第231話:陽炎の時

 静止した世界、クルスは動かない体を無理に動かそうとする。すると、体がぶれ、揺らぎの、陽炎のような自分が元の自分から分離し、離れた。

 胡坐を組み、瞑想状態だった『先生』も同様に、実態そのままに体だけが立ち上がった。師弟が、向かい合う。

 かつて多く話したはずだが、思えば真実を向け合ったことはなかったかもしれない。踏み込み、嫌われ騎士の道を失うことを恐れたクルスと、素顔すら秘匿していた『先生』という存在。

 ある意味、これ初めての『会話』であろう。

「これは?」

「ここは揺らぎの世界だ。物質の時は止まり、それは私とて例外ではない。それを無理に動かせば、こうして心の位置だけがずれる。さしたる意味はないがね」

「……何も出来ないのなら、この世界に何の意味があるのですか?」

「瞑想したり、考えをまとめたり、意外と便利だよ」

「……なるほど」

 現実に何一つ干渉できない揺らぎ、まさに陽炎と言うところか。

「それで、なぜ今なのですか?」

「私は今動けなくてね。たまたま近くで友が回廊を繋いでくれたから、それに乗っかった。あの男もさすがに、今の私が仕掛けられるとは考えなかったようだ」

「……回廊とは?」

「回廊、廻廊、他にもいくつか……時代や規模、繋がる場所によって呼び方は違うが、要はダンジョンのことだ。ダンジョンとは二つの世界を繋げる中、発生する狭間であり、境界線。それを杭として繋ぎ止めるのがヌシ、となる」

「それをどこで? 自分はそういう話を、はっきりとした理屈を学んだことがありません。多くはまだ、不明のはず」

「さあ、どこだろうね」

「……」

 それでも、問いかけることは出来る。

「貴方はゼロス・ビフレストなのですか?」

 クルスはかつての師を真っすぐに見つめ、貴方は誰なのか、何処から来たのか、かつての自分が問いかけられなかった疑問をぶつける。

 それに、

「ううむ、難しい質問だなぁ」

 早速、『先生』が言葉を濁す。

「これが聞かれるのはわかっていたでしょうに」

 いきなり言い澱む『先生』に呆れるクルス。真っ先に聞かれるであろう質問の回答を用意しておかないとは、この人は何にし来たのだろうと思ってしまったから。

「そうは言うがね、これはとても難しい質問なのだよ。是であり、否でもあるから」

「死したゼロス・ビフレストの体に、別の者が入っている、と言うことですか?」

「二つだ。ゼロスともう一人、それが百年経って入り混じり、ほぼ一つになった。だから、私はゼロスであり、そうではない。この体はゼロスのものだがね」

「もう一人をお聞きしても?」

「これも難しい。もう一人の方はそれに答えたいのだが、ゼロスの方がね、それに関することは自分で辿り着きなさい、と考えている」

「……大変ですね、二つの考えが相反するのは」

「そうでもない。随分楽しんだものさ。特に君の育成については毎夜議論を交わすほどにね。嗚呼、あの日々はよかった。我が友に多くの弟子を抱えた先生がいたのだがね、彼の気持ちが少しだけわかった。楽しく、そして――」

 『先生』は顔を、哀しげに歪めた。

「俺を育てた理由は?」

「君がそうなりたいと言ったから」

「……それだけ、ですか?」

「ああ。それが一番重要だ。本気かどうかは眼を見ればわかる。ただの子どもの戯れか、人生を賭す覚悟か、其処を間違えるほど私たちは耄碌していない」

「なりたい者なら世の中いくらでもいるはず。何故俺なのか、俺である理由が知りたいのです。それとも、俺のような弟子はたくさんいるのですか?」

「いや。君だけだ。そもそも、私たちは誰にも認識されるつもりがなかったからね。ただ、あの土地が私たちの姿くらましを……いや、違うな。君が聞きたいことからは離れてしまう。君である理由、か。元も子もない話になるよ」

