第228話:ディン・クレンツェ

「失敬」

 力感のないフォームから放たれるは鉄の拳、クゥラークの団長オーリン・テレス。ジャブにしか見えないのに、魔族が一撃で肉塊と化した。

(に、人間じゃねえ)

 ヴィルマーやマリウスは顎が外れんばかりに驚くが、アカイアの騎士たちはいつも通りの光景ゆえ、特に驚く様子も見せない。

 とっくの昔に頭と心が麻痺していたのだ。

 今、彼らは王宮より伸びる隠し通路の中にいた。とにかく安全圏まで離脱し、王族や国の重鎮、そして賓客であるソフィアの安全を確保するために。

 しかし、敵の群れは王宮の方から追いかけてくる。

 その都度、鉄の拳が粉砕すると言う形。他の騎士は出る幕もない。

 さすが徒手格闘とは言え、ユニオンの隊長格を打倒した男である。

「……」

 そんな中、マリウスの影に隠れ、ソフィアは少しだけ警戒を見せていた。

 その様子を知ってか知らずか、

「ソフィア殿下、何でも屋である我々、クゥラークが絶対に請け負わぬ仕事をご存じですか?」

「む、どうしたのだ、オーリン」

「いえ、陛下。他愛なき世間話にございます」

 アカイアの王が突然どうした、とオーリンを見つめるもその顔を見て何かを察したのか、一旦口をつぐむことにした。

「……その、わかりません。浅学を謝罪いたします」

「世間話です、殿下。正解は、暗殺です」

 びくり、とソフィアはおののく。マリウスは咄嗟にかばう姿勢を見せるが、驚かした本人であるオーリンはむしろ穏やかな笑みを浮かべる。

「団規にも明記してあります。何故か、その理由は単純明快。つまらぬから、です。我々徒手格闘のプロが、このご時世最も暗殺に向いている。それはお気づきでしょう。その通り、裸一貫、体だけがあれば我々は人を殺傷できる。寝込みを、油断した隙を襲えば、造作もなく人の命を奪うことが出来るでしょう」

「……でも、しない、と」

「ええ。我々は仕事人である前に競技者です。自らの高めた技をぶつけあう、武芸者同士の戦いこそが我らの本分。残念ながら、それだけでは食えぬから色々と多方面に手を伸ばしておりますが、無抵抗の者に力を向けるほど窮してもいません」

「ふふ、優しいのですね、貴方は」

「我々の御立場を説明しただけです。他意はありません」

 オーリンは丁寧に、何処に潜むかわからぬ暗殺者に怯えるソフィアへ、言外に伝えていた。自分たちに怯える必要はない、と。

 力を向けぬ限り、その力が向けられることはない、と。

「……では、我々が彼女の命を狙った場合、貴殿はどう動く?」

 アカイア王の問い。其処に浮かぶいたずらっぽい表情にオーリンはため息をついた。相変わらず人が悪い、と。

「暗殺者のみを打倒し、この国からお暇するだけです」

「と、言うわけだ、イリオスの姫よ。この男は曲がったことを嫌う。先代も、その前もそうであった。クゥラークの団長とは代々、堅物になる呪いをかけられているのだ。ああ、恐ろしい。が、だからこそ真の友であることが出来る」

 アカイアの王があえて過ぎた言葉を発してでもアカイアとクゥラークの関係をソフィアに示した。それはこれまた言外に、当然だが自分たちも害意を持たぬと少し前の暗殺からここまで、警戒し続けていたソフィアへ伝えたのだ。

 自分たちは味方である、と。

「まあ、テウクロイの連中はわからぬがな。あやつらはがめついところがある。それに、うちよりは間違いなく麦とかが強いからなぁ」

「この前、イリオスの賭場で一発かまされたからでしょう?」

「うぐ、あ、あれはイカサマが」

「ありませんでした、と何度も伝えましたよ。私が」

「あったもん!」

 自分を落ち着かせるために一芝居を打っていた、はずなのだがいつの間にか王と護衛の非公式の雰囲気になる二人。

「ごほん。で、何故この先へ進まぬのだ? オーリン」

「嫌な予感がします」

「……それだけ?」

「はい」

「まあ、いいけど。守ってくれるなら」

「守りますとも。この場の騎士全員が敵になったとして、それでもこの閉所なら私が、俺の武が勝る。それだけは伝えておきましょう」

 王家もクゥラークもソフィアらに敵意はない。だが、ここにそれが混じっていないとは限らない。そもそも王の首を狙う不届き物が紛れている可能性もある。

 そんな彼らへ、『鉄拳』のオーリンはけん制する。

(あの小僧、メル辺りからこちらの在り方を聞いていた上で、俺を値踏みして護衛をすべてぶん投げたな。エフィムは推しだと言っていたが俺は好かん。愛が足りぬ)

