第236話:次なるステージへ

 その報せが彼女の下へ届いたのは随分経った後であった。

「……」

 あまりにも大き過ぎた今回の事件、被害者の総数は未だにはっきりとせず、アースの時よりも遥かに大きな、それこそ魔導革命後最大規模の被害が発生していた。その結果、どうしても一人一人の死、その扱いはゼロに等しくなる。

 だから、それは古巣からの、オーリンからバルバラへ宛てた手紙であった。

「……エフィム」

 かつて先達として、弟分のように思っていた後輩である。顔合わせこそ憧れのオーリン、その敵であったため尖った対応をされたが、それすらも今となっては可愛らしい、いい思い出である。まあいい思い出なのは彼女がぶん殴って心をへし折ったからなのだが、それは横に置く。

「今のあの子が……いえ、戦場だったのですから、誰にとっても不幸はある。それがあの子であっただけ。それでも――」

 自分が現役の頃はまだまだ拙い部分もあり、まったく負ける気はしなかったが、この前再会した時には逆に、どうやったら勝てるのか、勝てる気がしないと思わされた。強くなっていたのだ。あの時よりもずっと――

『勝ち逃げなんて狡い!』

『私の引退です。貴方には関係がない』

『……っ』

 あの頃は若く、まだまだ未熟者な青年だった。

 未完成で、それでも器の大きさは見て取れた。

『それでは』

『な、なら、俺が勝ったら結婚してください!』

『……は?』

『それなら、関係あるでしょ。この先ずっと』

『そういう言葉は大事にしなさい。軽々に使うべきではありません』

『軽い気持ちだと?』

 青く、本気の熱が籠っていた。

 だから、

『……いいですよ。勝てたなら、そうしましょうか』

 ずっと一人で生きてきた自分には重く、若き思いを受け止めるのが怖かった。結局本気で打倒し、彼の青春をへし折って去ったが――

 前回の再戦、それを持ち出さなかったのは思いが風化したのか、それとも闘士としての情か、どちらにせよ大人になったのだろう。

 強く、完熟した。

 拳闘からパンクラチオンを経て完成した徒手格闘家、エフィム。オーリンもいずれは彼を団長に、と考えていただろう。

 だから、信じられない。

 今の彼が敗れることが、

「……」

 あまりに想像が出来ないから――


     ○


「もう体は大丈夫ですか?」

「何度目ですか、姫様。何度も申しておりますが万全です」

「でも、心配で」

 御付きであるクルスと他愛ない話をしながらソフィアと彼女の護衛一同はアカイアを発つ列車に乗っていた。滞在中(クルス入院中)は各地を回るも特に何事も起きず、と言うよりもクゥラーク団長であるオーリンの圧が凄過ぎたと言うべきか。