「それが知りたい」

 クルスの眼を見て、『先生』はため息をつく。

「君が何者でもなかったから」

「実験、ですか。何者でもない者が騎士になれるかどうか、の」

 クルスの中で『先生』とあの男が重なる。自分の手駒として、自分を育成していた利害だけの関係性、別に今更それで傷つくことはないが――

「ゼロスにはその部分がある。もう一人は資質の部分は気にしていない。そして二人が合致する部分として、君が如何なる所属にも、ルーツにも縛られていない、これが重要だった。そういう意味での、何者でもない、だ」

「……何故?」

「私たちは共に、騎士として、戦士として生まれた。家もそうであったし、そう在ることに疑いすら抱いたことはない。戦うことが当たり前、騎士になることが当たり前、その目線しか知らぬゆえ、見えないものがある。こぼしたものがある」

 『先生』は自らの手を見つめ、取りこぼした何かを其処に見る。

「君には何もないがある。それはね、騎士の、戦士の家に生まれた者には絶対に得られないものなのだ。君の本気と、君が何者でもなかったから。それが、私たちが君を選んだ理由だ。君の目を見た時点で、騎士に成ること、其処に疑いを抱いたことはないよ。出来れば最後まで育てたかったが、どうやら君は我々の思惑すら超えて育った。成った。ならば、君が歩んだ道こそが最上であったのだと思う」

 『先生』が近づき、クルスの頬へ手をやる。

「よく頑張った。よく辿り着いた。あの地から、あの境遇から、よくぞ、ここまで。君は私たちの誇りだ。これをずっと、伝えたかった」

「……」

 クルスは眼を伏せ、少し揺らぐ。

 込み上げてくるものを押さえるため――

「君は騎士になった。全ての道を自らの手で選ぶことも出来る、ゼロの騎士に。そんな君に頼みたいことがある。それがもう一つの、私の目的だ」

 ぐっと気持ちを抑え込み、

「それで恩を返せるのなら」

 クルスはそう答えた。借りがある。だから返すのだ、と。

「……なら、甘えよう。騎士、クルス・リンザールへの頼みとは、今も呪いに、復讐に囚われたウトガルドの民を救ってほしい、と言うことだ」

「……ウトガルドの、民?」

「ああ。千年前に滅び、亡霊のようにさまよう彼らを」

 『先生』は先に君臨する女王を見つめる。

「我々が救えなかった、彼女たちを」

 一方の手を彼女に、

「終わらせてあげることすら、今の私には出来ない。だから、それを託したい。彼女を知り、その上で、終わらせてあげてくれ」

 もう一方の手をクルスへ、向けた。

「固く閉ざされた深奥へ……土足で失礼する、■■■女王陛下」

「なっ!?」

 クルスの視界が、深く、鬱蒼と生い茂る森に埋め尽くされた。まるで闇の中のような、黒々とした、光射さぬ森の奥へ、奥へ――

 そして、


「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだぁれ?」

 花々が咲き誇る庭園、その中心で何人もの子どもに囲まれた優しげな女性が本を片手に、子どもたちへ問いかけた。

「雪白ちゃん!」

「正解。ささ、お話を続けますよ。そう魔法の鏡に答えられた王妃様は大変激怒しました。そして――」

 物語を続ける女性。子どもたちは眼を輝かせ、その物語に聞き入っていた。

 その様子を、

「……これは?」

 クルスと『先生』は空から、俯瞰していた。

「彼女の記憶だ。ああやって定期的にね、戦乱で親を失った子どもたちを王宮へ招き、おとぎ話の朗読会を行っていた。お菓子とお茶を用意してね」

「……女王、ですか? その」

「質素な恰好だろう? まだこの時は統一戦争の傷が深い時期でね、残念ながらどこにも余裕はなかった。あのお菓子とお茶もそうだが、民のために諸々を捻出するべく私財を投げ売ったから、ああいう恰好なんだ。素敵な方だろう?」

「……はい」

 苦労を見せることなく子どもたちと笑い合う女王と、あの醜い化け物がまるでつながらない。ただ、空から見える光景が嫌でも同じなのだと伝える。

 王宮の外に広がる田園風景、それが最初の突撃した虚像のダンジョンと同じような風景であったから――

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