第229話:女王とゆかいな仲間たち

 鏡の女王、混沌にて醜悪なる獣、ジャバウォック。

 それが住まいし深淵の森、その木々の狭間に輝くは無数の鏡。三人の騎士を囲み、覗き込むそれらは三人の騎士を写し、重ね、連なる。

 その狭間に、

『夢幻よ、在れ』

 溢れ出すは無数のカードが顕現し、女王の輝ける剣が、蒼き槍が、割れ、砕け、散り、手足をにょきりと生やしたカードたちの手に握られる。

 剣を、槍を構えるカードの兵隊たち。

 そして、女王の手に輝く紅蓮の薔薇が、その茨が木々に絡みつきながら三人の騎士を包囲し、炎の檻を形成する。

 逃げ場はこのわずかな時間で失われた。まあ、そもそも子のダンジョンから脱出する方法がないため、逃げるもくそもないのだが。

「大仰だね。怯えが透けるじゃないか。見た目に反し可愛らしい敵だよ」

「どこがだよ。普通に怖ぇよ」

「自分で戦うタイプではない、か。珍しいな」

 上下関係が見られる魔族は少なくないし、ヌシと軍勢はまさにそういう関係であるが、基本的に魔族の多くは自らの領域、その深奥へ至られたのなら、自らの武力で立ちはだかるのが普通である。

 そうでない個体は稀。

 今回は珍しい手合い、なのだろう。

「おい、薔薇の花弁が」

「……ちっ」

 燃え盛る薔薇、木々にまとわりついたそれは檻であると同時に、女王の魔道そのものであり、その落ちた花弁もまた兎に、蛙に、と多彩に変化していく。

 紅蓮に燃える、可愛らしい動物たち。

 攻撃性さえなければそれはまさにおとぎ話の世界であろう。

「雑魚とやる時間はない。あの化け物の首を落とすぞ」

「競争だね、クルス」

「あのな、何万の命がかかっていること忘れんなよ、お二人さん」

「「もちろん」」

 クルス、ソロンが同時に踏み出す。その足は軽快、万を越える人命を背負っているようにはとても見えない。

「……心にもねえ。まあ、やる気があるならいいさ!」

 ため息をつきながら、ディンもまた女王の軍勢に向けて足を踏み出した。何が出てくるのか、先ほどまで以上に読めない。

 目の前の敵、その戦力もいまいち判然としないのだ。

 ただ、落下は緩やかだが時間制限もある。

 なるべく早くけりをつけねばならない。

 だが、

「危ねえ!」

「「!?」」

 並走クルスとソロン、二人の間を引き裂くように鏡が現れた。其処からぬるりと現れるは猫の、首。と同時に振り抜かれるは、

『ようこそ楽園へ』

 女王の爪に酷似した、大鎌。それが振り抜かれソロンは体勢を崩しながら横っ飛び、何とか回避する。いや、回避するしかなかった。

 其処には薔薇の花弁より生まれた動物、その群れがあった。ソロンは剣を振るい、彼らを薙ぎ払う。ほぼ崩れた体勢で、これだけ強く剣を振れるのはさすがの一言。

 ただ、彼らは何でもありが過ぎた。

「くっ、この俺としたことが」

 斬られた彼らは炎に戻り、ソロンを追いかけてくる。嬉々として、愉快な動きで、まるでこの物語を覗く子どもたちを、喜ばせるかのように。

 輝ける男を追い詰める。

 それに対し――

「……」

 鏡からクルスを急襲したのは純白の騎士、その美しく雄々しい姿は何処かこの、滑稽で混沌とした世界には浮いた存在であった。

 それが放つ真っ白の、穢れなき槍の一撃もまた無骨な一撃。

 だから、

「今更、んなもん効くかよ」

 水で受け、その突きの威力を貰いながら回転、それを回転斬りとしてカウンターに繋げる。刹那の攻防、クルスが相手を両断する。

 ただ、

「……くそが」

 手応えはない。鎧の中はがらんどう、宙に浮いた鎧の上半身は槍を持つ手とは逆でクルスの首を掴む。油断はなかった。

 それでも、

「がっ」

 この動きまでを網羅することは出来なかった、だけ。首を掴み、拘束した白き騎士、その下半身が独立しクルスを蹴り上げた。

 相手をおちょくるような動きで。

 槍を警戒していたクルスはその一連の動きに、対応し切れなかった。

(単純な動きがクソ速い。舐めた動きだがスペックはクソ高ぇ。この騎士と、そっちの鎌使いの処刑人は、さっきの黒い騎士と遜色ねえぞ)

