第227話:黒き騎士

 ディン・クレンツェは息を呑みながら、それでも自らが得意とするフー・トニトルスの構えを取り、じわりじわりと間を詰める。対峙する騎士に変化はない。無手、何も持たずに、されど何故か喉元に剣を突き付けられている感覚がある。

 相手の出方も、戦い方もわからない状況。

(……ひー、怖い怖い。嫌な予感しかしねえ。でも、とりあえずセオリー通り)

 慎重に、詰める。

 たん、さらに一歩踏み込んだ瞬間、嫌な予感が膨れ上がった。

 それと同時に――

『……』

 地面が隆起し、土が剣を象りディンを貫かんと伸びる。

「っとぉ!」

 それを回避し、敵を中心にその距離を、間合いを維持し旋回する。騎士は腕を常にディンへ向け、それに呼応するように大地がディンを追う。

 土の剣が迫り、

「堅さはどんなもんだっと?」

 それをディンが回避しながら迎撃、土が砕けて、

(ガラス? ガラスを土、剣に変換は手間が過ぎるだろ。それとも――)

 ガラス片が舞う。外の軍勢に混じる絶命と共に砕け散る魔族と同じような光景。今断定するには情報の量が足りないが、それでもディンは状況を頭に入れておく。

 下手を打てば周りが、民が死ぬ。

 考えることはやめない。

 その上で――

(この間合いは反応する。何処か機械的だが、攻撃自体は多彩だな)

 騎士の戦い、そのセオリーを徹底していた。

 戦士級以上は何が出てくるかわからない。まずは様子見、相手の戦力を推し量るために慎重を期すのは教科書通りである。これは何処の騎士団も、それこそユニオン騎士団ですら徹底している基本のキ、であった。

 油断はしない。

 だが、

(……仕掛けるか)

 悠長にする気もない。外では現在進行形で民が命を散らしているのだ。騎士も何人かは殉職しているだろう。油断はない。後がいない以上慎重さも重要。

 ただ、時間制限があることは三者、頭に入っていた。


 セオリー通りの様子見を終え、ソロンは間合いを一気に詰めようとする。

 黒き騎士はそれに反応し、大地から幾重にも剣を伸ばして迎撃してくるが、

「ぬるい」

 かわし、切り裂き、悠然とソロンがまい進する。必要な分をかわし、必要な分を削る。そうすれば前に進むことが出来る。

 言葉にすれば簡単だが、それを悠々と行えてしまうのがこの男の恐ろしいところ。思ったよりも大したことない、とソロンはがっかりした。

 遠間ならどうとでもなる。見た目ほどの覇気もない。

『……』

 近づいても変わらないなら、其処止まり。拍子抜けと言えるだろう。

「そら、これならどうだい?」

 近接、肉薄、切り捨てる。攻撃の嵐を悠々とかいくぐり、教科書に載せたいほど見事な袈裟斬りを披露するのは、さすがは輝ける男と言える。

 しかし、

「……ほう」

 すっと半歩、軽く後退するだけでソロンの袈裟斬りは相手の鎧を切り裂くのみに終わる。身を切った手応えはない。

 恐ろしいほどの見切りの精度。

 それ以上に驚嘆するのは、

(魔族が、この捌きを見せるのか)

 半歩の後退、腰を切る動作、どれも現代の騎士と比べてそん色がない。

 それどころかこの局面で、これだけの精度を出せる騎士がどれだけいるだろうか。

『……』

 砂が舞い上がり、鎧の傷を塞ぐよう蠢き、傷などなかったかのように新品同然となる。それと同時に地面から土がうねり、伸び、黒き騎士がそれを掴む。

 それは先ほど地から伸びたものと同じく、剣と化す。

 そして、

(……ソード・スクエア、か)

 正眼の構え。何処か枯れた木の気配がする。先ほどまではそれが弱弱しさに映ったが、今はそれが練達に映る。遠間はもうこの騎士の間合いではなかった。

 あくまでサブウェポン。

 本領は――

「面白いッ!」

 原初の一に対し、万が嬉々として牙を剥く。


(あの騎士級に似ている、と思ったんだがな)

