第247話:始まりの敗走

「さあ、どうする?」

 シャハルの問いかけに、クルスは沈黙で答えた。唇を噛み、怒りに打ち震えながらも、頭の中は感情を削ぎ落し、状況を精査していた。

 呼吸を整えながら――

(生前の戦力はわからない。当時の俺はそれを測れるほどのレベルじゃなかったから。だが、今の立ち姿を見るに……サシでもきついのは間違いない)

 感情は戦えと叫ぶ。

 この光景を許すな、と。一人は自分が蒔いた種、自らの手で片を付けたい。付けねばならない。秩序の敵、その『生命線』が目の前にある。

 命を賭せば届くかもしれない。

 今の自分なら――

「ぅぅ」

「同志であり友人である君のトモダチとて、譲れぬこともある。彼は我々に嘘をついた。短いひと時であったが、我々は嬉しかったのだ。自らの理想が、夢が、遥々遠方からやってきた学生にも伝わった、そう信じていたから」

「あぅ」

「ありがとう。我々の恩人にして、素晴らしき友よ」

「うあ」

「おや、ボクも恩人なんだけどねえ」

「あなたは少々、品性に欠ける。我々の友人には適さない」

「おお、悲劇だ」

 噛み合っているのか、噛み合っていないのか、無駄な会話を紡ぎながらも、彼らは二体の騎士を展開しつつ、クルスを緩く囲む。

 ただで逃がす気はない。

 超人とて中身はただの人、魔族の暴力を受けて失った肺の空気を補給、そしてダメージを少しでも抜いていることぐらいは百も承知。

「我らが同胞、ヤルナの友人クロスくん。そろそろ覚悟はできたかな?」

「……一つだけ聞かせてくれ」

「何なりと」

「力さえあれば、自分たちの革命は成功したと思うか?」

「無論。我々は正しき道を示していた。国にとって、民にとって、足りなかったのは嘘つきの、裏切り者の君が、あなた方が教えてくれた、あの、暴力、だ。そう、あの、度し難い、獣が如し、虐殺ゥ。ああ、頭が、割れる。痛い、痛いィ」

 フィンブルの『亡霊』、リアン・ウィズダムは頭を抱え、クルスを睨む。彼の体に浮かぶいくつもの眼が、同じように充血したそれを向けていた。

 憎しみ、怒り、失望、絶望。

 当然だろう。自らへそれを向けるのは至極まっとうな、権利だと思う。

 だが――

「くく、相変わらず……甘えたことを抜かしてんだな、テメエらは」

「ぱ、ぱーどん? き、君は今、わ、我々に、こ、こともあろうに、君が、貴様が、貴方様が、我々を侮辱したのか!? どの口で!」

「この口だ、ボケども。貴様らは既得権益へ切り込むこと、それを甘く見てんだよ。馬鹿は死んでも治らねえな。其処がズレてる限り、貴様らの、革命と言う名のおままごとは永遠に、ゴールなんぞ辿り着かねえよ」

 あえてこの局面は煽る。

「すまない。ヤルナァ! 我々は、否、私はァ、この秩序の犬を、許すことなど、認めることなど。許容も、認可も、不可不可不可ァ!」

「百八回死んどけ、クソカスども」

 冷静な頭が弾き出した唯一の選択肢のために――

「クルス・リンザァァァルゥッ!」

 時間稼ぎが看破されていることなどわかっている。それでも、彼らはやはり手緩い。戦巧者ではない。今、この場に存在する空間だけでは片手落ち。

 クルスは剣を引き抜きながら背後へ向き、壁を斬りつけた。

「あらら」

 砕けかけた壁、それでも其処は壁であり、其処に道はない。だが、最初にクルスは壁を切り裂き、シャハルの前へ現れた。

 そして今、それと同じ方法で離脱する。

「……」

 おそらくこの場でただ一人、クルスがそうするとわかっていて、あえて手出しする気のなかった者と目が合う。その余裕のツラが気に食わないが、あれがこの局面で片手落ちを指摘しなかったから、活路は残されていた。