 ソフィアの護衛を放棄した小僧への憤慨は未だ拭えないが、それはそれとして立ち姿だけでわかる。あれはもう成った者、その腕前に疑いはない。

 それに比肩する者が二人、そして彼らを支えるには充分な人材が今、アカイアには存在している。あちら側は問題ないだろう。

 ただ、嫌な予感はしていた。開戦よりずっと――

(追ってくる魔族の数が少なく、散発的だ。が、どうにも規則的。まるでこちらを追い立て、出口を模索しているかのように)

 この地下通路は入り組み、簡単には出口がわからぬもの。出口側から敵が来ていないことも加味し、出口はまず間違いなく安全である。

 だが、追い立てられている状況がどうにも臭い。

(強い敵意。出口を知りたい? 全てを殲滅するためには、全てに蓋をする必要があるから。だが、我らが出口に辿り着いたとして……どう捕捉するつもりだ?)

 オーリンはふと思う。四面のダンジョン、全てが偽であるとすれば――

(……天、か?)

 最悪の想像、もしそうであるならば――


     ○


「ミラさん! もうそこは限界です!」

「……わかってる!」

 防衛線を縮め、その内側で民を守る。ただ、そのためには外側の民を中心部に避難させる必要があった。

(これでいいの? 本当に? 何か、嫌な感じが消えない)

 開戦からずっと、やるべきことをやっている。誰もが最善を尽くしている。だけど、拭えないのだ。どうにも嫌な感じが。

 四方より追い立てられた人々。

 単独で首級を狙う彼らが目的を達成したならすべてよし、だが――

「大丈夫ですかね、あの御三方は」

「このシチュエーションなら大丈夫でしょ」

「状況が関係あるんですか?」

「クソほど自己中な二人は関係ないけど、もう一人は状況次第じゃ賭けたくないわね。でも、今なら賭けられる。逃げ場、ないでしょ?」

「は、はぁ」

「大丈夫、この私が勝てないって思う程度には化け物だから、あいつら」

「説得力ありますね」

「だしょ?」

 嫌な感じは付きまとう。だが、今は最善を尽くすしかない。考えられるほどの手札は、彼らには何一つ与えられていないのだから。

 手札は全て、女王が握っている。


     ○


『■■■!』

 叫びながら突貫してきて、遠間で腕を大きく振る。その動作と共に宙に浮いた巨大な剣が周囲の岩ごと、全てを横薙ぎに断つ。

 信じ難い破壊力、驚愕の制圧力。

「……」

 だが、ディンはそれを冷静にしゃがみ、かわす。激しくも精緻であった先ほどまでの攻めとは打って変わり、激しく、荒々しく、魔族らしい戦い方であった。

 怖さはある。何が出てくるのか、未知への恐怖は常に付きまとうから。

 何しろ、

「……しまっ――」

『■ァ』

 土の手がディンの足を掴む。それと同時に地面から無数の刃が生え、押し寄せてきた。これも先ほどとは違う。

 品もクソもない、相手を殺傷するための段取り。

 それに対し、

「ラァ!」

 掴む手が想定している引く動作ではなく、あえて押し込む魔力を集中した全力の足踏みで、足場を破壊しながら拘束を解除。

 そのまま、

「迷ったら、押すッ!」

 気迫の前進。跳躍しながら押し寄せる剣を必要な分、切り裂き活路を開く。それがリスクのある行動であることは承知の上。

 明らかに兵士級を逸脱した、戦士級の魔族を相手にノーリスクで勝つなどという虫のいい話はない。

 それに時間もない。

 少しでも早く、この相手を倒しダンジョンを攻略する。

 自分の目の前にヌシがいる。少なくともディンはそう思っていた。あれを討てば終わりなのだと。他へ行った二人を待てばその分犠牲が増える。

 彼視点では他二人も同じ相手と戦っているとは思っていない。他の二人も自分の相手が一番強い、と思っているだろう。

 それだけの相手、本来なら学生どころかプロでも単独で相手をする魔族ではない。ユニオンの騎士でもそれは同じ。

 それでも――

『■■!』

 黒き騎士が腕を突く。

 その動作に呼応し、いつの間にかディンへ向けられていた巨大な剣が射出された。凄まじい勢いである。しかも着地狩り、純然たる殺意の塊。

(やべ、死ぬ)