 間合いを詰めたクルスは得手とする超近接戦、ゼロの間合いで勝負を決めに行こうとしたが、相手は下段、ソード・ロゥに構え直し、するすると間合いを取りながら一定の立ち位置をキープし続けてくる。

 中途半端な、一番嫌なポジショニング。こちらの剣も届くし相手の剣も届く、がゼロではない。如何様にでも工夫が出来る。

 ただ、離れても相手には『人剣』に似た遠間の剣がある。捌くのは『人剣』よりも容易だが、其処ではクルスに出来ることはない。

 詰めるしかないが、詰めさせてくれない。

(何が厄介かって――)

 するすると、滑るように間を詰めようとするクルスから離れる機動力、を生むのは彼の足捌きだけではない。よく見れば腹が立つことに、地面自体が軽く動き、騎士の動きを補助していたのだ。なんと猪口才な、とクルスは腹を立てる。

 魔族なら魔族らしく戦え、と叫びたくなる。

 それの何が嫌かと言えば――

(俺の足場も動かせるだろ、それ)

 何でも出来る力。『人剣』はあくまで全てが剣に起因していた。地から伸びるもの、操るもの、全てが剣で統一されていたし、それ以外はなかった。

 だが、眼前の騎士は大地そのものを操る。

 剣にしているのはあくまでも、騎士のこだわりでしかない。

 手を抜いているわけではないが、そのこだわりで能力の汎用性を欠いていることは事実。万能であるのに、あくまで騎士にとどめている。

 それがどうにも癪に障った。

「使わせてやるよ、そのこだわりひん剥いてなァ!」

 騎士然と振舞う魔族、その本性をさらけ出してやる、と意地でも詰み切る覚悟で突っ込む。意地の攻め、その構図は何処かいつかの光景を想起させる。


「ぐ、おおおおおッ!」

『……』

 ハイ・ソード対フー・トニトルス、攻撃の型の新旧対決。力と力のぶつかり合いにディンは顔を歪め、じわじわと後退を余儀なくされていた。

 遠間では枯れた気配がしていた。近くでも決して力強い気配はなかったが、其処は魔族と人間、何処まで行ってもスペックには大きな開きがある。

(はは、そりゃそうだわな。どうにも人間臭くてよ、ちょいと勘違いしてたぜ)

 単純な力では勝てない。

 そもそも、

(そういう型でもねえしな)

『……?』

 シンプルな力攻めに特化したハイ・ソードを相手に力で勝つような型ではないのだ、フー・トニトルスとは。攻めの中にも多彩さを、時には――

「あらよっと!」

 退くことも許容される。災厄の軍勢との長き戦いを経て、魔導革命による平和の時代に磨かれた対人の工夫を経て、磨き抜かれた最新型。

 その開発者である騎士の末裔として、そういう勝負では負けられない。

 相手が旧き時代の騎士で来るなら、

「おおッ!」

 こちらは最新、最先端の騎士で征く。

 退き、一気に攻める。この緩急はハイ・ソードにはない。ハイ・ソードほど前かがみにならず、少し体を残しておくフー・トニトルスだからこそできる捌きである。

 強い騎士である。凄まじい習熟を感じる。

 だが、

(なんで騎士の戦いにこだわるのか知らねえが、それならいくらでもやりようがあるぜ! うん百年前の騎士に負けてちゃ、今の騎士には立つ瀬がねえ!)