 逃げの一手が。

 必ず借りは返す。感謝もしない。

 それでも――

「アアウ!」

「……さすがに甘くないか」

 『墓守』の号令、それと同時に凄まじい速さで、槍使いが迫ってくる。明らかにクルスよりも速い。ノアに限りなく近い、人外のスピード。

 それが元々の戦力なのか、魔族化によるものなのかはわからないが――

「……ひゅー」

 独特の風切り音、吸気音は首無しの騎士が生命活動をしている証拠か。疾き事風の如く、首無しの騎士が近づいてくる。

 下水道の構造を頭に浮かべながら、クルスは逃げに徹する。

 まだ風切り音は遠い。

 が、

「……ぐっ!?」

 嫌な予感がした。充分に距離はあったが、それでもクルスは万が一に備え、かなり余裕を持った受けの備えをした。

 そう、余裕があったはずなのだ。

「……握りを石突に、リーチを伸ばした、か」

 ギリギリ、皮一枚での回避となる。余裕を持っていなければ、この時点で詰み。技巧もさることながら、詰めの段階でさらにもう一段加速を隠し持っていたところが厄介極まる。瞬間的な速度だけならば、ノアに匹敵する。

 見た目の大味さに反して、槍の技術も魔力のコントロールも繊細かつ絶妙。ここぞで絞り出してくる。

 この気配には覚えがある。

「……そうか、あの時の……秩序の騎士、メラ・メル!」

 しのいだ突き、あの握りでは力が出ない。槍を引き戻すしか選択肢はない。それに合わせて、クルスはここで一枚戦力を落とすためあえて接近を試みた。

 かつての自分は気配に圧倒されるばかりだった。

 だが、今はもう対等である自負がある。

「ひゅウ!」

 されど、

「ッ⁉」

 それは突き抜けた天才、メラ・メルを知らないだけ。そして槍の巧者との実戦機会に恵まれなかっただけ。

 此処からも槍は、如何様にでも変化できる。

 メラ・メルは槍から手を放し、身体を高速回転させる。放つは後ろ回し蹴り、中てるは、クルスではなく彼女の槍。

 槍に沿って詰めんとするクルスを、蹴りによって変化された槍の、強烈極まる払いがぶっ飛ばした。

「ひゅ?」

 背面で槍をキャッチしながら、メラ・メルもまた妙な手応えに小首をかしげる、ような気配を出した。

 決めたのに、手応えがなかったから。

「……」

 遠く、攻撃の破壊力がもたらした飛距離よりも、さらに遠く、クルスは飛んでいた。自らの跳躍も込み、で。

 ゼロでの受け、それが僅かに間に合わぬほどの、技の切れ、冴え。

 マリ・メルらには悪いが、全てが頭三つは抜けている。

 それに、

「……貴方とは、戦いたくない」

「あー」

 直線距離で近かったはずの戦闘に介入せず、回り込んできたもう一人の騎士もまたあらゆる意味で厄介である。

 メガラニカ最強の騎士、ピコ・アウストラリス。

 背後からの急襲、その初撃はしのぐも、

「あああああ」

「……テラが、憧れるわけだ」

 其処からの急戦が、クルスの想定を優に超える。本当に人か、と思うほどの歪み、自らもオフバランスを修めているからこそわかる、修めたか、極めたかの違い。

 瞬間的に体の可動、その限界を超える。

 中段の薙ぎ払いが、下段からの切り上げと化す。事前予測は即捨てる。これもゼロで捌かねば、手の付けようがない。

 何しろ、今までの常識がまるで通じないから。

 イールファスの後出しを、技術で再現しているようなインチキぶり。負担はかかっているのだろうが、それを軽減するための技術も一級品である。

