第234話:おとぎの国よ、いざさらば

「……魔族の戦意が、消えた?」

 突然動きを止めた群れを前に、アカイアの民を守りながら必死に防衛していた騎士たちが呆然と立ち尽くす。

 しかし、それも束の間、

「ミラさん!」

「……どういう、ええい、今は考えている場合じゃない!」

 上空に『突然』現れたダンジョン。それが崩れながら落下してくる様を見て、騎士たちは大人しくなった魔物を蹴散らしながら、今度は逆に民を防衛線の外側へ逃がす。上で何が起きたのか知らぬ者たちにとって、あれは絶望的な光景であろう。

 唯一の救いは群れがほぼ機能を失ったことか。

 ダンジョンの崩落と重ねて考えると――

「……何とか気合で生き残りなさいよ、三人とも!」

 あちら側もただでは済まないだろう。


     ○


 ヌシを失い崩れ出したダンジョン。

 そんな中、何とか生き残った三人は足元を見つめ、げんなりとしていた。

 それもそのはず、

「……もう少し引き延ばすべきだったかな?」

「それが出来る相手じゃなかったし、そもそも仕留めきれなかった場合、下の連中もまとめてドカン、よりかはマシだろ」

 ソロン、ディン、もちろんクルスもこのダンジョンに到達し、足場を確認した時点でこうなることは想定していた。

 想定していたからと言って、全てが丸く収まる対策はなかったのだが。そもそも勝ち切れるかどうかが五分五分、それゆえに彼ら三人とも一旦思考から外していたのだ。この落下するダンジョンからどう離脱するのか、を。

 勝たねば、勝てねばその思考自体が無駄であるから。

「……人間は、どれだけの高さなら耐えられるんだろうな」

「この三分の一くらいなら耐えられるよ。昔一度試したから。ただし足場は土で、完全な受け身を取ってようやく、だったがね」

「……足場、次第だな」

 誰よりも傷だらけのクルスはソロンの肩から離れ、一人立つ。誰かが誰かを支えれば、起きる奇跡も起こせない。

 だから、ここからは自己責任、自分次第だと示す。

「君らしいね。乗ろう」

「……俺を頼ってもいいんだぜ、クルス」

「こんなとこで、借りを作る気はねえよ」

「……わかった」

 各々、何とか生存可能な落下地点を見定める。街路樹、かやぶきの屋根や造りが簡素な木造建築、とにかくクッションとなり得る地点を模索する。

「俺は決めたよ」

「俺もだ」

「俺も」

 ゆっくりとダンジョンも崩れていく。足場も、一つ、また一つ、その場から落下していくのは、これまた妙な話である。

 思えばダンジョンの落下速度自体、自由落下と比べてかなり遅かったのだろう。今もそう。それは崩れ、ダンジョンの一部ではなくなった破片が落下する様を見ればわかる。自由落下の方が早い。早いから、落ちるよう見える。

 まあ、何の慰めにもならないが。

「さあ、運命の時間だ。自らの選択、肉体の強度、そして運。勝負だね」

「……ああ」

「生き残れよ、クルス。こっからだからな、俺たちは」

「そのつもりだ」

「……俺は?」

 時が来た。

 最後に、生きて帰ってこそ武功の意味がある。

「俺は?」

「今、集中してっから」

「俺は?」

「うっさいなぁ。どうせお前は生き残るだろ!」

「俺もケガしてるんだが?」

「集中しろよ!」

「俺『は』してる」

「……ほんと性質悪ぃな」

 ディンを弄るだけ弄り、ご満悦のソロンはクルスをちらりと見つめる。明らかに一人、生存の可能性が薄い状態であろう。

 されど、手を貸すことは出来ない。

 だって、それでこちらが怪我しようものなら、彼に負い目を作ることとなってしまう。そういう不純物は、無ければ無いほどにクルスは澄み渡るのだ。

 だから、手出しは出来ない。

 自分でさえ、この高さは初挑戦。怪我は避けられない。例え今、傷を負っていなくても、万全でも厳しい。

 抱えて生存出来るならそうしている。

 だが、ここはそういう高さではないから――

 最後の最後、三人は個人戦を強いられた。

 近くの足場が崩れ、

「「「……」」」

 最後、彼らは一言も発することなく勢いよく虚空へ踏み出した。

 生きて見せる。

 その固い決意と共に――


     ○


 崩落するダンジョン。

 大勢がぽかんと、その光景を見つめていた。

 巨大な構造物が落ちてくる、と思い狂ったように外へ外へと駆けていたが、ダンジョンを構成する狭間の物質は、地面へ至る前に雪のように消えてなくなる。わずか残ったものも質量はほぼなく、何の被害も及ぼさない。

 そして、

「……なぁに、馬鹿面してんのよ、アホども」

 天を見上げるミラはほっと胸をなでおろす。

 何故なら、

「……晒し者だな」

「はは、ほんと、何でもありなダンジョンだったなぁ」

「実に興味深い現象だねぇ」

 ゆっくりと、自由落下よりも遥かに遅い速度で、まるでおとぎ話の一幕のようにヌシの、女王の遺骸、白の騎士の鎧と共に、空から落ちてくる三人の騎士。

 決死のダイブ、は実らなかった。

 何故なら落下速度は、彼らが足場を離れてなお変わらなかったから。むしろ三人が元居た足場の方が先に、ひゅーと落下していったほどである。

 それもまたはらりと消えたが。

「もう少し早く落ちろよ」

「イライラするなよ、クルス。楽しもうぜ。空飛んでるみたいだぞ」

「同感だね。のんびり落ちよう」

「……」

 アカイアの民、その日彼らは奇跡を目撃した。

 強大な怪物、ジャバウォックを討ち取った騎士たちが天より帰ってきたのだから。ちなみに、ソロンとディンがクルスに断りを入れずに許可を出し、小説化、のちに映画化もされるのだが、それはまた別のお話。


