第224話:天文学的確率

 さすがに徒手格闘専門であり護衛のプロフェッショナルであるクゥラークが固めている間は仕掛ける気もないのか、ソフィアの公務はつつがなく進行していた。

 クルスも御付きとして精力的に活動、存在感を示す。

 騎士団の若手に稽古をつける、などと言う角の立ちそうなことも上手くこなし評価を上げた。とにかく一つ一つ、見せつけていくしかない。

 自らの力を。

 嫉妬が諦めに、憧れに変わるまで徹底的に――

「思っていたよりもだーいぶ野心家だねえ」

「そう見えましたか?」

 護衛の入れ替わりのタイミングとクルスの業務終わりが重なり、たまたまエフィムと歩いていると、いきなりそう話しかけられた。

「んー、まあうっすらと。これだけ戦闘中とギャップがあるのが面白くてね」

「気をつけます」

「はは、別にいいじゃない。ひとかどの人物ほどそういう気概は買うでしょ。自分たちがそうなんだから」

「そういうものですか?」

「たぶんね」

 改めて横に並ぶとその体の厚みが良くわかる。鍛え抜かれた体に、最新の戦闘技術が詰め込まれた徒手格闘の鬼。

 現役である分、おそらくバルバラよりも強い。

(よくこれとやり合ったものだ)

 クルスは改めてかつての自分を想い、苦笑する。今の自分ですら素手ではやり合いたくない。それだけの引き出しがある。

「うち寄ってく?」

「夜も遅いですが稽古をつけてくれるのなら」

「いいね。そうしよう。ただ、本気でやるよ。負けたくないから」

「大人げないですよ」

「男はいつまでも男の子だもの」

 エフィムはにやりと子どもっぽい笑みを浮かべた。


     ○


「テイクダウーン」

「ぐっ」

 エフィムの引き出しの多さに翻弄され、最後はきっちり地面に寝かされたクルス。胸を借りるつもりです、とか事前にのたまっておきながら、寝かしつけられた時の貌は心底悔しげに歪んでいた。

 その貌にエフィムは満足する。

「課題は足回りだねえ」

「……ですね」

 クルスの水は常に動き続けて初めて成立する。動き続ける、流れ続ける、そうして初めて肉体が水と化すのだ。動きを止められることは致命的。流れず、固められてしまえば骨格(フレーム)の貧弱な凡人しか残らない。