 加えて当たり前のように、単純に速く、強い。

 このレベルとなると身体能力も魔力コントロールも天井に近く、同じだけ練り上げていたとして、やはり器の貧弱さが浮かび上がってしまう。

「……それに」

「ヒュゥゥゥゥウウウウ!」

「当然これもあるか」

 クルスとピコの間を縫うように、指向性を持った全てを刻む翡翠色の暴風が通過していく。槍の間合いを伸ばすようなそれは、

「……魔道」

 メラ・メルの魔道。

 魔族が持つ特異な力もまた、持ち合わせていたのだ。

 これではっきりした。隙あらば一枚でも持っていけたら、と淡い希望を抱いていたが、それは甘い目論見であったと痛感する。

 一対一でもきつい。

 それは剣のみでの評価。

 メラ・メルは力の一部を見せたが、

「あー」

 ピコはまだそれを見せてすらいないのだ。やはり逃げの判断は間違っていなかった。そのための布石も、正しく機能してくれた。

「嘘つきで臆病者、それではいけないなァ、クロスくぅん!」

 後方から、怒れる『亡霊』が現れた。

 それと同時に、膨張した巨大な腕が、人の枠を遥かに超えた力が、クルスに向けられて、彼の立っていた場所を砕いた。

「逃げるな卑怯者ォ!」

「逃げを打てるのも力の内だろ、計画性皆無のへっぽこリーダー」

「許さん許さん許さんゆるさんゆるせんゆるさあんゆるゆるゆるるるるゥ!」

 『亡霊』は怒りのあまり、発火した。

(……体を複数内包するだけじゃ、ないのか)

 怒りの炎が下水を焼き、クルスへ迫り来る。それを回避しながら、クルスは『亡霊』に自分を追わせる。彼らを盾に、二人の騎士を上手く機能させない。

 これがクルスの打った布石、挑発による保険である。

 ただし、

「ニィゲェルゥナァ!」

 決して『亡霊』も侮って良い相手ではない。その証拠に、

(あれは……百足か。炎を出せると思えば、身体を別のものに変換も出来るのか? ただ、形がそうだってわけじゃないぞ、あの光沢は)

 人の枠を容易く超え、身体を巨大な百足へと変化してこちらを追ってきていた。しかも炎をまといながら、である。

「ウゥ!」

 どぷん、壁から湧き出てきた『墓守』、その百徳スコップによる攻撃を、

「っ、お!」

 大きく跳躍して、傍目には無駄とも思える回避行動であったが、クルスの眼は捉えていた。イールファナが自慢げに語っていた機能の一つ、魔力の展開補助。身を守るための機能であるが、それを展開した状態でぶん殴れば盾で殴られるのと同じこと。その制圧範囲は、物理的な盾の範囲よりはるかに大きい。

 守るための、平和のための、力なのだが――

(技術に罪はない。あるのは、使い手の……クソが)

 その理屈は、イールファナをフォローするものであるが、同時にシャハルの擁護にも繋がる。その論法をクルスに振りかざすため、シャハルが『墓守』へそれを提供したのではないのか、と邪推してしまうほど、この状況はクルスに刺さる。

「オイツイタァ!」

「追いついてねえよ!」

「イイヤァ」

 まだ間合いはある。『亡霊』の巨体が邪魔で、メラ・メルでさえ追いついてこられない。あとは逃げ切るのみ。

 そう思った瞬間、

「っ⁉」

 目の前で爆発が起きた。大きくはない。ダメージもほとんどない。だが、何もないところでの爆発である。

「ヤルナ ヲ マモルゥ!」

 さらに爆発が、クルスの周りで巻き起こる。

(発火の、あとに、雪のような……モノシランか!)

