第240話:絡み合う思惑の行き着く先に――
「上機嫌ですね」
「そりゃあね。ようやくお披露目が出来るんだ」
テウクロイの王都でも最高級のホテル、見晴らしのいいバルコニーからぶどう酒片手に壮大な実験を観察する。
片方は観察対象、片方は自分の作品。
きっと彼の心は揺れるだろう。
「まあ、まだ再会を果たす気はないけどね。これから少しずつ、秩序の騎士である彼と混沌を楽しむボクが関わりを深めていくのさ。実に素敵じゃないか」
「……」
「君だって万全じゃないだろう?」
「……すでに回復しています。学生風情に負ける道理はありません」
「はは、そうか、そうか」
主への忠義か、武人としての意地か、はたまた別の何かか、どちらにせよレイル・イスティナーイー、いや、シャハルの眼に彼女は映っていない。
それが彼女を苛立たせる。
「そろそろ『墓守』が動く頃合いか。これはサービスさ、我々からのね。彼のことだから指示以外の棺も持ち込んでいるだろうし、『亡霊』も現地入り済み。彼らは彼らで、じっと観察しているだろう。因縁もあるからねえ」
「……何があろうとも、彼らの出番などありません」
「もちろん信頼しているとも、君はボクの騎士だからねえ」
「はい。必ずやご期待に応えて見せます」
「期待しているとも」
シャハルの眼が闇夜に動く者を捉える。
それから少しして、
「彼も動き出したね。ふふ、白々しい動きじゃないか。盤上を俯瞰した動きと言うのは、さらに上の視点から見ると滑稽に映る」
興味の対象もまた動き出す。
「さて、高みの見物と行こうか」
シャハルは満面の笑みを浮かべ、その滑稽なる舞台を睥睨する。
○
闇夜に紛れ人影が駆け抜ける。音もなく、されど急ぎで、王都の下層へ、下町の方へと向かっていた。
その先には政府も手が出し辛いスラム街があり、無法地帯に近い特別な区画となっていた。そこからさらに進み、路地の奥へ進むと――
「……」
一枚の扉があった。其処に辿り着いた人影は周囲を警戒しながら、不規則に扉へ指を打ち付ける。その音で、扉の先にいる者へ意思を伝えているかのように。
だが、
「……?」
全て打ち付けても反応が返ってこない。見張りが休んでいるのかと先ほどよりも強く、明朗に打ち付けるも、やはり返ってくるのは沈黙だけ。
「……まさか」
扉は施錠されているが、人影は確認せずに扉を蹴破った。急ぎである。予想が外れていたら、見張りのせいだと言うだけ。
重要なことがあるのだ。
とても、重要なことが――
(……クソ、もぬけの殻、か。いや、これは悪くない。あとは俺がやり取りした証拠だけを消せば、まだ活路は残されている)
少し前まではそれなりの人がいたのだろうが、今は誰一人いない拠点。おそらくは急ぎ、闇夜に紛れ王都を抜け出たのだろう。
彼らのような素人集団にしては英断である。
足手まといが残るよりもずっとまし。
あとは――
(何処だ、俺の、手紙は。連中の使う暗号なんざすぐに解読される。筆跡は誤魔化したが、用紙の製造元まで辿られたら――)
家探しをする人影。
そして、
「……ない」
証拠となる手紙が見つからない。もしかすると彼らが処理したか、確かに彼らにとっても内通した証拠は処分したいだろうが、処分したと確認が取れねば安心はできない。彼らがそういう組織として成熟しているのなら、彼らの危機回避能力に託してもよかったが、人影は彼らのことを信頼などしていなかった。
間抜けな身の程知らずども。王女を襲った事実さえ作ってくれたなら、その成否などどうでもよかった。これで最低限の任務は――
「こんな夜更けに何をお探しですか?」
「ッ⁉」
人影の背後、声をかけたのは銀縁の眼鏡が闇の中光る、イリオス騎士団副団長補佐ユルゲン・コストマンであった。
「ユルゲンッ」
人影は即座に騎士剣を抜く。
それに対し、
「諦めなさい」
