第242話:怪物対怪物

 人が魔族に成る。

「……うそ」

 その光景を間近で見た。しかも知人である。背後のソフィアにとっては旧知の仲、動揺は計り知れぬものがあろう。

 クルスとて人が魔族に成る、その景色は見たことがあっても、当たり前だが自分の眼で見たのは初めてである。動揺はある。怒りもある。ソフィアほどの関係性はなくとも、クルスにとっても赤の他人ではないのだ。

 いい人だと思っていた。

 だが、人には見た目に現れぬ側面がある。どれだけ長い付き合いがあろうとも、血縁があろうとも、他人である限り最後の一線何もわからない。見えない。

 心の揺らぎ、早鐘のように揺れている。鳴っている。

 だけど、

「……集中」

 改めてクルスはそれを削ぎ落した。

 感覚が澄み渡る、研ぎ澄まされる。『先生』がくれた戦うための武器、騎士として立つための心構え。

「アアアアアア!」

 初手、魔族と化したマリウスは地面に腕を突き立てる。王宮と塔を繋ぐ通路、それを破壊せんとする一撃。それを見た瞬間、クルスは即座に塔の方へ後退した。優先順位は王女の命の確保である。

 ゆえにクルスは迷いなく塔側の通路を騎士剣で切り裂く。塔すら巻き込みそうな倒壊を、通路のみで留めるための切り込み。

 これで、崩壊するのは通路のみ。

 王女は塔に、自らが相手を通さねば、到達させねば王女は無事。これで舞台は整った、崩れ、傾き落ちる通路の端で、手すりに捕まりながら、

「やるか」

 さあ、仕事の時間だ、とばかりに敵を見下ろす。


     ○


 ユルゲンは王都を走りながら、とんでもない光景を見た。王宮と離れの塔を繋ぐ大きな通路、それが何者かの手により崩されたのだ。

 砕け、倒れ、通路が壁に成る。

 其処で、

「ほ、補佐! あ、あれ!」

「……ヨナタン、あれが本物です。如何なる状況であろうが、微塵も揺らがぬ心。我々凡人が持たぬ、才能です」

 ほぼ九十度の絶壁と化し、揺れ、落ち、そんな足場とも言えぬ場所で何かと戦うは一人の騎士。手すりの僅かな凸などを足場に、縦横無尽に、まるで何でもないと言わんばかりに戦い続けている。

 普通の者なら、訓練を積んだ騎士でさえ、あんな足場ではまともに戦えない。戦う方法をひねり出す前に、重力に引かれて落ちるだけ。

「……自分、準御三家受験しなくてよかったかも、です」

「安心してください。あんなのは御三家でも十年に一人ですよ。まあ、そんな十年に一人が固まって現れるのは、世の不思議ではありますが」

「相手、魔族ですよね? 遠目で、いまいちわかりませんが」

「そのようです」

「ダンジョンがどこかにあるとか?」

「不明です。今はとにかく、一刻も早く殿下の元へ!」

「い、イエス・マスター!」

 星明り、月明かり、街の灯などの照り返しで其処に何かがいるのはわかるが、部分的に透明であるのか、どうにも見づらい。

 見づらいが、

(……副、団長)

 異形と化した魔族の衣装、破れ、千切れ、断片しか残らぬ中に、ユルゲンは副団長を見出してしまった。

 ゆえに唇を噛む。

 状況はわからない。わからないが、恐れていたよりもずっと、最悪の事態であることだけは理解できた。理解できてしまった。


     ○


「……」

 初手で足場を崩され、普通なら混乱の極みに立つところを、微塵も動揺することなく自分に出来る動きで、戦闘を継続する。

 その冷静さが武人には異質に映る。

「うん、僅かな凹凸でも、先端を引っ掛けることは出来る。引っ掛けるだけの抵抗があれば、少ない魔力量でも姿勢維持は問題なし、か」

 本来、まだあまり多くない生体の魔族化、その実証実験として彼を観察すべきなのだが、シャハルの視線はずっと騎士の方を追っていた。

 興味深そうに、嬉しそうに、

「柔軟性、体幹も鍛え上げている。あの頃よりも、何もかもが向上しているじゃあないか。その伸びが、ボクに教えてくれる。君の歩みを、苦悩を、手に取るように」

 天才の脳裏にはサマースクール時点のクルスから今のクルスを比較し、その年月と彼の性能、当時調べた骨格や筋肉の質などを通し、どう成長したのかを推測し、その絵が浮かんでいた。彼がどう鍛え、どういう経験を積んできたのかを。