     ○


「いやぁ、最高の見世物だったね。出来ればもう少し……おや」

 見るものを見たしさっさと次の目的地へ行こう、と多くの民が騎士たちの帰還を待ち望み、天を見上げる中、二人のルナ族の者たちが路地裏に姿を消す。

 その手前で、

「少しお話伺ってもよろしいですかねえ?」

 クゥラークの分団長、エフィムがその去り際を止める。

 光と影、建物が作る陰影に、エフィムは踏み込んだ。

「ボクらはただの観光客さ。無事生き永らえたのでね、さっさと駅へ向かって旅行の続きでも、と。何か悪いことをしたかい、ボクらが」

「ただの事情聴取だよ。最近色々と物騒だろ? うちは警邏の仕事も受けていてさ、面倒だがちょいと怪しいんで、ついてきてもらいたいわけ。ってか、この状況で列車もクソもねえだろ。どうせしばらく動かねえよ」

「それは困ったねえ」

「大した手間はかけないよ。列車が動き出すまで少し、お話しするだけだ」

 エフィムは笑みを浮かべながら距離を詰める。

「イリオスの騎士団と、なァ」

 そして、カマをかけた。この状況でも悠然と観察を続けた者たち、彼の中で一つの仮説があった。こいつらは王女を狙うプロなのではないか、と言うこと。

 虎視眈々とこの混沌の中、イリオスの王女の登場を待っていた。そして現れず、目的が果たせなかったから撤退を選んだ。

 そう、見えた。そう映った。

 だから――

「それはもっと困るよ」

「……」

「ボクの観察対象は聡いからねえ。ボクとあれが接触したら、ボクからは何も零れなくてもさぁ、あっちもそうとは限らない。たぶん、バレる」

「何の話だ?」

「サプライズは大事って話。ボクはね、彼とは刺激的な関係でいたいのさ。あれはどうでもいいんだけど。ただのクライアントで、既知の商品だし」

 護衛が一人、その者とエフィムの間に立つ。

(結構強いな。まあでも、やれるだろ。たぶん)

 悠々、エフィムが間を詰める。相手が無手であろうと剣を持とうが、槍を携えようが、自分のやることはパンクラチオン、総合格闘技である。

 たかが武器を持たれたぐらいでビビる心は持ち合わせていない。

「怪しい人、事情聴取の前にお名前を聞いても?」

「ファウダーのシャハル」

「ファウダー?」

「端的に言うと秘密結社、で、その名前をさらしたと言うことは――」

 エフィムは警戒していた。冷静さと闘志が半々、充実した理想的な状態である。だから、見逃すはずがないのだ。

 相手が何かをしてきたのであれば。

「主命だ、下賤な拳闘士。悪く思うなよ」

「……拳闘とパンクラの区別はつけてほしいがねえ」

 エフィムの腕が宙を舞う。相手は何もしていない。腰の剣に手を当てた状態で、これからいざ戦います、と言う状態である。

 それなのに攻撃された。片腕を奪われた。

「テメエ、人間か?」

 不動のまま。攻撃を加えられる人類はいない。

「「大正解」」

 影が色濃く、変じる。


     ○


「……少し疲れた。報告書は任せるぞ、討伐者」

「だね。よろしく討伐者くん」

「へいへい」

 女王の遺骸と共に降りた彼らを、アカイアの民は遠巻きに眺めていた。彼らが救世主であるとは思っているが、同時にこの状況が飲み込み切れていないのだ。

 それはまあ、晒し者となる三人も同じだが。

「それと一つだけ、俺に権利をくれないか」

 クルスが何か思いついたようにディンへ声をかける。

「権利?」

「命名だ。本来は討伐者、報告書の作成者が付けるものだが、その権利だけくれ」

「別にいいけど……ソロンはどうだ?」

「俺は要らないよ。ブスドラゴンくらいしか思いつかないし」

「……なるほど」

 輝ける男には命名の才はなかったようである。

「で、何て名前にするんだ?」

「……アリス」

「ず、随分と可愛らしい名前だな」

「似つかわしくないね」

「頼む」

 その名前はないだろ、と冗談なのか判断付かなかった二人であったが、クルスの殊勝な態度を見てそうではないと知る。

 何かあるのだろう。聞いても答えないことも含め、わかった。

 だから、

「おっけー、それでいこう」

 これ以上は何も言わず、聞かず、小さなわがままを受け入れる。

「助かる」

「だから、とりあえずゆっくりやす――」

 ディンが言葉をかけ切る前に、

「クルス!」

「がっ!?」

 抱きつきに行ったら勢い余って衝突、最後に残していた余力を吹っ飛ばしクルスの意識を刈り取ったミラは、

「ちょっと、ボロボロじゃない!」

「今、お前がとどめを刺したけどな」

「俺も重傷だよ?」

「知るか。つばでも付けとけ」

「……」

 ソロンをガン無視し、家来と化したボッツを呼びつけクルスの応急処置を開始するミラ。無視されてちょっぴり傷ついたソロンの肩をディンが叩く。


 とにもかくにも、これにて決着である。

 突如現れた災厄、それを現代の騎士たちが振り払って見せた。

 だが、

「……」

 人為による災厄は影の中、嗤う。

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