 自然発火性の特殊ガス。主に導体の製造工程で使われるものであるが、有毒であり空気に触れると自然発火する性質を持つ。

 魔導学でも工学分野で習うものである。

 あの百足の姿と、あれがまとう炎とはまた別。その辺にあるセパレートガスとは違う。濃度次第では発火だけではなく、シランの毒性も牙を剥く。

 物性はわかってもどういう能力かはわからない。

 ゆえにクルスは息を止め、遮二無二全力で駆け出した。

「ぐっ、うぅぅう」

「モット チカヅケ モット オモシロイ ガス アルヨ」

 爆発それ自体のダメージはほとんどないが、まるで身体を痛めつけるかのように、様々な部位を狙い爆発する衝撃は、精神をゴリゴリ削っていく。

 勝てない。比較的やりやすいと思った『亡霊』の千変万化ぶりは、情報も何もかもが足りない今、勝負を避けるには充分な理由となる。

 騎士二人以上に、下手をすると『百』にも及ぶ力を持つ恐れがある『亡霊』は厄介極まる存在であった。

 それでも怒れるあれが蓋をしてくれているのが唯一の活路。

(……騎士に、あるまじき)

 一人の責任で、撒けたならよかった。よくはないが、それでも勝てない相手から退くのもまた、最後には守り勝つために必要な騎士の処世である。

 だが、ここからクルスが取る道はそれですらない。

 本末転倒、しかし、もはやそれしかない。

(すまない)

 クルスは跳躍、壁を蹴り上げ、天井に向かう。

「ナントォ コレハコレハ ドコマデ キミハァ ヒキョウナンダァ!」

 濃縮したモノシラン、最も爆発が大きくなる組成の大気状態と共に、クルスの目の前で炸裂した。

 しかし、

「ぐ、おお!」

 その直前、クルスは天井へ剣をぶん投げる。それが突き立ち、糸の如くか細く、自らが形成した貧弱な魔力による線を頼りに、身体を引き上げる。

 あえて爆発に当たるように、いや、その上に体を持ってくるため。

 強烈な爆発が、クルスを跳ね上げる。

 その力の流れに乗り、

「あああッ!」

 天井に突き立つ騎士剣を再度起動、全力で振るい天井を斬り抜く。

 あとは、

「がぁッ⁉」

 爆発による推進力が上へ、地上へ運んでくれる。

 地上と下水道の位置関係、継ぎ接ぎ工事の甘い部分を狙ったのだ。万が一の備え、知識が生きた。ただし、肉体へのダメージは甚大であるが。

 その上、問題は何も解決していない。

「ひゅう!」

 地下より伸びる風の槍、それが地面を穿ち、クルスは咄嗟に回避するも――

「しまっ――」

 たまたま地上に居合わせた千鳥足の市民、そちらへ向かう。

 あの翡翠の風は、ただの人間など容易く貫くだろう。

 だが、

「んあ、地面が、壊れて、人が出てきた……酔い過ぎたなぁ」

 男の喉元で、翡翠の槍は、まるで花弁がほころぶように、大気に溶けて、消えた。民間人を巻き込んでしまった、それに顔を歪めていたクルスは眼を剥く。

 そのまま酔っ払いは歩き去っていく。

 クルスは自らがぶちあけた穴から地下を覗くと――

「……」

 其処にはすでに誰の姿もなかった。

「……騎士の矜持、いや、それは望み過ぎか。まだ、表舞台に立つ気はないってことだな。クソが、くく、無様に、返り討ち、かよ」

 マリウスの件を仕込んだ奴を討つために追ったのに、ものの見事に返り討ち。その上、クルスは単独では勝てないと判断し、この国の騎士を、イリオスの皆を、民すら巻き込むつもりであった。集団戦なら、能力を読み解く時間もある。

 上手く皆を使えば、犠牲は多く出るだろうが戦えた。

 そう、彼らが退かねば、必ず犠牲は出た。彼らが、ファウダーがそれを避けただけ。一人では何も出来なかった。

 それがクルス・リンザールの心を裂く。

 顔を、ぐちゃぐちゃに歪めながら、

「二度と、こんな無様、さらすものか」

 自らに誓う。

 この日の敗北を、自らに刻み込む。


 これがこの日より始まる、秩序の騎士クルス・リンザールと混沌の獣たち、ファウダーとの戦いの序曲であった。

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