 受けられない。受けさせない。

 その一撃は雪崩の如く、矮小なる人の手には及ばぬ膨大な力を孕む。

 万全なら避けられたが――

(あー、無理だこれ)

 諦めろ、心がそう言う。見切りはいつも早い方、要領が良いから大体やる前から結果が見えている。小器用で、計算高く、傷つくのが嫌な小心者。

 諦めたら楽になる。それはもう実証済み。

 目を瞑り、受け入れる。どうせ死ぬなら潔く、それが騎士の――その時、ディンの脳裏に一人の男の背が映った。ずっと、後ろにいたはずなのに、いつの間にか自分を抜き去り、一顧だにもせず自分の越えられなかった壁すら乗り越えた男。

 自分の、大事な――

『入学祝いだ。その調子で精進せよ』

『……は、はい! 父上』

 ディンは死を確信した状況で、その手に握る騎士剣を見つめる。ログレスへの入学祝いに父から送られたもの。名門の当主、ログレス騎士界の重鎮である父との会話など数えるほどしか記憶はない。その内の、一つ。

 努力を認められたような気がして嬉しかった。

 この剣で頑張ろう。父が、クレンツェが、ログレスが誇りに思う騎士と成ろう。その後すぐ、その誓いは重荷となり、自分を砕いたが――

(駄目なら、死ぬだけかッ!)

 今はその重荷にすがる。

 着地と同時に回避ではなく、踏ん張ることを選択。騎士剣を前に、全力で踏ん張り、握りしめる。あとはもう、すがるのみ。

 騎士の魂である騎士剣に。

 父の期待、一族の期待、重荷の価値に問う。

「来いやッ!」

 巨大な剣、その切っ先に刃筋を合わせ、敵の攻撃を真正面から受け止める、構図。エンチャント技術を経て、魔導技術が開花し騎士剣の性能は飛躍的に向上した。ログレスの名門、クレンツェの御曹司に与えられし騎士の魂。

 その力を今は信じる。

「ぐ、ぎぎぎぎ」

 剣が裂け、押し寄せながら二又に過ぎ去っていく。その中心でディンは踏ん張っていた。歯を食いしばり、必殺の一撃を騎士剣の切れ味のみを頼りに気迫で踏ん張る。生まれ持った体躯を鍛え抜いた。

 いつも近くには誰よりも努力する男がいた。必死な姿に、自分もやらないとな、と彼に倣った。きっと、彼がいなければ自分は漫然と残りの五年を過ごし、ただの仕事人として、選ぶこともなく騎士になっていた。

 ただの業務として、騎士に従事していた。

 そんな怠惰な己が目に浮かぶ。腐った魚のような眼、ええかっこしいだからそれっぽく振舞っていたが、彼と出会うまでの自分は最悪だった。

 きっと今、そのままなら死んでいた。いや、決死の現場に立つことすらしなかっただろう。だから、ディンは思うのだ。

「……はは、筋トレは、裏切らねえ」

(ありがとよ、クルス)