 何でもあり。

(いない。どこ行った、あいつら)

 何でもあり、過ぎる。

『全体止まれ! 投擲用意。ってぇ!』

 常識が、女王の世界では通用しない。

「……この、二人が。ちょっと、待て。これ、本当に戦士級か?」

 いつの間にか隊列を整えていたカードの兵隊、彼らはこれまた滑稽な、少し誇張した兵隊っぽい動きで、前衛の槍兵隊が自らの武器を投擲した。

 女王から下賜された槍を――それらは空中で静止し、女王が用意した合わせ鏡に挟まれ、一つが二つに、二つが四つに、どんどん増殖していく。

 合わせ鏡の世界、無限に連なる夢幻。

 蒼き槍、

『晴れ時々、豪雨にご注意』

 雨となり、降り注ぐ。凄まじい飽和爆撃。

『そしてさようなら、旅人よ』

 いつの間にか鏡を伝い、女王の両隣へ移動していた白き騎士と処刑人。その処刑人が告げる、終わりの時を。

 桁が違う。規模が違う。

「冗談じゃねえぞッ!」

 ディンの叫びと同時に、通り雨が三人の騎士を襲う。女王が嗤う。兵隊が嗤う。動物たちが嗤う。処刑人も嗤う。騎士だけは微動だにしない。

 雨が、降る。


     ○


「どこ見てんの、エフィム」

「いや、余所見」

「集中せえや。ほんま、対人以外やる気ねえ奴やな」

 クゥラークの面々に煽られながら、エフィムは戦場ではなく別の場所を見ていた。それは天、ではなくとある建物の屋上。

 妙な二人組がいたのだ。

(ルナ族の二人組、なのは別にいいが、問題はどうにもお気楽な雰囲気ってことだ。高みの見物? この状況でか? まだ四つのダンジョンはどれも無傷だぞ)

 未だ状況の変わらぬダンジョンの様子。四方に囲まれた状況に変化はなく、防衛線は徐々に押し込まれている。

 状況はよくない。

 民はパニック寸前、いや、パニックにならなかった者たちが何とか逃げられたのだ。こちら側まで逃げ切れなかった者たちは、その混乱の中で散ったのだろう。

 だと言うのに、高みの見物。

(匂うな)

 こちらが気づいたことは気取らせない。この状況が人為的なものとは思わないが、それでも訳知り顔で余裕なのは気になるところ。

 あとで探ってみるか、とエフィムは頭の片隅に置いておく。

「ほいッ!」

 今はとにもかくにも安全確保、突撃した三つの内一つでも崩れぬ今、そろそろ最悪の状況も想定しなければいけない。

 彼ら視点には何の変化もないのだから。

 天はただ、普段通りの空を写すのみ――


     ○


「んー、退屈だねえ」

 天を仰ぎ、何もないはずの空へ手をかざすシャハル。その眼はわずかな揺らぎを、本来の空とのズレを見据えていた。

 其処に何かがある、と確信がなければ見出せぬほんのわずかな差異。

「これ以上、ここで得られるものはありません。撤収しましょう」

「何処へ?」

「私が道を切り開きます。雑兵に後れは取りません」

「はは、君は本当に優秀で、普通だねえ」

「……え?」

 優秀、褒められたと思ったのに、続く言葉ですべてが消えた。いつもそうなのだ。仕えるべき主は自分に興味がない。

 あんな、馬の骨とも知れぬ小僧には興味を向けているのに――

「観察できないのは退屈だけど、ここで結果を見ずにさようならするのは、もっと退屈だ。別にいいんだよ、今日この日、ボクの命が消えるぐらい。全部まとめて消し飛ぶ、実に面白く賑やかな葬列となる。それはそれで楽しい」