 合理的に、長き時をかけて磨き上げた騎士の剣。

 其処には大きな、とても大きな隔たりがあった。


     ○


『なぁぜ?』

 最強の騎士、そう思っていた。何故なら自分は二度、あの騎士と遭遇していたから。一度目は自分たちと戦うために顕現した不死の軍勢との戦闘中、突如現れた二人組の騎士の片割れとして。不死の王は『失せろ、あれは我々の戦争だ!』とこちらとの戦いを捨て、あの二人の怪物と戦った。自分たちはすでに目的を達していたから、撤退したが、おそらく不死の王は負けたのだろう。

 長き時を経て、あの時の男は一人になっていた。

 枯れていた。痩せていた。

 今なら勝てるかもしれない、そう思った。

 それなのに――

『なぜ?』

『……』

 一つの都市を滅ぼし、悦に浸っていた自分たちを蹂躙した。どれだけ同胞をけしかけても、淡々と、流れ作業のように処理されるばかり。

 最後は自分の喉元にまで達した。

 数多の都市を滅ぼした、女王の御許にまで。

 全てを滅ぼしてきたから、伝承にも残っていない。そんな怪物を老人が化けた、黒き騎士は打ち破った。それなのに――

『『っ⁉』』

 すっかり忘れていたあの感覚。ウトガルドでは当たり前であった。人と人が地に、空によって繋がり、何かを共有することなど。

 忘れていた当たり前、それが二つの経験を一部共有した。

 鏡の女王が見たのはひとりの騎士の遍歴。二人で始まり、一人となり、それから長きに渡る放浪、戦いによって枯れ果ててしまったこと。

 されどその年月が、彼を最強の騎士とした。

 往年の力は、『天剣』との戦いでとうに失われていたけれど――

 彼も自分の記憶を覗いたのだろう。

 戦いの最中、ただの一度も動きすらしなかった顔が歪み、崩れた。

『ずっと、起きていらしたのですか。七百年を超えてなお』

『ええ。初めから。それが何かしら?』

『……ぉぉ』

 最強の騎士は、騎士でいられなくなった。こちらの記憶を覗き、戦意を喪失したのだろう。ただ膝を崩し、項垂れていた。

 女王もまた傷を癒すために撤退し、戦力の回復を図った。残った戦力は少ない。しかし、自分さえ生きていればいくらでも再起の目はある。

 増やせばいいのだ。自分の力で。

 おとぎ話のような、願いを叶える魔法の力。鏡に願えば何でも叶う。

 最強の騎士を映し出すことも、出来る。

 だと言うのに――

『なぁぜ?』

 噛み合わない。最強に見えたのに、最強であるはずなのに、何故かあの三人を圧倒できていない。確かに強い。武のことはよくわからないが、夫や家臣たちは戦う力を持っていたし、多少の目利きはある。

 長い戦いの歴史でもそれは培われた。

 確かに強い。でも――

(あの頃の最強は今の最強にあらず)

 目を瞑る女王は顔を歪める。せっかくの夢見、嫌な景色が割り込んできたから。

 あの頃よりもさらに枯れ、痩せた老人の姿が。

『まだ生きていたのね、坊や』

(ご無沙汰しております。この繋がりが、二度と繋がらぬことを祈っておりましたが……まだ消えませぬか)

『消えるわけがない。消えようはずもない。今更小僧の戯言、聞きとうないわ』

(わしでは勝てませぬぞ。現代の騎士は皆、あの頃のわしよりも強い。それが積み重ねなのです、陛下。お引きくだされ。そして願わくば、その怒りを――)

『道理はわからぬが、助言は受け取ろう。愚かなる騎士よ。それでわらわが引くと思うか? この炎が消えると思うか? ふはは、怒りを忘れるから老いる。その愚鈍な忠告を使い、必ずやこの怨讐、果たしてくれようぞ!』

(■■■女王!)

