感情に流される気はない。俺の道は俺が選ぶ。そのための力だ)
それを背負い、自らの騎士道を歩む。揺らぐ気はない。彼女がどれだけ願おうと、如何なる手段を用いてこようと、自分の道は自分で決める。
それに自分はきっと、国家の騎士は上手くやれない気がする。
「……」
それを言ったら、
(秩序の騎士も、同じようなもんだが)
何処までもついて回る騎士の欺瞞。
何がため――未だその問いの答えをクルスは持たない。
多くの事件を経て、クルスらはイリオスへ戻る。
武功は出来た。傷も負った。
あとはどう、今回の件を締めるかである。
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