ユルゲンは一つ手を叩くと、彼の後ろから灯りを持った騎士たちが何とも神妙な面持ちで現れた。その中にはヨナタンもいる。
そして彼らの持ち込んだ灯りに照らされたのは――
「ヴィルマー・アイヒンガー」
同じくイリオス騎士団副団長補佐であるヴィルマー・アイヒンガーであった。姿を極力隠しているが、その抜き放った騎士剣が何よりもの証拠。
そんな彼の姿に、騎士たちは悲しげに顔を歪めた。
「……なるほど。詰み、か」
ヴィルマーは騎士剣に魔力を流すことをやめ、無力化したそれを放り投げ両手を挙げる。参りました、とばかりに。
「何故、と一応聞いておきましょうか」
「よくある派閥争いだろ?」
「殿下を害するのはその範疇から外れているでしょうが!」
「そう怒るなよ。これで出世は確実、席が二つ空くわけだ」
「……裏で糸を引いていたのは団長でしたか」
あっさりと白状するヴィルマー。ユルゲンも別に驚きはしない。その可能性は常に考えていたから。それが今、彼の言葉で確定しただけ。
「そりゃあそうだろ。長年勤めていたのに、急に陛下から肩を叩かれて勇退しろ、後任はマリウスの旦那だって……そりゃあキレるさ」
「勇退後のポストも用意されていたでしょうに」
「はは、正論だな。でも、その正論が感情を逆撫ですることもあるんだぜ? 鉄面皮のお前にはわからんだろうが……今の国に不満を持つ者は少なくない。テウクロイを笑えねえよな? 旦那だって――」
「団長の勇退を陛下に勧めたのは、ディクテオン殿です」
「……は?」
今まで軽薄な態度を取り続けていたヴィルマーは、ここに来て初めて顔を歪めた。ユルゲンの一言で、ようやく気付いたのだ。
自分たちが、
「は、はは、あのたぬきジジイ。そうか、そういや、息子はテメエと同期だったか。騎士科と貴族科で。俺らはたぬきに唆されて踊った阿呆で、テメエはたぬきの使い走り、と来た。はっはっは! こりゃあ愉快だ。クソがァ!」
イリオスの大貴族であるディクテオンの掌で踊る阿呆であったことに。
王に団長の勇退を促し、その団長の味方面をすることで不穏分子を派閥としてかき集め、一斉に掃除するための策。
現体制に不満を持つ自分たちはまんまとたぬきの口車に乗り、意気揚々と存在しない錦の旗を振りかざしていたのだ。
あまりにも間抜けであろう。
割れているように見えたイリオスは一枚岩だった。その岩の純度を高めるために、自分たちは脚本通りに踊り、こうして墓穴を掘った。
自分たちが収まる墓穴を。
「……旦那も、そのことは?」
「いえ、副団長に腹芸は難しかろう、と」
「そうか。なら、少しはマシだな」
ヴィルマーは力なく崩れ落ちる。別にディクテオンや今の団長に心を許していたわけではない。裏切られた、とすら思わない。
ただただ、己の愚かさを呪う。間抜けを自嘲する。
「団長には何と命じられていたのですか?」
「別に。ただ失敗させろ、と。あのジジイが投げっぱなし親父なのは知ってんだろ? 部下の手柄は自分のもの。そうやって団長になった名門のクソだぜ?」
「そのクソに付き従ったのは、貴方でしょうに」
「他に行き場があるか? お前が来て、俺は梯子を外された。今度は他所から学生連れてきて、くく、御付きと来た。確かに優秀だったよ、ほんと、化け物だな。あのガキさえいなけりゃ、俺も少しは上手くやれたのにな。ジャブ打ったら詰められた。だけど、要らねえだろ、あの性能。うちの騎士団にさ」
「……彼が言っていたように、今回限りですよ」
「そうか? ワンチャン、って多少頭にはあっただろ? それがさ、むかつくんだよ。なあ、ヨナタン。俺の言っていること、何か間違ってるか?」
「……それは」
突然言葉を向けられ、上手く言葉を紡げないヨナタンは口ごもる。
「旦那はヨナタンが御付きに後ろ向きなのは知ってただろ? だから、良かれと思って他所から代わりを見つけてきた。よかったな、これで面倒ごとから解放されるぞって。いい人だけど、ちょっと足りねえよな。もう、遅いんだっての」