「素晴らしい」

 あの出力でも、完全な平面でなければ、直角な壁でも戦える。其処に至る過程に、シャハルは感動すら覚える。

 諦めず、絶えず、たゆまぬ努力を積み続けた。

 その精神性に。

「加勢しますか?」

「今、集中しているんだ。わかるだろ? 馬鹿な質問するなよ」

 視線の一つすら寄越さず、シャハルは手駒の提案を蹴飛ばす。考えるに値しない、ゴミのような提案であると。

 口を閉ざせと、言われずともわかる。

(殺してやる。必ず、この私の手で)

 戦いは加速する。

 だが、地の利を得てなお――


     ○


(能力は掘削能力と、ガラスを飛ばす程度、か)

 クルスは絶壁と化した通路で戦いながら、相手の能力を探っていた。騎士のセオリー通り、自分なりの安全圏で戦ってきた。

 そしてある程度の把握を終えた。

(兵士級よりはさすがに強いが、戦士級でもかなり下ってとこだな)

 問題なく勝てる。

 ただ、油断はしない。魔族によっては追い詰められるまで能力を隠しておく個体も少なくない。それも込みで、あくまで安全に詰めていく。

「アアアアアッ!」

 通路の中腹を破壊し、上で相手を受け待ちしていたクルスを下へ落とす。相手の戦力をある程度把握した今、近接は望むところ。

 落ちるクルス、跳躍し破壊しに来るマリウス。

 すれ違う。

「ガァ⁉」

「……ちっ。あの鱗、刃筋が合わん」

 足場、とも思えぬ突起などを幾重にも飛び跳ね、地面に降り立つクルス。上からマリウスが、叫びながら落ちてくる。

 すれ違いざま、切り裂かれた血をまき散らしながら。透明な鱗のせいで騎士剣が通り辛いが、浅くともカウンターをしっかり決めていたのだ。

「アアアアイッ!」

 落下、大地がめくれ上がる。地面なら、地の利は己にあると言わんばかりの勝ち誇るような、誇示するような咆哮。

 それを見て、

「……獣だな」

 クルスは相手の知性も推し量り切った。マリウスにとっても地面は能力が通りやすく、戦力は上がるのだろうが、同時に非力なクルスが地面を得ることもまた戦力アップなのだ。優劣に変化はない。

 むしろ、

「来い」

 足場へ無駄な思考を割く必要がないクルスの方が有利。

 そんな戦いの様子を、

「す、凄過ぎる」

「手を出すな。あのレベルの騎士に援護は不要だ」

「い、イエス・マスター」

 通路の崩落を聞きつけ集まったテウクロイの騎士たちも見ていた。何故王宮に魔族が、ダンジョンは何処だ、など混乱はあったが、それも騎士クルス・リンザールの戦いを見て吹っ飛ぶ。同業ゆえにわかる、隔絶した戦力。