 他人の命はもちろん、自分の命にすら重きを置いていない。

 存在の継続にもさして興味はない。

 今この時、

「でも、君はきっと、ボクにもっともっと、面白いものを見せてくれると思うのだけどね。まだボクらの物語は始まってすらいないのだから」

 面白ければそれでいい。

 それはさておき、自分のお気に入りがこんな場所で死ぬとは露とも思っていないのだが。まだ、彼の心が動く自分の仕掛けを見せられていない。

 だから、こんなところで終わってもらっては困るのだ。


     ○


 雨、降りやまぬ中、

『女王、陛下ぁ』

 傷だらけになりながら、肉を断ちながら、後退するでもなく、森へ逃げ込むこともせず、ただひたすらに、愚直に前へ活路を見出した三人がカードの兵隊へ突っ込んできた。槍の雨を騎士剣と体捌き、あとは気迫で潜り抜けていたのだ。

 ほんの一瞬でも前進の判断が遅れていたら、彼らはとうに槍の雨の餌食となっていただろう。それほどの、飽和爆撃であったから。

 幾百、幾千もの命を奪う嵐を前に、臆せず突っ込めた者のみが活路を得た。

『……』

 女王は攻撃直前、白の騎士と処刑人を逃がした。ソロンにまとわりついていた炎すらも、その場から離れていた。その必要はないはずなのに。

 諸共の方が効率的であるのに――

 もしかして、彼らは刹那でそれに思い至り、行動した。

「どうした、もう一回打って来いよ!」

「この紙屑もろともね」

「どっちが悪役かわかんねえな、これ」

 女王は、確実に始末できる状況下であるにもかかわらず、兵隊ごと雨で、嵐で飲み込むことを選択せず、兵隊たちに武器を与えるだけに留まった。

「やはり、か」

 クルスは笑みを浮かべる。化け物じみた出力である。単純な魔力量で考えたら、かつて対峙した騎士級、『人剣』のシャクスを大きく上回るだろう。

 だが、彼女は騎士級とは呼べない。

 武人ではないから。

(味方に攻撃できないとはな。お優しいことで)

 斬り捨てると、紙のようにはらりと落ちるのではなく、途中で鏡になって砕け散る。彼らはおそらく、女王が生み出した造物であろう。

 厳密には魔族ですらない。

 そんなモノですら、彼女は味方である限り手を出そうとしないのだ。それは慢心か、油断か、それともくだらない情か。

 どちらにせよ、そうと分かれば利用するのみ。

 そのためにわざわざ、敵の前衛に飛び込んだのだ。

(こいつら壁にして近づき、俺『が』首を取る!)

 垣間見える弱さ。

 力は巨大であるにもかかわらず、必要以上に犠牲を厭い、逆に犠牲を増やす様は現場の指揮官としても資質に欠けている。

 ゆえにこの敵は騎士にあらず。

『陛下、御命令を』

『わらわの前に三つ首を掲げよ』

『御意』

 白の騎士、処刑人が動き出す。

 それと同時にクルスの死角に鏡が生まれ――

「舐めんなボケ」

 ぬるりと出てきた猫の首、ごと鏡を踏み抜き、砕く。

「児戯」

「ほいっと」

 ソロン、ディンも鏡の仕掛けには引っかかりはしない。クルスと同様に戦闘中であっても砕き、彼らの移動を阻害する。

 直接、手の届く範囲に転送することはもう、させない。

『……小賢しいっ』

 女王は苛立ちを募らせる。現代の騎士、その優れた対応力に。かつて、自分の記憶にある獣どもならとうに片付いている。それは地上の方も同じ。

 奇襲、統制など取れないはずなのに、何だかんだと上手く統制を取り、犠牲を少しでも減らすよう群れが獣らしからぬ動きを取り続けている。

 それが腹立たしかった。

 何百年も変わらず、滑稽で、醜く、子どもや老人を投げ捨てながら自らの命を求め、四方のダンジョンから中心へ逃げるクズども。こっそりと自分だけは、とダンジョンをすり抜け生き延びようとする姑息なゴミども。

 そんな姿を飽きるほどに見てきた。

 奴らは変わらない、そのはずだった。

 だが、たった二百年、三百年この地から離れていただけなのに――まるで奴らはウトガルドの騎士のように、民のように、人の振りをしているのだ。

 人の皮を被った獣、それが――

『■■■!』

 女王の怒りを掻き立てる。

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