 とにかくつつがなく公務を終えることが出来たので、こうして何事もなく出立の日を迎えることが出来ていた。

 彼女が王都に戻る頃にはクルスも退院(ドクターは難色を示したが)、万全であると言い切り御付きの任に戻っていた。

 もう間違えない。

 この移動中も、テウクロイでも彼女を守り切る。功を焦ることもなく、自らの力を過信することもなく、出来ることをやり切る。

 それがここからのクルスのテーマであった。

 ちなみに今回は二両を貸し切り、クルスたちが一両目で姫を直接護衛し、二両目に騎士たちが後ろの車両に警戒しつつ待機する、と言う編成であった。

「あら、そう言えば勲章はどうされたのですか?」

「任務の妨げになると思いまして、一足先に学園へ送りましたよ」

「まあ、ずっと付けていればいいのに」

「恥ずかしいですよ」

「そんなことありませんよ。誇らしいことです」

 今、ソフィアが言った勲章とはディン、ソロン、クルス、そしてミラの四人にアカイア王家から贈られた黒鉄騎士勲章のことである。

 これはアカイアが騎士に贈る勲章の中でも最高峰であり、大きな功績を挙げた騎士もしくは団長として退団まで勤め上げた騎士に贈られるもの、となる。

 とても名誉なことであり、対外的にもかなり強い意味を持つ。

 なお授賞式は状況が状況ゆえ簡素であり、それすらクルスは入院で出席することが出来なかったのは内緒である。

 例年なら充分、オファーに値するものであろう。

 授与者四名の内、うち一名はすでにオファーを得ており、一名を除き二名ともユニオン入団を希望していなければ。

 しかも討伐者はディン、クルスは討伐補佐である。

 この件でユニオンがオファーを出すのなら、ディンの方になってしまうし、ソロンの名もある以上、やはり功績も分散してしまう。

 おそらく、この件でオファーを貰うことは難しい。と言うよりもクルスが貰うならディンも貰える、と言うことになる。

 三人で前代未聞、四人はありえないのに、五人になることはまあない。

「あの、ところで、少し席を外してもよろしいでしょうか?」

「お供します」

「え、と、出来ればマリウスにお願いしたいのですが」

「何か自分に至らぬところがありましたでしょうか?」

「く、クルス君、これはそういうことではなくてだね」

「ですが――」

 もう手抜かりなどするものか、と固く誓った身である。マリウスが不足とは思わないが、最初の刺客を思えばやはり自分がついていたい。

 理由もなく持ち場を離れさせられては今後に支障をきたす。

 そう考えていたのだ。

 すっごくお堅く。

「ぉ……ぉて、ぁ……です」

「必ず改善いたします。ですので、どうかお許しいただけないでしょうか?」

 マリウス、あちゃーと額に手をやる。

「お手洗いです!」

「……? 入口までお供しますが」

「クルスくぅん」

「もういいです! ついてきてください!」

「お任せください。御身の安全を確保して見せます」

「……」

 ソフィアは顔を真っ赤にして少し憤慨し、クルスはこれであとは自分の仕事だ、と奮起し、マリウスはやれやれと首を振る。

 少し離れたところで、

「……ぷぷ」

「あ、あいつにも足りないものがあったんですね」

「笑うのは失礼ですよ、ヨナタン」

「それはこっちのセリフです、補佐。デリカシー不足ですよ」

「ぶふぉ」

 車両の出入り口を固めるユルゲンとヨナタンが笑い出しそうになるのを必死でこらえていた。意外とお堅そうな見た目だが、ツボに入ると笑いが止まらなくなる、と言うのは割とどうでもいい余談である。

 そんな様子を、

「呑気だねえ。まあ、穏やかなのは良いことだけどなぁ」

 同じく補佐であるヴィルマーが見つめていた。

「ま、浮かれるのも当然かね。昇進目前なわけで」

「補佐」

 近くの部下が半笑いでたしなめる。

「いやいや、一般論一般論。人間、出世したくないと言いながら、出世する時は喜ぶものだからさ。今回のお仕事が成功すれば旦那が団長に、その後釜にユルゲン君ってのは公然の噂だろ? みーんな知ってる」