 イリオスから出発した列車に、突然現れた暗殺者を捌いた。

 アカイアを襲ったダンジョンの、巨大な戦士級の撃破に貢献した。

 その話は聞いていた。だが、同時に所詮は学生だろう、と言う思考もあったのだ。対抗戦のような対人戦では、騎士の真価はわからない。

 戦士級の撃破とて、討伐補佐であるし何処まで貢献したのかも不明瞭。となれば軽んじてしまうのも仕方がない部分はある。

 だからこそ衝撃的であるのだ。

 見積よりも遥かに超越した化け物、であったから。

「あれだけ能力を使うんだ。弱くはない。間違いなく戦士級はある」

「なのに、なんだこれ。気持ち悪い」

「弱く、見える」

 騎士側が強過ぎて、まるで危険に見えない。しかも騎士側が、しっかりと相手の能力の拡大、拡張すら警戒しているから、なおさら。

 御三家の頂点、傑出した世代のトップとはもう、同じ道を志す者からしても化け物にしか映らないのだ。

 超人の中の超人、それはもう――

「アアッ!」

「女王に比べれば――」

 鋭利なガラス片を飛ばす。無数に相手を切り裂く攻撃、決して弱くはない。むしろ広範囲攻撃として厄介な部類に入るだろう。

 だが、クルスはその場で、全てを見切り捌き切って見せた。

「児戯」

 当然のように無傷で。

「刃の入れ方も、わかった。次で決める」

 クルスの圧が増す。マリウスも、それを獣の勘で察知したのか、一歩後退する。それでも獣に後退はない。後退しても、帰る場所がないから。

「クルス! お願いします!」

 塔を自らの足で降りてきた王女、ソフィアは息を切らせながら声を張る。

 その後に続く言葉を、クルスは容易に想像できた。

「生け捕りにしてください!」

 当然、そう言う。

 だが、

「……」

 その選択肢はない。

「クルスッ! 命令です!」

 聞こえない。

「殿下、失礼しますッ!」

 全力で駆け、ここまで戻ってきたヨナタンが王女の口を塞ぐ。そして、彼に王女の拘束を命じたこの場の、イリオス側の現場責任者となった、なってしまった男は静かに、されどよく通る声で、

「副団長、補佐として命じます。敵を討て、クルス・リンザール」

 クルスが動きやすいよう、すべきことを命じた。

 それがなくともそうしていたが――

「イエス・マスター」

 クルスもまたその命に応ずる。

(……押し付けて申し訳ありません。本来なら、我々がすべき仕事です。ですが、我々には力が足りない。今は数も……何が、プロ。恥さらしが)

 ユルゲンは様々な感情と共に溢れた涙をぬぐい、せめてその結末は見逃すまい、と彼らの決着を見る。

 受けて、立つ。

 騎士の気配が消える。圧も、何も、透明に透き通った。

 その瞬間、獣は叫びながら突貫する。

 牽制のガラス片を飛ばし、

「アアアァッ!」

 騎士剣を振り上げ、それを振り下ろした。

 その上段からの一撃は、元の体に染みついた動き、マリウス・バシュが得意とした上段からの袈裟斬り、であった。

 炭鉱夫の息子が、必死に積み上げた努力の結晶。

 それを、

「……」

 掻い潜り、無情の一撃が煌めく。獣の雑な一撃に合わせるよりも、騎士が丁寧に積み上げた見に合わせる方が容易いのは皮肉か。

「……ぁ」

 相手の剣を受け流し、返しの剣を袈裟懸けに打ち込み、両断する。特殊な鱗、その感覚も掴んだ。

 だから、

「丁寧な、良い剣でした」

 怪物の体は、地面にずり落ちた。生存を許さぬ、完全な決着である。

 怪物の血が噴き出し、とどめを刺した騎士へ血の雨が降り注ぐ。騎士はそれを避けずに、ただ浴びていた。

 血が、頬を垂れる。

 ほんの少しの時間だけ騎士を捨て、感情に浸る。

 そして、

「……見えてるぞ」

 血を拭い、ある場所に視線をやる。

 騎士として。


     ○


「……今!」

「おっと、見つめ過ぎたね」

 これだけ離れてなお目が合った。常人なら望遠鏡を使う距離である。それでもこちらが覗いていたのだから、あちらも覗けるのは道理。

 実に見事な視野である。

「余所見の余裕があるとは。もう少し素体が強ければ」

「あはは、相変わらずだねえ、君は」

「え?」

「いや、何でもない。こちらの方が先んじてテウクロイに入ったから土地勘は勝る。これだけ距離があれば撒けるでしょ。さ、逃げるよ」

「はい!」

 シャハルらは逃げを打つ。今のクルスを侮る気はない。充分に経験を積んだ秩序の騎士と考え、全力で逃げる。

 まだ再会する気はないのだ。

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