 そして、複雑な関節や筋肉が入り組む上半身と異なり、下半身は構造的にシンプルで稼働に関しても同様に自由度が少ない。

 どれだけ気を配り、イメージ通りに動かせたとしても、上半身ほどの繊細さは望めないのだ。ゆえに下半身はクルスの急所となる。

 固めるなら、其処を狙う。

「あの子たちも気づいていたよ」

「あの子、たちですか?」

 クゥラークとかかわる存在をクルスはミラしか知らない。あと、後輩のボッツも研修に参加すると言っていたが、彼に自分と張り合おうと言う気はないはず。

 ミラが気付いたことに驚きはない。その解法にパンクラを選ぶのも納得できる。

 それは彼女が徒手格闘にこだわりがあるから。まあ、本当は徒手格闘ではなく拳闘なのだろうが、其処は彼女なりの自分への意地、であろうか。

 自意識過剰かもしれないが。

「遊びに来ているからね。ソロン君とディン君」

「……なる、ほど」

 ソロンとディン、考え得る限り最悪の相手である。組み技や関節技は技術であるが、同時に習熟した者同士であればフィジカルがものを言う世界。

 結果論だが、あの対抗戦でソロンの穴を埋め、その上でヒントを与えてしまったのだろう。まあ、なくてもあの二人なら辿り着いていた気もするが。

「おや、ちょっとビビってる?」

「ええ。あの二人に追いかけられて、怖れを抱かないのはただの馬鹿ですよ」

「はっは、そりゃそうだ」

 卓越したフィジカルを持ち、頭も切れる。その上努力家でもあるのだから凡人からすると泣きたくなる。

 それでも――

「だけど、負ける気はないんだろ?」

「もちろん。下半身を狙われるなら、逆立ちして天地をひっくり返しますよ」

「おお、面白い発想だなぁ」

「難点は剣を振れないことですが……いや、状況次第ではいけるか」

「片手で逆立ちって手もある。出来るでしょ?」

「まあ、誰でも出来ますよ、それぐらい」

「そりゃあ君のいる世界だけ。腕っぷしがものを言うこの業界でも、其処まで動ける奴は一握りだし、騎士もそんなに変わらんよ」

「……そんなものですかね」

「そんなもの。君は少しいい環境に恵まれ過ぎたのか、間を知らな過ぎる。それが君の強みであり、弱みかもなぁ。ま、頑張り給え。ライバルは手強いぞぉ」

「ご忠告感謝です」

 二人が自分の魔法を解く気なら、そうさせないために流れるだけ。自分が流れ続ける限り、魔法は解けない。自分は水で在れる。

 止まってなるものか、クルスは天才どもの猛追を頭に入れた。

 いつでも迎撃してやる、その覚悟と共に。


     ○


「そういやさ」

 ミラは昼食を取りながらぽつりと言葉を漏らす。

 しつこく食い下がり続けたディンを撥ね退け続け、若干表情を曇らせた輝ける男も、諦めずに足掻き続ける男も、どちらも疲労困憊で反応は薄い。

 だが、

「昨日クルスいたわ」

「「!?」」

 その一言で疲労が吹き飛ぶ。特にソロン。

「まさか……俺に会うため?」

「んなわけねえだろ。クルスって確か地元の騎士団で、御付きがどうこう言ってたよな。俺、しがらみが出来るからやめた方がいいとは言ったけどよ」

 ばっさり切り捨てられ、ムッとするソロン。結構珍しい。

「なんかイリオスの御姫様の初公務でアカイアにいるんだってさ。さっき、ゴリラ分団長に聞いたら、それで忙しいって言われたし」

「ミラっちー、聞こえてるよー。後で寝かすねー」

「……クソがぁ」

 マウントポジション行き決定にミラは頭を掻き毟る。技術技術した組み技や寝技が性に合わず、なかなか飲み込み切れていないのだ。

 しかもそれらの技は基本、やられながら体得するもの。

「あとで会いに行こう」

「邪魔でしょ。仕事中だし。この私ですら声かけなかったのに」

「私、ですら?」

「あによ」

 何故かあの夜の再現、みたいな空気になる。ソロンとミラ、その間にディンは何故かクルスを幻視する。罪な男だな、とディンは冗談交じりに微笑む。

 が、割と冗談ではない。

「ソロンはもっと人当たりが良い方だと思っていたけどな。ほれ、この前のナンパもさ、もっと紳士的にいかないと駄目だぜ」

「ナンパ?」

「女の子に声をかけていただろ。ルナ族のかわいこちゃん」

「ああ。あれか。そもそも女なのか? 俺には男に見えたが」

「どう見ても女の子だっただろ」

「まあどうでもいい。それにあれは子、なんて年齢じゃないぞ」

「へ?」

「あれは――」

 そんな空気の中、

「……地震?」

 突如、世界が揺れた。

 最初は地震かと思った。しかし、騎士である彼らはすぐ気づく。

 これは――

「「「ダンジョン!」」」

 ダンジョンが発生した衝撃、振動であると。


     ○


 クルスはソフィアを支えながら、突如現れたダンジョンを見つめていた。四方を囲むように発生した、複数のダンジョン。たまたま今、屋外での公務であったから直接、その発生の一部始終を目撃することになった。

(突発型、それも同時に複数だと? どういうことだ? そんなことありえるのか? あまり近いと、干渉して対消滅することもある、はずだが)

 しかも鏡写しのように同じ規模のダンジョンが四つ。アカイアの王都を囲むように発生していた。そもそも、当然だが国の、しかも王都ともなれば必ずと言っていいほど、ダンジョンの発生確率が極めて低い場所に建造される。

 ここもそう。アースと同じ、歴史上ただの一度も王都直下型は発生していない。

 誰もが天を見上げ、呆気に取られていた。

(これも刺客だとしたら……いや、違う。そんなことどうでもいい)

「……クルス?」

 ソフィアは自らを抱き、守らんとする騎士を見上げた。

 頼りを探すように。

 しかし、その貌に浮かぶのは――

(好機だ)

 クルスは好機の到来に、獰猛な笑みを浮かべていた。


     ○


「あっはっはっはっは! 凄いじゃないか、さすがはクルス・リンザールだ。メガラニカの時とは違うが、どちらにせよ其処にいる、と言うのが素晴らしい」

 王都で、遠く離れながらクルスを観察していたシャハルは大笑いしていた。不測の事態、天文学的確率の事象である。

 明らかに人の意志が介在していたメガラニカとは違う。そして、当然だが自分の仕掛けとも全然違うのだ。

 完全な運、悪運か、それとも幸運か、はたまた天運か。

「避難しますか?」

「冗談。彼の成長をボク自身が観察する絶好の機会じゃないか。いやはや、彼が神に愛されているのか、はたまたボクか、それとも両方か」

 シャハルは身震いする。

 これはもう、

「運命としか言いようがない。さあ、妄執に囚われた哀れなる群れ、災厄の軍勢(ユーベル・レギオン)の御通りだ。拝見しようじゃないか」

 運命だろう。

 天が与えてくれた、この素晴らしき状況を楽しむなと言う方が難しい。

「彼らの復讐を、ね」

 ダンジョンから、魔族が一気呵成に飛び出してくる。

「おや、この群れはどうやら、他の群れよりも敵意が強いようだ」

 千年の時すら拭えぬ怒りが彼らを突き動かす。妄執の獣たちは攻め滅ぼす存在を見出し、醜く笑った。

 引き裂き、千切り、砕く。

 かつて、彼らがそうされたように。

『■■■■■!』

 四方より怒りに満ちた声が轟き、反響する。蹂躙せよ、徹底的に、そんな意志が、言葉を解さずとも伝わってくるほどに。

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