「そりゃそうですけど」

 イリオスの騎士なら大体の者が知っている。すでに現団長の任期も長くそろそろでは、と思っていたところに今回の仕事である。

 副団長であるマリウスが主導、と言うのがすでに匂うし、風の噂では王から直接団長昇進の打診を受けた、とも言われている。

 なら、自動的に副団長の席が空く。

 其処に座るのはおそらくはユルゲン、と言われているが――

「補佐はそれでいいんですか?」

「もちろん。出世しても大変だよ、お前らのケツ拭かなきゃいけないんだぜ?」

「ひでえ」

 役職は同等、だが団歴はヴィルマーの方が長い。先輩である。序列的には彼の方が上である。だから、部下としては触れづらいところなのだが。

「ささ、お仕事お仕事。緩め過ぎずにつつがなく終わらせましょ」

 当の本人に気にする様子はない。


     ○


 アカイアから研究所に送られてきた魔族の遺骸、その引き渡しに責任者である第十二騎士隊隊長、レオポルド・ゴエティアが同席する。

 搬入自体は担当者、搬入業者のすべきことなのであくまでいるだけ、暇なのでディンがアカイアへ提出した報告書に目を通していた。

「……ん」

 内容も興味深いが、より目を引いたのは――

「……アリス、か」

 今回のヌシ、その個体名であった。名付けした者が誰なのか、その理由などは記載されていないが、そんなもの読み解くまでもない。

 彼女の名を知ることが出来る者は、あの場に存在しないのだから。

(多少つながりを持とうが、起きているあの御方と繋がることは不可能。心を閉ざしているはずだ。可能性があるとすれば、揺らぎを利用し彼女に介入の隙を与えぬこと。もしくは、彼女を知る者。どちらにせよ――)

 クルスの変化、それに妙な予感もあった。やはり、と思うしかない。イドゥンの介入があった、それ以外に考えられない。

 おとぎの国、女王アリス。

 懐かしき響きである。最後の最後で、自分たちが取りこぼしてしまった守るべき者たち。しかも、出来なかった理由が儀式に対する賛成派、反対派による内輪もめであるのだから、合わす顔がない。

 あるわけがない。

「少し拝見しても?」

「構いませんよ、マスター・ゴエティア」

「失礼するよ」

 レオポルドは遺骸の表情を見たくなった。十中八九、いや、絶対に其処に浮かぶのは怒りであり、憎しみであり、復讐を果たせなかった絶望であるはず。

 だからこそ、見ておかねばならない。

 そう思っていた。

「……そう、ですか」

 そう思っていたのに、怪物の外見故わかり辛いが、それでも其処には確かに、呪いが解かれた跡があった。

 男にはそう見えた。

(ならば、見たのだろう。知り、背負い、その上で介錯を……そうか)

 レオポルドは搬入業者に一礼し、その場を離れた。

(俺には、たぶん出来なかった)

 魔道研究者として、レイル・イスティナーイーを失うことは己の目的から大きく後退してしまう愚行である。それでもあの時、自分が最後の一線で介入し、彼女を討伐できたかと言えば、其処には疑問符が付く。

 負い目で見逃していたかもしれない。

 そうすべきでないのは、わかっていたのだが――

(次の目的地はテウクロイ、か。墓守らが合流しているのなら、俺が見ておく理由もなかろう。しばらくは研究に注力するか。大願成就のためにも)

 起きた個体、しかもおそらくは初めから、これは研究にとって大きな可能性である。彼女が起きていた理由、今自分が起きている理由。

 それはイドゥンらも同じ、最後の最後と思えばシャクスもそう。

 彼女は騎士ではない。ゆえに騎士級ではない。

(御身を弄ること、お許しください)

 だが、戦士級とも違う。カテゴライズをするわけにはいかない、してしまえば自らが彼女らを知ることがばれてしまう。

 だから、レオポルドは一人、彼の中だけでカテゴライズしていた。

 不死の王、そして鏡の女王、彼らは王級である、と。

 莫大な魔障を秘めながら、さりとて戦うためだけにそれを行使するわけではない。王であった者たちは、やはり魔に堕ちても王。

 戦闘力は騎士の方が上だが、それでも特別性であれば王の方が上。

 ならば、何か突破口があるかもしれない。不死の王の方もかなり研究が進んできた。大願にはあまりに遠く、近づいているかもわからない。

 それでも男は止まらない。

 レオポルドの仮面を被るは、そのためであるのだから。

 武で片付けていいのであれば――とうに済ませている。起きている自分なら、案役と言う手段があるのなら、神術もどきがこの地で使えるのであれば、誰が相手でも負けるわけがないから。

 虚勢ではなく、諸々を知った上での単なる事実である。

 天譴たる己に、かつて存在した守るべき者はない。

 ゆえに枷もまた存在しない。

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