第233話:鏡の女王は其処に『騎士』を見た
クルス・リンザールは自らの愚かさを悔いていた。
確かに今回の仕事におけるクルスの目的はユニオンからオファーを貰うため、何かを成し遂げることであり、今回の災厄に関しては千載一遇の好機であった。
ゆえに我を剥き出しにここまで来た。
目的を達成するために――
(馬鹿が。何様のつもりだ、俺は)
自分の仕事は王女の護衛である。まずはそれを優先せねばならぬ状況下で、自分は突然現れた好機に食いついた。これは間違えとは言わずとも、正しい選択ではなかった。もちろん、王族周りにはクゥラークの団長がいること、クゥラークの内情を知りたくもないのにとある友人筋から聞かされており、その友人の目利きを信じてぶん投げられる、と最低限の分別はあった。が、あくまで最低限、その確認を怠り、おそらくそうだろう、そうであってほしい、その願望にすがったことは事実。
もし、その『だろう』が間違っており、王女がアカイアの片隅で散っていたとして、それでもヌシの首を取れば対外的な評価は相殺できる。
最低でもイーブン、勝てば総取り。
今の自分なら如何なる敵にも勝てると思い込み、さらに品のない算数による損得を天秤にかけ、より大きい数字を取った。
別にそれ自体は間違いではない。
だが、
(最悪を考慮するなら、当然俺が負ける可能性も考慮に入れる必要があった。この局面、結果として俺の行動は正しくなったが、其処に再現性はない)
独断専行で動き、自らが敗れる。その上で王女が死ぬ。その最悪を考慮に入れていれば、少なくともぶん投げると言う選択はあり得なかった。
仕事人として失格である。
この場にクロイツェルがいれば笑顔で腹を蹴られ「死ねカスゼロ点やボケ」と言っていたことだろう。少しできるようになった程度、何を驕り高ぶる。
己はまだ何者でもない。
(今日は本当に最悪だった。剣を抜いても、常に武功のことが頭にあった。討伐者になる、其処からすべてを逆算していた。だから、後手に回った)
エゴ、我欲、それが透き通るべき時に出来ていなかった。ほんの少しの澱み、その少しが致命傷であると言うのに、自分は間抜け面でソロンらと並び良い気分に浸っていた。自分が彼らと同じ場所に立っている、と。
それは錯覚である。彼らにはエゴを振り回す資質がある。それだけの才があり、そういう星の下に、そういう器として生まれついた。
自分は違う。少なくともクルス・リンザール自身はそう思わねばならない。
(俺は承認欲求が強い。昔から、誰かに認めてもらいたかった。つまり其処に付随する功名心なんかも大きいってことだ。騎士になりたい、出世したい、そうしないと出来ないこともある。そうなって初めて通せる我もある)
何も持たぬ自分を忘れるな。
父に褒めてもらいたかった。自分だって前向きではないにしろ、朝早く起きて畑の手伝いをしていたのだ。兄と同じ仕事を――なら、少しぐらい褒めてくれてもいい。兄の半分でもいい、視線だけでも欲しかった。
そんな自分を飲み込め。
何者でもない無力をフィンブルで味わった。功名心とは別に、出世する目的が生まれた。不条理を正せるのは力だけ。だから、それを欲している。
それが自分である。
(だけど、現場仕事に自分は要らない)
一度動き出した仕事はもう、現場に出てしまえばその場その場で最善の動きを取るしかないのだ。其処にそういう『自分』は必要ない。
必要なのは今の自分に何が出来て、何をすべきか。
最善手を適宜、打つことのみ。それ以外はすべて不純物。
其処に『我』は要らない。
(クソ、わかっていたはずなのになぁ。『先生』に恥ずかしい姿を見せてしまった。見透かされていただろうな。それでも――)
そんな未熟な自分を笑い、それも込みで褒めてくれた。『先生』の眼に、確かに自分が映っていた。だから、だろうか。
今は少し、自分をかき乱す『我』が落ち着いているのは。
(――……)
それに大丈夫。
不純物を削ぎ落す、魔法の言葉を思い出すことが出来たから。
(集中)
クルス・リンザールは心の中で唱える。
師から譲り受けた魔法の言葉を。
透き通れ、自分すら消して――
「征くぞ」
唯一の勝ち筋、それを掴むためにクルスは先陣を切り駆け出した。
後に続く二人のことも頭から消す。彼らなら自分を風除けに使い、それ以外から来る攻撃ぐらい何とかするだろう。
女王は怒りの咆哮を放つ。
先頭のクルスに向け、怒涛の勢いで剣が、槍が連打される。
「……」
「く、クルス!」
「信じろ、ディン・クレンツェ。面白いものが見れるよ」
皮一枚、では足りない。
だから、肉をも削る。
致命傷までは、削っても良いから。
『……その眼、不愉快よ』
女王の全力、その怒涛の連撃を受け、捌き、流し、血濡れとなって現れたクルスの眼は温かさも、同時に冷たさもない。