 決死を選べる自分でよかったと。そうさせてくれた友に出会えてよかったと。

『……■?』

 過ぎ去りし必殺。ディンは巨大な剣、その全てを切り裂き立ち続けていた。黒き騎士が、それをさせた者が首をかしげるほどにおかしな光景。

 矮小な生物が、天災に打ち勝ったかのような不条理。

「あと、最高の騎士剣だわ、サンキュークレンツェ」

 痺れの残る腕。それでも今は死に打ち勝った喜びが勝る。死ななかったことではない。生き残ったことが重要なのではない。

 諦めず、立ち向かえたことが重要なのだ。

「……何でもあり、だな。オッケー、剣でも腕でも何でも来いや」

 折れなかった。

 かつて折れ、砕け、逃げた自分にとってはそれが一番重要であった。それが一番嬉しかった。もう、一抹の迷いもない。

 自分は『騎士』になる。

「全部ぶった切る!」

 一人じゃ立てない。すぐ逃げたくなる。すぐ目を背けたくなるし、諦め癖もある。だけど、その度に友の背中が正してくれる。

 自分はそれでいい。弱い自分に向き合わず、目をそらし続けるよりもずっといい。あれが指針だ。あれが『騎士』のあるべき姿だ。

 あれが格好いい。

「俺は騎士、ディン・クレンツェだッ!」

 掌に唾を吐き、髪をかき上げる。気合を入れる。相手が強いのはよくわかった。怖いのもよく分かった。何でもありなのも十分伝わった。

 友の背中を見つめろ。そして背後の人々を想え。

 自分一人じゃいつか逃げ出すのなら、自分が立つ理由を、自分が戦う理由を、外に求めろ。自分以外に求めろ。

 それが自分の背骨となる。

 心の炎を燃え上がらせ、ディン・クレンツェはお家芸、フー・トニトルスを構えた。これもまた自分を支えてくれる背骨の一つ。

「征くぞ!」

 叫べ、高らかに。

『■■■!』

 無数の土くれが、大地が隆起して襲い来る。

 相手が力で来るのなら、自分は技で返すだけ。元々、技比べは嫌いじゃない。そもそも相手と自分のスペックが違い過ぎて、其処での勝負にならないだけで。

 心は燃やしながら、頭は冷静に捌き、隙は見せない。

 足場が盛り上がれば、即座にその場を離脱する。

 同じ轍は踏まない。

 五感を研ぎ澄まし、一気に詰める。相手は確かに強い、これだけ荒々しいのに、それでも粗くならないのは、眼前の化け物にも研鑽し、高めた経験があるのかもしれない。それを推し量ることは出来ないが、その技前は認めよう。

 それでも負ける気はしない。

 そう思う最大の理由は――

(なんでか知らねえが、守りがザルだ。と言うか、誰かに委託してんのかってぐらい、其処に意識を、技を割いてねえ)

 先ほどまでの、騎士は攻守に渡り冴えていた。技が旧式だからどうにかなったが、最新型を押さえられていれば、ディンに勝つ術はなかっただろう。

 だが、今の敵は明らかに攻撃ばかり。こちらへ接近してきても、守ろうとする気配は見せない。いや、厳密には守ってほしいスペースは空けている。

 ただ、其処には誰もいないだけ。

(ってもきつい。が、やるしかねえだろ!)

 剣で切り裂き、じわりじわりと距離を詰めながら、相手の呼吸を見る。誰が相手でも、人も魔も、何処かで呼吸を入れている。

 その隙間には必ず、必ず活路があるはずなのだ。

 それを見抜く。攻め時を。

(来い、来い)

 ディンは待っていた。誘っていた。

 相手の最大火力を、飽和攻撃を。全力全開の攻勢を。

 冷静に、心の熱を制御しながら、相手がしびれを切らすのを待つ。ここか、それともここか、立たれたら嫌な場所を、ポジションを、位を、探る。

 素早く、的確に、されど慎重に。

『■ッ!』

 荒く、若い。

 退け、とばかりに大地が隆起する。それに対し、ディンは横や後方ではなく前に踏み込んだ。来た、と。ここで決める、と。

 リスク上等、観察が充分かはわからない。それでもやれると感覚が言った。

 だから、勝負に出る。

『■■ァ!』

 咆哮と共に無数の剣が押し寄せる。それをディンはさらに前へ、必要な分を切り裂き歩を進めた。もちろん、傷を負う。痛い、血も出る。

 だが、あと五歩まで至る。

『■!』

 先ほど同様、巨大な剣を今度は二対。十字に切り裂く。目の前から消えろ、と言わんばかりに。それに対しディンは一歩先へ、残り四歩へと刻みながら縦斬りの剣を蹴り、横へ回避し、横薙ぎの剣は体を回転させながら片手で、剣の腹に手をつき、片腕一本で体全部を持ち上げて、跳ねる。