「……」
「ま、御付きの件は我らが王女様の意向もある、か。あのガキも上手くたぶらかしたもんだ。しっかし陛下も思い切ったなあ。さすが正論大好き国家、其処までやるとは恐れ入ったよ。それともあれはディクテオン様の独断かね」
「……何の話ですか?」
「最初の襲撃、俺はあれでディクテオン殿は本気だって理解したんだがね。まんまとやられた。それとも段取り通りだったか? あのガキの動きも思えば出来すぎ――」
「何を、言って」
困惑するユルゲンを見て、ヴィルマーは眉をひそめる。
「おいおい、今更隠すなよ。たぬきの仕掛けだろ、あんなの。その使い走りのお前が知らないわけないだろーが」
「……あんな真似、するわけないでしょうが。私は逆に、ここまでやるのかと、だからこそ国外の方を警戒していたと言うのに」
「……おい、そりゃあ」
ユルゲンはヴィルマーら不穏分子、もしくはアカイア、テウクロイの反抗勢力を疑い、ヴィルマーは自分のバックについているディクテオンの仕掛けだと思っていた。そして今、判明する。
それがどちらの仕掛けでもないことに。
「今、クルス・リンザールは何処にいますか?」
震える声で、ユルゲンは部下たちに問いかける。
「いえ、自分は見ておりません」
「自分も」
「自分は見ました。ただ、最初の方に人影を追って動き出した、ようでしたし、ここに到達していないと言うことは見失いはぐれた、のでは?」
部下の何名かは、最初の方に動き出した彼を目撃している。
だが、ここにはいない。
「ありえません」「ありえねーだろ」
ユルゲンとヴィルマーの声が重なる。どちらも、その声は震えていた。
彼らは気づいてしまったのだ。
○
「なんだ、これは」
イリオス騎士団副団長、マリウスはあまりの光景に顔をしかめていた。王宮を守るテウクロイの騎士たちと思しき腕や足が床から生えている奇異。
尋常なる事態ではない。
「姫様! どちらにおられますか!?」
マリウスは全力で叫びながら駆ける。自分が守るべき国家、その象徴である王家の後継者。己が身命を賭してでも、この剣にかけて守る。
自らの実力が今一つなのは重々承知。
それでも――
「姫様ァ!」
守るのだ。そう言い聞かせて走る。
そして、
「マリウス」
彼女の声がした。ほっとしながらマリウスは声のした方へ向かった。よかった。これで助けられる。これで守ることを、使命を果たすことが出来る、と。
王宮の離れに立つ尖塔、其処にソフィアはいた。
マリウスは安堵に胸を撫で下ろしながら、
「姫様、マリウスが参りました。もうご安心ください。御身は私が、身命を賭し守り抜いて見せます。今、そちらへ参りますので――」
その塔に繋がる唯一の通路を進もうとする。
だが、其処に一人の騎士が立つ。
「夜更けにご苦労様です、副団長」
それは、
「クルス君か。なるほど、君が守ってくれていたのだな。あの奇異な状況を見たか? 明らかに尋常ではない。すぐに皆を集め、対策を講じねば」
クルス・リンザールであった。
「ええ。驚きました」
「そうだろう? 私も驚いて――」
「貴方が驚いていることに、ですよ」
「……君は何を言っている?」
「床を断ち切り、先ほど中身を確認した。そのまま埋められたのもいるが、五体を切り裂かれた死体もあった」
「なんと惨い。明朝、姫様をイリオスへ戻すよう早急に作戦を立てねば」
「その血濡れた剣を握り、まだそんなことをほざくのか、貴方は!」
クルスは剣を引き抜き、構えた。
「マリウス・バシュ!」
血濡れた剣を握り、半身が血に塗れるほどの返り血を浴びた騎士、マリウス・バシュは自分の手を、剣を見る。返り血も見えているだろう。
だが、
「……?」
こくり、と首を傾げた。
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