零度、フラット、偏りのない眼。
女王の脳裏に浮かぶ。千年前、自分たちを守ると言った騎士の姿が、何故か重なった。誰よりも美しく、誰よりも強い最強の騎士。
それが何故か、重なる。
クルスは歩みを止めない。女王は幻影を振り払うように、更なる攻撃を加えた。先ほどよりも変化を加え、より様々な角度から攻める。
だと言うのに――
「……」
水が如し、その騎士の歩みが止まらない。女王は顔を歪めた。明らかに攻撃の度に、クルスはダメージを蓄積している。痛いだろう、辛いだろう、逃げ出したいはずなのだ。圧倒的な力を前に、あんな小さく、か細い剣一つで立ち向かう。
そんなことがまかり通るはずがない。
「……オーケー、とことん行こうぜ、親友」
そんな友の尋常ならざる滅私に、背後のディンは歯を食いしばる。力を蓄える。来るべき時に、それを振るうために。
そしてそれは――
(君はやはり、俺たちを少し高く見積もっているね)
最後尾を走るソロンも同じであった。
(出来るかもしれない。まごうことなき本音で、だからやらなかった。出来ると言い切れなかった。守戦なら、君の方が上なんだよ。今は、かなりね)
出来る、あの女王の猛攻を前に喉元まで届かせて見せる、これが言える騎士がこのミズガルズに何人いるだろうか。
我を振るうに足る怪物である。
それなのに彼は我を削ることが出来るのだ。
(……本当に君は、最高だ)
どこまでも歪に、駆け上がっていく。その姿がソロンには眩しく見える。
極上の遊び相手、その確信がどんどん強くなっていく。
会う度に――
「……」
さらに詰める。
女王は炎の薔薇を、茨を彼の眼前に壁の如く広げた。あの小さな剣で、いや、そもそも剣で炎の壁など突破できまい。
そんな常識は、
「……は、がァ!」
剣を旋回させながら、少しでも炎を軽減しつつ、真正面から飛び込む騎士がぶち抜く。ただの炎ではない。相手を焼き殺すための、魔障の炎である。
普通の炎なら勢いでどうにかなっても、この炎は小細工でどうにかなるものではない。ものではないのに、小細工片手に飛び込んできた。
『……何故、怯えぬ』
「……あと、少し」
火傷が傷を、失血を止めてくれた。限界は近い。
それでもまだ走ることが出来る。
まだ、戦える。
だから、
「……」
ついてこい、と無言で走る。後に続く二人が、臆せずついてきていると信じて。
無論、
「「……」」
二人とも当然の如くついてきているのだが。先頭のクルスが最も炎の被害を受け、二段目のディンが次点、おかげでソロンは新品同然。
迷わない。怖れがないわけではないのだろう。彼らが正気を失っているのではなく、正気を保ちながら狂気同然の行動を取っているだけ。
それが起きている女王には恐ろしい。
今までの相手とは違い過ぎるから――でも、彼らを知っている。
女王は知っている。
『……騎士(リッター)』
戦乱の絶えぬウトガルドを統一した最強の王と、それを支える最強の騎士団。偉大なる騎士(リッター)、そんな彼らの姿が重なる。
かつて自分たちが命運を託した、誇り高く高潔な彼らに。
特に先頭は――
『似て、いますわね』
その在り方が、とても似ていた。
滅私、ずっとわかっていた。彼らを、彼を恨むのは筋違いであることなど。全力で、すり減り、砕け散る寸前まで彼は世界のために戦った。
そんな彼に頼り、其処から零れ落ちただけで罵倒するのは、それこそ品がない。
女王は少し戦意を、欠く。
何故なら――彼はとても似ていたから。
最強の騎士、天を冠する者。
○
「……卿なのか、イドゥン」
『天剣』のサブラグは魔障に呑まれ、全てを失ったはずの友を見つめていた。『天』が生む回廊、その先で戦うか弱き騎士たち。その先頭に立つ男、かすかにあった、ほんのわずかな濁り、澱み、それが消えた。
彼自身が自らをそう在るように律し続けた騎士像、それに近く見えたから。
「……そうか、あれが、卿の弟子であったか」
最後のひと時、それをこの好機に使った。
それほどに――
「であればなおのこと、手加減は出来ぬぞ」
遠き日の記憶が脳裏に過ぎる。
かつてシャクスが子どもたちに教えている様子を、二人で見つめていた時、
『卿は弟子を取らないのかい?』
『俺は俺の研鑽で忙しい。人に教える域とも思わぬ』
『はは、そうか。私はいつか、弟子を取りたいけどね』
『なら、性格を吟味せねばな。世界一高潔な騎士と謳われる者の弟子だ。相応の者でなくば勤まるまい』
『いや、私が教えるとすれば参考にするのは――』
あの男がいたずらっぽく言った言葉を、サブラグは反芻していた。騎士の頂にして天譴、その名を冠する己に対し、随分と卑小な器を選んだものである。
だが、存外悪い気分ではない。
○
女王の戦意が弱まると同時に、
『……』