 精妙なる魔力のコントロール、出力、そして筋力がなせる業。

 十字斬りを超えた先、残り三歩。

 その着地に、

『■■』

 ぐにゃりと、操り手と同じ笑みを浮かべた黒き騎士、否、黒き化け物が両サイドから発動していた。砂の、壁。土よりも早く、相手を捉えるための檻と化す。

『つぅーかまーえたー』

 その声はディンには届かない。

 砂の檻、その中から――

「ふんがッ!」

 騎士剣をぶん回し、砂の檻を力ずくでぶち抜くディン。最後の最後、天から、一族から、父と母から与えられた鬼フィジカルで無理やり突破した。

「あと――」

『■――』

「二歩ォ」

 横から来た土の剣を片腕で叩き落としながら、

「で、充分」

 デリングお得意の突き、をパクる。体を半身に、全身のばねを使い大きく伸ばした一歩が、回避を兼ね備えた攻防の一手となる。

 二歩分の一歩、その一突きは、

『……■』

 黒き化け物、その首に突き立つ。

「獲った」

 ディン・クレンツェ、勝利と共に――

「あ?」

 世界が、砕けた。

 そして、

「「あ?」」

 三人の騎士が、黒き化け物の首に剣を突き立てていた。三者、向かい合うような立ち位置、中心には三本の剣に貫かれた化け物が力なく立ち尽くす。

「……え、と」

「まさか、クルスはともかく君とも同着とはね。少し遊びが過ぎたか」

「……さっさと片づけるぞ」

 クルスが引き抜くと同時に、他の二人も併せて引き抜く。引き抜きがてら、自分の分を切り裂いて、その結果黒き化け物の首が飛ぶ。

「……どういうこと?」

「理解が遅い。全員外れだよ。そもそも、当たりのないくじだった」

 ソロンはやれやれと肩をすくめる。

「あの騎士からはこの群れ特有の敵意を感じなかった。つまり、操り手がいる」

「……四つ目が、いや、当たりがない。じゃあ――」

「下を見ろ」

「……クソ、マジかよ」

 足元、彼らの視界に広がるは上空から見たアカイアの王都、その姿であった。彼らは鏡の映し出した虚像で戦い、それに勝利したことで鏡の国への入国を許されたのだ。鏡を通り、彼らは深き森へと至る。

 真のダンジョンへと。

「マジックミラー、ふふ、まさに鏡の国だね」

「空にダンジョンって、ありかよ」

「俺の知る限り記録にはないな。そもそも、複数ダンジョン自体そうそうお目にかかれるものじゃない。と言うか、これだけの敵意と徹底した殲滅意識だ。全部滅ぼしてきたんだろ、これまで遭遇した敵全てを」

「……くっそぉ、あれで勝ったと思ったんだけどなぁ」

 ディンは頭をかきながら、今の相手がヌシでなかった事実に頭を抱えたくなる気持ちであった。そもそもこれだけ大掛かりな仕掛けを操る魔族と成れば、それこそ戦士級と言う枠に入れていいのかもわからない。

 かと言って騎士級と言うには――

「来るぞ」

 その姿はあまりにも、騎士のそれとはかけ離れていた。

 全てを見通す魔法の鏡、その上には深き森が在った。彼らはいつの間にか田園のチェス盤から、この森へと移動させられていたのだ。

 森の奥より来るは、

「はは、これはまた醜い化け物だ。鏡で見せてあげたいものだね」

「趣味悪ぃぞ、ソロン」

「そう? ただの事実を述べただけだが」

 巨大な、ドラゴンを抽象画に書き換えたような怪物の姿。

 魚のような頭部を持ち、二つの触角がゆらゆらと御髪の如くたなびく。紅き眼は灼熱の炎を浮かべ、憎しみをくべ永劫燃え盛る。口元にも触手がうねり、鋭く長さの異なった牙が乱雑に並ぶ。首は細長く、体は鱗に覆われている。尾で立ち、手足と思しき異形の四つは巨大な光り輝く剣を、湖の如く蒼き槍を、紅蓮に咲く薔薇を、そして漆黒の大鎌のような爪をそれぞれに備えていた。

 その巨体に、異形に不似合いな、ドレスの一部と思しき布切れをまといて、その異形は彼らに問う。

『鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのは、だぁれ?』

 その言葉は――

「……っ」

 何故かクルスのみに響く。ソロンとディンは無反応であり、

『あら、不思議ね。そう、神官の末裔、なるほど。奪い去られ、凌辱され、それでもなおこの地に根差し、繋いだのね。哀れだけれど、それでも彼女たちに敬意を。でも、残念。あなたは駄目。だって、獣クサいもの』

「テメエに言われたくねえよ。醜い化け物が」

「何言ってんだ、クルス」

『口の悪い坊やだこと。さあ、始めましょうか。格好つけても無駄よ。だってわらわたちは知っているもの。騎士が、口ばっかりだってこと』

 声が、森の至る所から響く。

 明らかに異質、戦士級の枠を超えた存在。

『知れ。わらわらの、絶望をォ!』

 千年に渡り風化せず、今なお燃え盛るは怨讐の炎。

「おい、このダンジョン、少しずつ落下してねえか!?」

「……そのようだね。なるほど、四方より追い立て、中央でダンジョンごと押し潰す、か。極めて合理的だ。素晴らしい段取りと言える」

「言ってる場合か。さっさと殺すぞ」

「だな」

「もちろん。最初からそのつもりだよ」

 クルスとソロンとディン、三人の騎士が異形の怪物、鏡の女王ジャバウォックを前に立つ。眼下の民が知る由もなく、彼らの戦いがアカイアの命運を握っていた。

「「「エンチャント」」」

 三振りの剣を構え、三人の騎士が人知れず征く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る