『……わらわはジャバウォック、混沌の獣である』

 女王は目を覚ます。

 『眼下』には有象無象の、滅すべき醜き獣が映る。だが、今は些末なこと。今はただ、ウトガルドの騎士、あの愛すべき世界の騎士を真似る、猿どもの方が許せない。

 記憶の中の騎士が敵わぬのならば、想像すればいい。

 あの不死の王と、その取り巻きを滅ぼすほどの力を。復讐の怒りに駆られた己すら近づく気も起きなかった、怨讐の『天剣』を打ち破った力を。

 最強の盾に守られた、最強の剣の姿を。

 想像し、

『鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番強き騎士は、だぁれ?』

 映し出す。


     ○


 アスガルド王立学園、その一角で瞑想する老人は歯噛みする。

 やはり、届かなかった。

 魔障に侵されながらも正気を保つ、あの獅子王も、人剣ら偉大なる騎士たちも、その頂点に立つ二人の騎士すらも抗えなかったそれを飲み込んだ。

 それはもう、その前から狂っていたのだ。

 その記憶を覗いたから、観てしまったから、老人には手が出せない。

 だからせめて、何とか、言葉で止めようとしたのだが――

「すまぬ。おとぎの国、数多の夢が流れ着く、物語の国。かの優しき女王を、救ってやってほしい。卿らならば出来る」

 そうわかっていてなお、老人は剣を下ろせなかった。

「死のみがあの御方を、怨讐の炎から解き放つことが出来るのじゃろうなぁ」

 どうしたって共感できてしまうから――


     ○


「……何をしている」

 天を繋げ、アカイアの様子を見ていたレオポルド、サブラグは顔をしかめる。あの場にいるはずのない人物を見つけてしまったから。

 レイル・イスティナーイー、自分の研究の要であり、死なすわけにはいかない人材である。場合によっては割って入り、レイルだけでも保護する必要がある。

「世話の焼ける才能だ。あの性格だけは受け付けん。それにしても――」

 必要とあらば――

「笑えるだろ、イドゥン。この俺が、彼女らを守ると誓ったこの剣で、平和を望んだ女王もろとも滅ぼすやもしれぬと来た。くく、喜劇じゃないか」

 ウトガルドの騎士は正気を欠く友を見つめ、

「……笑えよ」

 少し、項垂れた。


     ○


 突如、騎士の動きが変わった。

『■■■!』

 地面が隆起する。剣が、槍が、田園風景を、チェス盤を埋め尽くす。

 砂が舞い上がり、黒き鎧がより歪さを増した。

 戦い方も変貌する。

 大地を操る災厄が、三者の前に映し出された。

「……ありがたい」

 クルス・リンザールは笑みを浮かべる。詰み筋は見えていたが、それでもあの機動力と巧みな捌きは厄介だった。確かに攻撃の手数は増えた。力も、遠間から受けるプレッシャーも先ほどの比ではない。

 だが、これは魔族だ。ならば、むしろ自分の得意分野である。

「味変か。俺をよくわかっているね。褒めてあげよう」

 練達は充分味わった。ただ、すでに飽きが来ていた頃合いに、丁度いい具合に味わいの変化が来たのだ。

 民のことなど気にもせず、面白い状況を満喫するこの男、ソロン・グローリーからすれば天よりの贈り物に等しい。

 あとは美味しく、完食するのみ。

「……ここに来て、か。クソ、しんどいぜ」

 ディン・クレンツェは額の汗をぬぐう。元々精神面は別に強くない。ようやく勝てる、かもしれない状況が一気に引っ繰り返ったのだ。

 ディンでなくとも心が軋む。常に死と隣り合わせの緊張感、容赦なく心をがりがりと削っていくのだ。一歩間違えれば死、強がり続けるのも苦しい。

 だが、

「ふぅぅぅー……っし、仕切り直しだ!」

 深呼吸一つ、心を無理やり切り替える。自分が勝たねばならないのだ。こんな化け物が市井に降り立ったなら、それこそどれだけの人が死ぬかわからない。

 負けられない。負けてはならない。

 負けたら自分だけではなく、見知らぬ誰かも死ぬ。

「やるぞッ!」

 我がことだけでは何処か繊細さを、弱さを秘めていたディンの心が据わる。誰かの命、その重さが彼にとって足りなかった弱さを補う。

 そういう完成の仕方も、あるのだ。

 誰かの重みを背負い、

『■■■■ァ!』

 土くれが生み出した身の丈を遥かに超える巨大な剣、黒き騎士が操るそれに向かい、一歩を力強く踏み出した。

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