砕け地に落ちた鏡、其処から先ほどソロンに打ち砕かれ、ひしゃげ、ボロボロとなった白の騎士が現れた。
女王の身を守るように。
『……なぜ? わらわは、命じてなど――』
白の騎士、その乾坤一擲の槍は、
「……」
満身創痍であるはずのクルスがいともたやすく逸らし、そのまま抜き去るついでに真一文字に斬り捨てる。続くディンが縦一文字、そしてソロンが、
「さようなら」
遠くへ蹴り飛ばした。
単純明快な、暴力による回答。どうせ死なぬがらんどうならば、戦線から離脱させたならそれでいい。
もう、間に合わないから。
『……■■■』
愛しき名を紡ぎ、女王の怒りがまた再燃する。
あれはウトガルドの騎士ではない。ミズガルズの騎士、獣たちの末裔である。見た目だけを真似ているに過ぎない。
あんな連中に、高潔な魂が宿るはずがないのだ。
ゆえ、全力全開で攻撃を仕掛けた。迫り来る騎士を、自分たちを襲った獣どもに見立て、あの日受けた痛みを、恥辱を、鏡に映して返す。
ただ、それだけのこと。
「……これで最後だ」
「「了解」」
女王の、最大火力。ヴォーパルソード、別の名をキングの剣。蒼き槍はジャックの槍、薔薇はクイーンのバラ。それらを鏡に映して、増やし、移動させ、放つ。
それらを、全て叩き込まれて――
「……征け」
「「応ッ!」」
血まみれのクルスは倒れ伏した。皮一枚、命だけを残して。
後ろの二人を守り切って。
『……盾を失えばァ!』
騎士たちは『盾』を失った。ならば、あと一押し。
今ほどの総攻撃は出来ずとも、押し返すことぐらいは出来る。自分は鏡の女王、天が授けてくれた救いの力、これで復讐を果たすのだ。
もう帰らぬ、愛する者たちの分も。
『■■■ァ!』
咆哮と共に、今一度女王の猛攻が放たれた。
それに対し、
「ソロン、俺が!」
「それはベストではないね。この美しい戦場に、ベターは要らない」
ソロンが前に躍り出る。
輝ける男の笑顔、それは相手にとっては絶望にも映る。
しかも構えは、
「……テメエの手札はどれだけあるんだよ」
半身に構え、片手を腰に、剣を前に突き出して構えるカーガトス。参考文献がウルかナルヴィかで、名前は変わるが、それはどうでもいい。
重要なのは彼がこの場で最適な、守備の型を扱ったと言うこと。
「何度も見た。だから、今なら言えるよ。出来るってね」
万の騎士、ソロン・グローリー。猛攻を堅守にてこじ開け、突破口を作った。されど、さすがにこれは無傷ではいられない。
そもそも手負いである。
ゆえに、もとより――討伐者になる気はない。
「さあ、片手でしのいだよ。なら、もう片方は何に使う?」
背後のディン、その首根っこをひっつかみ、ソロンは歯を食いしばりながら彼を力ずくでぶん回す。意図を理解し、ディンはタイミングよく、
「「ラァッ!」」
全力で踏み切った。
ソロンもまたその踏み込みに合わせ、軌道を調整しながら全力で放り投げる。ログレスで道を分かった二人の、一分の隙もないコンビネーションである。
矢の如く、ディンは飛ぶ。
距離は詰められた。後は女王の喉を掻っ切るだけ。
『残念。切り札は、最後に切るのよ』
最後の鏡、其処から現れるのは大鎌を持つ処刑人、ジョーカーが飛び出す。ディンの歩みを阻まんと。
それを、
「大丈夫かい、クルス」
「……」
ソロンは見届けることすらしていなかった。
何故なら、
「舐め、るなァ!」
その程度の障害、ディン・クレンツェの歩みを妨げるものではない、とわかっていたから。信頼、信頼と言えばそうなのだろう。
大鎌ごと、ディンは自らを回転させながら、回転斬りでぶった切った。シンプルイズベスト、パワーでねじ伏せる。
それを可能にするは魔導革命が生んだ、最初の魔導兵器。
百年前は実戦投入が間に合わなかったそれが、
『……そう』
女王の首を断ち切った。
千年続く怨讐が今、断ち切られ、砕け散る。
「かがみよ、かがみよ、かがみ、さん、せかいで、いちばん、うつくしいのは」
その言葉は何故か、
「「「……」」」
三人の耳朶を打った。
通じぬはずの言葉が、
「だぁれ?」
何故か、聞こえたのだ。
「君だよ」
聞こえるはずのない言葉も。
首を断たれた醜き怪物、ジャバウォック。されどその死に顔は、醜悪に歪むではなく何処か嬉しそうな、笑みのように見えた。
「……なんだったんだ?」
「さあ。ダンジョンは不思議に満ちているね」
ディンとソロンはいぶかしげな表情を浮かべ、
「……終わった。それだけだ」
ソロンの肩に支えられながら、クルスは小さくつぶやいた。
何故か隣り合う、女王の躯と白の騎士、その残骸を見つめながら――
鏡の王国が崩れた。
ダンジョンもまた、真の姿を現すと同時に、崩落を開始する。
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